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《32》兄と義弟

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彼になにかしてしまっただろうか。

思い当たる節があるとすれば、ノックをせず部屋に入ったことくらいだ。
が、アレクシスがそんな事で激怒するとは思えない。

こんな時はどうすれば良いのだろう。
いくつかの選択肢を挙げてみる。



1、何故怒っているのか聞く。

2、笑って誤魔化す。

3、とりあえず距離をとる。



怒っている相手に対して怒っている理由を聞くと、高い確率で神経を逆撫でする。

これは前世で嫌という程経験した事だ。
となれば、最善は2番か3番だろう。

兎にも角にも距離が近い。
いくら義弟だからって、美男子に(物理で)迫られれば動揺してしまう。

ノワは忘れかけていた笑みを取り戻す。


「ア、アレク?分かったから、1回その、離れよう?!」


「なぜですか」


「え?」


無愛想な声が聞き返した。


「だって、近くて·····」


この距離感がおかしい事くらい、説明せずともわかるはずだ。

近くて?、と、聞き返した低音がくすぐったい。
ノワは首をすぼめた。

アレクシスは淡々と言葉を続けた。


「兄さんはいつも俺に抱きついてきたじゃないですか。それもしつこく、何度も」


今更、この距離が近いから、何ですか?と、彼は言い聞かせるように言う。


「でも·····」


言葉が途切れると、部屋はしんと静まり返った。

沈黙に耐えきれない。
アレクシスの腕を掴む。


「ね、1回、出よう?アレクの紅茶も入れたのに、冷め·····」


ノワの腕は、いつの間にかすっかり逞しくなった相手の手に掴み返された。
両手首を扉におさえつけられる。


「兄さんは好きな時に俺に触れていいのに、俺は駄目なんですか?」


距離は更に近づいた。


「俺の好きなようにしたって、文句は言えませんよね?」


確かに今まで、嫌がる彼にしつこく付きまとい、関わりを試みた。


(ひょっとして、これは、その復讐?)



「兄さん、俺気づいてるんです」


前のめりになり、扉にへばりつく。

そうすると彼も身体をかたむけてきた。
背中に硬い体が密着した。

見た目はスラリとしているのに、触れれば服の上からでも鍛えられていることが分かる。
ノワは不覚にもドキリとした。


「都合が悪い時は、笑いながら視線を背ける癖があるでしょう。分かっていながら、俺が何度、その笑顔に·····」


一度口を閉じ、アレクシスは拳を握りしめた。

───ずるい人だ。
無意識なのだから、尚更酷い。


「っ?·····??」


苛立ちを噛み締めるようにため息が漏れる。

ノワは酷く戸惑った。


(う、うわ、なんか·····)


身体中に鳥肌が立つ。

ヒロインでさえ、ここまで密着するイベントはなかった。

アレクシスを振り返る。
目の前に、形の良い唇があった。


「!?」


直ぐに前に向き直る。

程なくして、振り返った方の耳元に、温もりが当たった。


(もう少し振り返るのが遅かったら····)


ノワはギュッとまぶたを閉じた。

義弟相手になんてことを考えているんだろう。
偶然触れてしまっただけだ。アレクシスには、そんなつもりはこれっぽっちもないのに。


(心臓の音、伝わりそう·····)


アレクシスは常識を忘れるほど憤慨しているようだ。

彼の怒りが収まるのを祈る。
が、聞こえてきたのは正反対の言葉だった。


「狂ってしまいそうだ·····」


(あぁ、神よ···)


これ以上おかしくなられたら、今度こそ悪役令息である自分の命が危ない。


ノワは知る由もない。

アレクシスが、自分を愛するあまり嫉妬に狂ってしまいそうなことなど。

密着した距離で、二人の考えは完全にすれ違っていた。

静かな部屋には時計の針の音だけが呑気だ。


「兄さん」


普段は破天荒で煩い兄。
そんな彼は今、自分の腕の中、嘘のように静かだった。


「こっち、見てください」


触れたい。
頬を撫で、口付けをし、誰も触れたことの無い所まで、この手で。

華奢な肩に手を置く。
振り返ったノワに、アレクシスは目を見開いた。


「·····!」


ノワは怯えた目をしていた。
大きな黒目はそっと視線を逸らす。

頭から冷水を被ったような衝撃だった。


「申し訳ありません」

アレクシスは即座にノワから距離をとる。
そして酷い罪悪感に苛まれた。

これ以上怖がらせてはいけない。

部屋から出ようとしたアレクシスは、ピタリと立ち止まった。


「ごめん、アレク·······」










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