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第五章【蛇王討伐】
5-33.リ・カルン創世神話(4)
しおりを挟む英雄王は霊峰で自身を匿い養育してくれた賢者シャハラースブを宰相に任じ、世界を統治した。賢王にも仕えていたという老賢者の補佐を得たその統治は暗黒の時代の暗さを払拭するかのように空前の繁栄を見せ、賢王の治世にも劣らぬ千年間もの黄金時代を築き上げることになる。
英雄王は蛇王に捕らわれその妃にさせられていた賢王のふたりの娘、美姫シャルワーズとアルナワーズを救い出して妃とし、姉のシャルワーズは長男と次男、アルナワーズは三男を産んだ。
「栄光に満ちた平和な時代だったのね、英雄王の治世は」
蛇王という悪の化身が討ち果たされたことによる人々の歓喜や解放感が、文面からも如実に伝わってくるようで、思わずレギーナの表情も緩む。初代勇者の輝かしい業績は同じ勇者であるレギーナから見ても理想の具現化であり、ある種の憧憬をも覚えさせた。
「ところが、彼の治世はともかくその生涯は、順風満帆とはいかなかったのです」
「……どういうこと?」
「続きをお読み下さい」
ダーナに促されるまま、レギーナは読み進めた。
英雄王の3人の息子たちは逞しく立派に成長し、父の目には優劣付けがたく、英雄王は3人に名を与えられなかった。王子たちも年頃になり、妃を迎えるべきとの話が持ち上がると、重臣たちとも協議の結果、西方のとある国の3人の姫を妃とすることで話がまとまった。
そこで英雄王は一計を案じ、息子たちを姫たちの元へ求婚に向かわせた。彼らは首尾よく姫たちから婚姻の承諾を得て、その報告のために一旦国へ、父王の元へと帰ることとなった。
その帰路で、彼らは竜に襲われたのである。
実はその竜は、英雄王が魔術を用いて変化したものであった。だがそんな事とは気付かぬ3人は、この危難に当たって全く異なる判断を示した。
長男は「君子たるもの危険は避けるものだ」と言い逃げ出した。次男は「覇者たるものは危難を恐れず立ち向かうのだ」と言って戦おうとした。そして三男は「王者たるもの、悪竜と言えども教え諭して恭順させるのが務めだ」と竜への説得を試みた。
満足した英雄王は変化を解いて息子たちの前に姿を現し、長男を「賢き者」、次男を「勇ましき者」、三男を「正しき者」と名付けた。そして長男には先進的な西方の地シャームを、次男には東方の武侠の地トゥーランを、三男には自らの後継としてアリヤーンの地を与えて、三男を正式に世継ぎとした。こうして英雄王は退位し、イーラジが新たなる王となった。
「待って、この3人の名前と、与えられた地名」
「お察しの通りです」
サールムが与えられたのが現在の大河下流西岸域を領有するシャーム国であり、トゥールが与えられたのがリ・カルンの東北に位置するトゥーラン国である。そしてその三国は、もう数千年にも及ぶ不倶戴天の敵同士だと、レギーナたちはすでに聞き及んでいるのだ。
英雄王の血を分けた兄弟3人の治める国が、どうしてそんな事になったのか。知りたくてレギーナは読み進める。
偉大な父王に息子たちは従ったが、内心では兄ふたりともアリヤーンの地が欲しかった。サールムとトゥールは密かに会談し、弟を殺してアリヤーンの地を分け合おうと画策した。この時サールムは相談役としてイブリスと名乗る老人を連れていた。
「また!?またイブリースなの!?」
兄たちの計画を知ったイーラジは驚き恐れ、兄たちと仲違いするくらいなら王位もアリヤーンの地も要らぬと言い放ち、ふたりを説得するために直接彼らのもとを訪れて行った。だが兄たちは弟の言葉に耳を貸さず、とうとう弟を殺してしまった。
「なんて事……英雄王の血を引く息子たちが、またしても悪魔の甘言に踊らされるだなんて……」
この時まだ存命だった英雄王は驚き悲しみ、そして怒り、アリヤーンの地をふたりに渡さなかった。イーラジの新妻が身籠っていることを知り、後継者の誕生を期待したが生まれたのは女児だった。落胆しつつも英雄王は引き続き王位を保持し、そして孫娘はイーラジの後に生まれた英雄王の四男と結婚し男児を産んだ。
「叔父と姪の婚姻って、血が近すぎないかしら」
「創世神話の上では近親婚こそ神聖視されているのです。最初の人類であるガヨーマルタンは女神と交わり男女の双子を得て、その双子が婚姻して7組の男女の双子を産み、その7組がそれぞれ婚姻して世界を治めた7氏族の祖となったとされています」
人類最初の王朝ピシュダディ朝の開祖ホーシャングは、最初の人類ガヨーマルタンの遺した双子の夫婦が産んだ7組の双子夫婦の1組から生まれた。ホーシャングの子らも双子同士で婚姻し、そのうちの1組から生まれたのが賢王イマであるという。
「……まあ、最初の人口の少ないうちはそういうことにもなっちゃうか……」
リ・カルンの創世神話に限らず、最初期の人類が兄妹あるいは姉弟から生まれたとする神話は東方西方を問わず世界中に多くある。そこに現代の倫理観を求めるのはナンセンスというものだろう。
亡きイーラジの娘の産んだ世継ぎはマヌーチェフルと名付けられ、老いた英雄王によって大事に育てられて凛々しくも逞しい青年となった。マヌーチェフルの噂はサールムとトゥールの元にも届き、ふたりはマヌーチェフルに復讐されることを恐れた。
そこでふたりは密かに会って相談し、マヌーチェフルが自らやって来るなら直ちに降伏し、領土と財産を全て差し出すと言ってきた。どう見てもイーラジの時と同じく謀殺するつもりにしか見えなかったので、英雄王はマヌーチェフルに軍を与え、彼はその軍を丘の裏に隠してふたりの王と会談の約束をした。
そうして北方国境、三国の境界が交わる地で三者は会見した。マヌーチェフルは挨拶もそこそこに有無を言わさずサールムの首を刎ね、驚いたトゥールが伏兵をけしかけるとマヌーチェフルも軍を呼び寄せて乱戦となった。
マヌーチェフルの軍は精強で知られたトゥールの軍を散々に打ち破り、その首都まで攻め上がってついにトゥールを討ち果たした。マヌーチェフルは大おじふたりの首級を手紙とともに英雄王に届け、息子たちの首と対面した英雄王は悲しみのあまりに視力を失ったという。
英雄王はマヌーチェフルに王位を譲ると、程なくして失意のうちに世を去り、祖父の復讐を遂げたマヌーチェフルは、以後「復讐王」と呼ばれることとなる。そして初代王を殺されたシャームとトゥーランの両国は、以後アリヤーンの地を治める王家と不倶戴天の敵同士となったのだ。
「英雄王の晩年なんて、栄光に彩られなければならないはずなのに……」
それもこれも、サールムとトゥールに弟殺しを唆したイブリースのせいである。
「姫ちゃん、もう決めたやん?」
「……分かってるわよ」
頭では解っていても、心はなかなかそうはいかないものだ。人一倍正義感の強いレギーナは、心の整理がつくまでしばらくは葛藤で煩悶しそうである。
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