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番外編
公爵夫人の日常〜一晩明けて〜
しおりを挟む※エミーリア視点
妊娠発覚翌日の朝。
私は布団の中から両手を突き出し、うーんと伸びをした。最近は目覚めがいいので、起きて直ぐに動き出せる。
もそもそとベッドの上に座ると、その気配で隣のリーンも目が覚めたようで、すぐさま起き上がって私を見つめている。
「おはよう、リーン。どうかした?」
「おはよう、エミィ。あまり動かない方がいいんじゃない?体調はどう?ずっと寝ていた方が・・・」
彼がおろおろとしながらそんなことを言うものだから、私は呆れつつ彼の両肩に手を置いて力説した。
「あのね、リーン。昨日も何度も言ったけれど、私は健康な妊婦なの。普通に暮らしてていいのよ!ゾフィー先生がそう言ってたんだから、そんなに心配しないで。」
「でも、君は直ぐに走ったりコケたり木に登ったり乗馬したがるから、とても心配なんだよ。」
綺麗な薄青の瞳が、これ以上ないというほどの真剣さで私を見つめてきて、いつの間にか私の肩にも彼の手が乗っていた。
うーん、彼をこんなに心配させるのはよくないわよね。
いろんな所に影響が出そうだし、どうにか安心させてあげないと。
「分かったわ。妊婦の間は走らないし、木にも登らないし、乗馬も我慢するわ。貴方が心配しなくていいように行動するって約束する。」
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ。」
真剣に返事をしたら、ふっと目元を緩めたリーンがおもむろに私を抱き上げた。
「?!?!リーン、何してるの?!」
「ん?僕が心配しなくて済むようにしてくれるんでしょ?だから僕が君をロッテ達の所まで運ぶね。」
「えっ?」
「僕は君が歩くことすら心配でたまらないんだ。だから、最低限安定期に入るまで僕が抱き上げて運ぶよ。城に行っている間は一階の居間に居てね。僕が帰るまで階段を使っちゃだめだよ?約束してくれるよね?してくれないなら君の側にずっとついてるから。」
リーンは笑顔だったけど、私の背筋は凍った。この表情の彼には絶対に逆らっちゃいけない・・・!
■■
「それで、この三日間、言うことを聞いて大人しく一階にいるわけ?エミーリアも素直ねえ。」
そう言ってお茶のカップを持ったまま、身体を震わせている親友のアレクシア。
彼女は、私の妊娠が分かって直ぐにお祝いの手紙をくれて、今日は屋敷から出られない私の話し相手に来てくれている。
「アレクシアはあのリーンを見てないからそんなことが言えるのよ。本当に怖かったんだから!それに屋敷の皆もこの件に関してはリーンの味方みたいだし。」
私が頬を膨らませながらそう返せば、彼女はくすくす笑いながら続けた。
「まあ、ハーフェルト公爵家待望の赤ちゃんだものね。貴方の妊娠で国中が大騒ぎよ?」
「そうなの?当然、街にも行かせてもらえないから知らなかったわ。ああ、でも昨日リリーが栄養補助剤がすごい勢いで売れてるって言ってたのはそれと関係があるのかしら。」
「あるに決まってるじゃない。『ハーフェルト公爵夫人が妊娠したのは、例の栄養補助剤を飲んでいたかららしい。すごく効く』って噂が夫のギュンター様の耳にまで入ってたのよ?」
「あら、まあ。」
「それで『アレクシアもいるかい?』って聞いてくるものだから、『もう毎日飲んでるわ、私はハーフェルト公爵夫人の親友なのよ?』って返したの。」
二人で顔を見合わせてくすくす笑う。ありがたいことに、彼女は売り出し当初からずっと愛飲してくれている。
「アレクシア、大好きよ。」
「私も貴方が大好きよ。」
感謝の気持ちを伝えようとしたら勢い余って告白になってしまった。
一瞬、目を丸くしたアレクシアは直ぐに明るい笑顔で同じ言葉を返してくれた。
「それにしてもエミーリアもついに母親になるのねえ。・・・まあ、リーンハルト様が父親になる方がなんというか、想像出来ないんだけど。」
「そう?リーンは優しくてとてもいい父親になると思うんだけど。」
「貴方との子供だし、そうなるとは思うけど、あのキラキラ王子が父親・・・!」
アレクシアがぎゅっとこぶしに力を入れて何かを堪えるような顔をしている。
キラキラ王子ってリーンのこと?・・・確かに目立ちはしてたけど、そこまで光ってたかな?
私はビスケットを口に入れながら昔の彼を思い出していた。
そういえば、髪に日が当たると優しい色に光ってた気もする・・・今も時々ある。
昔のほうが光ってたかしら?でも、年取ったというほどまだ経ってないし。
あの頃は彼をなるべく視界に入れないようにしていたから、よく覚えてないわね・・・。
「エミーリア、眉間にシワが寄っているわよ。何を考えているの?」
「昔のリーンがどれくらい光ってたかについて?そういえば、朝日に当たると彼の髪が透けてキラキラ光るの、綺麗なのよ。」
「・・・それは、ごちそうさま。まあ、キラキラ王子ってのはたとえで、実際に光ってたわけじゃないわよ?」
「え、ええ!そうよね。分かってたわよ?」
「・・・エミーリアのそういうところ、面白いわよね。貴方に育てられた子供がどんなふうになるのか楽しみだわ!」
「・・・ねえ、アレクシア。私は正しい母親になれるかしら?」
妊娠して以来、気になっていたことを尋ねると、アレクシアは片眉を上げてから真面目な顔で言った。
「エミーリア、正しい母親なんてこの世に存在しないわ。私だってきっと色々正しくないことをしてしまってる。」
その言葉に私は大きなショックを受けた。正しいやり方がないなんて、どうしたらいいの?あの母と同じことをしてしまったらどうしよう。
真っ青になった私を見て、アレクシアがテーブルに乗せていた私の手を握って優しく言う。
「大丈夫、貴方には私もリーンハルト様もいるし、王妃様や王太子妃様もいるわ。皆が貴方を助けてくれるから、一緒に貴方なりの母親を模索しましょうね。」
そうだ、私は一人じゃなかった。
ほっとして私は頷きながら、目の縁に滲んだ涙を手のひらで擦った。
「ただいま、エミィ!やあ、いらっしゃいヴェーザー伯爵夫人。あれ、エミィ、泣いてる?!」
「おかえりなさい、リーン。これは安堵の涙だから大丈夫よ。」
「出たわね!まだお茶の時間よ?」
さっと立ち上がったアレクシアが、仕事の正装のまま飛び入り参加してきたリーンの前へツカツカと歩いて行った。
「この度はおめでとうございます、リーンハルト様。」
綺麗なお辞儀でリーンへ祝いを述べたその次の瞬間、彼の顔に指をびしっと突きつけ、頬を膨らませて抗議した。
「心配なのはわかるけど、エミーリアにもう少し自由をあげないと、彼女、参っちゃうわよ?」
「えっ。何があったの?!」
「彼女は色々と思い悩む人なんだから、あんまり屋敷で一人にしちゃダメだと思うわ。」
それを聞いたリーンはにこっと笑った。
その笑顔に若干黒いものを感じた私とアレクシアが引く。
「それなら大丈夫!うちに遊びに来てくれるよう、知り合いに頼んどいたし、僕も明日から城に行かないでここで仕事するから。エミーリアに寂しい思いをさせないよう、何かあっても直ぐ対処できるようにね。」
「えっ?」
驚く私に彼は得意気に胸を張った。
「安心して、兄上達に許可はもらったよ。でも、残念ながらまだ週三回は城に行かなきゃいけないんだけどね。」
多分、それ、許可をもらったんじゃなくてもぎ取ったのよね?
絶句する私と反対に、アレクシアがこぶしを震わせながら叫んだ。
「リーンハルト様だけズルい!うちの夫もそうしてほしかったわ!」
彼女の心からの訴えに、リーンが重々しく頷いた。
「分かった。他ならぬ、妻の大事な親友の頼みだ。今後、妻の妊娠で屋敷で仕事したい者全員がそうできるように法を整備しよう。」
アレクシア・ヴェーザー伯爵夫人が意図せずコネで国を改革した瞬間だった。
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