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星のない海に漂う人

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暫くして、莉子は、僕の前から消えた。いつものように、日々が流れて行く。莉子の夫は、あれからすぐ、彼女を迎えに来て、誰にも見送られる事なく、病院を後にした。屋上から見送る僕は、あまりにも、未練がましく惨めだった。僕の行いが、彼女の決心を固くしたのか、わからなかったが、僕も、どうして、あんな事をしたのか、わからなかった。
「子供ね」
莉子は、そう言った。そうだよ。僕は、子供だ。親のしがらみから、抜け出せないでいる。力ずくで、僕は、莉子を連れ去れば良かったのか?莉子の夫は、ピアニストの生命とも言うべき、右手で、僕を殴っていた。演奏を諦めたから、僕を殴って、傷ついても、平気なのか?それとも、莉子を失う恐怖がそうさせたのか?僕は、前者であってほしかった。僕は、凄く、自虐だった。
「あ・ら・た」
黒壁は、変わらず、新しい学生のリハビリに夢中だった。変わらず、僕にちょっかいをかけて来る。
「俺、カフェイン抜き」
黒壁の差し出したコーヒーを押し戻す。
「いつまで、引きずっているんだよ。まさか、本気だったなんて?」
「自分でも、わからん。歩行困難と言われた症例を、どこまで、回復させたか。自分の能力を試したいだけだったのか」
熱かったのか、一口、コーヒーを口に入れた黒壁は、
「あちち」
慌てて、コーヒーを吐き戻した。
「障害がありすぎるよ。彼女は」
黒壁は言う。
「興味を持つのは、わかる。だけど、車椅子の人妻だよ。なんで、なんでも、手にできるお前が、わざわざ、選ぶ?」
「今は、だろう?今は、車椅子。今は、人の妻」
「おいおい。人に聞かれたら、どうするんだよ」
黒壁は、辺りを見回した。
「お前さ。まさかまさか、だけど。移動願いなんて出してないよな?」
「何で?また、安達達が、何か、聞きつけたのか?」
僕は、知らないふりをした。あの騒ぎにあった日に、父親の病院から来た整形外科医が、事件の詳細を、報告したのだ。幸い、怪我は、捻挫で済んで車の運転もできる程度だったが、僕の無謀さに、両親がカンカンになっていた。
「すぐ、帰るように」
これだ。僕を守ろうとするのは、嬉しいが、どこまで、逃げても、所詮は、親の掌の中にいる。移動を希望したのではなく、親の圧がかかって、移動させられそうになっていた。
「どこにも行かないさ」
ここから移動したら、二度と莉子に会えない気がしていた。
「移動する意思がないならいいが。いつだったか、市長が院長に挨拶に来てたらしいぞ。お前のお陰で、娘が助かったって」
「そもそも、親父さんが原因の事故なんだけどな」
「それで・・・彼女が会員の協会のステージがあるらしい。復興の活動をしているらしく、チャリティーショーをやるから、来てくれって」
「チャリティーショー?何の?」
莉子が入っていた協会とは、フラメンコか?
「フラメンコの大御所も、随分、来るらしい。もしかしたら、会えるかもよ」
僕は、笑った。
「興味ないよ。もう、違う世界の人なんだ」
僕は、黒壁が差し出して、断ったカフェイン入りのコーヒーを、思わず、口にしていた。チャリティーショーに来るかもしれない。僕は、慌てて、ネット検索をしていた。
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