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8話 聖騎士とは

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 リリシアは目に見えて怯えた顔になった。一番の悩みの種をずばりと言い当てられたからだ。揺らぐ蝋燭の灯りで、セヴィリスの緑の眼はリリシアを捉えて離さない。帽子やヴェールや白粉で隠した隈だけではなく、自分の何もかもを見透かされている気になった。

(この方は、どうして……知っているの?)

 リリシアは震える瞳で首を横に振った。毛むくじゃらの魔獣がいやらしい目で迫ってくるのです。などと誰がめでたい結婚式の夜に打ち明けられるだろうか。

「いえ、夢など……そのような……、ことは」
「大丈夫。隠さなくていい。なによりも、その印が雄弁に語ってくれる。あなたは毎晩のように悪夢を見ているんじゃないかな」

 セヴィリスは穏やかな声でリリシアを気遣ってくれる。過敏になっている神経を安らかに包むように。
 彼女は胸のあたりをぎゅっと掴み、ゆっくりと頷いた。

「ゆ、夢は、みています……、とても、嫌な夢……。でも、なぜ貴方様がそのことをご存じなのか、ぜんぜん、わかりません。この奇妙な印のことだって……自分でもわからなかったのに」


 彼は少しだけ言いにくそうに切り出した。

「その印をつけられた時に、私もいたから。……貴女は気づいていないかもしれないが、私たちは初対面ではないんだ」

 リリシアは思わず大きな声を出した。

「や、やっぱり…!……森でお会いしたのは、貴方様でしたのね?」

 馬車で感じたことは間違いではなかったのだ。印のことはわからないが、リリシアははっきりと確信した。
 彼は驚いたように目を瞬かせた。

「やっぱりって……、知っていたのかい?」
「ええ、だって、あのような体験、忘れたくとも忘れられるはずはありませんもの。でも、あの……貴方様かどうか自信はなくて……とても、その。勇猛な印象だったものですから、人違いかと」

 森で少年と自分の命を救ってくれた剣士はやはり、今目の前にいる青年だったのだ。

「あ、ああ……。私はよく、剣を持つと印象が変わると言われるんだ。だからかな」

 セヴィリスは少しきまり悪げにそういうと、
「でも、それなら話は早いね」と苦笑いした。

「あの時はっ……ほんとうにありがとうございました」
 リリシアはあわあわと頭を下げる。こんな所で再会するなど思ってもみなくて、何から話していいのかもわからなくなってしまう。
「私こそ、危ないところを貴女に助けてもらった。感謝する」

 二人は、改めて目を合わせた。夫婦となったその夜に、なんともぎこちない再会の挨拶をしていることがリリシアにはとても不思議に感じられた。
 セヴィリスは改めて話を続けた。

「我々デインハルト家は、古来よりこのグリンデル領で魔を屠る命を負っている。『聖騎士』と呼ばれる血筋なんだよ。私は少し前に首領を引き継いだんだ」

 聖騎士についてはご存じだろうか?と青年はリリシアに尋ねる。
 リリシアは曖昧に頷いた。

 聖騎士ーー。はるか古、魔物がこの国を跋扈していた時代、人を守るために剣となり盾となり戦ったという聖なる騎士たちのことだ。だが既に神話の時代は終わり、人間の世となった今ではその伝説だけが各地に残っているだけだ。リリシアは幼い頃、眠る前にいくつも聖騎士の冒険話を両親にねだったものだ。

「聖騎士……様? それは、おとぎ話では……?」

 セヴィリスは柔らかく首を横に振った。

「はは。まぁ、大抵の人にとってはお伽話の登場人物でしかないよね。でも、聖騎士は今でもいる。だって、君が森で遭ったのは間違いなく魔物だっただろう?」
 リリシアは頷いた。あのような禍々しいものは、この世のものではない。
「だから、……この地に魔物がいる限り、聖騎士の役目は終わらないんだよ」
 セヴィリスは重々しくそう言う。

「で、でも。ほ、ほんとうにそんな、ことが……?」

 リリシアは戸惑いと驚きで何度も瞼をぱちくりとさせた。やはり信じがたい。そんな話は、ベルリーニ家の食卓でも、誰の噂話でも聞いたことがない。

「あの日は、魔物……それも人型のものが出るという噂を辿って私たちは森へ向かっていたんだ。でも、間の悪いことに、あの少年たちが先に遭遇してしまった」

 あの時の恐怖がまざまざと蘇る。リリシアは知らず、自分の肩を庇うように身を縮めてしまう。
「怖い思いをさせてごめんね。私たちは、あれを、ラギドを追ったのだけれど、奴は姿をくらませてしまったんだ」

 セヴィリスの剣によって魔物は深い傷を負った。だが滅することはできなかったのだという。

「そ、そうだったのですね……でも……」

 リリシアは思い切って尋ねてみた。

「セヴィリス様。あの魔物と、この婚姻と、なにか関係があるのでしょうか」
「ああ。大いに関係がある。貴女の、その印だよ。これは魔印といって魔物が気に入った獲物につける呪なんだ」
「呪……?」
「そう。奴は君に印をつけた。必ず手に入れようとやってくる。夢はあの魔獣の意思の表れだ」

 リリシアは思わず肩を庇った。これが、印?

「魔印は少しずつ君を侵食していく。生気を奪って成長し、やがて君の身体と魂を喰らうんだ。そうすると、身も心もあの魔物のものになってしまう」

セヴィリスの言葉は地の底から聞こえる不吉な予言のようにリリシアの体を這い上がる。彼の話は冗談でも世迷言でもないと、自分の肩の疼きが教えてくれる。リリシアは心臓がギュッと掴まれた気分になって胸を押さえた。

(な、なに、そんなこと……。ど、して……どうしたら、いいの)
いつもは安心できるペンダントさえ肌に冷たく感じられてしまう。
リリシアはかたかたと震える手で、とっくに冷めてしまったティーカップを寝台の側の台に戻した。

そこへ、セヴィリスの手がふわりと重ねられる。
「……あの魔物を倒しきれなかったのは私の責任だ。だから貴女をこの屋敷に迎えた」
「そ、れは、どういう?こと?」
朧げだった話の輪郭が少しずつ、少しずつはっきりしてくる。
「このグリンデルの地で貴女を守る。そのために貴女に求婚した。それが私の聖騎士としての責務だ」

 
「え……?ち、ちょっと……おまちください……そ、そのようなことで?私と……?」

 婚姻をなさったというの?彼女はあっけに取られた口調でセヴィリスを見る。驚きすぎて肩の疼きなど、どこかへ飛んでいってしまった。
 だって、それではこの方に利益など何もないではないか。

 彼は少しむっとしたように口をへの字にした。
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