月は隠れ魔女は微笑む

椿屋琴子

文字の大きさ
上 下
5 / 28
神の深慮と巫女の浅慮

自給自足とサバイバル

しおりを挟む
 「ここへきてから既に2週間。職場で培った野外活動のノウハウ、オジイとオバアの生活の知恵が、ここまで使えるものだとは思いもしなかったけれど、今もなお私は元気で生きています。…と。」


大学ノートに書き綴った日記に、そう締めくくってからノートを閉じる。それを手製の本棚にしまいこむと、筆記用具も同じように丁寧にしまう。その手はこの2週間でだいぶ酷使されたためか切り傷や擦り傷、豆などが目立ってきた。そんな己の手に小さく微笑み、ガラスの代わりに薄布を張った窓に視線を向けながら、今日やるべきことを思い浮かべつつ一つ深呼吸をした。

作業着と化しているツナギに袖を通して、作業用ベルトにハサミや鉈を装着し片手にバイブルを持って、出入り口に扉代わりに下げている布をめくり外へと歩いてゆく。


本を見ながら見よう見まねで不器用ながらも細い竹を割り、編みこんだ笊の上に収穫したキノコを干してゆく。外見、匂いからしておそらく椎茸であろうそれを、豚のような動物が食べていたので恐らく間違えてはいないであろうと判断したためだ。(後に、豚のような生き物が猪であると判明したのだけど。)

同じように収穫した果物や野菜も空き缶から作った手製ナイフで、保存しやすいであろう形に切り分けてゆく。生のままでは長期間保存は出来ないが、余分な水分を飛ばしてしまえばダシ取りにも使える保存食料の出来上がりだ。この少し動いただけで汗ばむ陽気ならば程よい保存食作り日和といったところか。

幼い頃に祖父母に教わった保存食作りがここで役に立つとは思わなかったのだが、人生なにがあるかわからないという良い見本なのだろうか。


「あとで仕掛けを確認して、獲物があればソレも燻製にするかな…。ああ、同僚の川上さん、あなたの代理で注文したメタルマッチが役に立ってます。使いにくいけど本当にありがとう。立替で料金支払ったのは私だから、しっかり活用させていただいてます。恐らくあなたの手に戻る頃にはぼろぼろです。自分で再度ネットと格闘しつつ注文してください。」

そう言いながらさりげなく、青空に向かって合掌をする。サバイバルが趣味なのかは解らないが、サバイバル用の道具とHOWTO本をネットで代理購入を頼まれなければ、今こうやって生き延びることは出来なかっただろう。たとえ、20人乗りのミニバスの殆どを埋め尽くす荷物で埋まるほどの買出し品があったとしても、宝の持ち腐れになっていたはずだ。


(いや、川上さんは元気で生きているはずだ、よね。成人病悪化してそうなメタボでバーコードなおっさんだけど…)


幸いにも、職場の買出し当番で帰路に着く直前、塩などの調味料に事欠かない為に、少なくとも現時点では困ることはない。落葉樹があるということは季節があるということで、いずれは冬などで食料に困ることもあるであろうから、本を参考に調味料としても使える保存食を今から準備していると言うわけだ。周りの木々を見た限り、見たことのある種類のものを確認できてはいるが、ガジュマルに似た木と杉に似た木が混在しているのはよくわからない。そして無駄に広がる森のせいか携帯に電波が入ることはなかった為、現在位置の確認も連絡もできずに荷物の奥にしまい込むことになっているのだが。


「いかんなぁ…一人だとどうしても会話がないから…こんな調子で他のヒトと会ったとき会話が成立するか不安だ…。最悪ボディランゲージに頼るしかないか。」


実際コミュニケーションをとらないでいれば、対人スキルなどどんどん落ち、相手との距離感などが掴めなくなってしまう。空気が読めないくらいなら、まだ可愛いものだが、ひどくなれば言葉すら理解できなくなるかもしれない。早々に文字を書き、毎日言葉に出して言語を忘れないように心がけねば、人間を辞めてしまうコースへ一直線だ。生憎彼女はまだ人間を辞めたくはないので、出来うる限りの予防策をするつもりのようだ。


《ここ》へ来た時に乗っていたミニバスは、森の中心部にある大木の虚うろに車庫入れの要領でしまってからガス欠で動くことはない。

元々彼女、杵島きしま 桜子さくらこの職場は山の中腹にあり、自給自足をしながら心身を健康にをモットーにした障害者などを対象にした施設であった。


そこへボランティアとして参加したことが始まり、漢方医となってから趣味が高じて薬膳を学び、生活指導員の資格まで取るとそのまま施設へ就職してしまったのだ。


休日はあるものの、なかなか都心へ行くことが出来ないために給料が溜まる一方。ネット通販をするにしても施設内への郵送は許可されていないため近くの郵便局まで行き受け取るしかなかった。そこでたまたま非番になった彼女が、街へ買い物するついでに食材や郵便物を受け取るために職場のミニバスで街へ向かいその帰り道でこの状況へと陥ってしまった。


同僚の荷物や、新しく追加で飼うヒヨコなど積荷と共に来てしまったのは数少ない僥倖ともいえるだろう。森の中心部には屋久島の縄文杉など目ではないような大木が何本か生えており、その根元には大きなウロがあったため、森に落ちていた枝などを組み合わせ壁を補強し屋根を葺き、自分の住居を間に合せとはいえなんとか作り上げた。同じように同居人ひよこのための小屋も作り上げた。こちらは自分の住居とバスの間に位置するように作り上げたため、大きくなったら毎朝うるさくなりそうなものだが、自分以外の知っている生き物がいるということに安心したいためでもあった。



バスの座席を取り外してうまく並べてベッドを作ったりと、完全にこの場所に居つくつもりなのが丸分かりだが、木の上に登った時に解ったことで見渡す限りの森で、どうやっても人がいるとは思えなかったからだ。この森で生活していくと考えるにはさほど時間がかからなかった。


幸いこの森の中にある薬草である程度の怪我や病気に対応はできることだし、ねぐらとしている木の近くには小さな泉が湧いているので、上手くすればここまで水を引いてくることも可能だろう。

施設の農園に植える予定だった野菜の苗達も、なんとか土を耕し植え替えているし、たくさんのハーブの種も既に撒き終わっている。


なんとか午前中の作業を終え、一息ついた彼女は、土に汚れた手を泉で清めてからあたりを見渡す。



「うん、ここで生きていくから、皆さんよろしくお願いします!」


誰に言うわけでもなく、この土地そのものに向けての言葉。それを見渡す限りの森へと深くお辞儀をする。


こうして、杵島桜子…後に”月隠れの大魔女シャウラ”と呼ばれることになる彼女の後に判明する異世界”デ・ア・バディル”の”月隠れの大森林”での新生活がスタートした。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

公爵様のわかり辛い溺愛は、婚約を捨る前からのようです

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:85pt お気に入り:4,756

どうやら私は二十歳で死んでしまうようです

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:32,938pt お気に入り:57

【本編完結】はい、かしこまりました。婚約破棄了承いたします。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:291pt お気に入り:3,437

「君は運命の相手じゃない」と捨てられました。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,569pt お気に入り:9,954

【R18】微笑みを消してから

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:29,920pt お気に入り:1,297

処理中です...