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ブリジットの幸せ
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ブリジットが帝国入りして数か月が経った頃、皇太子とその婚約者の仲睦まじい様子は帝国民ほぼ全てが知るところとなった。
晴れて惚れた女性を手中に収めた皇太子は片時も彼女を離さず、その寵愛の深さは国内どころか国外にまで知らしめるほどであった。
皇帝は息子の婚約者に対する溺愛ぶりを目の当たりにし、早々に世継ぎが期待できると喜々として婚姻を急いだ。
そのため帝国至上最短の婚約期間の後、ブリジットは皇太子と婚姻を結び皇太子妃となる。
祖国で妃教育を受けていた彼女は皇太子妃教育を難なくこなし、未来の皇后として相応しいと皇帝直々に称賛の言葉を受けるほど優秀だった。
「ブリジット、私の最愛……。君は日ごとに美しさを増してゆくね。益々夢中になってしまうよ」
「まあ、ルイス様ったら……」
夫から贈られる愛の言葉にブリジットは頬を染めてはにかむ。
新妻の愛らしい反応に皇太子はたまらず彼女を腕の中に抱き寄せた。
「ああ、幸せだ……。こうして君に好きなだけ触れられるなんて夢のようだ……」
「ルイス様……私も夢のように幸せですわ」
「可愛いことを言うのだな……。しかし、こんなに愛らしくて素敵な女性を手放すなどあの国の王太子は愚かとしか言いようがない。そんなにあの阿婆擦れがよかったのか、理解しがたいな」
ふと皇太子がそう呟き、それによりブリジットは元婚約者である王太子とその最愛であるビクトリアのことを思い出した。毎日が幸せで彼等の存在をそれまですっかり忘れていたのだ。
「王太子殿下の好みがビクトリア様のような女性なのですから仕方ありませんわ。愚かにも帝国に恋文を送るほどご寵愛が深いのでしょう」
「ああ……あれには驚いたな。厚顔無恥にも他国の皇族の婚約者に恋文を送るのもどうかと思うが、ケンリッジ嬢も大概だ。喜々としてその恋文の内容を私に教えてきたのだからな」
「え……? ビクトリア様はわざわざ恋文の内容をルイス様に教えたのですか?」
ブリジットは唖然とした。
自分の婚約者に他の男性からの恋文の内容を話すなんて非常識にもほどがある。
公爵邸で初めて会話した時も思ったのだが、彼女にはどうも一般常識というものが欠けているようだ。
「ああ、自分が異性にどれだけ好意をもたれているかが彼女の全てなのだろうな。それをされた相手がどう思うかはどうでもいいようだ。私はもう怒るよりは呆れてしまってな。こんなふしだらな女を妃に据えることは無理だ、と言って国に帰したんだが……多分彼女は自分がどうしてそうなったか理解していないだろうな」
皇太子は婚約者としてやってきたのが望む相手ではなかったとしても、ビクトリアを丁重に遇していた。
決して王太子のように冷遇することはなかったというのに、ビクトリアはその気持ちに報いることはなかったようだ。
「もしかして……ビクトリア様はルイス様に嫉妬してほしかったのでしょうか?」
パートナーに嫉妬してほしくて、他の異性の影をちらつかせるという描写を恋愛小説で読んだことがあるのをブリジットは思い出した。上手くいかなくてすれ違いから破局まで向かう展開が多かったから、それは悪手なのだなと思ったものだが。
「いや、ただ単純に『自分はこれだけ異性から好かれてますよ』と知らしめたかっただけだろう。彼女は相手への気遣いというものが全く出来ない人種なのだろうよ。そんな女を選ぶとは王太子も趣味が悪いな」
「ああ、王太子殿下も似たような性格をお持ちですから……きっと相性がいいのでしょうね」
自分の感情を最優先し、相手への配慮がないところは王太子もビクトリアも同じだった。
そしてそういう無神経なところが婚約解消となる要因なのだろう。
「そうなのか……どうりで廃嫡になっても彼女を妻にと望むわけだ」
「え? 廃嫡? 王太子殿下がですか?」
「ああ。帝国相手にあそこまでの愚行を犯した王太子を国王は許さなかったみたいだね」
「まあ……それもそうでしょうね。でも殿下にとっては王太子の座よりもビクトリア様の方が大切なのだから、彼女と共にいられればそれで満足かもしれません」
もしも殿下が王太子の座に固執していたのなら、代わりの婚約者となった私を蔑ろになどしなかっただろう、とブリジットは考えた。
きっと彼は自分の立場がどうなろうとも最愛の女性と添い遂げたかったのだ。
王太子妃になる唯一の資格を持つ婚約者を蔑ろにしてまで……。
*
その後、しばらくして祖国の両親からブリジット宛てに『王太子が交代となった』旨の手紙が届いた。
代わりに王太子となったのは国王の弟である大公らしい。
大公はすでに侯爵家の令嬢を妻に迎えているし、跡継ぎとなる子供も設けていることから王太子として申し分ないとされたようだ。
王太子の座を追われたレイモンドはというと、鄙びた領地の伯爵位を授けられ、妻のビクトリアと共に生涯そこから出ることを禁じられたようだ。
王都での煌びやかな生活に慣れた二人には、田舎暮らしはさぞ退屈だろう。
だが、二人共にいられればそれで充分なのかもしれない。
「貴方はこれで満足なのでしょう。私と比べものにならないくらい優秀な理想の女性と添い遂げられたんですもの……ね?」
ブリジットは元婚約者の顔を頭の中に浮かべ、己の腹を撫でた。
最愛の夫との愛の証、それが宿り膨らみ始めた腹を。
「私も満足ですよ。貴方とは比べものにならないくらい愛しい御方と添い遂げられたのだから……」
婚約期間中はあれほど憎んでいた元婚約者だが、今は不思議とどうにも思わない。
それだけ今の生活が幸せで充実しているのだから。
”愛する女性と末永くお幸せに”
心の中でそっと願い、それ以降ブリジットが彼のことを思い出すことは生涯なかった―――。
晴れて惚れた女性を手中に収めた皇太子は片時も彼女を離さず、その寵愛の深さは国内どころか国外にまで知らしめるほどであった。
皇帝は息子の婚約者に対する溺愛ぶりを目の当たりにし、早々に世継ぎが期待できると喜々として婚姻を急いだ。
そのため帝国至上最短の婚約期間の後、ブリジットは皇太子と婚姻を結び皇太子妃となる。
祖国で妃教育を受けていた彼女は皇太子妃教育を難なくこなし、未来の皇后として相応しいと皇帝直々に称賛の言葉を受けるほど優秀だった。
「ブリジット、私の最愛……。君は日ごとに美しさを増してゆくね。益々夢中になってしまうよ」
「まあ、ルイス様ったら……」
夫から贈られる愛の言葉にブリジットは頬を染めてはにかむ。
新妻の愛らしい反応に皇太子はたまらず彼女を腕の中に抱き寄せた。
「ああ、幸せだ……。こうして君に好きなだけ触れられるなんて夢のようだ……」
「ルイス様……私も夢のように幸せですわ」
「可愛いことを言うのだな……。しかし、こんなに愛らしくて素敵な女性を手放すなどあの国の王太子は愚かとしか言いようがない。そんなにあの阿婆擦れがよかったのか、理解しがたいな」
ふと皇太子がそう呟き、それによりブリジットは元婚約者である王太子とその最愛であるビクトリアのことを思い出した。毎日が幸せで彼等の存在をそれまですっかり忘れていたのだ。
「王太子殿下の好みがビクトリア様のような女性なのですから仕方ありませんわ。愚かにも帝国に恋文を送るほどご寵愛が深いのでしょう」
「ああ……あれには驚いたな。厚顔無恥にも他国の皇族の婚約者に恋文を送るのもどうかと思うが、ケンリッジ嬢も大概だ。喜々としてその恋文の内容を私に教えてきたのだからな」
「え……? ビクトリア様はわざわざ恋文の内容をルイス様に教えたのですか?」
ブリジットは唖然とした。
自分の婚約者に他の男性からの恋文の内容を話すなんて非常識にもほどがある。
公爵邸で初めて会話した時も思ったのだが、彼女にはどうも一般常識というものが欠けているようだ。
「ああ、自分が異性にどれだけ好意をもたれているかが彼女の全てなのだろうな。それをされた相手がどう思うかはどうでもいいようだ。私はもう怒るよりは呆れてしまってな。こんなふしだらな女を妃に据えることは無理だ、と言って国に帰したんだが……多分彼女は自分がどうしてそうなったか理解していないだろうな」
皇太子は婚約者としてやってきたのが望む相手ではなかったとしても、ビクトリアを丁重に遇していた。
決して王太子のように冷遇することはなかったというのに、ビクトリアはその気持ちに報いることはなかったようだ。
「もしかして……ビクトリア様はルイス様に嫉妬してほしかったのでしょうか?」
パートナーに嫉妬してほしくて、他の異性の影をちらつかせるという描写を恋愛小説で読んだことがあるのをブリジットは思い出した。上手くいかなくてすれ違いから破局まで向かう展開が多かったから、それは悪手なのだなと思ったものだが。
「いや、ただ単純に『自分はこれだけ異性から好かれてますよ』と知らしめたかっただけだろう。彼女は相手への気遣いというものが全く出来ない人種なのだろうよ。そんな女を選ぶとは王太子も趣味が悪いな」
「ああ、王太子殿下も似たような性格をお持ちですから……きっと相性がいいのでしょうね」
自分の感情を最優先し、相手への配慮がないところは王太子もビクトリアも同じだった。
そしてそういう無神経なところが婚約解消となる要因なのだろう。
「そうなのか……どうりで廃嫡になっても彼女を妻にと望むわけだ」
「え? 廃嫡? 王太子殿下がですか?」
「ああ。帝国相手にあそこまでの愚行を犯した王太子を国王は許さなかったみたいだね」
「まあ……それもそうでしょうね。でも殿下にとっては王太子の座よりもビクトリア様の方が大切なのだから、彼女と共にいられればそれで満足かもしれません」
もしも殿下が王太子の座に固執していたのなら、代わりの婚約者となった私を蔑ろになどしなかっただろう、とブリジットは考えた。
きっと彼は自分の立場がどうなろうとも最愛の女性と添い遂げたかったのだ。
王太子妃になる唯一の資格を持つ婚約者を蔑ろにしてまで……。
*
その後、しばらくして祖国の両親からブリジット宛てに『王太子が交代となった』旨の手紙が届いた。
代わりに王太子となったのは国王の弟である大公らしい。
大公はすでに侯爵家の令嬢を妻に迎えているし、跡継ぎとなる子供も設けていることから王太子として申し分ないとされたようだ。
王太子の座を追われたレイモンドはというと、鄙びた領地の伯爵位を授けられ、妻のビクトリアと共に生涯そこから出ることを禁じられたようだ。
王都での煌びやかな生活に慣れた二人には、田舎暮らしはさぞ退屈だろう。
だが、二人共にいられればそれで充分なのかもしれない。
「貴方はこれで満足なのでしょう。私と比べものにならないくらい優秀な理想の女性と添い遂げられたんですもの……ね?」
ブリジットは元婚約者の顔を頭の中に浮かべ、己の腹を撫でた。
最愛の夫との愛の証、それが宿り膨らみ始めた腹を。
「私も満足ですよ。貴方とは比べものにならないくらい愛しい御方と添い遂げられたのだから……」
婚約期間中はあれほど憎んでいた元婚約者だが、今は不思議とどうにも思わない。
それだけ今の生活が幸せで充実しているのだから。
”愛する女性と末永くお幸せに”
心の中でそっと願い、それ以降ブリジットが彼のことを思い出すことは生涯なかった―――。
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