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第三章

3-17 こじらせの予兆

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「とりあえず、帰ってくれないかな。これ以上は迷惑以外の何ものでもないよ」

 キスケの一言に、ランドール以外の全員が頷く。
 しかし、彼はめげなかった。
 こんなところでも前向き……いや、自分に都合良く物事を受けとめられない彼は、彼女の「キモい」という言葉を記憶から消去したようだ。

「い……いやいや、最近の師匠というのは、弟子の恋愛沙汰にも口を出すのかな?」
「恋愛も何も、嫌われているようだからね」
「これが嫌われているように見えるのか? 心外だな」
「いや、キミの頭の中はどうなっているんだい? 本当に心配になってくるんだけど……大丈夫?」

 さすがのキスケも気味の悪い者を見たというような様子で顔を顰めるが、当の本人であるランドールはどこ吹く風である。
 学園生活中にも見た事の無いズレた反応に、先程の言葉で精神崩壊でもしたかと心配しているキスケをよそに、ランドールは大仰に肩をすくめた。

「その年齢にもなって女っ気がないということは、性格に難ありか? それとも、男の方が好きというワケでは……」
「あのね……」
「それとも、星の数ほど女性経験があるのにも関わらず、聖人を気取って私の行動を責めるとでも? そうでなければ、モテない男のひがみかな?」
「さっきから自分はモテているような言い方をしているけど……お金で買われた人を数えてモテたとは言わないぞ」

 今度はソータから辛辣な言葉が飛び出す。
 しかし、彼はそれをものともしなかった。
 
「何を言う。学園生活では取り合いになるほどモテていたのを、お前が知らないわけないだろう?」
「いや、女の尻を追いかけ回している姿しか知らない。しかも、それを見て自分たちにもチャンスがあると思った地位やお金目当ての女ばかり寄ってきただけじゃん」
「な……っ!」
「あのさ……元クラスメイトのよしみで忠告するけど……女を見る目を養った方が良いぞ。お前の元婚約者ほどの女性は、そうはいないと……」
「あんな豚女が最高の女だなんて笑わせるな!」
「お前……舌の根も乾かないうちに……本当に馬鹿だな」
「なんだとっ!?」

 いきりたつランドールがソータに向かって怒鳴りつけるが、それをキスケが制す。
 こんなところで再び剣を抜かれたら、今度こそ無視することはできない。
 それがどういう意味か、さすがのランドールもわかるはずだと思いたいが、この様子では理解しているか怪しく感じる。
 従者達もピリピリしはじめ、ギルドハウスの中には緊迫した空気が流れはじめたのだが、これを壊したのはユスティティアであった。

「あのー、私が貴方の誘いに乗るなんて絶対にあり得ないので帰っていただけますか?」
「……は?」
「気持ち悪いので、絶対にないです。生理的に受け付けません」
「こ、この……私を見て?」
「え? まさか……男は外見だけが良ければ良いと思ってます? 冗談はよしてください。私がピンチになったら、見捨てて逃げそうな人は死んでも嫌です」
「見捨てたりしない!」
「どの口が……」

 今まで淡々と、呆れたような様子で受け答えをしていたユスティティアの声に、底知れぬ怒りが宿る。
 しかし、ここで真実を語るわけには行かないと、彼女は言葉を飲み込んだ。
 自らの感情を鎮めるようにぎゅぅっとキスケに抱きつき、彼の背中に額を預ける。
 それだけで怒り渦巻く心の中が静まっていくのを感じた彼女は、ふぅ……と息を吐いた。

「望みは薄いどころか、本人から拒絶されているんだから、諦めたらどうだい?」

 この状況が続くのはユスティティアの精神に大きな負担がかかると判断したキスケは、一旦、ランドールを遠ざけることを選択したようだ。
 情報は欲しいが、彼女を傷つけてまで得るものでは無い。
 それがキスケの判断である。

「こういう、いかにも爽やかですという風体で優しいことを言う男の方が怪しいと思うのだけどね。キミは騙されているよ。こんな胡散臭い男を師匠として活動しているなんて……彼の方がキミを見捨てそうじゃ無いか?」
「絶対にない」

 とても力強い声だった。
 キスケの後ろから飛び出したユスティティアは、燃えるような怒りを秘めた瞳でランドールを睨み付ける。

「先生は私を見捨てない。私が一人になったとき、途方に暮れて……それでも頑張ろうって決めて、右も左も判らないのに助けを求めることもできなくて……辛くて寂しくて……」

 そこで感情が高ぶったのか、彼女は一旦言葉を止めた。
 呼吸を整えてから再度口を開く。

「何も無いところで生きようと必死に足掻いていた。小さな事に希望を見出し、必死に前を向いた。それでも世界は理不尽で……あっという間に死を覚悟する出来事に遭遇して……本当にダメだって思った。無力だった。悲しかった。一人で死ぬ絶望と寂しさ……そして、私の死を喜ぶ人がいるという事実が、何よりも惨めで……悔しかった」

 当時を思い出して語る。素直な彼女の気持ちだった。
 それを側で見てきたからだろうか、心配して豆太郎が彼女の脚へすり寄る。
 一瞬だけユスティティアは豆太郎へ視線を向けて微笑むと、すぐに表情を引き締めた。
 
 ユスティティアが語ったのは、今だから言葉にできる……いや、今だから言える当時の心境だ。
 この短期間で、あれだけのことを昇華してしまったユスティティアに、キスケは驚いた。

(ああ……だから、目が離せないんだ。俺の知らないうちに、どんどん成長してしまう。目を離せば……あっという間に置いていかれそうだ)

 胸にあるのは焦燥か。それとも、目映い彼女を目にして……彼女が持つ強い心に触れて惚れ直したのか。
 彼は目を細めて、ユスティティアの言葉に耳を傾ける。

「そんな絶望の中で、先生は来てくれた。唯一、私のもとへ駆けつけて救ってくれた。『俺がここに来たから、もう大丈夫だよ』って言ってくれた。その言葉にどれほど救われたか貴方に判る? 絶望の闇で染まった世界を太陽の黄金で満たされたみたいな……私は、あの時の光景を死んでも忘れない」

 力強く言い放ったユスティティアの脳裏には、当時の記憶が再現されていた。
 強すぎる魔物と対峙したときの絶望。
 死を覚悟したときに感じた、ありとあらゆる感情。
 そして、それ全てを打ち払ったキスケという存在。
 彼女の中で、それは奇跡だったのだ。

「だから、先生が私を見捨てる事は無いし、私も先生を見捨てない。絶対に……何があろうとも、この命かけて守り抜く。その邪魔をしないで……貴方にその権利は無いわ」
 
 何も知らない、何もわからないランドールには伝わらないかもしれない。
 しかし、彼の行動の結果、今がある。
 
(先に手を離したのは貴方の方よ、王太子殿下)

 鋭いユスティティアの視線に射すくめられて身動きの取れないランドールに、これ以上かける言葉は無いと、彼女は唇を引き結ぶ。
 本当なら、もっと恨み辛みを言ってやりたかっただろうが、場所や周囲の人のことを考えたのだろう。そういうところがユスティティアらしいところだと、キスケとソータは口元を緩める。

「うわぁ……そりゃ、惚れちゃっても不思議じゃ無いわぁ……うんうん、女の子の憧れるシチュエーションよねぇ」

 静まり返っていた室内に、とんでもなく場違いなのんびりとした声と言葉が響く。
 
「え?」
「だって、絶体絶命のピンチの時に駆けつけたヒーローでしょ? しかも、こんなイケメンが……! 人目もはばからずプロポーズみたいなことを言っちゃうわけだぁ」
「……プ、プロ……えっ!?」
「違うの?」
「ち、ちが……え、ちが……いや、違わないけど、ちがっ……!」

 言葉の意味を理解した瞬間、ぽふんっと音を立てるように真っ赤に染まったユスティティアは、先程までの毅然とした態度はどこへやら。途端にオロオロとし始める。
 そして、自分の言葉を思い出したのだろう。
 絶句したあとに耐えきれなかったのか、真っ赤な顔を両手で覆って立ち尽くす。
 さすがに可哀想になったキスケが動き、彼女の体を包み込むように抱きしめる。

「よしよし、混乱しているのは判っているし、そういう意図があって言っていないのも理解しているから、落ち着きなさい」
「せ、せんせぇ……違うんです、その……違わないけど、違うんですーっ」
「判ってるから、大丈夫だよ」
「すみません、変なこと言ってごめんなさいいぃぃぃっ」
「いやいや、俺は嬉しかったから問題無いし……絶対に見捨てたりしない。それは、俺も同じだからね」
「……っ! は、はい!」

 よほど嬉しかったのだろう。
 手を離してパッと顔を上げたユスティティアの瞳は少し潤んでいる。
 彼女の喜びに満ちた表情は可愛らしく。花が綻ぶような笑みは、言葉で表現できない可憐で愛らしい美しさがあった。

「お前……あんな笑顔、向けられたことある? 恋する乙女って、ああいうのを言うんだよ」

 動けないランドールにトドメを刺すようにソータが囁く。
 あくまでも二人を邪魔しないように立ち回るのが彼のやり方だ。
 そして、それは二人が大好きなロワも同じである。
 ソータの肩にいつの間にか乗っていたロワは、声も無く威嚇した。

「あの二人の間に入る隙間なんて無いの。諦めな」

 元クラスメイトから最終宣告をされたランドールは、ただ立ち尽くす。
 沢山の女性を見てきた。
 心の赴くままに付き合い、別れを繰り返す。
 そんな中で、今の彼女のような笑みを浮かべてくれた人は居ただろうか――。
 ランドールの中に疑問が浮かんだのは一瞬だった。
 それよりも今は、他の男へ向けられる笑顔でも、彼女の可憐な笑顔を脳裏に焼き付けたいと考えてしまったからだ。
 以前の彼からは考えられない思考である。
 
(こりゃ……マズイかも? 別れた後のほうが大変って……本当に迷惑な話だな。メルさんがユスティティア様だと知ったら、コイツ……どうするんだろ)

 いくら考えても、こじらせる未来しか思い浮かばない。
 そんな厄介な元クラスメイトを横目に、ソータは柔らかく微笑み合うユスティティアとキスケの邪魔にならなければ良いと、ただ祈ることしかできなかった。


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