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act.2 reminiscence

彼の事情5

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異変が起きたのは僕の16歳の誕生日を祝う夜会の時だった。
あの日のヴィーは見たこともないくらいに綺麗で、思わず見惚れてしまうほどに美しかった。ロベールにも僕の誕生日のためにヴィーが頑張って準備をしていると聞いていた。だから少し期待はしていたが……正直、期待以上だった。
女神を彷彿とさせる美しい容姿に歳不相応のアンバランスな色気……そこに最近会えていなかったせいで緩んでいた理性が思わずぐらりとくるが、“まだ彼女からの同意は得られていない”と自分を理性で抑え込む。そうして少しムラッときながらも彼女を会場までエスコートした。そんな僕にも純粋な瞳を向けてくる彼女に少し心苦しい思いがあったが、なんとか装って隠しきった。

でもヴィーを見てそんな気持ちを抱くのは僕だけではなかった。彼女を夜会の会場にエスコートした時、男女問わず視線が彼女の方に向くのを感じる。男は見惚れ、女は羨望の眼差しで彼女を見つめる。それくらいに際立って彼女は美しかったのだ。
羨望や憧れといった純粋な気持ちだったら別にいい。けれど視線の中にはそれ以外のものも混ざっているのが気になった。
同じ男だから分かる事だが、男の中には明らかに彼女を性的な目で見ている視線があり、正直ここまで連れて来たのは失敗だったかもしれない……と少し後悔すらし始める。僕のために着飾ってくれたからこそ、他の男まで引き寄せてしまうのは気に食わない。そんなことを考えながら王族用の席でそんな視線を睨み、牽制しながらも座っていると開会の合図が鳴る。そのまま彼女を汚い視線から隠すようにファーストダンスの輪に加わった。

ヴィーが苦手なダンスをきちんとリードしながら踊る。彼女は僕より二歳年下かつ女性のせいか背丈がかなり違う。
年上なのに加えて、それなりに成長が早かった僕に比べ彼女は身長はまだ低いため、彼女が出来るだけ踊りやすいようにと気を遣うのに加え、今回は他の男の視線から隠すため他の人間の陰に隠れるように踊っているから、それなりに大変だ。けれどそんなことに気を遣っていた所為で彼女の異変に気付くのが遅れてしまったのかもしれない。

最後のステップを踏む直前、ヴィーは急に後ろに倒れそうになる。彼女の体重で軽く体が引かれる感覚があったため、直前でなんとか支えられたがかなりギリギリだった。支えるために触れた彼女の背中は汗でぐっしょりと濡れていて、彼女の体調の悪さが尋常ではないという事実を伝える。その事実に体が芯から冷えていくのを感じた。
もしかしたら彼女は今日最初から具合が悪かったのかもしれない。そうだとしたら……。“彼女が僕の為に着飾ってくれた”そんな事実にずっと浮かれて気づけなかった自分に嫌悪感が湧いてくる。すぐに王宮の医務室に連れて行こうとしたが、断られてしまう――曰く、そこまで体調が悪いわけではないのだ、と。

結局ヴィーは独りで先に帰ることになった。僕も夜会を切り上げて公爵邸彼女を送っていきたかったのだが、謝罪と共に断られてしまう……でも僕はその瞳の中に何故か恐怖の様なものがあったのを見過ごさなかった。
“僕は何かしてしまったのだろうか?”
そう思うが、確かめようがない。その日は僕も最低限の社交だけで済ませ、夜会を早めに切り上げさせてもらった……彼女を心配しすぎた故に社交に身が入らなく、見かねた父上に追い出されたともいうが。

***

けれど次の日、すぐに見舞いに行こうとした僕の先触れに届いた返事は思いがけないものだった。面会謝絶。公爵のサインが入ったそれには長々と丁寧に文章が書かれていたが、一言でいうとそう書いてあった。
そんなにヴィーは体調が悪かったのか!?もしかしたら、僕が気づかず夜会なんかに参加させたせいでこうなってしまったのかもしれない、それ以前に彼女は本当に無事なのだろうか――面会謝絶というからにはもしかすると――情報が少ないのもあり、嫌な方ばかりに思考が傾く。
その日は夢見も悪かった。――ヴィーが僕に“さよなら”と言って、目の前からいなくなる夢――嫌な夢だった。
でもそれを夢だと思えない自分もいた。何故かその夢は現実味が非常に強かったのだ。夢だと断言できない。もしも彼女が僕の前から消えてしまったら……怖い。ただ漠然と怖くて仕方がない。僕は彼女がいなくなってしまったら、何を目標に――何を楽しみに生きていけばいいのだろう。
その後は彼女に会いに行くこともできずにただ黙々と執務をこなす。まるで世界から色が抜け落ちた様で、時間の感覚すらない。ただ息をして、やることをこなすだけの生活。早く、少しでも早く彼女の安否を確かめたかった。

数日間、気が気でない日々を過ごした。彼女を失うかもしれない……そう考えるだけで、吐き気が胃のそこから込み上げ、食事も喉を通らなかったために心なしか体が怠い。
それでも彼女に見舞い代わりに毎日花を贈るのは忘れなかった。初日は暫く前の庭園デートで彼女が好きだと言ってくれた温室庭園のウィステリア、次の日は――――という風に彼女が元気になってくれるのを祈って贈り続ける。

そうしてそれを3日続けた日の夕方。先触れの後、ヴィーが直接僕に会いに来た。体調がまだ万全ではないはずなのにここまで来てくれたのが心配でもあったけれど、それよりもなにより会いに来てくれたことが嬉しかった。
彼女の体調を観察しながらも話す。メイクで上手く隠されているが、目元が少し腫れているような気がした。
それに行動の節々に違和感を感じる。彼女は僕と全く目を合わせてくれないのだ。それどころか“殿下”と会話の中で呼ばれたときは耳を疑った。

「……実はあの日からずっと私は体調が悪く、正直殿下の隣に立っていることがこれ以上は…………不可能です。なので私とはもう――――」
「……そう、なんだ。なら、君の体調が治るまで待つよ―――でも、たまには会いに行ってもいいかな?」

“もう”という言葉の後は何と続けるか見当がついてしまって、聞きたくなかった。だからなにもなかったように動揺を押し殺し、“いつも通り”を続けようとした。でも現実はそんなに甘くない。
僕がそのままソレを言わせないように畳みかけようとしていると、急にヴィーは何かを決意したようにこちらを見つめる。今日初めてあの宝石のように美しい金の瞳が僕の姿を写す。彼女の瞳に映ることができたという一瞬の喜びの直後、地獄に叩き落された。

「待たなくて……いいです。アシュレイ殿下、私と婚約解消を――」「それだけは絶対しないよ」

自分でも思っていた以上に大きな声が出てしまう。“婚約解消”という言葉をヴィーの口から直接聞くのは、衝撃以外の何物でもなかったのだ。彼女と婚約を解消するなど冗談じゃない。死んでも嫌だ。彼女を離してなどたまるか……!そんな感情が無意識の内に出ていた。彼女に見放されたら、何のためにここまで頑張ってきたのか分からなくなる。数年ぶりに涙が出そうだった。まるで一条の光も漏れ入らぬ闇の中に叩き落されたようだ。数日前にみた夢を思い出す……ヴィーが僕に“さよなら”と言っていなくなる夢。あの妙に現実味が強かったあの夢だ。

あれを現実にしてたまるか……!

その思いひとつで意志を強く持ち、彼女と瞳を合わせる。曇りのない瞳だ。僕が好きになった瞳……基本的にこれと決めたことは絶対に曲げない彼女の意志を表すかのように真っ直ぐで、穢れを知らない純粋で綺麗な瞳。でも今はその迷いのない真っ直ぐさが心にただただ突き刺さった。

***

結局、婚約解消はなんとか思い留まらせることはできたが、ヴィーは明らかに納得していなかった。それが不安を煽る。
それに加え彼女は療養のために、公爵家の本邸に帰ると言っていた。それが距離と同時に心すらも離れてしまうようで……怖かった。
だから僕は彼女にせめて隣にいられない代わりにあるものを差し出す――僕を忘れないで欲しいという醜い感情故に。これは彼女が僕を本当の意味で好きになってくれたときに渡そうと準備していたもので、歴代の王族も婚約者に贈ってきた由緒ある指輪だ。真ん中に琥珀があしらわれたデザインで、もう既に彼女のサイズに合わせて調整してある。
けれどそれすらも付き返そうという彼女の行動に心がナイフでズタズタに刺されたような痛みを覚える……それでも僕は折れずに彼女にそれを手渡した。もう離れかけている彼女の心をなんとか繋ぎ止めたかったのかもしれない――人の心はモノなんかで縛れない……そんなことは自分が一番分かっている筈なのに。

***

その後暫くは彼女の体調を慮り、敢えて会いに行くのは控えた。でも本音を言うと、また彼女に避けられるのが怖かったんだ……勇気が出なかった。今考えてみると、それもこんなことになってしまった一因かもしれない。過去に戻るのが許されるならば、僕は……。

そうして数日後。怖いけどもうこれ以上我慢も出来なくて、ヴィーに会いに行った。ただ会いたかった……一目でもいいから。それに少し合わない間に彼女の心が良い方に傾いているかもしれないという甘い期待もあった――僕から離れようとしているのを思い直してくれているのでは、と。
そんな甘い考えを持つ程に彼女に会えない間も募っていく溢れんばかりの恋しさと愛おしさにもう頭がおかしくなっていたのかもしれない。

けれど結果は惨敗。訪ねてきた僕に会った時のロベールのあの気まずそうな顔と言葉……そこから全てが察せられたようなものだ――彼のあんな顔初めて見た。
先触れを出したというのに、彼女には明らかに逃げられたのだ。僕の穢れた妄想は打ち砕かれ、現実が突き付けられる。
苦しい。彼女に嫌われたと思うだけで窒息しそうなほどに苦しい思いが心を埋め尽くす。それからも勇気を振り絞って何度か会いに行ったが、明らかに避けられ続けていた。

***

そうしてその後はヴィーに会いに行く決心がつかないまま月日は流れ、次に彼女に会ったのは彼女のデビュタントの日だった。
彼女は以前会った時よりも数段美しく成長し、まばゆいばかりに輝いて見える。
予感はあったが、デビュタントの衣装には僕が彼女の誕生日に贈ったアメシストをあしらったネックレスは合わされていなかった。この国では自分の瞳と同じ色の装飾品を贈ると魔除けになるだけでなく、送った人に自分の想いが伝わるらしい。……そんなものに頼ってしまう程に追い詰められていた。それに、婚約者と言う準王族の彼女を少しでも王族の立場に近づけたかったのもある。父上も若い頃、同じようにアメシストがあしらわれた宝飾品を贈ったらしい。

けれど、彼女はやはり身に着けてなどくれず。迷信はやはり迷信でしかなかった。贈ったものすら身に着けてもらえないなんて、そんなにも僕は嫌われているのだろうか……彼女と目を合わせて話すことができない。今までの僕はどんなことを彼女と話していたのだろう。彼女と会ったら伝えたいと思っていた言葉もある筈なのに、くだらない事ばかりが口をついて出てくるだけで本当に言いたいことは言えず、馬車には気まずい雰囲気だけが流れていた。

会場に着くと、ヴィーを値踏みするような視線が注がれる。向けられる瞳の大半はここ最近療養と言って公爵領に戻っていた彼女を良く思っていない貴族の連中のものだ。
今迄は僕の力で“療養中なのだ”新しい婚約者を立てるべきでは?という意見や、愛人候補の打診だったりを無理矢理に黙らせてきたが、全くこりていないようだ。きっと彼女が少しでも失敗したら、それを餌に引きずりおろそうとするのだろう。相変わらず性根が腐りきっている女ばかりだ。
でも僕にはどんな攻撃からも彼女を守りきる自信がある。ここ暫くの間も彼女が田舎で療養していることを理由に醜悪な噂を立て、婚約者どころか貴族の座から引きずり降ろそうとしていた貴族連中を潰し、自分の娘を僕の側室や愛人候補にしようと画策している大臣共も黙らせた。そんなことで彼女を守れている気になっていたのだからとんだお笑い種だ。それを彼女自身に思い知らされた。

ファーストダンスを踊った時の事だ。
最初のステップを踏んだ瞬間から、昔とは違うことがわかった。彼女は明らかに苦手だとしていたダンスを完全に克服していたのだ。昔は僕が彼女の動きやすいように……とリードしていたが、今は僕が少し重心を移動するだけで次の動きを読んで、危なげもなくついてきてくれる。これ以上ないくらいに気持ちよく踊れるのだ……。
現にそんな彼女のダンスの素晴らしさを悟ったようで、あの気持ち悪い視線はもうなかった。

それに加え、ヴィーはダンス後の貴族との社交の面でも全てを完璧にこなしていた。……きっともう、彼女に対して文句を言ったり、下らない噂を流そうとする貴族は殆どいなくなるだろう。

彼女がどんどん僕の手から離れていくようで怖い。彼女を守れなくなったら、僕はどうすれば良いんだ……どうしたら、彼女を隣にとどめておけるんだ。分からない……でも、僕は彼女を隣に留めておくためなら何でもしよう。

心が引きちぎられた様に痛む。けれど彼女への感情は諦められる程柔なものではない。だから嫌われていたとしても、僕は彼女を他に譲る気などない。
ごめんね、ヴィー……もう僕は君を手放してなんてあげられない。

だってこの数年間で僕の彼女に対する恋慕の思いは強固なモノとなり、もう諦めるなんてことなんて考えられないくらいに僕は君に囚われてしまっているのだから。
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