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第十三章 グレンドルグ王国

13-12 怒れる者 vs 空気の読めない者

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 セルフィス殿下と目が合ったことで、慌ててベオルフ様の懐へ潜り込んだが、どうやら正解だったようだ。
 いきなり飛び込んできたセルフィス殿下は、王族であるためか、この部屋へ侵入することが出来てしまった。
 おかげで、ベオルフ様の機嫌は急降下である。
 ノエルと紫黒からも、緊張感が漂う。
 え、えっと……みんな? 大丈夫ですか?

「べ、ベオルフ……あ、えっと……あ、ああ、ルナティエラ・クロイツェル嬢がいた気がして……」

 さすがに、今のベオルフ様を刺激するとマズイということは、辛うじて察知したのだろう。
 セルフィス殿下の弱々しい声が、静かな室内に響く。
 
「それで? どうして、彼女がここに居たら、貴方が飛び込んでくることになるのですか?」
「謝罪を……したくて……その……」
「謝罪……? 謝罪をするだけですか?」
「え? えっと……そうだ。先ずは謝罪を……そして、許して欲しいと……出来れば、昔のように楽しく会話が出来る関係に戻りたいと……」

 謝罪という言葉に驚いてフリーズした私とは違い、ベオルフ様の言葉は止まらない。
 それに対して受け答えをするセルフィス殿下は、驚きと共に呆れをもたらす発言ばかりだ。
 自分に都合の良い言い分を、まだ私に押しつけようというのか……
 あれだけのことをしておいて、昔のように? 本当に戻れると考えているのなら、とても残念な頭の構造である。

「ふざけているのか?」

 ピリピリした空気を纏いながらも静まる室内に、ベオルフ様の地を這うような声が響いた。
 これは、怒鳴られるよりも恐ろしい。
 ただ、もっと恐ろしいと感じたのは、その後のセルフィス殿下だ。

「ベオルフ……あの……お前にも謝罪したい」

 この状況で普通に話せるその度胸――いや、無神経さに度肝を抜かれてしまった。
 さすがに、ここまで空気を読めない人だとは思わなかったのである。

 え? ベオルフ様が本気で怒っているって気づいていないのですかっ!?

 溢れる怒りのオーラが私に向けられることは無いと判っていても、それでも怖いのに……向けられている本人が判っていない。
 こっそり懐から顔を出すと、周囲は顔を青から白へと変化させていた。

 そうですよね……オーディナル様もいますし……聞いていますからね。
 
 しかし、意外にもオーディナル様は、ベオルフ様ほど怒りを滲ませていない。
 殆ど無関心の相手へ向けるソレである。
 いや……もしかしたら、ベオルフ様が怒っているから任せているだけなのかもしれない。

「あの時は何も判っていなかった。でも、私は騙されていたのだ……あの奇妙な力に操られていただけで――」

 さすがにマズイなぁ……と考えていたら、ノエルが口を挟んだ。
 
「えー? この人にかけられていた呪いって、普通に解けるような簡単な物だったんじゃないのー?」
「痕跡から見て、それは間違い無い。ルナの両親にかけられていた物とは全く違うから、清く正しい心を持てば、すぐに振り払える程度であったはず。操られていたというのは勘違いだな。自らの欲望に忠実だっただけだろう」

 神獣達が口にする真実を聞いたセルフィス殿下は、見事なほど狼狽うろたえる。
 オーディナル様を祀る神殿から足が遠ざかっていたセルフィス殿下でも、神獣が嘘をつけない生き物だと覚えていたのだろう。
 神殿でオーディナル様の偉業を語ると同時に、御使いであるカーバンクルと神獣について教わる。
 万が一、信じられないような言葉を賜っても、神獣は嘘がつけない神聖なるものであるため、真摯に受けとめること。
 この国に住む者……いや、オーディナル様を神と崇める者たちなら、誰でも知っていることである。

 ノエルと紫黒に詰められて言葉を失うセルフィス殿下は、色々と足りていない。
 居丈高に私を見下していた嫌みったらしい部分は消え失せたが、そのせいで未熟な精神を覆い隠せなくなってしまったのだろう。

「本当に、困ったものですねぇ」
 
 私の呟きが聞こえたのか、それとも私が懐から顔を出して覗いているのがバレたのか、ベオルフ様の大きな手が私の体を包み込む。
 宥めるようにヨシヨシと撫でられて、その手にすり寄ったら、幾分、彼の纏っている気配が和らいだ。

「……ここにいたということは、騎士団の訓練を受けていたのですね」
「そ、そうだが……」
「なら、久しぶりに私がお相手になりましょう」
「……え?」
「国王陛下、父上……よろしいですね?」

 え……本気で言っています?
 今のベオルフ様の実力って、魔物を蹴散らしたアレですよねっ!?

 本人では無いにしろ、力の一端を私の中に残し、暴れていった彼の実力は記憶に新しい。
 リュート様が嬉しそうに駆け抜けて、一緒に魔物を倒していた姿を思い出す。

 あれ? でも、アレは私の体で……本人の体だったら、どんなことになっているのでしょう……?

 背中に冷や汗が伝う。
 
 これは……本気でるつもりでは?
 だから、わざわざ国王陛下にも許可を得た……とか?
 
 さすがに、この状況であれば止めるだろうと思っていたのだけれども、止められる人がいなかった。
 あの国王陛下でさえ、頷く事しか出来ないのだ。

「アイツ……終わったな」

 ラハトさんの呟きが聞こえる。
 私と同じ事を考えていた彼は、祈っているのか、その後は無言だ。
 唯一良かったことと言えば、オーディナル様と時空神様がラハトの言葉を聞いて大爆笑していることだろうか。

 あ、あの……笑っている場合では……
 さすがに、るのはマズイと思いますよっ!?

 心配になってベオルフ様を見上げるが、彼は「心配ない」というように優しく目を細めてくれた。

 ほ、本当に?
 大丈夫ですか?
 
「ベオルフ、そういう話だったら、私とクロイツェル夫人で、その小鳥たちを預かるわ」
「あ、私もご一緒して良いですか?」
「ええ、勿論です」

 ベオルフ様のお母様とアーヤリシュカ第一王女殿下が和やかに話をしている中、ベオルフ様が私に語りかけてくる。

「少し母と一緒にいてほしい。良いか?」
「ぴゅぁ」

 小鳥のような返事しか出来ない。
 彼の手で懐から取り出され、手のひらの上で大人しくしていた私は、ベオルフ様のお母様へ預けられた。
 遠ざかるベオルフ様の背中に不安を覚え、小さく震えるが、なんと声をかけて良いか判らない。
 私の事で怒ってくれている彼にかける、適切な言葉が思い浮かばなかったのだ。

「おい……殺すなよ?」
「やるわけがないだろう」
「お前さ……自分が今、どれだけ凶悪な顔をしているかわかってんの?」
「凶悪犯も裸足で逃げ出すのではないか?」

 どうやら、私から見えないから良いだろうと判断して、先ほどの優しい表情も消え去ったのだろう。
 そうなれば、彼には怒りしかない。
 そんな彼がやり過ぎないように、すかさず声をかけたラハトさんは流石だし、同調するフルーネフェルト卿もベオルフ様の事を理解しているのだと察した。
 
「まあまあ、お二人とも」

 ベオルフ様を心配しているけれども言い過ぎてしまわないように、マテオさんが二人を止める。
 絶妙なバランスで成り立っている仲間なのだと察し、リュート様とキュステさん、そして、黎明ラスヴェート騎士団の面々を思い出す。
 信頼できる仲間……おそらく、ベオルフ様にとって、彼らがそうなのだと考えるだけで心が熱くなった。

 そうこうしているうちに、騎士団の訓練場に到着した私たちは、石造りの椅子が並ぶ観覧席へ移動する。
 私はベオルフ様のお母様の手のひらで鎮座しているだけなのだが、さすがは騎士団長夫人。
 内部の構造にも詳しいようだ。
 先頭に立って訓練が見やすい場所へと案内している。

 訓練場の中央にいるのは、ベオルフ様とセルフィス殿下。
 そこから、少し離れた場所に、国王陛下、王太子殿下、フルーネフェルト卿がいた。
 私たち女性陣は、訓練場の際で立つラハトさんたちの更に後方だ。
 訓練中に怪我をすることもあるし、折れた木剣が飛ぶこともあるらしい。
 その他諸々の理由から、見学者が怪我をしないように配慮して作られた観覧席であった。

 距離的に、それほど離れていない。
 しかし、物理的な距離も、今は少し負担がかかるのかと驚く。
 ベオルフ様たちは騎士団長から、手合わせ中の注意事項を説明されている最中だ。
 
「クロイツェル侯爵夫人。娘さんは良いのですか?」
「し、しかし……ベオルフ様は……」
「あの子は、そんなに心の狭い子じゃありませんし、そうしたほうが喜びますわ」
「……ありがとうございます。ルナ……私のところへ来る?」

 遠慮がちに震える手が差し出される。
 一気に距離を詰めるのは無理だが、それでも歩み寄ろうとしてくれている母を無下には出来ない。
 ベオルフ様の事は心配だが、母と会話をする時間も大切にしよう。
 そう考えて、彼女の手のひらへチョンッと飛び乗ると、ぱあぁっと母の顔が輝き、優しい笑みが零れた。

「じゃあ、ベオルフの母のところには、私が……」

 気を遣ったのか、私が元いた場所へ紫黒がぴょんっと飛び乗る。

「神獣様に来ていただけるなんて嬉しいわ」
「ボクは、アーヤの膝上ー!」
「よーし、撫で回しちゃうぞー!」

 きゃっきゃ喜ぶノエルのおかげで、空気が和む。
 小鳥姿の私が珍しいのか、両親は眺めるだけだったが、次第に指先で頭や背中を撫でてくれるようになった。
 さすがに大人の私にするのは気恥ずかしいのだろうが、今の私なら問題は無い。
 目尻を下げて喜ぶ両親。
 その両親に気を遣ったのか、私を数回撫でただけで、フェリクスは場所を移動して、ラハトの近くへ陣取って話をしはじめた。

 あの子……やはり、兄が誰なのか知っていますよね?

 真相は知らなくても、ラルムであった者が、今はラハトと名を変えてベオルフ様の従者となっている。
 しかも、オーディナル様からも気さくに声をかけられる彼を見て、何を思うのだろう。
 
「おい……先ほどの国王陛下の言葉にもあったが……本当にベオルフ様が【黎明の守護騎士】なのか?」
「あの鎧や武器を見たらわかるだろ? あんな立派な物……人間には作れねぇよ」
「確かになぁ……眩しいくらいの白で、汚れ一つ無いし……」
「じゃあさ……ベオルフ様とルナティエラ様の事を罵っていたセルフィス殿下は……大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないから、コレなんだろ?」

 訓練をいったん中止した新米騎士達の会話が、悪戯な風に乗って聞こえてくる。

「学園出身の奴に聞いたけど、セルフィス殿下の態度が酷すぎたって話だったぜ。婚約者をないがしろにして、他の女にうつつを抜かしてたんだってさ」
「うわ……王族の信用もがた落ちだな」
「オーディナル様が怒って、この国を滅ぼすんじゃ無いかっていう噂も立っているくらいだ。既に、他国へ逃げている奴もいるとか……」
「本気かよ」
「あー、だから、国王陛下立ち会いの下での手合わせなのか」
「いや、粛正かもしれんぞ。オーディナル様の怒りを買ったんだから、仕方ないわな」

 これはとんでもない話だと私は翼で額に当たる部分を押さえる。
 色々な情報が騎士団の新米にも流れているということは、他はもっと酷い事になっている可能性があった。

「考えているよりもマズイ状況だが……我が領地でも、それは確認されている」

 父の小さな呟きを聞き、私は更に頭を抱えてしまう。
 私とセルフィス殿下の婚約破棄が、こんな形で大事になっているとは……

「オーディナル様は滅ぼしたりしないのに……むしろ、滅ぼしたらベオルフ様に怒られるから絶対にしないはず」
「滅ぼすつもりなら、とっくにやってるよねー」

 ノエルの言葉は恐ろしい内容だが、とりあえず滅ぼされることは無いと知り、両親やベオルフ様のお母様の表情が和らいだ。
 
 これはゆゆしき事態だ。
 とりあえず、ベオルフ様がやり過ぎないように注視しなければ……!
 ガイセルク様から差し出された木剣を持ったベオルフ様が、セルフィス殿下と向かい合う。
 
「さて……はじめましょうか……セルフィス殿下」
「お、お手柔らかに……頼む」

 辛うじて聞こえたセルフィス殿下の声は、情けないほど震えている。
 おそらく、ベオルフ様の放つ気配に呑まれているのだろう。
 彼の鋭い視線はセルフィス殿下へ向けられ、まるで獲物を狩る前の獣のような容赦ない冷たい光を宿すのであった。

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