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紅葉の章
補記 桜紅葉
「うわぁ……!」
晴れた休日の朝。寝巻き姿にまだ裸足だった湊は、新聞を取りに出た玄関先で思わず声を上げた。呆け、見入ってしまう。
空気は澄み、微風。木々は寒々と枝をむき出しにして。
一面の赤。落ち葉だった。
* *
数えてはいないが、瀬尾邸の庭は樹が多い。周囲に山や田畑しかない公道から逸れて坂を上り、ガレージから家まではソメイヨシノがびっしりと並ぶ。玄関前には愛らしい八重桜が二本。横手には点々と楓を混じえつつ他の品種が伸び伸びと枝を伸ばし。裏手には存在感のある松の木。梅も何本か生えていた。
――果たして、松が先だったのか家が先だったのか。
それは不明だが、常緑樹や植え込みに関しては元々ここを持ち家にしていた左門家が厚意で庭師を派遣してくれている。
こざっぱりと剪定され、雪囲いの縄を傘のように張り巡らされた木々は冬支度万全。
問題は、桜並木だった。
「そっか……ゆうべ、風強かったもんね。でも、だからって……」
葉を残している木も数本、あるにはある。だが。
――――たったの一晩で?
ほぼ、散り尽くした落ち葉の絨毯を前に、新顔の家主はただただ無力だった。玄関用の短い箒では追いつかない。絶対、大ぶりな竹箒や熊手が要る。ついでに猫の手も。
(…………。猫……)
ちょっと固まった。
現実逃避ぎみな呟きを心のなかで反芻し、考えること数秒。湊は久しぶりに律に電話することにした。
意外なほど躊躇はなかった。現実的な問題もあったし、篁からの言葉が刺さっていたせいもある。とにかく、出来るだけ近いうちに会おうとは思っていた。
「……」
カーディガンのポケットからスマホを取りだし、玄関に佇んだままで指をタップさせる。
耳許に構えて待つこと2コール。すぐに『え、湊さんっ?』と確認されてしまった。
(早いです)
理屈ではなく、くすくす、と笑んでしまう。胸の中がくすぐったい。ほんのりと温かい気持ちのまま、目を瞑って“用件”を声にした。
「ごめんね、急で。もし予定がなかったらなんだけど。今日、ちょっと」
『――ないです。行きます何時? 今からでもいいですか?』
「それは」
あまりの反応速度に、口許に苦笑。カララ……、と左手で引き戸を閉める。
屋内に入ると外の気配が遮断され、まるで二人っきりになったような錯覚に陥る。少し緊張しそうになったが、ぺたん、と廊下に上がった。暖房を入れたばかりのリビングへと向かう。
玄関で裸足は、さすがに寒かった。
「……まだ、ちょっと早いかな。朝ごはん食べた?」
『食べてないですけど』
などなど。
いくつかのやり取りを経てきっちり一時間後、律は瀬尾邸に到着した。
――――――――
「新しいやつ? 要らないと思う」
まずは車を出そうとした湊に、律はあっけらかんと言った。外向きの仕事道具はすべてガレージに置いてあるらしい。
湊は首を傾げた。住み始めて八ヶ月。用具入れのようなものは見当たらなかったが、「知らなかった」と、素直に律に付いて外に出た。
軍手をはめた二人は、かさ、かさり、と足元を鳴らし、朽ち葉色の庭を渡る。
曰く、蔵を改築したガレージの二階部分が物置だという。斜め前をゆく律が口をひらいた。
「知らなくても仕方ないよ。階段ないもんね」
「たしかに……四角い穴が天井に空いてるなぁとは思ったけど。……まさか?」
「そう。これで登ります」
「えっ?! 梯子?? いや、使い道としては正しいし、むしろ合ってるんだけど……?」
ガレージに到着してすぐ、律は車の後ろに回り込んで奥へと進んだ。電気をつけていないので薄暗いなか、実に慣れたものだった。
ずっと謎だった、車止め代わりに使っていた丈夫そうな年代物の木の梯子を持ち上げ、がこん、と高い天井の隅へと立てかける。
おそるおそる「……あの?」と話しかけるも返事はない。スニーカーを履いた足でぎゅっ、ぎゅっ、と一段目を踏み、梯子に傷みがないかを確認すると、さっさと登っていった。
(えっ……、どうしよう。何か手伝うこと……できること? 安全確保とかかな。下で支えておく?)
湊は梯子に手をかけつつ、おろおろと上を見上げた。
律はそれをちら、と見遣って笑いかける。
「支えなくてもいいよ。取ってくる。一本ずつでいい?」
「あ、はい。……ありがとう」
――杞憂? 脱力。
本当に、未だにどちらが客かわからない。
とにかく強力で頼りになる元・家主どののおかげで、湊は目当てのモノを手に入れられた。
* *
ざっ、ざっ。
手を動かすこと三十分強。二人は休むことなく作業に徹している。律は豪快に熊手を使って桜並木の下全体を。湊はその掻きこぼしを丁寧に掃き集めた。落ち葉の山はおそらく、小さな子どもが見たら喜んで飛び込んでしまうだろう。それくらいに大きい。
ようやっと下の地面と敷石が露になり、湊は一息ついた。視線を上げ、桜四本向こうの根元を、手で直接払っている律に声をかける。
「おつかれ、律君。これ、あっちの端にまとめたら休もう?」
「了解でーす」
軽快な返事が初夏までのかれを思い出させて、複雑になる。ちょっとした居たたまれなさを逃がすように、ふと空を見上げた。
頭上の枝には、かろうじてまだ残る紅。くっきりとした葉の形。澄んだ青との対比を、胸に一枚の画として落とし込む。今、この瞬間を。
「……私ね。いっつも桜は、花の時期しか見てなかったんだなって。やっとわかったわ」
「まぁ、大抵はそうだよね。俺も、秋にこっちに来るのは久しぶり」
「そうなの?」
「うん」
パン、パン、と手を打ち払った律は目をすがめ、かさなる枝越しに太陽を透かし見ていた。つられて、湊もその視線を追う。はらり、とまた一枚葉が落ちた。
「桜の葉って……、秋は赤いんだねぇ」
「うん。オレンジっぽいやつもあるけど。うちの人間は桜紅葉って呼んでる。本家にも咲いてるから」
「桜もみじ……。なるほど」
こくり、と頷く。
この間も、その前もおばあ様と一緒のご来店だった。
ひょっとしたら、律はおばちゃん子なのかも――そう思うと、やっぱり頬がほころぶ。
いつも以上に柔らかな気配をまとう湊に、律は再びまぶしそうに目を細めた。
そこに、満開の桜があるように。
「湊さん」
「ん?」
「俺、やっぱりあなたのこと、好きだよ」
晴れた休日の朝。寝巻き姿にまだ裸足だった湊は、新聞を取りに出た玄関先で思わず声を上げた。呆け、見入ってしまう。
空気は澄み、微風。木々は寒々と枝をむき出しにして。
一面の赤。落ち葉だった。
* *
数えてはいないが、瀬尾邸の庭は樹が多い。周囲に山や田畑しかない公道から逸れて坂を上り、ガレージから家まではソメイヨシノがびっしりと並ぶ。玄関前には愛らしい八重桜が二本。横手には点々と楓を混じえつつ他の品種が伸び伸びと枝を伸ばし。裏手には存在感のある松の木。梅も何本か生えていた。
――果たして、松が先だったのか家が先だったのか。
それは不明だが、常緑樹や植え込みに関しては元々ここを持ち家にしていた左門家が厚意で庭師を派遣してくれている。
こざっぱりと剪定され、雪囲いの縄を傘のように張り巡らされた木々は冬支度万全。
問題は、桜並木だった。
「そっか……ゆうべ、風強かったもんね。でも、だからって……」
葉を残している木も数本、あるにはある。だが。
――――たったの一晩で?
ほぼ、散り尽くした落ち葉の絨毯を前に、新顔の家主はただただ無力だった。玄関用の短い箒では追いつかない。絶対、大ぶりな竹箒や熊手が要る。ついでに猫の手も。
(…………。猫……)
ちょっと固まった。
現実逃避ぎみな呟きを心のなかで反芻し、考えること数秒。湊は久しぶりに律に電話することにした。
意外なほど躊躇はなかった。現実的な問題もあったし、篁からの言葉が刺さっていたせいもある。とにかく、出来るだけ近いうちに会おうとは思っていた。
「……」
カーディガンのポケットからスマホを取りだし、玄関に佇んだままで指をタップさせる。
耳許に構えて待つこと2コール。すぐに『え、湊さんっ?』と確認されてしまった。
(早いです)
理屈ではなく、くすくす、と笑んでしまう。胸の中がくすぐったい。ほんのりと温かい気持ちのまま、目を瞑って“用件”を声にした。
「ごめんね、急で。もし予定がなかったらなんだけど。今日、ちょっと」
『――ないです。行きます何時? 今からでもいいですか?』
「それは」
あまりの反応速度に、口許に苦笑。カララ……、と左手で引き戸を閉める。
屋内に入ると外の気配が遮断され、まるで二人っきりになったような錯覚に陥る。少し緊張しそうになったが、ぺたん、と廊下に上がった。暖房を入れたばかりのリビングへと向かう。
玄関で裸足は、さすがに寒かった。
「……まだ、ちょっと早いかな。朝ごはん食べた?」
『食べてないですけど』
などなど。
いくつかのやり取りを経てきっちり一時間後、律は瀬尾邸に到着した。
――――――――
「新しいやつ? 要らないと思う」
まずは車を出そうとした湊に、律はあっけらかんと言った。外向きの仕事道具はすべてガレージに置いてあるらしい。
湊は首を傾げた。住み始めて八ヶ月。用具入れのようなものは見当たらなかったが、「知らなかった」と、素直に律に付いて外に出た。
軍手をはめた二人は、かさ、かさり、と足元を鳴らし、朽ち葉色の庭を渡る。
曰く、蔵を改築したガレージの二階部分が物置だという。斜め前をゆく律が口をひらいた。
「知らなくても仕方ないよ。階段ないもんね」
「たしかに……四角い穴が天井に空いてるなぁとは思ったけど。……まさか?」
「そう。これで登ります」
「えっ?! 梯子?? いや、使い道としては正しいし、むしろ合ってるんだけど……?」
ガレージに到着してすぐ、律は車の後ろに回り込んで奥へと進んだ。電気をつけていないので薄暗いなか、実に慣れたものだった。
ずっと謎だった、車止め代わりに使っていた丈夫そうな年代物の木の梯子を持ち上げ、がこん、と高い天井の隅へと立てかける。
おそるおそる「……あの?」と話しかけるも返事はない。スニーカーを履いた足でぎゅっ、ぎゅっ、と一段目を踏み、梯子に傷みがないかを確認すると、さっさと登っていった。
(えっ……、どうしよう。何か手伝うこと……できること? 安全確保とかかな。下で支えておく?)
湊は梯子に手をかけつつ、おろおろと上を見上げた。
律はそれをちら、と見遣って笑いかける。
「支えなくてもいいよ。取ってくる。一本ずつでいい?」
「あ、はい。……ありがとう」
――杞憂? 脱力。
本当に、未だにどちらが客かわからない。
とにかく強力で頼りになる元・家主どののおかげで、湊は目当てのモノを手に入れられた。
* *
ざっ、ざっ。
手を動かすこと三十分強。二人は休むことなく作業に徹している。律は豪快に熊手を使って桜並木の下全体を。湊はその掻きこぼしを丁寧に掃き集めた。落ち葉の山はおそらく、小さな子どもが見たら喜んで飛び込んでしまうだろう。それくらいに大きい。
ようやっと下の地面と敷石が露になり、湊は一息ついた。視線を上げ、桜四本向こうの根元を、手で直接払っている律に声をかける。
「おつかれ、律君。これ、あっちの端にまとめたら休もう?」
「了解でーす」
軽快な返事が初夏までのかれを思い出させて、複雑になる。ちょっとした居たたまれなさを逃がすように、ふと空を見上げた。
頭上の枝には、かろうじてまだ残る紅。くっきりとした葉の形。澄んだ青との対比を、胸に一枚の画として落とし込む。今、この瞬間を。
「……私ね。いっつも桜は、花の時期しか見てなかったんだなって。やっとわかったわ」
「まぁ、大抵はそうだよね。俺も、秋にこっちに来るのは久しぶり」
「そうなの?」
「うん」
パン、パン、と手を打ち払った律は目をすがめ、かさなる枝越しに太陽を透かし見ていた。つられて、湊もその視線を追う。はらり、とまた一枚葉が落ちた。
「桜の葉って……、秋は赤いんだねぇ」
「うん。オレンジっぽいやつもあるけど。うちの人間は桜紅葉って呼んでる。本家にも咲いてるから」
「桜もみじ……。なるほど」
こくり、と頷く。
この間も、その前もおばあ様と一緒のご来店だった。
ひょっとしたら、律はおばちゃん子なのかも――そう思うと、やっぱり頬がほころぶ。
いつも以上に柔らかな気配をまとう湊に、律は再びまぶしそうに目を細めた。
そこに、満開の桜があるように。
「湊さん」
「ん?」
「俺、やっぱりあなたのこと、好きだよ」
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登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。