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ビクトリアの襲来
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ブリジットが王宮から飛び出してきた日から数週間経った。
未だに彼女と王太子の婚約は継続されたままである。
もう後がないと知っている国王は、何が何でも婚約を解消しないと頑なな態度をとり続けたのだ。
一向に進まない婚約解消に焦れ、公爵夫妻が再び王宮へと足を運んだ日、一人の招かれざる客がマーリン家を訪れた。
「お願い! レイとの婚約を解消してちょうだい!」
先触れもなしにいきなり公爵家を訪れたのは帝国に渡ったはずのケンリッジ公爵令嬢ビクトリアだった。
やつれて美貌に陰りを見せた彼女は応対してくれたブリジットに開口一番そんな発言をかます。
親しい間柄でもない相手に対し、挨拶もなしにいきなり。
これにはブリジットも面喰ってしまい、しばし唖然としてしまった。
「…………ビクトリア様、帰国されていたのですか?」
ハッと我に返ったブリジットはビクトリアの発言を無視し、改めてそう聞いた。
何故、帝国に行ったはずの彼女がここにいるのか。
それが不思議で仕方ない。
帝国皇太子の婚約者がそう簡単に帰国できるはずがないからだ。
「そうよ。ちょっと前にね」
「はあ、そうなんですか……」
もしかして目の前の彼女はケンリッジ公爵令嬢に成りすました偽物なんじゃないか、とブリジットは訝しんだ。
王妃教育まで終えた公爵家の令嬢がここまで礼儀がなっていないのはおかしいと思ったからだ。
だが、ブリジットはビクトリアの顔を夜会などで数回見たことがあるが、話をするのはこれが初めてで、目の前の彼女が本物かどうかの判別はつかない。
そんなブリジットの探るような目にハッとなったビクトリアが慌てて取り繕った。
「ああ! ごめんなさいね、わたくしったら挨拶もなしにいきなりこんなことを! でもレイには貴女じゃなくてわたくしでないとやっぱりダメだのよ……それを分かってもらおうと思って!」
「はあ……レイとはどなたのことでしょうか?」
自分の意見だけをぶつける彼女にいちいち突っ込むのも馬鹿らしく思ったブリジットはそのまま会話を続けることにした。彼女の訪問の意図が分からないことには本物か偽物かも分からないからだ。
「王太子のレイモンドよ! 貴女が今婚約している相手のことよ!」
そういえば王太子はそんな名前だったな、とブリジットは今更思い出した。
彼は自分には名前呼びを許さなかったし、こちらも別に呼びたくなかったから”レイ”というのが彼の愛称だと結びつかなかった。
「はあ、王太子殿下のことでしたか。それで何故婚約を解消する必要が?」
すでに王太子とブリジットの婚約は破棄寸前で、それは社交界にも広がっているはずなのにビクトリアは知らなかったようだ。帝国にいたから情報が入ってこないのか、それとも彼女が偽物なのかとブリジットは判断に悩む。
「それはわたくしの方がレイに愛されてるし、わたくしの方がレイを愛しているからよ!」
うわ!この人王太子殿下と同じ人種だ、とブリジットは顔をひきつらせた。
王太子も愛があれば何でも許されると思っているお花畑な脳みそ所持者で、ビクトリアの方が好きだというしょーもない理由でブリジットを散々傷つけた。
ある意味この二人お似合いなんだな、とブリジットが冷めた目でビクトリアを見ると、何を勘違いしたのか彼女は涙をこぼしながら演説を始めた。
「分かってるわ……貴女もレイのことが好きなのよね? でも彼の心には昔からわたくしがいるの……それは今も変わらないわ。帝国に渡ってからも彼から何度も恋文が届いたの。それで分かったのよ……わたくしが真に愛しているのは彼だということを……!」
「え? 殿下は帝国にいる貴女に恋文を送っていたのですか?」
王太子が帝国皇太子の婚約者であるビクトリアに恋文を送っていたという事実にブリジットは顔を青褪めた。
帝国皇太子の婚約者に王太子が恋文を送るなど、この国が帝国に喧嘩を売っているようなもの。
帝国がこれを侮辱行為だとし、この国に宣戦布告しないとも限らない。
最悪の事態を想定し絶句するブリジットに、何を勘違いしたのかビクトリアは勝ち誇った顔を見せる。
「ええ、ショックよね、分かるわ。婚約者が別の女に愛を綴った手紙を送っているのだもの……。でも、これが現実なのよ。彼のことは諦めて……!」
王太子が自分以外の女に恋文を送ったことにブリジットが傷ついたと勘違いするビクトリア。
ブリジットは彼女のそのお花畑な勘違いと危機感のなさにゾッとした。
ブリジットとしては愛してもいない王太子が別の女に恋文を送ろうがどうでもいいことだ。
それよりも彼がやらかしている帝国への侮辱ととれる行為に恐怖を抱く。
そしてそれと同時にある仮説が頭によぎった。
――ビクトリア様はもしや皇太子殿下から婚約を破棄されたの……?
王太子からの恋文を喜々として受け取る彼女は不貞を犯していると言えなくもない。
そしてそれを理由に皇太子の婚約者の座に相応しくないとされ、帝国を追い出されたと考えると、今彼女がここにいるのも納得できる。
その後もペラペラとどうでもいい王太子との思い出を話すビクトリアだが、それどころではないブリジットは手短にこう告げる。
「婚約解消します……。王太子殿下にはビクトリア様こそ相応しいですわ」
聞きたいことは山ほどあるが、それを我慢してブリジットは彼女の望む回答のみを出した。
きっと「こっちが婚約解消を望んでも陛下が了承してくれないんですよね」だの「二人して帝国に喧嘩売る真似してどういうつもりですか!」と言ったところで彼女には響かないだろう。
王太子や彼女のように、愛が全てと思う人種は己の満足する答え以外を受け入れたりしないから、聞くだけ時間の無駄なのだ。
そしてその考えは当たっていた。ビクトリアは自身の要求が通ったことを嬉しく思い目を輝かせた。
「……ええ! 分かってくれて嬉しいわ! 貴女には悪いと思うけど……仕方ないことなのよ! 真実の愛で結ばれた二人が添い遂げることこそ正しいことよ!」
どうでもいいから早く帰ってほしいと思ったブリジットは執事に目配せし、半ば強引にビクトリアに帰宅を促した。自分の意見が通りご満悦な彼女はそれでも不満を言わずに帰っていく。
「とんでもないことになったわ……。お父様達に早くお伝えしなきゃ……」
青褪めた顔でブリジットはそう呟いた。
未だに彼女と王太子の婚約は継続されたままである。
もう後がないと知っている国王は、何が何でも婚約を解消しないと頑なな態度をとり続けたのだ。
一向に進まない婚約解消に焦れ、公爵夫妻が再び王宮へと足を運んだ日、一人の招かれざる客がマーリン家を訪れた。
「お願い! レイとの婚約を解消してちょうだい!」
先触れもなしにいきなり公爵家を訪れたのは帝国に渡ったはずのケンリッジ公爵令嬢ビクトリアだった。
やつれて美貌に陰りを見せた彼女は応対してくれたブリジットに開口一番そんな発言をかます。
親しい間柄でもない相手に対し、挨拶もなしにいきなり。
これにはブリジットも面喰ってしまい、しばし唖然としてしまった。
「…………ビクトリア様、帰国されていたのですか?」
ハッと我に返ったブリジットはビクトリアの発言を無視し、改めてそう聞いた。
何故、帝国に行ったはずの彼女がここにいるのか。
それが不思議で仕方ない。
帝国皇太子の婚約者がそう簡単に帰国できるはずがないからだ。
「そうよ。ちょっと前にね」
「はあ、そうなんですか……」
もしかして目の前の彼女はケンリッジ公爵令嬢に成りすました偽物なんじゃないか、とブリジットは訝しんだ。
王妃教育まで終えた公爵家の令嬢がここまで礼儀がなっていないのはおかしいと思ったからだ。
だが、ブリジットはビクトリアの顔を夜会などで数回見たことがあるが、話をするのはこれが初めてで、目の前の彼女が本物かどうかの判別はつかない。
そんなブリジットの探るような目にハッとなったビクトリアが慌てて取り繕った。
「ああ! ごめんなさいね、わたくしったら挨拶もなしにいきなりこんなことを! でもレイには貴女じゃなくてわたくしでないとやっぱりダメだのよ……それを分かってもらおうと思って!」
「はあ……レイとはどなたのことでしょうか?」
自分の意見だけをぶつける彼女にいちいち突っ込むのも馬鹿らしく思ったブリジットはそのまま会話を続けることにした。彼女の訪問の意図が分からないことには本物か偽物かも分からないからだ。
「王太子のレイモンドよ! 貴女が今婚約している相手のことよ!」
そういえば王太子はそんな名前だったな、とブリジットは今更思い出した。
彼は自分には名前呼びを許さなかったし、こちらも別に呼びたくなかったから”レイ”というのが彼の愛称だと結びつかなかった。
「はあ、王太子殿下のことでしたか。それで何故婚約を解消する必要が?」
すでに王太子とブリジットの婚約は破棄寸前で、それは社交界にも広がっているはずなのにビクトリアは知らなかったようだ。帝国にいたから情報が入ってこないのか、それとも彼女が偽物なのかとブリジットは判断に悩む。
「それはわたくしの方がレイに愛されてるし、わたくしの方がレイを愛しているからよ!」
うわ!この人王太子殿下と同じ人種だ、とブリジットは顔をひきつらせた。
王太子も愛があれば何でも許されると思っているお花畑な脳みそ所持者で、ビクトリアの方が好きだというしょーもない理由でブリジットを散々傷つけた。
ある意味この二人お似合いなんだな、とブリジットが冷めた目でビクトリアを見ると、何を勘違いしたのか彼女は涙をこぼしながら演説を始めた。
「分かってるわ……貴女もレイのことが好きなのよね? でも彼の心には昔からわたくしがいるの……それは今も変わらないわ。帝国に渡ってからも彼から何度も恋文が届いたの。それで分かったのよ……わたくしが真に愛しているのは彼だということを……!」
「え? 殿下は帝国にいる貴女に恋文を送っていたのですか?」
王太子が帝国皇太子の婚約者であるビクトリアに恋文を送っていたという事実にブリジットは顔を青褪めた。
帝国皇太子の婚約者に王太子が恋文を送るなど、この国が帝国に喧嘩を売っているようなもの。
帝国がこれを侮辱行為だとし、この国に宣戦布告しないとも限らない。
最悪の事態を想定し絶句するブリジットに、何を勘違いしたのかビクトリアは勝ち誇った顔を見せる。
「ええ、ショックよね、分かるわ。婚約者が別の女に愛を綴った手紙を送っているのだもの……。でも、これが現実なのよ。彼のことは諦めて……!」
王太子が自分以外の女に恋文を送ったことにブリジットが傷ついたと勘違いするビクトリア。
ブリジットは彼女のそのお花畑な勘違いと危機感のなさにゾッとした。
ブリジットとしては愛してもいない王太子が別の女に恋文を送ろうがどうでもいいことだ。
それよりも彼がやらかしている帝国への侮辱ととれる行為に恐怖を抱く。
そしてそれと同時にある仮説が頭によぎった。
――ビクトリア様はもしや皇太子殿下から婚約を破棄されたの……?
王太子からの恋文を喜々として受け取る彼女は不貞を犯していると言えなくもない。
そしてそれを理由に皇太子の婚約者の座に相応しくないとされ、帝国を追い出されたと考えると、今彼女がここにいるのも納得できる。
その後もペラペラとどうでもいい王太子との思い出を話すビクトリアだが、それどころではないブリジットは手短にこう告げる。
「婚約解消します……。王太子殿下にはビクトリア様こそ相応しいですわ」
聞きたいことは山ほどあるが、それを我慢してブリジットは彼女の望む回答のみを出した。
きっと「こっちが婚約解消を望んでも陛下が了承してくれないんですよね」だの「二人して帝国に喧嘩売る真似してどういうつもりですか!」と言ったところで彼女には響かないだろう。
王太子や彼女のように、愛が全てと思う人種は己の満足する答え以外を受け入れたりしないから、聞くだけ時間の無駄なのだ。
そしてその考えは当たっていた。ビクトリアは自身の要求が通ったことを嬉しく思い目を輝かせた。
「……ええ! 分かってくれて嬉しいわ! 貴女には悪いと思うけど……仕方ないことなのよ! 真実の愛で結ばれた二人が添い遂げることこそ正しいことよ!」
どうでもいいから早く帰ってほしいと思ったブリジットは執事に目配せし、半ば強引にビクトリアに帰宅を促した。自分の意見が通りご満悦な彼女はそれでも不満を言わずに帰っていく。
「とんでもないことになったわ……。お父様達に早くお伝えしなきゃ……」
青褪めた顔でブリジットはそう呟いた。
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