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第四章

4-3 魔魅衆と呼ばれる者たち

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 漆黒の空に浮かぶ蒼白い月。
 人気が無く、明かりもない。
 月明かりだけが頼りの漆黒の塔に、1つの影が降り立った。
 
「やあ、時間通りだね。そちらは大丈夫だったかい?」

 声をかけたのは長身の美丈夫、キスケであった。
 漆黒の闇から姿を現すだけで、圧倒的な存在感が発するプレッシャーを感じる。
 優しい口調と笑顔から想像出来ない、皇帝という地位に居る者が持つ覇気であった。
 そんな彼は、いつもギルドで見かける民族衣装とは違い、黒で統一された身軽な服装だ。
 全身の筋肉を使って物音を立てずに進み出てくる彼に感心しながら一礼したのは、物腰が柔らかくて気弱そうに見える、ランドールの従者であった。

「此方から接触したかったのですが、場所が判らず申し訳ございません」
「ああ……それは仕方ないよ」

 現在、拠点としている場所は【呪われた島イル・カタラ】であるが、大半の時間をイネアライ神国の辺境にある『とんがり屋根の村』で過ごしている。
 ユスティティアが繋ぐ扉の存在を知らなければ、探し出すことすら不可能な移動距離を、毎日行き来しているのだから仕方ない。
 
「俺たちが、【呪われた島イル・カタラ】にいると言ったら信じるかい?」
「……あり得ない話ではないですね。ユスティティア様のお力が……尋常では無い事が判りましたので」

 接触するのが遅れたのは、どうやら、ランドールのせい……という単純な話ではないと悟ったキスケは、好戦的に口元をつり上げる。

「キミのあるじに伝えても良いけど……国へ連れ戻す気なら、敵になると思ってね」
「我があるじに、その気はございません。それに……我が一族は、キスケ様に多大なる恩がございます。協力こそすれ、敵対など考えられません」

 意味深な言葉の後、彼は雲に月光を遮られたため闇に溶けた。
 そして、次に月光の下へ姿を現したときには、獣の耳と尻尾をキスケへ隠すこと無く晒していたのである。
 
「やっぱり、彩雲の国にいた魔魅衆まみしゅうの中でも、諜報をメインに動いていたムジナ族か。【龍爪花の門リコリス・ゲート】は何とか閉じたけど……助けられなかった。申し訳無い」
「とんでもない! 我らでは手も足も出ませんでした。あの時の事――我が一族は貴方様への恩を忘れた日などございません。それに、弱っていた我が国にトドメを刺したのは、ノルドール王国です。宿敵であるこの国へやってきたのも、我が祖国の無念を晴らすため……」
魔魅衆まみしゅうが忠義に厚い集団だという事は覚えているよ。しかし、結構無茶な事をしているね……あの国王は曲者なのに」
「我々には、迷霧めいむの女神様の加護があります故」

 なるほど……と、キスケは目を細めた。
 心優しい幼き女神が、何とか生き残った一族を哀れに思い守護を与えるという話は珍しくない。
 その加護を一族全体で授かっているのであれば、太陽神が文句を言わない限り、彼らの身の安全は保証されたも同然だ。
 そして、太陽神がそれについて文句を言うはずが無いということも、キスケは理解していたのである。

「つまり、迷霧めいむの女神が得意とする幻惑はお手の物というわけか……ソータにも、その術を教えて欲しいくらいだよ」
「彼はかなり良い才能を持っていて羨ましい限りですが……そのせいか、恐怖の精霊に取り憑かれているようで……」
「恐怖の精霊?」
「はい。幻惑関係の力を持つ者は、闇の精霊族に好かれやすいのです。我々は幼い頃からお守りを持たされますが、彼は無防備だったのでしょう。闇の精霊族の中でも面倒な恐怖の精霊が悪さをしている気配がします」
「ああ……それで、ユティのアーティファクトが効果を現しているのか。……って、え……ユティがアイテムで闇属性の精霊を封じているってことっ!?」
「そうなのです。その見極めに時間がかかりまして……」

 つまり、ソータの状態を詳しく把握する必要があったから、目の前の男はキスケへ接触するタイミングが遅くなったということだ。
 ランドールやユスティティアの件で警戒しているのかと思いきや、どうやら違ったらしいと彼は驚いた表情を見せた。
 
「あ、そうか! ムジナ族は下手に闇の精霊に接触すると取り込まれちゃうんだよね。そりゃ、慎重になるはずだ」
「キスケ様が封じているのかと思ったのですが……どうも、力の波動が違ったので……」
「うん。アレはユティの力が創り出した物だからね」
「……あ、あの……あの方は本当に人間ですか? 所持していた武器や内包する魔力が桁違いで……」

 恐る恐る尋ねる彼に、キスケも困ったように苦笑する。
 人間では無いというのは簡単だが、そうとも言い切れない。
 彼女の知識と魂と血。
 全てうまく噛み合った状態が、このような奇跡を起こしているのだ。
 
「その辺は、オルブライトも知っていると思うけど……、彼女の血筋は花竜の血を継いでいるからね」
「花竜っ!? なるほど……それで、人間にしては異様な力が……」

 何やら納得している青年からは、一切の殺気や悪意を感じない。
 うまく隠しているというわけではなく、微塵も感じられないと判断したキスケは警戒レベルを下げた。
 
「ところで、名前をまだ聞いていなかったね」
「あ、すみません! 僕の名前はマオン・ペラーダと言います。表向きは、ここに近い小さな領地を持つ伯爵家の次男坊です」
「じゃあ、マオン。これから、あの子のこともよろしくね。色々あって張り切りすぎるだろうから……」
「オルブライト様のことですね? 少しでもキスケ様の力になりたいと、日々精進しておられます」
「だから、それをセーブしてやって。あのままじゃ、間違いなく倒れちゃうからね」
「承知しました。暫くは、王太子殿下のお目付役として行動しますので、何かあればご連絡ください」

 それは助かると笑ったキスケだが、あることを思い出してマオンを見る。

「そうだ。キミ……べーロスという素材を知らないかい? あの後探しに行ったんだけど、空振りに終わってね……」
「べーロスですか? あんな泥を何に使うんです?」
「……泥?」
「はい。この山の中腹に少し大きな沼があるんですが、その沼でしか採取できない泥のことですね。その沼には力の強い魔物が住み着いていて、百年ほど誰も近づいていないと聞きました」
「なるほど……泥か。泥ね……盲点だったよ。ユティは石だと思っていたようだけど、泥か!」
「まあ……キスケ様なら問題無いと思いますが、沼の主である魔物は泥を纏っているので、生半可な攻撃が通用しません。くれぐれも、お気をつけください」
「ありがとう。助かったよ」

 心から礼を言うキスケに驚いたのか、マオンは慌てて首を左右に振った。
 憧れの人に優しく微笑まれたことで照れてしまったのか、月明かりの下でも判るくらい顔が赤く染まっている。

「お、お役に立てて良かったです。そ、そういう……情報収集は得意なので、困ったときは気軽に……いつでもお尋ねください」
「うん。そうさせてもらうよ。ありがとう」

 ニコニコと笑うキスケは、誰が見ても上機嫌だ。
 これで、ユスティティアが泣くことは無くなったのだと安心しきった様子である。
 彼にとって、ユスティティアに泣かれるのが一番キツイのだから当然かも知れない。

「ああ、あと、書状の返事はコレね。オルブライトに渡しておいて」
「はい! 必ずお届けいたします!」
「それと、ついでにコレをキミにあげるよ」

 放り投げられた物を受け取ると、それは小さな入れ物であった。
 何が入っているのかと見てみれば、白い軟膏のようなものが入っている。

「……傷薬ですか?」
「キミ、生傷が多そうだからね。ランドールの鬱憤晴らしを自分の身で受けているんでしょ? ソレ、とても効くから使うと良いよ。ただし、ランドールには見つからないようにね」
「は、はい。ありがとうございます!」
「お礼はユティに言ってあげて。それを作ったのは彼女だから」

 それだけ言うと、キスケは水晶の翼を広げて天高く舞い上がった。
 手練れのマオンでも目で追いかけるのが難しい速度で消えていく。
 手の中に残された小さな入れ物を眺めていたマオンは、腹いせにと蹴られた横腹の痣にソレを塗り込む。
 鈍く痛んでいたはずなのに、痛みがスッと消え、月明かりの下で確認した打撲痕は跡形も無く消えていた。

「あはは……ユスティティア様……凄すぎでしょ。本当に、王太子殿下も馬鹿だよな。婚約破棄をしなければ、今探している人よりも、もっと素晴らしい方が側にいたというのに……。あの国王の傀儡である内は、しょうがないか……」

 宿敵を思い出し、マオンはすぅっと表情を消す。
 怒り、憎しみ、それら全てを越えた先にある、無の境地。
 鋭利な刃を思わせる気配を一瞬だけ纏った彼は、次の瞬間にはいつもの表情に戻る。

「キスケ様とユスティティア様か……何かに導かれたように邂逅したお二人を、今暫くは近くで見ていられると思うだけで楽しいなぁ。明日はどんなことをしてくれるんだろうか、とても楽しみだ!」
 
 マオンは懐に書状と小さな容器を大切にしまい込み、夜の闇の中を駆け抜けていく。
 物音も立てず走る彼に、三つの影が付き従った。
 二言、三言、言葉を交わして彼らは散り散りに消えていく。

 最後に残されたのは木の葉一枚。
 それも風にさらわれて、彼らがいた痕跡を跡形も無く消し去ったのである。



 ・・✿・✿・✿・・


 
「先生、どこへ行っていたんですか?」

 人知れず抜け出したと思っていた彼は、声をかけられた方へ視線を向けると苦笑する。
 唇を尖らせて仁王立ちしているユスティティアが、柔らかい頬を膨らませて彼を睨んでいたからだ。

「ちょっとね」
「むー……」

 何かを探るように彼の周囲をクルクル回っていたユスティティアは、後ろから彼の腰に抱きつく。
 何故そうなったのか判らず、キスケは戸惑いながらも口を開いた。

「正面から抱きついてくれてもいいんだよ?」
「それは私が恥ずかしいから嫌です」

 後ろと前では、そんなに違う物なのかな……と、キスケは何だか可愛らしいユスティティアの様子に小さく吹き出した。
 子供のように甘えてくるのは、おそらく酔っているからだろう。
 彼女から漂うのは甘い花の香りと酒の匂い。
 探していた素材が空振りに終わり、大層落ち込んだユスティティアを、村全員で元気づけている間に出てきたのでバレないと思ったが、そうもいかなかったようだ。
 ユスティティアが宴会中に抜け出してキスケを探している事を知り、心配してついてきてくれていたのだろうか、少し離れた場所にいたダレンが軽く手を振って集会所へ戻っていく。
 それに軽く頭を下げて礼を伝えたキスケは、腰に回されているユスティティアの手を握る。

「飲み過ぎてないかい?」
「大丈夫ですー」
「本当かなぁ」
「心配なら、先生がずっと側で見ていてください」
「付きまとわれたら嫌じゃないかい?」
「先生はいいんです」

 彼の背中に顔を埋め、くぐもった声を出すユスティティアに、キスケは肩をすくめるしかない。

「わかってないなぁ……俺の方が、ランドールより酷い事しちゃうかもしれないのにねぇ」

 口調は穏やかだが、言っている内容は物騒である。
 そして、纏う空気も一瞬で変化した。
 妖艶な雰囲気に彼女が気づいて「あ……」と思った瞬間、彼は体を反転させてユスティティアを包み込む。

「キミ……判ってないでしょ。俺、本気で口説くって言ってるんだよ? こんなチャンスを逃すと思うの?」
「っ!?」

 腕の中で硬直するユスティティアの耳元で甘く……これ以上とない甘い声で彼女の名を耳元で囁く。
 ただ、それだけだった。
 それでも、ユスティティアには大ダメージだったのか、足元から崩れ落ちる。
 慌ててキスケが支えるけれども、涙目で彼女は彼を睨むと精一杯の憎まれ口を叩く。

「先生の……ばかぁ」
「え? 名前を呼んだだけだよ?」
「そんな風に呼ばれたら、誰だってこうなりますーっ」

 完全に力の入っていないユスティティアを抱き上げたキスケは、楽しげに笑い、彼女が居ないことに気づいて名を呼び探している豆太郎達の方へ歩き出す。

「残念。時間切れか」
「うーっ」
「また、今度ね」

 今度こそ、何も言えなくなったユスティティアは、真っ赤になった顔を隠すように彼の胸へ埋めてしまう。

(それ……逆効果なんだけどな。まあ、俺にしかしないようだし……今は、いいか)

 駆け寄る豆太郎とロワが足元に戯れ付き、ハンターズギルドの町では会話ができない鬱憤を晴らすかのように、二頭は一気に話し始める。
 それに相槌を打ちながら、キスケは彼女が喜ぶであろう報告を携え、みんなのいる集会所へ戻るのであった。

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