15 / 25
15.
しおりを挟む
次の日は、朝から上賀茂神社へ行き、白馬を見て、白馬は足腰のお守りになる。上賀茂神社のいわれは、太古の昔、神代の昔にさかのぼること天上で雷鳴が響き渡り一本の丹塗矢(ぬめりのや)が降ってきた。
加茂一族の姫であるかも玉依比売命(かもたまよりひめみこと)が加茂川の上流で身を清めているとき、上流から流れてきたその矢を不思議に思い持ち帰る。
寝殿にて、その矢を祀り、寝たところ、不思議な力で懐妊され、加茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)が誕生した。
玉依比売命の父神加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と宴の催しをしていると、加茂別雷大神が「わが父は天津神(あまつかみ)なり」と申し、雷鳴と共に天上に昇ってしまう。
「我に会いたくば祭りを行え」と言い残し、その通りの祭りをすると再び展よりご降臨された。それが現在まで続く葵祭の期限であるといわれている。
上賀茂神社までバスで行くが、次のバスが来るまでの間、神馬堂の焼きもちを並んで買うことにした。
注文したら、その場で焼いてくれるのが嬉しい。葵餅の焼きもちは、もうセロハンに包んであり、冷たいけれど、神馬堂は、焼き立てなので、まだ温かい。昔ながらの竹の皮に包んでもらう。
今時、竹の皮なんて、鯖寿司か神馬堂の焼きもちと稚児餅ぐらいしかお目にかからない代物。今宮神社の炙り餅も竹の皮で包んでくれるんだっけ?まあ、それぐらい希少なものはありがたい。
神馬堂の焼きもちを餅ながら、下鴨神社へ行く。糺の森の中を通って行く。今日は、普通の森の様子だけど、時たま、ここで時代劇の撮影が行われていることがある。
下鴨神社の御祭神は、神加茂建角身命と玉依比売命。上賀茂人者の祭神の祖父と母が祀られているというのも得て妙というところ。
下鴨神社は、縁結びの神様としても有名で、私たち夫婦も、どういう縁があったのかはわからないが、夫婦として、縁がなければ、あの時、結婚できなかったことは間違いないので、真剣に拝む。
その後、河原町通りを向かい側に渡ったところで、みたらし団子を食べ、お土産に買って帰り、両親へのお土産にするつもりでいる。
このお店の名前は加茂のみたらし茶屋という名前で、この名は豊臣秀吉公が立ち寄った時、下鴨神社のみたらし池の泡のイメージから、みたらし団子と名付けられたのである。
また、このお団子1番上だけが少し他のお団子と離れてついているが、これは人体を表していて、一番上が頭で、その後が胴体を表している。
ここまで来たら、出町まで、すぐそこの距離なので、出町まで歩くことにしたら、もうふたばに行列ができていたので、甘いものばかりだけど、つい並んでしまう。
神馬堂の焼きもちとみたらし団子、それにふたばの豆餅と甘味ばかりをお土産にして、お天気がいいのでそのまま御所の横の寺町通りを下がって、帰路につくことにする。
途中、清少納言が源氏物語を執筆した蘆山寺の前を通りがかった時、またもや……時空が歪み始めていることを感じ始める。
ハッとなって、思わず翔君の手を握り始める。
この前も河原町今出川で時空が歪んだけれど、どうやら、時空の穴は、このあたりにあるようで……。あっという間に夜になっていて、辺りは、すでに漆黒の闇に包まれている。
なんとなく不吉な感じがすると、目の前に僧侶が何やら抱えて、疾走していった。
「なんや、あれ?」
「ん?ひょっとして、今日、本能寺の変でもあったんやろか?」
「本能寺の変というたら、6月やないか?今はまだ正月5日やで」
「そやけど、ここまっすぐ行ったら、阿弥陀寺やで。信長公の骨があるという話や」
「あ!その話、知っている、ちょうど本能寺の変の時、織田家の家来が信長公の遺体を火葬している最中に、阿弥陀寺の住職がどさくさ紛れに本能寺に行き、その遺骨を持って逃げたという話やったかなぁ」
「うんうん。阿弥陀寺の住職は、信長公の異母弟に当たるから、その可能性は十分すぎるほどあるて、テレビでやっていたわ」
「その後、秀吉が葬式をするので、信長公の遺骨を貸してと頼み込んだが、阿弥陀寺はこれを拒否したために、寺領を大幅に削減されたと聞く」
「そう考えると、太閤はんて、イヤな男の典型やな。利休様が秀吉を嫌ったのも、頷ける話やわ」
ぶらぶら喋りながら、梨の木神社のところまで行くと、後から大男が歩いてきた。というか、大股でせわしなくすぐそこまで追い抜かされそうになって初めてそれが、千宗易様であるということがわかった。
「ああ、やっぱり檸檬殿に、お会いできた」
「へ?」
声をかけてきたのは、やっぱりというべきか利休様であった。
「信長公が本能寺で身罷られたので、京から堺へ帰る途中に、ひょっとすれば寺町通を通れば、檸檬殿にお会いできるのではないかと思い、遠回りしてきた甲斐があったというもの」
「はあ?」
あ!そうだった。利休様にお会いしたら、江戸の掛け軸のことをお断りしておかなければ、と思っていたのだった。
「こんなところで立ち話もなんですから、我が拙宅へ来られませんか?今は冬でして、お正月飾りがしてありますが、この時代よりは、快適だと思います」
「では、参ろう」
そのまま転移魔法で現代の上垣内家の離れの玄関先まで飛ぶことにした。
蔵の地下でもいいと思ったけど、いずれにせよ。用事が住めば、利休様を堺まで送っていくつもりでいるから。現代の我が家から電車で乗り憑けば、2時間ほどで堺市の中心部までは行けるだろう。
それに難波までは、しょっちゅうお買い物に行っているので、難波まで転移魔法で行ってもいい。
ほとんどウサギ小屋のような我が家に、利休様をお招きすることは恥ずかしいけれど、併設している茶室へ案内し、そこで内緒話をすることにした。
「ご紹介が遅れましたが、私、結婚して、こちらが夫の翔……、この方はかの有名な千利休先生です」
「はじめまして、まだ大学生ですが上垣内家に養子に入りました。翔です」
「ほぅ。これはこれは、おめでとう存じます」
「実は、私も利休様にご相談がございまして……、菓子鉢に買ってきたばかりの神馬堂の焼きもちを並べる。
お箸は1寸ぐらいのところまで、水に濡らしておく。
お茶のお師匠様に見られながらのお点前は非常に緊張する。
「この上垣内家の蔵から江戸時代へ行けるというのですね?信長公亡き後、天下は徳川殿がとられるということなのでしょうか?」
「いえいえ、秀吉殿が……今は、羽柴と名乗っておられるかもしれませんが、後に豊臣と名乗られ、天下を取られます」
「なんと!あのサルめがか!サルは6本指を持っている。下賤の輩や」
「そう。信長公の後継者として、名乗りを上げられ、天下をわがものになさいますが、わずか18年ばかりで徳川に天下を取られてしまいます」
「しょせん、夢のまた夢やな」
「それで、上垣内家に渡した掛け軸をどこかの大名が欲しがっているということは真の話か?」
「はい。それで昨日、複写をしたものを渡したのですが、近頃の江戸では、利休様の教えを無視して、華やかなものばかりがもてはやされています」
「ふむ。あのサルの影響かもしれんな」
えっ!?信長公が生きておられるときから、すでに秀吉は成金趣味なところがあったのかもしれない。
若い奥さん(茶々、後の淀君)を貰って浮かれすぎたのかしらね?
「それで一度、境に戻られてから、またご足労願うということは可能でしょうか?」
「なんなら、これからすぐにでも江戸の華美な茶の湯を見てみたいものだが……」
「どうなんでしょうか?時代というか歴史の修復の強制力があり、そう長居はできないかと存じます……」
もし、途中で送り返されるようなことがあれば、堺にいたほうが送り返されたときに、何かと便利ではないかと思います。
だから一度、おべべを脱いでからと思ったものの、江戸の宇治屋清兵衛さんに顔合わせだけはしといた方がいいかもしれないと思い直し、蔵の地下室へと行く。江戸への手土産は、神馬堂の焼きもちを包んであった竹の皮に、ふたばの豆餅を入れ、包みなおして一応、持っていくが、みたらし団子の方がよければ、そちらを渡すつもりで一応、療法を持っていくことにした。
加茂一族の姫であるかも玉依比売命(かもたまよりひめみこと)が加茂川の上流で身を清めているとき、上流から流れてきたその矢を不思議に思い持ち帰る。
寝殿にて、その矢を祀り、寝たところ、不思議な力で懐妊され、加茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)が誕生した。
玉依比売命の父神加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と宴の催しをしていると、加茂別雷大神が「わが父は天津神(あまつかみ)なり」と申し、雷鳴と共に天上に昇ってしまう。
「我に会いたくば祭りを行え」と言い残し、その通りの祭りをすると再び展よりご降臨された。それが現在まで続く葵祭の期限であるといわれている。
上賀茂神社までバスで行くが、次のバスが来るまでの間、神馬堂の焼きもちを並んで買うことにした。
注文したら、その場で焼いてくれるのが嬉しい。葵餅の焼きもちは、もうセロハンに包んであり、冷たいけれど、神馬堂は、焼き立てなので、まだ温かい。昔ながらの竹の皮に包んでもらう。
今時、竹の皮なんて、鯖寿司か神馬堂の焼きもちと稚児餅ぐらいしかお目にかからない代物。今宮神社の炙り餅も竹の皮で包んでくれるんだっけ?まあ、それぐらい希少なものはありがたい。
神馬堂の焼きもちを餅ながら、下鴨神社へ行く。糺の森の中を通って行く。今日は、普通の森の様子だけど、時たま、ここで時代劇の撮影が行われていることがある。
下鴨神社の御祭神は、神加茂建角身命と玉依比売命。上賀茂人者の祭神の祖父と母が祀られているというのも得て妙というところ。
下鴨神社は、縁結びの神様としても有名で、私たち夫婦も、どういう縁があったのかはわからないが、夫婦として、縁がなければ、あの時、結婚できなかったことは間違いないので、真剣に拝む。
その後、河原町通りを向かい側に渡ったところで、みたらし団子を食べ、お土産に買って帰り、両親へのお土産にするつもりでいる。
このお店の名前は加茂のみたらし茶屋という名前で、この名は豊臣秀吉公が立ち寄った時、下鴨神社のみたらし池の泡のイメージから、みたらし団子と名付けられたのである。
また、このお団子1番上だけが少し他のお団子と離れてついているが、これは人体を表していて、一番上が頭で、その後が胴体を表している。
ここまで来たら、出町まで、すぐそこの距離なので、出町まで歩くことにしたら、もうふたばに行列ができていたので、甘いものばかりだけど、つい並んでしまう。
神馬堂の焼きもちとみたらし団子、それにふたばの豆餅と甘味ばかりをお土産にして、お天気がいいのでそのまま御所の横の寺町通りを下がって、帰路につくことにする。
途中、清少納言が源氏物語を執筆した蘆山寺の前を通りがかった時、またもや……時空が歪み始めていることを感じ始める。
ハッとなって、思わず翔君の手を握り始める。
この前も河原町今出川で時空が歪んだけれど、どうやら、時空の穴は、このあたりにあるようで……。あっという間に夜になっていて、辺りは、すでに漆黒の闇に包まれている。
なんとなく不吉な感じがすると、目の前に僧侶が何やら抱えて、疾走していった。
「なんや、あれ?」
「ん?ひょっとして、今日、本能寺の変でもあったんやろか?」
「本能寺の変というたら、6月やないか?今はまだ正月5日やで」
「そやけど、ここまっすぐ行ったら、阿弥陀寺やで。信長公の骨があるという話や」
「あ!その話、知っている、ちょうど本能寺の変の時、織田家の家来が信長公の遺体を火葬している最中に、阿弥陀寺の住職がどさくさ紛れに本能寺に行き、その遺骨を持って逃げたという話やったかなぁ」
「うんうん。阿弥陀寺の住職は、信長公の異母弟に当たるから、その可能性は十分すぎるほどあるて、テレビでやっていたわ」
「その後、秀吉が葬式をするので、信長公の遺骨を貸してと頼み込んだが、阿弥陀寺はこれを拒否したために、寺領を大幅に削減されたと聞く」
「そう考えると、太閤はんて、イヤな男の典型やな。利休様が秀吉を嫌ったのも、頷ける話やわ」
ぶらぶら喋りながら、梨の木神社のところまで行くと、後から大男が歩いてきた。というか、大股でせわしなくすぐそこまで追い抜かされそうになって初めてそれが、千宗易様であるということがわかった。
「ああ、やっぱり檸檬殿に、お会いできた」
「へ?」
声をかけてきたのは、やっぱりというべきか利休様であった。
「信長公が本能寺で身罷られたので、京から堺へ帰る途中に、ひょっとすれば寺町通を通れば、檸檬殿にお会いできるのではないかと思い、遠回りしてきた甲斐があったというもの」
「はあ?」
あ!そうだった。利休様にお会いしたら、江戸の掛け軸のことをお断りしておかなければ、と思っていたのだった。
「こんなところで立ち話もなんですから、我が拙宅へ来られませんか?今は冬でして、お正月飾りがしてありますが、この時代よりは、快適だと思います」
「では、参ろう」
そのまま転移魔法で現代の上垣内家の離れの玄関先まで飛ぶことにした。
蔵の地下でもいいと思ったけど、いずれにせよ。用事が住めば、利休様を堺まで送っていくつもりでいるから。現代の我が家から電車で乗り憑けば、2時間ほどで堺市の中心部までは行けるだろう。
それに難波までは、しょっちゅうお買い物に行っているので、難波まで転移魔法で行ってもいい。
ほとんどウサギ小屋のような我が家に、利休様をお招きすることは恥ずかしいけれど、併設している茶室へ案内し、そこで内緒話をすることにした。
「ご紹介が遅れましたが、私、結婚して、こちらが夫の翔……、この方はかの有名な千利休先生です」
「はじめまして、まだ大学生ですが上垣内家に養子に入りました。翔です」
「ほぅ。これはこれは、おめでとう存じます」
「実は、私も利休様にご相談がございまして……、菓子鉢に買ってきたばかりの神馬堂の焼きもちを並べる。
お箸は1寸ぐらいのところまで、水に濡らしておく。
お茶のお師匠様に見られながらのお点前は非常に緊張する。
「この上垣内家の蔵から江戸時代へ行けるというのですね?信長公亡き後、天下は徳川殿がとられるということなのでしょうか?」
「いえいえ、秀吉殿が……今は、羽柴と名乗っておられるかもしれませんが、後に豊臣と名乗られ、天下を取られます」
「なんと!あのサルめがか!サルは6本指を持っている。下賤の輩や」
「そう。信長公の後継者として、名乗りを上げられ、天下をわがものになさいますが、わずか18年ばかりで徳川に天下を取られてしまいます」
「しょせん、夢のまた夢やな」
「それで、上垣内家に渡した掛け軸をどこかの大名が欲しがっているということは真の話か?」
「はい。それで昨日、複写をしたものを渡したのですが、近頃の江戸では、利休様の教えを無視して、華やかなものばかりがもてはやされています」
「ふむ。あのサルの影響かもしれんな」
えっ!?信長公が生きておられるときから、すでに秀吉は成金趣味なところがあったのかもしれない。
若い奥さん(茶々、後の淀君)を貰って浮かれすぎたのかしらね?
「それで一度、境に戻られてから、またご足労願うということは可能でしょうか?」
「なんなら、これからすぐにでも江戸の華美な茶の湯を見てみたいものだが……」
「どうなんでしょうか?時代というか歴史の修復の強制力があり、そう長居はできないかと存じます……」
もし、途中で送り返されるようなことがあれば、堺にいたほうが送り返されたときに、何かと便利ではないかと思います。
だから一度、おべべを脱いでからと思ったものの、江戸の宇治屋清兵衛さんに顔合わせだけはしといた方がいいかもしれないと思い直し、蔵の地下室へと行く。江戸への手土産は、神馬堂の焼きもちを包んであった竹の皮に、ふたばの豆餅を入れ、包みなおして一応、持っていくが、みたらし団子の方がよければ、そちらを渡すつもりで一応、療法を持っていくことにした。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
17
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる