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第二章

2-10 燃え上がる獣《バーン・アップ・ビースト》

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 激しく叩かれる扉の近くに居た人が、恐る恐る扉を開く。
 すると、一人の青年が転がるように室内へ入ってきた。
 その青年は長旅を経て辿り着いたのか、薄汚れた外套がいとうを身に纏っており、弾みで脱げてしまったフードからは、汚れでくすんでしまっている金髪が零れ落ちる。
 明るい栗色から濃い茶色の髪色が多いイネアライ神国では、珍しい色合いだ。
 今にも崩れ落ちそうな危なげな様子で前へ歩みを進めていた青年は、誰かを探して周囲を見渡す。
 部屋の中にいる人の中からダレンを見つけると、一瞬だけ泣きそうな顔をしてから駆け寄り、再び大きな声でわめき出した。

「ダレンの伯父さん! ここは危険だから、急いで逃げて!」
「お、おい……お前、ソータか? 息子のウーニオはどうした? 予定よりも随分と早い到着だが……とりあえず、少し落ち着け」
「これが落ち着いていられるかよ! 早く逃げろって!」

 ソータと呼ばれた青年の鬼気迫る言葉を聞いた周囲が騒然とする中、制止しようとするダレンの言葉にも耳を貸すこと無く、青年はただわめき散らす。
 彼の言葉からは、情報らしい情報が入って来ず、「逃げろ」と言うばかりだ。
 これには、キスケとユスティティアも顔を見合わせて溜め息をつくしか無い。
 こうなってしまったソータが人の話を聞かないことを、からである。

「……ユティ」
「判ってます。ああなったら……正気に戻すのはアレしかないですよねぇ」

 キスケが皆まで言わずとも、彼がやろうとしていることを理解したユスティティアは静かに頷く。
 それしかない――それが二人の結論である。
 その結果、どういうことになるのか……それも全て承知した上での結論だ。
 
「え? 先生さんとマスターのお知り合いなんですか?」
「うーん……まあ、そうなるかな。とりあえず、嫌な予感が膨れ上がる一方だから、今は少しでも情報が欲しいし……。彼がこうなった時に聞く耳を持ってくれないってことは、よく知っているんだよねぇ」

 ユスティティアは少しだけ呆れたように呟いたあと、「いつでもどうぞ」と言わんばかりにキスケを見上げる。
 彼は一つ頷き「ごめんね」と呟いてから、ソータの方へ歩いて行く。
 汚れや埃を払えば明るい金髪に青い瞳を持つ彼は、ノルドール王国の特徴を色濃く受け継いでいた。

(私の『加護』の事を知っているから、色々とバレちゃうのは厄介だけど……この村の人たちに危険が迫っているのを見過ごすことはできない)

 ユスティティアは覚悟を持って、キスケの背中を見つめる。
 彼も同じ気持ちであるからこそ、彼女は強い気持ちを持って成り行きを見つめていた。
 
「コホン……ソータ・トレッフ!」

 キスケが大きな声で彼のフルネームを呼んだ。
 ただ、それだけであったが、効果は絶大であった。
 彼はびくっ! と大げさなほど体をビクつかせ、反射的に大きな返事をして直立不動になる。

「前々から言っているとは思うけど、そのパニックになったら人の話を聞かなくなるクセ。直した方が良いよ」
「で、でも、先生、今までの騒動とは桁違い……って……あれ? 先生?」

 恐る恐る声がする方向を見たソータは、そこにいるキスケを見て首を傾げてしまった。
 彼がイメージする教師とは違うイケメンが立っていたので、頭の処理が追いつかなかったのだろう。
 ソータは何とも間抜け面を晒しながら、気の抜けた声で呟く。

「えっと……アンタ……誰?」
「はぁ……ほら、これで判るでしょ」

 アイテムボックスから、例の仮面を取り出して顔につけて見せた次の瞬間、ソータは色々な物が決壊したのか滝のような涙を流してキスケに抱きつく。
 周囲は龍を象った仮面に驚いて一歩下がったが、ソータには関係無い。
 その仮面は彼にとって、信頼できる人の代名詞だったからだ。
 
「あああああぁぁぁっ! キスケ先生だああぁぁぁっ! 先生えぇぇぇっ! 大変なんだよおぉぉぉっ!」
「判った。判ったから、とりあえず落ち着きなさい」
 
 ソータは愛嬌のある顔をくしゃくしゃにしながら、必死に何かを伝えようとするが、しゃくり上げて言葉にならないようである。
 さすがに見かねたユスティティアは、コップに淹れたお茶を手にすると、二人に近づいて無言で差し出した。

「あ、ありが………………え? ゆ、ユスティティア……様?」

 礼を言ってコップを受け取ろうとしたソータは、ユスティティアを見て目を大きく見開く。
 ソータたち平民は、特に未来の王妃になるユスティティアには配慮して生活してきたのである。
 彼女が考えているよりも、彼らはユスティティアの事を見ているし、知っていた。
 髪色を変えただけの変装ではバレて当然だ。
 
「髪色が違うけど……その髪飾りって、ユスティティア様ですよね? ど、どうしてここに……? せ、先生……まさかっ!?」
「違うから。とりあえず、お茶を飲んで落ち着いて状況を説明して。何か急ぎなんでしょ?」
「あ、そ、そうだった! え、えっと……お茶をいただきます」
「はい、どうぞ」

 ペコリと一礼してからコップのお茶を一気に飲み干したソータは、目の前の二人を交互に見て安心したのか、ようやく落ち着きを取り戻したようである。

(王都でも知らない者が居ないほど大きな商家である、トレッフ家の跡取り長男だったはずなのに……でも、パニックを起こしたら手が付けられないところは変わらなかったのね)
 
 彼は大きな障害に直面すると今のようにパニックに陥り、手が付けられなくなると知ったのは入学したばかりの頃であった。
 大きな獣が校庭へ侵入して暴れ回る事件があったのである。
 その時に、魔物と勘違いしたソータがパニックを起こし、誰の手にも負えないほど騒ぎ出してしまったのだ。
 それを重く見たキスケは、竜人族だけが使える魔力にも近い力である龍気を少しだけ含ませた呼びかけで、なんとか正気へ戻していた。
 言うなれば、『咆哮(最小)』のような効果である。
 本来は、相手を萎縮させるために使うものだが、わずかであれば気付けにもなるということだ。
 おそらく、こうなってしまうのは幼少期にトラウマ級の恐ろしい出来事に遭遇したのだろうと、キスケは考えていた。

「それで? ソータは、どうして逃げろって言っていたわけ?」
「えっと……俺、一週間前に神都へ到着したんだけど、そこで、魔物の襲撃にったんだ。神都は結界に守られているから、魔物を弾き飛ばしたのは良かったんだけど……怒り狂った一体の魔物が、周囲の魔物を巻き込んで暴走し始めて……」
燃え上がる獣バーン・アップ・ビーストだね」

 聞き慣れない言葉に、すぐさまユスティティアは反応して問いかける。

燃え上がる獣バーン・アップ・ビーストって何ですか?」
「異界の魔物の中には怒りを力にして進化し、命が尽きるその時まで見境無く暴走し始めるタイプがいるんだ。その魔物は群れを作り、目に付く全てを破壊し尽くしてしまう。その現象を燃え上がる獣バーン・アップ・ビーストと呼ぶんだよ。今回は、防御壁である結界が引き金になったみたいだね」
「ナルホド、スタンピードみたいなものかな。それなら、この暗闇の中を移動するのは危険だと思います。万が一にも進路を変えて、何も無い平野で襲われたらひとたまりもありません」

 即座に判断を下すユスティティアに、キスケも迷わず頷く。
 
「その通りだと思うよ。何が原因で進路を変更するか判らないのに、無防備な状態になるわけにはいかない。迎え撃つほうが良いね」
「私は今から、持っている全ての資材を建材に回して、村の防壁を強化します!」
「資材は俺がまた集めるから、後先を考えずに使っちゃって。それと、豆太郎君。周辺に魔物の気配はあるかい?」
「遠くから近づいてくる高エネルギー反応があります。おそらく、それが燃え上がる獣バーン・アップ・ビーストだと思われますが……正確なルートは計算できません」
「ある程度近づけば判るかい?」
「サーチ範囲内に入れば、正確に割り出せます」
「じゃあ、それは豆太郎君に任せた。ユティ、君は建築物の強化をしてレベルアップを図ってくれないかな。俺一人でもしのげるとは思うけど……万が一の事があるからね」
「了解です!」

 状況を把握して宴どころでは無くなった周囲が顔色をなくしている中、キスケ主導で、ユスティティアと豆太郎が動き出す。
 アイテムボックスに収納していた建築用作業台を取り出したユスティティアは、石や木材を全て投入して建材を作り始める。
 現在作れる建材が石材止まりなので強度に問題はあるが、何重にもすれば一般建築の何倍の強度を有することになるだろう。

「暗すぎて私から状況を把握できないと困りますから、明かりになるたいまつも大量生産しますね」
「任せたよ。俺は底上げしておきたいな。オススメの料理ってあるかい?」
「ソーセージの入っているホワイトシチューが良いですね。HPとSTRが大幅にUPします」
「了解。あと、武器は……アイテムボックスに入っている物を使ってもいいかな」
「はい。私がLv20に到達すれば、解放される武器がありますので、それまではアイテムボックスにある耐久値と攻撃力が最高の武器を使用してください。私は、たいまつを設置してきます!」

 そう言うやいなや、ユスティティアは外へ走り出す。
 その後ろを豆太郎もついていくが、ソータは信じられないものでも見ているかのように彼女を見送り、ポカンと口を開けていた。

「あの……先生?」
「ん?」
「ユスティティア様の『加護』って……【ゲームの加護】だよね? 俺……部屋は違ったけど、友達からそう聞いた。でも……何か俺の知ってる【ゲームの加護】と違う気が……」
「は? 何を言っているんだ。メルの……いや、本名はユスティティアっていうのか? あの子の『加護』は【建築の加護】だぞ」

 ダレンが何を言い出すのかと呆れ顔で否定するが、ソータは必死に首を左右へ振った。
 
「違うって! ユスティティア様はノルドール王国の王太子殿下の婚約者で、王太子妃になる方だったんだ! でも……与えられた『加護』が【ゲームの加護】だったから婚約破棄になって……失踪したって……」
「……失踪?」

 ソータの言葉に反応したのはキスケだった。
 今の今まで、どこからか取り出したシチューを頬張っていたが、聞き捨てならなかったのだろう。
 鋭い目つきでソータを見つめる。

「え、えっと……俺が国を出る前に、王室から発表された内容はそうだったんだけど……もしかして……違うの?」
「違うね。彼女は……国王や元婚約者から死を望まれて、【呪われた島イル・カタラ】へ追放されてしまったんだよ」

 淡々と告げられた真実に、ソータは勿論のこと、周囲の村人も言葉を失った。
 ソータとは違い、村人たちは【呪われた島イル・カタラ】が、どれほど危険な場所か熟知していたからである。
 
「……あの【呪われた島イル・カタラ】へ……追放だと? ノルドール王国の王族は正気かっ!?」

 激しい口調で言い放つダレンと同じく、村人達は怒りを露わにして、ノルドール王国の王族に対して罵詈雑言を並べ立てる。
 おそらく、ユスティティアが聞いていたら驚いていたことだろう。
 だが、それだけ彼らは怒りを感じていたのだ。
 
「え……あの……先生……? 【呪われた島イル・カタラ】って?」
「ノルドール王国から船で三日の距離にある孤島のことだよ。最初に【龍爪花の門リコリス・ゲート】が開いた場所で、未だ異界の魔物が数多く生息する呪われた場所だ」
「あの……女好きのクソ王太子!」

 ソータが怒りのままに叫ぶが、シチューを食べきったキスケは、近くにあった酒を飲み干し、ふぅ……と息をつく。

「あの方角から来るのかな……一角が明るくなったね」

 キスケは窓から見えるたいまつの明かりに目を細める。

「先生……本当に一人で戦う気かよ……あんな数、一人じゃ無理だって!」
「いや、一人の方がやりやすい。ある程度強い人じゃ無いと、俺の力で吹き飛ばしちゃうからね」
「で、でも……多分、30体はいるんだよっ!?」

 その数に、キスケ以外の人たちが息を呑む。
 しかし、彼は動じない。
 むしろ、楽しげな笑みを口元に浮かべている。

「へぇ……じゃあ、その命を捧げて貰うしかないよね。あと少しなんだから」

 それだけいれば、彼女のレベルも上がるだろう――と、キスケは愉快そうに笑う。
 好戦的な微笑みに寒気すら感じて、ソータは言葉を失った。

「キスケ様……あまり無理をなさらないほうが……」
「大丈夫だよ。30体なら、何とかなるでしょ。それに……俺自身、本気を出す感覚を体に覚え込ませないと……そろそろ100年になるからね」
「っ!!」

 その意味を正確に理解した村長が言葉を失い、ゴクリと生唾を飲む。

「まさか、【龍爪花の門リコリス・ゲート】が……」
「そろそろだと思うよ。前回から、それだけの月日が経ったのは間違いない。最近では、魔物も力をつけているし【龍爪花の門リコリス・ゲート】が、この世界に降臨する日も近い。前回の傷が完全に癒えていないのは残念だけど……今回は、ユティがいてくれるから余裕そうだ」
「……せ、先生……何言ってんだよ。ユスティティア様は……戦えないだろ? 貴族の令嬢なんだし……【ゲームの加護】って言ったじゃん!」
「だから、ソレは無いって言っただろう? この建物だって、彼女が建てたんだ。ソータの勘違いじゃ無いのか?」
「嘘だろ……だって……え? 何で? 与えられた加護が変わる事なんてあり得ないし、目撃者や証言も多数あるんだよ?」
 
 その場に神官や司祭もいて、虚偽申告などできるはずもない。
 特に、貴族の……しかも、王太子の婚約者が虚偽申告などしようものなら、神の怒りを買うだろう。
 だとすれば、ソータの言葉が正しいということになる――と結論づけたダレンは、静かにキスケを見つめた。

「前々から思っていたんだが……先生。アンタ……何者だ? そして、メルは……本当に【ゲームの加護】を持つ者なのか?」

 真剣なダレンの声に、キスケは溜め息をつく。
 出来る事なら嘘はつきたくない。
 だが、本人の許可無く話すことも出来ないと、彼は軽く首を振った。

「俺の事なら話すよ。でも、ユティのことは話せない」
「嫌ですねぇ、話してくれて良いですよ? それも承知で、さっきの行動にGoサインを出したんですから。ねー、お豆さん」
「はい! 先生さんが一人で背負い込む必要なんてありません! 僕たちは仲間なんですから!」

 たいまつを設置し終えたのか、扉を開いて部屋へ戻ってきたユスティティアが、明るくそう言い放つ。
 椅子に座ったままのキスケの膝に飛び乗った豆太郎は、走ってきたのかハッハッと舌を出して荒い呼吸をしているが、尻尾をぐるぐる回して上機嫌だ。
 帰ってくる途中で転んだのか、どこかでつけてきた葉っぱを、キスケが指先で取り除く。
 それにお礼を言ってから、豆太郎は自信に満ちたドヤ顔でキスケを見上げた。
 
「到着予定時刻は、今から43分後です。方角は割り出しましたので、マスターがたいまつを山ほど設置してきましたよ!」
「それは朗報だ。ありがとう、二人とも」
「いえいえ。しかし、先生はいけませんねー。背負い込みすぎなのですよ。仲間というのは助け合いです。燃え上がる獣バーン・アップ・ビーストから村を守るためには、ある程度話をしておいた方が良いと思います。詳しい説明は、全てが終わってからでも良いんじゃないですか? 隠せばわだかまりが出来て、そこからほころびが生まれます。チームっていうのは、ソレじゃダメです。この村にいる人たち全員を守りたいなら、やましいことが無いことをシッカリと伝えなければ!」
「いや……やましいことは無いけど……キミの『加護』が規格外過ぎて、彼らの理解を超えているって判ってる?」
「んー……事実を知って、私をノルドール王国へ売る人って、この中にいます?」

 突然の言葉に、全員がギョッとした顔をした後、慌てて首を横へ振る。
 とんでもないという反応に満足したユスティティアは、ニッコリ笑ってキスケを見た。

「私、この村の人たちが好きですよ。それに、トレッフさんは先生が大好きだから、先生の不利になるようなことはしないですよ。みんなを信じて話をしましょう。裏切られたら……その時は、その時です」
「……あのねぇ」
「だって、先生とお豆さんは、絶対に私を裏切らないでしょう? それだけでやっていけますから」

 あっけらかんと告げられた言葉に、キスケは言葉を失う。
 そして、吹き出すように笑い出し、目尻に涙まで浮かべてしまう始末だ。

「先生、笑いすぎですよ」
「豪胆だね! そうだった……キミは、意外と肝が据わっていたんだった」
「ふーふーふー、打倒! ノルドール王国の王族ですからね!」
「マスター……倒すのが目的になっていますよ? ぎゃふんと言わせるんじゃ……」

 ケタケタ笑うキスケに胸を張るユスティティア。
 それを呆れ口調ながらも尻尾を振りながら見つめる豆太郎。

「なんだ……いつもの先生じゃねぇか」
「メルちゃんも、いつものメルちゃんね」
「……え? 俺の知っているユスティティア様と……全然違うんだけど? えっと……アレが素なの?」

 伯父のダレンとレインに困惑の表情を向けていたソータは、周囲が和んでいる状況を感じて戸惑いを覚えた。
 この村で、ユスティティアは常日頃、あんな調子だったのだと知ったからだ。

(やっぱり、俺の知っているユスティティア様と違う……)

 豪胆で、明るくて、優しい。
 輝かんばかりの強さすら内包している彼女に、ソータは言葉も無く、ただ見つめ続けることしか出来なかった。

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