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最終話 あなたとともに

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 数週間後、王宮では盛大な王妃の夜会が催された。王国の一年を通して一番華やかで賑わう舞踏会で、今回は大きな騒ぎがあった。
 今まで決して表舞台に出なかったグリンデル領の若きデインハルト伯爵が、奥方を伴い出席したのだ。
 それには理由があった。

 夜会に先立ち、国王は特別な祝典を開いたのだ。
 国王が神官との協議の末、長年、公にしてこなかった聖騎士の存在とその功績を皆に知らしめたのだ。

「長年、デインハルト家および聖騎士団は我が領土の民を魔物の脅威から密かに守ってくれた。これからは聖騎士の務めがさらに重要になると神官も諸侯も考えている。そのため、聖騎士団を正式に名誉騎士団とすることにした」
 この宣言の結果、現聖騎士長であるセヴィリス・デインハルトは、国王陛下により初代の名誉騎士長の栄誉を賜ったのだ。

 王妃の夜会に最高の賓客として迎えられたセヴィリスと、妻のリリシア。二人は注目の的となった。若い夫妻は慎ましい様子で、王妃の隣で皆からの賛辞を受けていた。
 それを遠くからほとんど涙目で睨んでいたのは、ベルリーニ家の姉妹である。
 こんなはずではなかったと二人はわなわなと震え、夫人は気分が悪くなる始末。
 どこからか、リリシアが実家で心ない待遇を受けていたことが出席者の中に流れ伝わっていく。皆が手のひらを返すようにベルリーニ家の人々から少しずつ、少しずつ距離を置き始める。
 ダンスが始まって、やがて夫人と姉妹はぽつんと取り残されることになった。
 リリシアは思わず彼らのところへ行こうとしたが、セヴィリスに止められた。
「あの方たちは少し、心の痛みというのを知ったほうがいいと思う。それでも貴女が苦しんだ年月は戻ってはこないが。でも、今は放っておくのが一番いいよ」

 彼女が戸惑いながらも頷いたとき、王妃がお供の夫人を数人連れて二人の元へやってきた。リリシアは慌てて腰を落とし頭を下げる。
「デインハルト伯爵、楽しんでいらっしゃる?」
「え、ええ。とても。本当に、このような場にお招きいただき、ありがとうございます」
 王妃は高く結い上げた髪にいくつもの真珠や宝石をつけていた。彼女が頭を動かすたびに、シャンデリアの灯りが反射して眩しいくらいだ。
「そうそう。夫から聞きましたわ。あなた、とても珍しいペンダントを持ってらっしゃるそうね。なんでも魔物を倒せるとか……ねえ、今度ぜひ、私の茶会にいらして? 名誉聖騎士長の奥方になったんですもの。皆が貴女とお友達になりたがっているわ。王都に部屋を借りなさいな。それに、旦那様さえよければ、私の側に仕えても良くてよ」
 王妃は羽のたっぷりついた扇を片手に優雅に微笑みかけた。
 茶会。それも、王妃殿下の。

 リリシアは一瞬ぱっと顔を輝かせた。楽しいお茶会は、彼女の長年の憧れだ。たくさんの貴婦人たちと華やかな席でおしゃべりを楽しむ姿が頭に浮かんだ。
 けれども。
「大変ありがたいお話ですが、グリンデル領は遠く、なかなかこちらへ伺うことはできないのです。本当に申し訳ありません……」
 彼女は慎ましやかに頭を下げた。
「あら……そうなの……では、ここに住んで仕えたらいいじゃない、ねえ?デインハルト伯爵」
「……申し訳ありません。私たちは新婚ですので、もう少し、二人の時間が必要でございます、王妃殿下」
「まぁ」
「あの方たちって新婚……だったかしら……?ねえ?」
 王妃と周りの貴婦人は顔を見合わせた。よほど愛し合っている夫婦でない限り、一年もすれば互いに別の楽しみを見つけるのが王都の人間の常だ。そして、愛し合っている夫婦などというのは幻想に過ぎない。
 だというのに、この二人は……。
 聖騎士が、魔物が、というのは貴婦人たちにはほとんど興味のない話だ。だがやはり、デインハルト家は変わっているという噂は本当だ、というのが彼女たちの今夜の結論だった。
 王妃とその取り巻きに半分呆れられながら、その後も二人は宴を楽しんだのだった。

 その夜。

「ねえ。リリシア。……本当に良かったのかな。王妃様のお誘いを断って。彼女の側仕えになることなんて、滅多にない良い機会だったんじゃないだろうか」
 貴族女性にとって、王妃の側に侍るのは確かに最高の名誉だ。だが、リリシアは首を横に振った。

「王妃様にお仕えする方は他にもたくさんふさわしい、素晴らしい夫人がいらっしゃいますわ。でも」

 彼女は夜着を羽織り、寝台に横たわっている夫の側に潜り込んだ。
「あなた様を支え、愛するのは私だけですから、これ以上に大切な役目はありません」
 リリシアは彼の頬に音を立てて口づける。
「どこにも行きませんわ」
 セヴィリスは大きく目を見開くと、リリシアに覆い被さり、激しく抱きしめた。
「貴女は、ほんとうに、可愛らしいね。すごく嬉しいよ」
 口づけの雨を降らせる夫を、はにかみながら受け止める。ふと、彼女の胸の上でセヴィリスが顔を上げた。
「今夜の貴女はとても美しかった。髪も、ドレスも、肌もその瞳もぜんぶ」
「あ、ありがとうございます……」
 彼はため息をつく。
「貴女は色々な人に見られていたのを知っている?私の隣に立っているのに、こんなに遠く感じたことはないよ」
「……え?ど、どういうことでしょうか」
 リリシアは首を傾げた。
 会場の視線はほとんど夫に向かっていたはずだ。セヴィリスの美しさは出会った頃よりますます輝き、最近は凛とした風格まで備わってきている。
 彼は自分に向けられた讃美の視線よりも、リリシアのことが気になったらしい。
「特に男性陣がすごかった。式典の時も、あんなに心配だったことはない。皆が、貴女を見て……」
 不意にセヴィリスは唇を噛み締め、彼女の胸に顔を埋めた。
「周りのことなど、気にしたことはなかった……。貴女のせいで、私は、どんどん変わっていくんだ」
「セヴィリスさま……」
 喜んでいいものか、困るべきなのか、リリシアはわからなくなってしまう。
(だ、だって、そんなこと、言われたことない……)
 リリシアはおずおずと彼の髪を撫でた。
「わ、わたしは、私ですわ……あなた様のそばにいられれば、幸せで」
「うん」
 私の勝手なわがままだね、と彼は目を閉じ、眉を下げた。剣を持った時と、今の彼の違いになんだか心の奥がむずむずとする。これは、自分だけに見せる姿なのだろうか。だとしたら、とても、嬉しいような、すこし、こわいような……。

 夫は、胸に埋めた顔をまたふいに上げた。美しい緑の瞳が今度は妖しく光る。
「口づけをしてもいい?」
「も、もちろんです」
「では、そのあとも……?」
「は、い……」
 恥じらいながら頷く。セヴィリスは、燭台の火を少し落とした。そして彼女の両手を広げ、敷布へ柔らかく押さえつけると唇で、リボンをゆっくりと解いていく。時々強く肌を吸われると、そこに赤い痕がついた。
「これは、私の印だ。あの魔物に貴女がつけられた印など忘れてしまうくらい、これからは私の印で貴女をいっぱいにする」
 深く、深く肌に口づけながら、彼は囁いた。
 小さく頷きながら、リリシアは幸せなめまいを感じていた。

 完
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