バッドエンドの女神

かないみのる

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 あの事件があってから、あたしは学校に行くのをやめた。

一度だけ行ったけど、霜田のいない学校なんて色のない虹と同じ。

全てがつまらない。

クラスの人間はあたしを遠巻きに見てヒソヒソ何かを言っているみたいだったけどそんなことはどうでもいい。

先生が形だけ庇ってくれていたみたいだけど、それもどうでもいい。



霜田を失った今、あたしには何も残っていない。

あたしにとって霜田がいかに大きな存在だったかということを激しく痛感させられた。



そんな絶望の淵に立っていたあたしを見かねて高梨さんが話しかけに来てくれた。



「諏訪部さん……大丈夫?」


「ありがとう。でも今回ばかりはちょっとツラい」



今まで一緒に過ごしていた霜田が今は隣にいない。

その喪失感があたしを激しく苦しめた。

でも、高梨さんにそれを言っても困らせるだけだろうし、そんな迷惑をかけられない。



「ごめん、なんでもない。気にしないで」


「諏訪部さんはあたしを助けてくれた。あたしも諏訪部さんを助けたい」


「ありがとう……」



甘えればいいんだけど、甘え方がわからない。

高梨さんに気を使わせるのも嫌だから、学校へ行くのをやめた。

学校を休んでから徐々に退学した方がいいと考え始めていた。

昔はどんなにいじめられても学校に行っていたのに、今はまったく行く気になれない。



午前中ダラダラと過ごし、昼に家のポストを開けると、手紙が大量に入っていた。

殆どが暇人が書いた誹謗中傷の手紙だけど、一通だけ高そうな業務用封筒に入った手紙があった。



あたしはその手紙を開封する。

それは霜田のママからの手紙だ。

あたしのせいで霜田が犯罪者になったから、恨みを綴った手紙が毎日届く。

当たり前だよね。

お腹を痛めて産んで、ずっと育ててきた愛しい息子が、あたしのせいで犯罪者になったのだから。

あたしを蔑む内容や、あたしの両親への批判がつらつらと筆圧の強い字で書かれている。

目を背けたくなる内容だけど、全部読んでいる。

霜田のお母さんの叫びを遮ることは、霜田を受け入れられないのと同じことだ。

あたしは全部受け止めなければいけない。

それがあたしにできる唯一の事だから。



もう学校には行かない。

そう決めてから、あたしは霜田とよく行っていた喫茶店で、霜田に薦めてもらった本を読んで時間を潰した。

霜田との思い出に浸れたらいいなと思ったけど、思い出が強すぎて、霜田がいない喪失感がかえって強くなってしまった。

それでもあたしは霜田と一緒に来たこの場所を離れることができなかった。

このままこの場に繭を作って動けなくなりそうだ。



誰か助けて……。



あたしは読んでいた文庫本を閉じた。

涙が溢れそうになるのをハンカチで抑える。



テーブルの上の文庫本に目を向けた。

霜田と一緒に買いに行った『オペラ座の怪人』。

あたしの周りには至る所に霜田が散りばめられている。



オペラ座の怪人か……。



あたしは藁にもすがるつもりである人にメールを送った。

連絡先が変わっているかもしれないと心配になったけど、相手から返信が来て、午後に会えることになった。



「久しぶりだね」


「急に呼び出してごめんね」



あたしが待ち合わせ場所のファミレスに着いた時には、和美ちゃんはすでに席についていて、本を読んでいた。



「ドリンクバーでいい?」


「うん」


 
女は店員を呼び二人分のドリンクバーを注文した。

流れるような無駄のない所作に懐かしさを感じた。

和美ちゃんはいつも優雅だ。



ドリンクバーから二人で紅茶を選んで持ってきた。

和美ちゃんには紅茶がよく似合う。



「元気にしてた?」



席に戻ると和美ちゃんが聞いてきた。



「色々あってね……和美ちゃん、SN高校に入ったんだね」



「そっか、言ってなかったね。諏訪部さんはSI高校?」



「うん」



あたしを唯一救ってくれると思えた相手は和美ちゃんだけだった。

中学校の時のあの心地よい空気があたしのささくれだった心を優しく撫でてくれるのではないかと思ったからだ。

こんな身勝手な呼び出しにも関わらず和美ちゃんは応じてくれた。

ずっと会っていなかったから、当時のような関係がまた続けられるかは分からないけれど、あたしが頼れるのは和美ちゃんしかいない。



「何を読んでいるの?」



「『キャッチャー イン ザ ライ』。日本語で『ライ麦畑でつかまえて』」



聞いたことある。

霜田が読んでいたかもしれない。

また霜田の事を思い出して涙腺が熱くなってくる。

気を緩めるとすぐに霜田との思い出が浮かんできて、真綿で首を絞めるようにあたしを苦しめる。



「和美ちゃん、『オペラ座の怪人』の原作を読んでいたよね?」


「ああ、昔ね。よく覚えていたね」


「うん。怪人のエリックって馬鹿な人間だと思う?」



和美ちゃんは紅茶を一口飲むと、ゆっくり話し始めた。



「いや、そんなことは思わないよ。確かに、愛されたクリスティーヌダーエはエリックの愛に苦しめられたかもしれないけど、最終的にクリスティーヌダーエが幸せになることを選んで身を引いたエリックの不器用で美しい愛には心を動かされるものがある」


「じゃあ、和美ちゃんは『カルメン』って覚えてる?芸術鑑賞会で観た」


「ああ、ビゼーのオペラね」


「カルメンとドン・ホセ、どっちが悪いと思う?」



あたしはさっきから何を聞いているんだろう。

久しぶりに呼び出して意味不明な質問を投げかけて。

こんなの和美ちゃんを困らせるだけだ。

それでもあたしは和美ちゃんの答えを待っていた。



「どっちが悪いか?」


「うん。和美ちゃんの意見を聞きたいの。穂高は、ドン・ホセに自分を重ねていたところがあったみたいで」



穂高は自分の恋愛観に酔っていたようだった。

そして『オペラ座の怪人』や『カルメン』を引き合いに出して自分を正当化した。

あたしはそれが不愉快だった。

どちらもあたしの大好きなお話だったから、なんだか汚されたみたいに感じていた。



「ああ、穂高のこと覚えてる?あたしの援交の相手」


「覚えてるよ。酷い奴だったってこともね」


「そういえば、穂高のことで何回か忠告受けたことあったね」



今思えば、和美ちゃんの話をちゃんと聞いていればよかったな。

そうすればこんなことにはならなかったかもしれない。

穂高によって霜田までが一生を苦しめられることもなかったかもしれない。



「穂高は自分を物語の主人公に重ねて、あたしのママをカルメンに例えて酷い女だって間接的に誹謗したんだ」



和美ちゃんは色々考えを巡らせて、合点がいったように口を真一文字に結んだ。

そして意を決したように話し始めた。



「どちらが悪いっていうより、ドン・ホセには助けが必要だったんじゃない?」



あたしを傷つけないように、言葉を選びながら話してくれているようだ。



「助け?」


「一人でカルメンシータへの愛情で苦しんでいたけど、誰かがそんなドン・ホセを支えて正しい道へと導く人が必要だったんだと思う」



穂高にも助けが必要だったのかな。

穂高の心を癒して、道を踏み外さないように導いてくれる人がいたら、ママ弟も死なずにすんだのかな。



「そして、ドン・ホセも差し伸べられた手を取る必要があった。ミカエラという献身的な幼馴染がいたんだから、恋仲にならなくても、二人で手を取り合って歩めば、カルメンを殺すことにはならなかったんじゃないかな。まあ、フィクションにもしもの話なんてしてもしょうがないけどね」



そうだ、穂高には救いの手が何度か差し伸べられていた。

更生施設、ジャーナリストの寺島万里子。

穂高は差し伸べられた手を見ようともしないで、馬鹿にさえしていた。



「原作の『カルメン』も呼んだけど、原作ではカルメンシータは何回もドン・ホセを騙しているし、ドン・ホセは悩みながらも盗みや殺人を何度も犯した。オペラよりもずっと悲惨なんだよね。穂高さんがそれを知って自分を重ねていたとは思えないけど」


「そうだったんだ。原作ってオペラじゃ分からないことも分かるんだね」


「うん。ドン・ホセは自分の上司やカルメンシータの夫を殺した。カルメンシータを愛しているが故に。ドン・ホセが犯罪に手を染めるたびに、カルメンシータはドン・ホセに「愛している」と「愛していない」を掌を返すように伝えた。闘牛士とも懇意にしながらね。あたしはそんなカルメンシータが酷い女だと思うけど、穂高さんが自分を重ねて、諏訪部さんのお母さんをカルメンシータだと思っていた批判していたのなら、あまりにも現実を見えてなさすぎる。こんな悲恋に重ねられる恋なんて早々ないと思うよ。自分を重ねて、自分の罪に酔っていたなんて、滑稽じゃない」


「そうだよね」


「狂っていたけど、クリスティーヌダーエの美しい心に目を覚まし、クリスティーヌダーエのために身を引いたエリック。自分の感情に苦しみながらも愛ゆえに暴走してしまい、愛するカルメンシータを殺してしまったドン・ホセ。ただ理想と違うからと言って諏訪部さんのお母さんを殺した穂高さんとはまったく違うよ」



和美ちゃんは饒舌になっていた。

どことなく憤りを感じているように思えた。

きっと和美ちゃんも、穂高が『オペラ座の怪人』や『カルメン』のお話と自分を重ねていたことが許せなかったんだと思う。

穂高によって汚された物語の世界観を和美ちゃんが濯いでくれた。

一方で、今の言葉でふと疑問が浮かんだ。

だけどあえて口を挟まなかった。



「ごめん、変なこと聞いて。……和美ちゃん、霜田幸祐って知ってる?同じ中学だった」



あたしは本題に踏み込んだ。

和美ちゃんも、さっきの話題のために呼び出したわけではないと理解していたようで、覚悟を決めた顔をした。



「うん。三年間同じクラスだった」


「そうなんだ……あたしの高校の事件、知ってる?」


「霜田君が殺人を犯した事件のこと?」


「うん。やっぱり噂になるんだね」


「霜田君、自首したらしいね」


「霜田は十七歳だから少年刑務所に行くことになるの」



明確な殺意を持ってママと弟を殺した穂高は少年院だったのに、あたしを守るために仕方なく穂高を殺した霜田は刑務所行きだなんて、そんなふざけた話があるなんて、これが現実だなんて信じたくない。



「霜田はね、あたしの大事な人だったの。大切な恋人。あたしを殺そうとした男を、あたしを守るために殺したの」



和美ちゃんは、口に運ぼうとした紅茶のカップを持ち上げたまま止まった。



「そうなんだ。その男っていうのは、穂高さん?」


「よくわかったね」


和美ちゃんは曖昧に笑って頷いた。

和美ちゃんはあたしの話をきちんと聞いていてくれたんだと、感慨深く思った。



「和美ちゃん、さっき、穂高があたしのママを殺したって言ってたけど、どうして分かったの?」



あたしはさっき浮かんだ疑問を聞いた。

和美ちゃんには穂高がママを殺した犯人だということはまだ伝えていない。

どうして知っているのだろうか?

和美ちゃんは、やってしまったというように顔を顰めた。

ミスをしてしまい後悔しているような表情だった。



「ごめん、諏訪部さんを傷つけることになるかもしれないけど、霜田君が起こした事件のこと、ニュースで結構取り上げられているの」



やっぱりな。

分かっていたけど、その事実を突きつけられると心に来るものがある。



「どんなことが報道されているの?」



「過去に殺人を犯した天才小説家が交際関係にあった女子高生をめぐってトラブルになり殺されたって。ネットでは霜田君や、諏訪部さんのお母さんの名前も報道されていて、見たくなくても目に入るくらい情報に溢れているの。被害者の名前は穂高さんじゃなかったけど、同一人物だってすぐに分かった。ごめん、こんな事言うつもりなかったのに」



あたしはあえてメディアから離れていたから和美ちゃんの気遣いは嬉しかった。



「気を遣ってくれてありがとう。でもその情報、嘘も入ってるね」


「穂高さんと交際していたわけではないもんね。ニュースなんて、特にネットニュースは偏った報道や嘘の情報が溢れているからわたしはそんなに信用しないようにしてる。わたし、諏訪部さんのことが心配だったけど、こんな大変な時に連絡取ったら迷惑なんじゃないかって思って、連絡するのを控えていたんだ。だから諏訪部さんから連絡をもらえて、安心した」



和美ちゃんは控えめに微笑んだ。



「霜田君、正当防衛にはならないの?」


「よく分からないけど、過剰防衛になるんだと思う。バットで殴って殺すのはやりすぎだって。穂高とあたしの関係から、霜田が穂高に明確に殺意を持っていて、計画的な犯行だったんじゃないかとも疑われてるみたいだし」



そこからあたしはダムが崩壊したように感情を吐き出した。



「あたし、どうしてこうなんだろう。あたしからお母さんを奪って平穏な生活を壊した穂高に抱かれて、霜田みたいな、あたしに色々なものをくれた人を不幸にして。霜田は、高校ではみんなに慕われていて、すごく楽しそうだった。友達に勉強を教えたり、他愛もない話をしていたり。きっと中学校では辛い思いをした分、高校はすごく幸せだったと思う。それを、あたしが奪ったの!奪って壊して、霜田を不幸にしたの!」



こんな事を一気に話して和美ちゃんも困っているだろう。

だけどあたしは止まらなかった。

自分を止められなかった。



「あたし、何もできない!何をしてもうまくいかない!あたし、何のために生きているの?あたしなんかの碌でもない人生のために、霜田の未来をズタズタにした。あたしなんて生きていない方が良かったんだ」



ずっと堪えていた悲しみが溢れ出した。

もう霜田と一緒に勉強することも、映画を観ることも、くだらない話をすることもできない。

永遠の別れではないけど、あたしは霜田が刑期を終えて出てくるまでの長い時間を一人で耐えられるほど強くない。

あたしのせいで苦しい道を歩く事になった霜田への罪悪感を受け入れられるほどあたしは大人じゃない。

あの時霜田の前で気丈に振る舞っていたあたしは、どこかに消え失せてしまった。

 

こんなことを和美ちゃんにぶつけても、和美ちゃんだって迷惑だろう。

八つ当たりのようなものだ。

でも、あたしは自分を止められなかった。

あたしは周囲の目も気にせずに大声で泣いてしまった。涙が溢れ、止まらない。



和美ちゃんを見た。

和美ちゃんは本の隙間から一枚のカードのようなものを取り出した。

それはあたしがあげた虹の写真だった。

彩雲だ。



「この写真、諏訪部さんがくれたの覚えてる?栞として使っているの」



和美ちゃんはあたしの目をまっすぐに見た。

霜田と同じ澄んだ瞳。

水晶のように綺麗で、あたしの心は不思議と落ち着いた。

波の立った水面が次第に静けさを取り戻していくように。



「諏訪部さんは、私に彩雲を見せてくれた。諏訪部さんが教えてくれなければ、私はこんなに美しいものを知らずに人生を終えていたかもしれない」



あたしは涙を拭う手を止めて、写真を眺めた。

鮮やかな虹の写真、今のあたしには眩しすぎるくらい綺麗な虹だった。



「諏訪部さんは美しいものを見つけるのが上手。それは時に人の助けになる。霜田君が帰ってきた時に、諏訪部さんがいなかったら、誰が霜田君を迎えてあげるの?諏訪部さんがいなかったら、霜田君の世界は燻んだものになってしまう。霜田君に美しい世界を見せてあげられるのは諏訪部さんしかいない」



美しい風景───そうだ。

オーロラを二人で見に行くって約束したんだ。

サンカヨウも見に行かなくちゃ。

霜田と見たい風景が、まだまだたくさんある。



「諏訪部さん、ずっと辛い中、生きていてくれてありがとう。霜田君もきっと、諏訪部さんに対して同じ気持ちだと思う」



和美ちゃんは涙で濡れたあたしの手を取って、温めるように掌で包んでくれた。



「大丈夫。諏訪部さんも霜田君も、苦しい過去を乗り越えてきたんだから、今度だってきっと、二人で乗り越えていける。わたしに言われたって嬉しくないかもしれないけれど、二人なら大丈夫だよ」



いつも無表情な和美ちゃんが見せてくれた柔らかな笑顔が、あたしの心の傷を癒してくれた。



「和美ちゃん、ごめんね。いきなり呼び出して、変なこと言って。あたし、和美ちゃんがいてくれたから、中学時代、頑張って学校に行けたんだと思う。頑張って学校に行って、勉強して高校生になって、霜田に会えた。あたしの人生は、決して悪いものじゃなかった。きっとこれからも、良いことがいっぱいあるんだよね」


「うん」


「和美ちゃん、世界にはあたしの知らない美しいものがまだいっぱいあるんだよね。あたし、もっと見たい。霜田と一緒に探したい。美しいものを見つけたら、和美ちゃんに教えるね」


「うん。楽しみにしてる」



和美ちゃんの優しさに触れて、涙をいっぱい流して、あたしの気持ちはのしかかっていた錘を落としたように軽くなった。

霜田のために、和美ちゃんのために、あたしは生きていく。



家に帰った時には空は暗くなっていた。

家に着くと、庭から煙が上がっていて、火事かと思って肝を冷やした。

慌てて門をくぐるとパパが何かを燃やしていた。

火事じゃなかったと知り、取り敢えず安堵した。



「パパ、何をしているの?」



パパは庭で火を焚べて、傍に山積みにした書類を放り込んで燃やしていた。



「パパの活動ノートとか勉強した資料だよ。もういらないと思ってね、燃やしていたんだ。ママたちに、もう終わったよって報告もかねて。家庭でこういうことをしてはいけないことは分かっているけど、法律もご近所さんもどうでもいい。どちらも律儀に守ったって助けてくれるわけじゃない」



あたしとパパは、近所からの好奇の目に晒されていた。

そして繰り返される誹謗中傷。

でも法律は、国は、周囲の人達はあたし達を守ってくれなかった。

でも、今回だけ法律は、少年法は霜田君を守ってくれるかな?

守ってくれるよね。

でなければ、なんのための少年法なのか、まったく意味がない。



パパは活動をまとめた大学ノートを手に取り、しばらく眺めて火の中へ投じた。

火はパチパチと軽い音を立てて紙を黒く縮めていく。



「霜田君に早く出てきてもらうためには、こんな活動、害でしかないからね。仲間からは責められそうだけどね、自分が加害者側になったら掌を返しやがってってね。パパは、我孫子聡のことが許せなくて、彼を守った少年法も許せなかった。でも、気づいたんだ。パパは、視野が狭まっていたのか、本当に更生できる子もいるということを考えられていなかった。全ての少年の更生の機会を奪おうとしていた。みんながみんな、我孫子のような奴じゃない。霜田君のような心優しいのに罪を犯してしまった子もいる。さまざまな少年がいるのに、犯罪少年で一括りにしてはいけないんだね。まあ霜田君は更生するもなにも、元からいい子だから、そんな議論に名前を出すのは失礼だな。皮肉だね、妻を殺した少年を守った法が、今度は娘の大切な人を守ろうとしている。いや、まだ守ってくれるか分からない。我孫子が罪を犯したのは十三歳の時で、霜田君は十七歳。この年齢差で、少年法は我孫子だけを守って霜田君を守らないということは十分あり得る。でも、もし裁判所が霜田君に過去に例のない重罰を与えたら、もう法律なんて一切守らない」



パパは立ち上る煙を眺めた。

涙が溢れないように上を向いている様にも見えた。



「ああ、何が言いたいのか、もう自分でも分からないんだ。法が必要なのも分かっている。法律に守られていることも知っている。その一方で、パパ達は少年法という法律にずっと苦しめられてきた。法律が自分にとってどういうものなのか、自分の中で折り合いがつけられないんだ。でも、これだけは言える。パパは今までの活動が間違いだなんて思っていない。我孫子は更生せずに再犯をした。奈緒の首を絞めたんだ、ママを殺した時と同じように。結局、少年法は我孫子を更生させることはできなかった。我孫子の裁判に携わった裁判官や弁護士の胸ぐらを掴んで大声で叫んでやりたい。更生できると言ったのは嘘だったのかって」



パパは大きくため息をついた。

疲労の色が目や表情から見える。

社会に出ているパパは、あたしなんかよりずっと苦しい思いをしているに違いない。



「今後活動を再開するかはわからないけど、今までの主張を曲げる気はない。だから、霜田君への嘆願書は書けない。ごめんね、奈緒。苦しいが、立場上、嘆願書に名前を書くことはできないんだ」



パパはついに涙を流した。

今まで見たの涙と違い、苦しみ悲しみが滲み出ているような泣き方に、それほど今回のことはパパも苦しめたのかと辛くなった。



「パパが悪いんだ。もっと奈緒の周りのこと、見ておかなければいけなかったのに。もし我孫子が奈緒に近づいていたと知っていたら、パパが奴を殺したのに。奴をこの手にかけていれば、そうすれば、未来のある霜田君が手を下す必要はなかったのに」



パパはティッシュで鼻を拭い、丸めて火の中に放り込んだ。



パパは新しい生き方の一歩を踏み出すけじめをつけるために、過去に火を焚べたのだろう。

だとしたら、あたしもやらなければいけないことがある。

あたしは部屋から過去の罪を持ってきてパパに渡した。



「このお人形達の供養をしたいの」


「人形を燃やすのかい?」


「うん。駄目かな?」


「いや、大丈夫。今更何を燃やしたって気にすることじゃない。これで警察がパパを逮捕するなら勝手にすればいい」



デイジー、エミリー、サクラ。

小さなあたしが理不尽に殺してきた少女たち。

押入れの奥でずっと目を逸らし続けていた過去。

自分の罪を受け入れ、償い、生きていくためにはこの子たちを天国へ送らなければいけない。



みんなごめんね。

あたしのせいで苦しい思いをさせて。

ママ、この子達を無事に天国へ連れて行ってあげて。

あたしはもう少しこの世界でもがいてみるよ。



あたしは空を見上げた。

頭上には綺麗な星空が広がっていた。

霜田と眺めた北斗七星も、上空で輝きを放っている。



視線をずらしてあたしの部屋の窓を見た。

霜田からもらったサンキャッチャーが窓際に見えた。

夜だからあまり光らないが、朝になればたくさんの虹と一緒に幸せや希望をを振りまいてくれる。

朝が楽しみだ。



目を閉じていた方が楽かもしれない。それでもあたしは目を開ける。

だって、世界は美しいから。
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