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番外編

幼子に思ふ

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 涼しい風がふわりと薄いカーテンを揺らして窓辺の揺りかごに乗せた。小さな手が伸びてそれを掴む。
 あーとも、うーともつかない小さな声が揺りかごから聞こえて僕は目を細めた。

 ふぇっと言う声とともに、握っていたカーテンが風に戻されて息子の手が空を彷徨う。

「あー、行っちゃったね。テオ、泣かないで? エミーリアが飛んできちゃうから。せっかく今日は友達とお喋りしているのだから楽しい時間を過ごさせてあげようよ」

 さっと近づいて綺麗な目に涙を浮かばせた息子のテオドールを抱き上げる。僕の言うことがわかったのか、彼は黙って僕の髪の毛をぎゅっと握りしめた。今度は僕の目に涙が滲む。

 ・・・痛い。小さいくせに力がある。

 でも、泣かれるよりはいいとそのままにして窓辺に近づく。そろそろ庭の木々が色づいてくる頃だ。彼と外出できるのは半年くらい先、暖かくなってからだなとぼんやり眺めていたら、またぐいっと力強く髪を引っ張られた。

「痛っ。テオ、父は玩具ではないのだけど?」
「あー」

 笑ったように見えるその表情につられて僕も微笑む。

「そういえば、エミーリアにも昔、髪の毛を引っこ抜かれたなあ・・・。君達母子は僕の髪の毛を引っ張るのが好きなのかな?」

 あの時のエミーリアは随分慌てていたなと、ふふっと思い出し笑いがこぼれた。まさか、あの出会いからこうなると彼女は全く思っていなかっただろう。

 だけど今、僕の腕の中に彼女と僕の血を受け継いだ存在がいる。

 彼女そっくりの息子の柔らかい髪が風にそよいで、愛しさが溢れてたまらなくなった僕は彼の頭に軽くキスをした。

 途端。

 ふぎゃああああっっ

「ちょ、待って?! 泣かないでよ、お願いだから、テオドール君?!」 
「旦那様っ」

 控えていたウータがエミーリア手作りのうさぎのぬいぐるみを持ってきてテオドールに見せる。それでおさまるときもあるのだが、今回は違ったようだ。小さな手でうさぎを握りしめ、さらに大きく泣き叫ぶ。

 うぎゃああああっ

「テオドール、どうしたのっ?!」

 だだだだだ、ばったーんという音とともにエミーリアが部屋に飛び込んできた。後ろからひょこっとヴェーザー伯爵夫人アレクシアの顔も覗く。仲良く一緒に邸内を爆走してきたらしい。

「テオ、いらっしゃい。何があったの?」

 僕の腕から息子を抱きとって心配そうに覗き込むエミーリア。その腕の中で息子は泣き腫らした目を満足げに閉じてうっとりしている、ように見える。

 最近ずっと感じていることだけど、僕だってエミーリアと同じくらい彼を世話して愛して構っているはずなのに明らかに親愛度が低い!

 何故だ。出産に立ち会わなかったからか? でも、あれはエミーリアに全力で拒否されたからどうしようもなかったし、その間に仕事を片付けまくったおかげで今ずっと屋敷にいられるようになった訳だし。

 僕はよほど情けない顔をしているのか、伯爵夫人から哀れみのこもった視線を感じる。彼女に同情されてはお終いだ。

 がっくりと落ち込んでいる僕を放置して二人が息子を挟んで話し始めた。

「テオ、どうして泣いてたの?」
「大好きなお母様がいなくて寂しくなったんじゃない?」
「お父様に抱っこしてもらってたのに?」
「そりゃあ、自分を一番に考えてくれる人の方がいいわよねえ」
「「・・・え?」」

 そこで僕とエミーリアの目があった。

「エミィ、君の一番は僕じゃないの?!」
「リーンこそ、テオじゃないの?!」

 呆然と見つめ合う僕達の間に朗らかな声が割り込んできた。

「エミーリア、私にテオドールを抱っこさせて。・・・はーい、テオ君はいい子ね。じゃ、私とウータが彼を見ているから、貴方達は二人で庭を散歩してきたらいいわ」
「「えっ?!」」

 彼女の発言の真意を測りかねているうちに、エミーリアと二人で庭に放り出されてしまった。

「うちの場合はギュンター様がイザベルにぞっこんで私がヤキモチを焼いたの。こういうのは今のうちに話し合っておかないと大喧嘩になっちゃうのよね」

 にっこり笑ってそれだけ言うと伯爵夫人はぱたん、とガラスの扉を閉めてしまった。

「テオ、泣かないかしら・・・?」

 心配そうなエミーリアの声に僕の心が軋んだ。君の一番は息子にとられてしまったのか。思わず拗ねた声が出てしまう。

「泣き声が聞こえないから大丈夫じゃない? それよりエミィ、僕を見て?」

 不安そうな表情のまま、僕の方を見た妻の美しさに目が離せなくなった。そういえば息子が生まれてから、僕達はいつも二人並んで彼の方しか見ていなかった気がする。こうやってお互いの目を見つめ合うのはいつ以来だろう。

 ・・・もう、彼女の一番が息子でもいい気がしてきた。それで彼女が僕の側からいなくなるわけじゃない。僕の隣で僕と彼女の子を一番に愛してくれるのなら、僕はその彼女を息子ごと一番に愛するだけだ。

「せっかく伯爵夫人がくれた二人きりの時間だ、池の方まで行ってみない? そこくらいまでなら、テオが泣いても聞こえるでしょ」 

 追い出された部屋の方をちらりと見遣って小さく頷いたエミーリアへ手を差し出せば、そっと華奢な温かい手が乗せられた。僕はその手を大事に包み込むように握って歩き出した。
 

「・・・あのね、リーン。テオは赤ちゃんなの。だから、一番に考えてあげたいの」

 池の周りを歩きながら母親になった妻が訴えてきた。

「うん、そうだよね。エミィは彼のこと一番に考えてあげて。」
「リーンの一番はテオじゃないの?」

 彼女の声は非難するようなのではなく、どこか寂しそうなものだった。僕は繋いでいる彼女の手を唇に寄せて優しく伝える。

「僕の一番はいつだってエミィだよ。もちろんテオも大事に思ってるよ。ただ、本当にほんのちょっとの差だけど君のほうが大事。」
「ちょっとってこれくらい?」

 エミーリアが空いているほうの手の親指と人差指で細い隙間を作って確認してくる。僕は少し不安そうな彼女の指を僕の指で挟んでその隙間をほぼ無くす。

「いや、これくらい。もう、本当にわからないくらいの差だよ」

 彼女を安心させるためにそう告げれば、その顔に嬉しそうな笑みが満ちる。

「ほぼ同じってことね。私もリーンとテオ、どっちも同じくらい大事に想ってるわ。でも、リーンは大人だから・・・」
「分かってる。彼が大きくなるまでは君の一番はテオに貸すよ。でも、いずれは僕を一番に戻してね?」

 もちろん、と頷いた彼女を腕の中に閉じ込めて、今だけは僕だけの妻だと幸せを噛みしめる。
 
 ・・・うぎゃああ・・・ふぎゃあああ

 ああ、僕の幸せな時間は一瞬だったなぁ・・・

「テオが泣いているわ!」

 叫んだエミーリアは瞬間で僕の腕から抜け出し、屋敷に向かって全力疾走していく。僕は短すぎたデートに内心がっかりしながら、その背を追いかけ、途中で彼女をすくい上げて息子のところへ向かった。もう彼女に触れられる機会は逃さない。相手が息子でも遠慮はなしだ!


「まあ、早かったわね。で、これはどういう状況なの・・・?」

 伯爵夫人の腕に抱かれた息子と僕に抱き上げられたままのエミーリアが向かいあっている。

 早く抱っこしろと言わんばかりに母親を見つめてふぇふぇグズっている彼に僕はにっこり笑いかけた。

 今は君がエミーリアの一番だけど、いずれ僕が一番に戻るんだからね!
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