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家康と信玄の焦り
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永禄十年(1567年)九月 三河国 岡崎城
前年、朝廷より従五位下 三河守の叙任を受け、同時に「徳川」に改姓した。
ただこれもすんなりと三河守を叙任出来た訳ではない。家康は以前から、新田氏支流世良田氏系統の清和源氏であると自称していたが、朝廷より『清和源氏の世良田氏が三河守を叙任した前例はない』と拒否された。そこで家康は近衛前久に相談し、なんとか奇策を駆使し、三河守叙任にこぎ着けた。
国内の混乱が漸く落ち着いて、やっと今川領遠江国を狙える様にはなったが、決して楽観できる状況にはない。
三河一向一揆の傷痕は浅くはなかった。
袂を分かったら本多正信・本田正重・渡辺守綱の三人は北畠家に仕官した。
本多正信は、文官として活躍しているという。本多正信と渡辺守綱も武官として、各地を転戦して活躍しているらしい。
北畠左近衛中将具房、自分よりも年若いその武将は、瞬く間に伊勢を纏め上げ、近江を支配するに至った。
今では、南の志摩から北の若狭まで、日の本の中央を抑え、京の守護を帝から任じられた。今や北畠家は、伊勢・志摩・伊賀・近江・若狭・紀州の六カ国を支配する大名となった。摂津国を織田家と治めている。
自分達が苦しめられた一向一揆に対しても、近江から長島まで駆逐してみせた。その北畠家のお陰で三河一向一揆が終息したのだから、家康の気持ちは複雑だった。
更に、北畠家は叡山に始まり、熊野三山、高野山、根来寺の牙を抜き、雑賀衆も壊滅状態だと言う。厄介な宗教勢力の力を削いでしまった。
「与七郎(石川数正)、儂と左中将殿と何が違う。儂が漸く三河を治めたと思うたら、左中将殿は畿内のほとんどを治める大大名じゃ」
家康が面白くなさそうに言う。
「先ず、北畠家は左中将殿が領内開発を始めてから、伊勢は豊かになりました。全国から商人が訪れ銭を落としていきます。北畠領には様々な特産品も生まれました」
石川数正が、北畠具房が領内を開発し豊かに変えた事にふれる。
「米の生産は三河でも増えていよう」
「はい、農政を盗むのに時間がかかりましたが、北畠家でも完全に隠せるとは思っていないでしょう」
実際、農政に付いては、取り入れるのはそんなに難しくなかった。
「ですが、真似をするのもそれが精一杯ですな」
「相変わらず間者は潜り込ませれんか?」
これまで、北畠家の秘密を盗もうと、間者を大量に送り込んだが、重要施設には近付けた者はいなかった。
「今では送り込む間者が居ません。伊賀の大部分は北畠家の家臣ですから」
「忍びを家臣にするとは……、見習わねばならんの」
「我が方と北畠家では、資金力に違いがあります。徳川だけで対抗するには大き過ぎる程に」
「兵糧に困らず、銭も大量にあり、兵も精強か……、暗殺も無理だろうの」
数年前まで、中伊勢の大名だった北畠家の躍進に、家康は思わず溜息を吐く。
「北畠家には、強力な水軍もありますし」
「おお、そうじゃ、あの南蛮船を家でも買えんものか?」
石川数正が首を横に振る。
「殿、とてもじゃありませんが買う銭がありません」
「与七郎、銭が無いのは辛いのう」
家康がさみしそうに言う。
「殿、北畠家の一番の強さは、家臣団の団結力かと思われます。左中将殿の対する忠義は、古参の家臣から新参の家臣、職人や農民から河原者まで、絶対的なものだそうです」
家康は、心底羨ましいと思った。三河は、地侍や豪族の力が強く、家康はそれらを纏めるのに苦労している。
武田信玄も『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』と言っているが、それだけ気を使わなければならない状況だった。
「左中将殿を恨むは、一向宗などの破戒僧ぐらいのものか」
「はい、上杉殿とも良い関係を築いている様ですし、勢いは止まりますまい」
家康は考える。織田家とは緩やかな同盟を結びはしている。が、婚姻を伴う結び付きではない。
武田家とも同盟を模索しているが、武田徳栄軒信玄、決っして信用に足る人物ではない。利があると見れば、平気で同盟を破るだろう。
「与八郎、織田殿と北畠殿と、もう少し良い関係を築いておかねばならんな」
「先ずは交易から始められては」
「ふむ、一度桑名へ行ってくれるか与八郎」
「はっ」
永禄十年(1567年)九月 甲斐国 躑躅ヶ崎館
躑躅ヶ崎館の一室で、武田徳栄軒信玄が山県昌景と密談していた。
「……叡山、高野山、熊野三山、根来寺、主だった宗教勢力の力を削ぎ落としてしまうとは……」
「朝廷等の周りへの根回しも巧みですな。最終的に滅ぼさず、信仰のみに専念する集団に作り変えるだけにとどめる。理想でしょうな」
「顕如殿から書状が山ほど届きおるわ」
信玄が嫌そうに吐き捨てる。本願寺顕如から北畠家を討つ為に、上洛を促す書状が頻繁に来るのが煩わしかった。
「奥方様が御姉妹ですから、御屋形様が頼りなのでしょう。ですが、先ずは駿河、遠江ですからな」
「そうよ、その後に美濃を牽制しつつ三河を取れば、甲斐の貧しさから開放される」
しかし山県昌景の顔は優れない。
「御屋形様、美濃に手を出すと北畠が出て来ますぞ」
「……分かっておる。今は織田とも同盟を結んだままの方が良いからの。先ずは今川を潰すのが先決じゃ」
信玄も焦っていた。自身の年齢を考えれば、信玄には時間がなかった。信玄の上洛には距離的なハードルも高く、それに加え越後には上杉謙信が居る。
自身の時間の無さが信玄を焦らせていた。
前年、朝廷より従五位下 三河守の叙任を受け、同時に「徳川」に改姓した。
ただこれもすんなりと三河守を叙任出来た訳ではない。家康は以前から、新田氏支流世良田氏系統の清和源氏であると自称していたが、朝廷より『清和源氏の世良田氏が三河守を叙任した前例はない』と拒否された。そこで家康は近衛前久に相談し、なんとか奇策を駆使し、三河守叙任にこぎ着けた。
国内の混乱が漸く落ち着いて、やっと今川領遠江国を狙える様にはなったが、決して楽観できる状況にはない。
三河一向一揆の傷痕は浅くはなかった。
袂を分かったら本多正信・本田正重・渡辺守綱の三人は北畠家に仕官した。
本多正信は、文官として活躍しているという。本多正信と渡辺守綱も武官として、各地を転戦して活躍しているらしい。
北畠左近衛中将具房、自分よりも年若いその武将は、瞬く間に伊勢を纏め上げ、近江を支配するに至った。
今では、南の志摩から北の若狭まで、日の本の中央を抑え、京の守護を帝から任じられた。今や北畠家は、伊勢・志摩・伊賀・近江・若狭・紀州の六カ国を支配する大名となった。摂津国を織田家と治めている。
自分達が苦しめられた一向一揆に対しても、近江から長島まで駆逐してみせた。その北畠家のお陰で三河一向一揆が終息したのだから、家康の気持ちは複雑だった。
更に、北畠家は叡山に始まり、熊野三山、高野山、根来寺の牙を抜き、雑賀衆も壊滅状態だと言う。厄介な宗教勢力の力を削いでしまった。
「与七郎(石川数正)、儂と左中将殿と何が違う。儂が漸く三河を治めたと思うたら、左中将殿は畿内のほとんどを治める大大名じゃ」
家康が面白くなさそうに言う。
「先ず、北畠家は左中将殿が領内開発を始めてから、伊勢は豊かになりました。全国から商人が訪れ銭を落としていきます。北畠領には様々な特産品も生まれました」
石川数正が、北畠具房が領内を開発し豊かに変えた事にふれる。
「米の生産は三河でも増えていよう」
「はい、農政を盗むのに時間がかかりましたが、北畠家でも完全に隠せるとは思っていないでしょう」
実際、農政に付いては、取り入れるのはそんなに難しくなかった。
「ですが、真似をするのもそれが精一杯ですな」
「相変わらず間者は潜り込ませれんか?」
これまで、北畠家の秘密を盗もうと、間者を大量に送り込んだが、重要施設には近付けた者はいなかった。
「今では送り込む間者が居ません。伊賀の大部分は北畠家の家臣ですから」
「忍びを家臣にするとは……、見習わねばならんの」
「我が方と北畠家では、資金力に違いがあります。徳川だけで対抗するには大き過ぎる程に」
「兵糧に困らず、銭も大量にあり、兵も精強か……、暗殺も無理だろうの」
数年前まで、中伊勢の大名だった北畠家の躍進に、家康は思わず溜息を吐く。
「北畠家には、強力な水軍もありますし」
「おお、そうじゃ、あの南蛮船を家でも買えんものか?」
石川数正が首を横に振る。
「殿、とてもじゃありませんが買う銭がありません」
「与七郎、銭が無いのは辛いのう」
家康がさみしそうに言う。
「殿、北畠家の一番の強さは、家臣団の団結力かと思われます。左中将殿の対する忠義は、古参の家臣から新参の家臣、職人や農民から河原者まで、絶対的なものだそうです」
家康は、心底羨ましいと思った。三河は、地侍や豪族の力が強く、家康はそれらを纏めるのに苦労している。
武田信玄も『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』と言っているが、それだけ気を使わなければならない状況だった。
「左中将殿を恨むは、一向宗などの破戒僧ぐらいのものか」
「はい、上杉殿とも良い関係を築いている様ですし、勢いは止まりますまい」
家康は考える。織田家とは緩やかな同盟を結びはしている。が、婚姻を伴う結び付きではない。
武田家とも同盟を模索しているが、武田徳栄軒信玄、決っして信用に足る人物ではない。利があると見れば、平気で同盟を破るだろう。
「与八郎、織田殿と北畠殿と、もう少し良い関係を築いておかねばならんな」
「先ずは交易から始められては」
「ふむ、一度桑名へ行ってくれるか与八郎」
「はっ」
永禄十年(1567年)九月 甲斐国 躑躅ヶ崎館
躑躅ヶ崎館の一室で、武田徳栄軒信玄が山県昌景と密談していた。
「……叡山、高野山、熊野三山、根来寺、主だった宗教勢力の力を削ぎ落としてしまうとは……」
「朝廷等の周りへの根回しも巧みですな。最終的に滅ぼさず、信仰のみに専念する集団に作り変えるだけにとどめる。理想でしょうな」
「顕如殿から書状が山ほど届きおるわ」
信玄が嫌そうに吐き捨てる。本願寺顕如から北畠家を討つ為に、上洛を促す書状が頻繁に来るのが煩わしかった。
「奥方様が御姉妹ですから、御屋形様が頼りなのでしょう。ですが、先ずは駿河、遠江ですからな」
「そうよ、その後に美濃を牽制しつつ三河を取れば、甲斐の貧しさから開放される」
しかし山県昌景の顔は優れない。
「御屋形様、美濃に手を出すと北畠が出て来ますぞ」
「……分かっておる。今は織田とも同盟を結んだままの方が良いからの。先ずは今川を潰すのが先決じゃ」
信玄も焦っていた。自身の年齢を考えれば、信玄には時間がなかった。信玄の上洛には距離的なハードルも高く、それに加え越後には上杉謙信が居る。
自身の時間の無さが信玄を焦らせていた。
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