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 あれから、私は何度も城へ足を運びました。珈琲ガレットや珈琲フィナンシェ、珈琲マカロンなどを携えて。シオン様が珈琲をよく飲まれるのは誰にも教えていないのですが……、我が家の厨房では何故か珈琲を用いたお菓子を考案するのが流行なんでしょうね。

 不思議なのはずっと「心眼」効果が持続している事。シオン様が調べたところによると、国内では報告されていないけれど、国外で「心眼」似た天恵が一生続く例があるそうです。ということは、私は一生シオン様の心の声が聴こえるのでしょうか。困るような、困らないような。

 シオン様との仲はとても良好です。お手紙のやり取りも楽しかったですが、直接お会いして言葉を交わすのはもっと楽しいです。といっても、直接口からお声を聞くのは稀ですが……。でも、明るい彼の心の声を聴いているとこちらまで明るい気分になります。ヘイヘイ、ヒョイヒョイといった奇妙な歌は、聞こえてくればシオン様が近くにいると分かって嬉しくなりますし、慣れれば何だか良い曲に思えます。

 彼のお仕事の大変さを知りたくてお話を聞きたいとお願いすると、伝えられる範囲で私もわかるように簡単に話してくださります。
 しかし、このところの城下町の治安についての話題から、いつのまにか治安局と騎士団の仲が悪くて嫌がらせ合戦している話になったりします。騎士団長(レタス好き)が治安局食堂のキャベツを定期的に全部レタスに入れ替えるよう指示しているのも面白いですが、治安局長(レタス嫌い)が毎週明け、騎士団長の執務机に卑猥な形をしたマンドラゴラを飾り付けるのも可笑しいです。どんな嫌がらせですか。
 シオン様は『ルシカちゃん、やっぱどんな顔も可愛いけど笑った顔が一番じゃわ』と仰って、いつも私を笑わせようとしてくるのです。

 そうして一緒に過ごしている内、心の声が聴こえるおかげでもあるのかもしれませんが、表情が無いながらもわずかな仕草が彼の無意識の心を表していると気が付きました。笑わせようと嘘をつく時は本当にほんの僅かに口角が上がる、誤魔化す時は右手の人差し指を僅かにトンとさせる、少し感情を落ち着けたいときは足を組み直すなど。まだ私が発見できていないだけでもっと多くの心を表す仕草があるのでしょう。これから、沢山知っていきたいです。

 今も私は城に訪れています。道中、馬車が渋滞していて遅くなってしまいました。もう昼休憩も終わりの時間です。今日は差し入れをお渡して、すぐに帰ろうと思います。見慣れた棟に近づくと、雑音が聞こえてきました。シオン様が近い証拠です。音の方角へ歩を進めると、彼の心の声も次第にはっきりと聴こえてきます。話しかけようとすると、遠くから時刻を知らせる鐘の音が響きました。

『……イヘーイ♪ お、休憩終わりか、今日はルシカちゃん来なかったなー。それにしても困ったなあ、ついつい邪険にできなくて仲良くしちゃってるけど、まさか本気で俺と普通に結婚するつもりなのかな。真面目な話も出来ないふざけた奴アピールしてるんだけどナー。中々婚約解消って言って来ないナー。今は応じられん言ったからかな。やっぱ最初からルシカちゃんにだけは「結婚はしてもらうけど白い結婚で後に円満離婚な」って言っとくべきだったかナー、うーん、いやでも……』

 頭が真っ白になって、持っていた籠を落としてしまいました。音に気が付いてシオン様がこちらに振り向きます。

『ギャッヒ! 聴いてた、今の!?』
「……」

 答えようと思ったけど、答えられませんでした。口を開けても声が出ず、手が震え、視界がぼやけ……。

『えっ泣っ!? な、泣かんでーーーー!』

 シオン様が駆け寄って来て私の肩に触れようとしますが、手を下ろしました。そういえば、パーティのエスコート以外で触れられたことが無いと気が付きました。どうして……。

「私の事嫌いなんですか……」
『いやいや、嫌いちゃうちゃう、むしろしゅっきやぞ!!!!』
「だって……白い結婚……離婚……っ」

 セービン家に生まれたせいで第一王子の婚約者候補にされ。
 異母妹は自由に過ごしているのに私は未来の王妃に相応しくと義母に厳しく教育されて。
 父に辛いと言ってもお前に課された義務だと冷たくあしらわれて。
 ずっと耐えて生きてきて……。
 十五で判明した天恵の詳細が期待されたもので無くて落胆され。
 私の存在は宙に浮き居場所はどこにもなくなり、修道院で一生を過ごすことが決定され。

 今迄の努力と我慢って何だったのだろうと空しくなって……。
 そんな時に突然シオン様から婚約の打診、歴史あるファディムート侯爵家ならば天恵の血筋も悪用されないと父は断りませんでした。

 救われた、と感じました。次期宰相の妻となるならば今迄の努力も無駄では無かったと……。

 でも、それは違ったようです。

「っ……」

 涙が溢れて嗚咽を漏らす事しかできません。これ以上みっともない姿を晒してはいけないと思い、去ろうとしたらシオン様が私の手首を掴みました。

『ちょ待って、待って! これには訳があるんて! 全部話すから、仕事終わったらルシカちゃん家行くから!』

 そうです、彼は仕事があるのです。私なんかが泣いても無意味なのです。彼が仕事を優先させるのは当たり前。だけど、それすらも嫌われているせいな気がして。

「うっ……あああ……」

 我慢できずに両手で顔を覆って、その場に座り込んでしまいました。体が言う事をききません。

『アワワワ何でー! 何でもっと泣くー!?』

 複数人の気配がして、その場がざわざわとし始め……。

「……何故自分の婚約者を泣かせて慰めずに横突っ立ているのですか」
「いや、これには訳が」
「空いている応接間にでもお連れして落ち着かせてあげなさい」
「仕事が」
「これだけ泣いている婚約者を放って置いて仕事をする奴がどこにいますか! いいから、早くしなさい」

 以前、お連れしていた部下の方らしき声に急かされて、シオン様がそっと私の背に手を当てて、

「立てるか」
『ってウワー! あやつ、抱き上げて運んでやれよって鬼の形相しとるー! コワッ!』

 実際の声と心の声が同時に耳に届き、ふわりと体が浮遊感に包まれます。

『オワーッ! ルシカちゃん予想以上に軽っ! 飯ちゃんと食っとんか? ん、待って待って、良い香りする……アカンアカン、今ルシカちゃん泣いとる。あ、あ、でも、良い香りする……』

 そんな心の声を発しながらも、素早くどこかの部屋に入ったシオン様が優しく私をソファに座らせてくださいます。彼も隣に腰を下ろしました。

『よし、じゃあ、簡潔に説明するわな! ルシカちゃんの父ちゃん爵位剥奪、セービン家は取り潰しになるから、ルシカちゃんに婚約申し込みました!』
「!?」

 突飛すぎて話が飲み込めません。

『ほら、貴族ってどこも裏で色々やってるっしょ? セービン家のそれとうちの宗主国の政策方針転換とが何かこう具合が……都合が悪いから、じゃあもう丸ごと無くしちゃお! ってなった訳よ』

 そんな、お父様が裏で何か良く無い事を……? でも、どこも裏で色々あるって……。

「……それで……どうして私に婚約を?」
『前からカワイーッって思ってたのと……あのー……上から目線で申し訳ナスだけど……ルシカちゃんがあんまりにも哀れだから……』
「それは修道院行きが決まったからですか?」

 私が行く事を決定されていたのは修道院と言う名の実質牢獄です。何か問題のあった貴族令嬢などを閉じ込めておく為の場所で、一度入れば二度と出られないと噂されています。

『いんや、前から義母に教育と言う名の虐待受けて異母妹からは馬鹿にされて父親は無関心で家庭環境エグッからの、修道院行きと偽って変態ジジィの元に売られそうになったのがちょっと可哀想になったからかな』

 どうして私の家庭環境に詳しいのでしょう、それにサラッと受け入れがたい事実が混ぜられました。

『ほんと、単なる哀れみでごめんネー。偽善で、別に前からルシカちゃんにガチ恋とかでないんや……』

 私の事が好きで助けた訳では無いと知り、少し胸がずきりと痛みます。単なる哀れみ、しかし、私はそれで助けられました。

『そんな軽い理由で、ルシカちゃんを一旦うちの侯爵家の人間にしてあげて、数年後に円満離婚でお金渡して自由にしてあげよって思ったわけよ』
「……離婚は私が黒髪で無いからですか……?」
『えっ黒髪!? ああ、あの心眼使った初日の! 黒髪って言うか黒色好きなだけだから!』
「……でも黒髪の女性に可愛いとか好きとか仰っていました」

 つい唇を噛みしめてしまいます。また涙が滲んできました。
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