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その指
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その指を彼は愛していた。
「毎日、同じ夢を見るんです」
まだ大人になりきれていない中途半端な精神を持つ少年が、ぼんやりとした表情で呟いた。
年の頃は15、6。
短めの金髪に、深い海の底を思わせる青い瞳が良く映えている。
あまり外に出る事がなかったのだろう。少年の肌は、驚くほど病的に白い。
伏せられた長い睫毛。
形の整った薄い唇。
細い指先そのひとつひとつが、完璧なまでに美しい。
まるで少しの妥協も許されず作られた彫刻のようだ。
銀縁の眼鏡越しに少年を見つめる黒い瞳は、闇を閉じ込めた硝子玉に似ていた。泣いているように濡れていて、けれどその瞳からは何の感情も読み取れない。
他色で汚される事を嫌った室内は目に痛いほど白く、一点の染みも許さない。
その部屋に、窓はなかった。
けれど部屋自体が光源であるかのように、そこは眩しいほど明るかった。
現実から完全に切り離された偽りの空間。
行き場を求めて彷徨うのは、少年の唇からこぼれた音のない声。
まっさらなノートに何かを書き記していくインクの音も、
眼鏡をかけた白衣の男が呟く言霊も、
胸の奥に隠れた自分の鼓動音さえ聞こえない。
夢を紡ぐ言葉だけが、絶対的な白い空間に反響する。
「そこには、白い指がありました」
少年の記憶に今も鮮やかに残るその指は、白く細く華奢に見えて力強い。
魅惑的に動く指を思い浮かべながら、少年は恍惚とした表情で宙を見る。
青い瞳が、とろんと揺れた。
「僕は、その指を愛していました」
愛しさからか、少年の瞳から涙が溢れ出す。
冷たい頬に熱を奪われて、涙の粒は顎から膝へぽたりと落ちた。
ゆっくりと伏せられた長い睫毛が、涙に濡れてかすかに光る。
その光景すら、美しすぎて絵になった。
少年の頬を止めどなく濡らす涙は、けれど少年にあるべきものではなかった。
少年の唇を割ってこぼれ落ちる声は、けれど少年にあるべきものではなかった。
少年の胸を裂いて喜びを感じる愛は、けれど少年にあるべきものではなかった。
少年は
それを、痛いくらいに理解していた。
自分が何を思い、悩み、苦しんでいるのかを。
自分がすべきことは何なのかを。
自分が、何であるのかを。
浮かんでは消えていく、白い指の夢。
その指先を狂うほど愛した自分。
結ばれぬ恋に泣き叫び、そして愛しいはずの思いさえ呪った。
手にすることすら叶わぬ思いに恋焦がれ、発狂するその姿はまるで。
……まるで、少年は。
「僕は、人間でした。哀しいくらいに、人間だったのです」
涙は止まらない。
愛しいひとを思う気持ちも止まらない。
けれどふたりは結ばれない。
限りない命が渦巻くこの世界で気紛れな運命に捕われた事は、少年にとって不幸以外の何ものでもなかった。
本来ならば決して手に入れる事のなかったものを与えられ、少年はたったひとりでこの世界に放り出された。それは奇蹟と言う言葉で飾るにはあまりにも残酷で、少年を悪戯に翻弄する悲しみの波でしかなかったのだ。
少年を確かにするものは何もない。
唯一の思いさえ報われずに、少年は命の意味を失っていく。
「望まないものを得たことは不幸でした」
命を持たずともよかった。
仲間のいる棚の隅に飾られて、愛しいひとを見つめているだけでよかった。
命を得ても、熱を持たない不完全な体では、秘めた思いを遂げる事も出来ない。
心をこめて丁寧に自分を作り上げてくれた彼女の白い指を思い出して、少年はゆっくりと目を閉じる。
「その指を、愛していました」
最後にぽつりと呟いて、少年は静かに動きを止める。
向かい合った椅子の上。
そこに眠るは、美しすぎる少年の人形。
作り手を愛した、哀しき人形。
「毎日、同じ夢を見るんです」
まだ大人になりきれていない中途半端な精神を持つ少年が、ぼんやりとした表情で呟いた。
年の頃は15、6。
短めの金髪に、深い海の底を思わせる青い瞳が良く映えている。
あまり外に出る事がなかったのだろう。少年の肌は、驚くほど病的に白い。
伏せられた長い睫毛。
形の整った薄い唇。
細い指先そのひとつひとつが、完璧なまでに美しい。
まるで少しの妥協も許されず作られた彫刻のようだ。
銀縁の眼鏡越しに少年を見つめる黒い瞳は、闇を閉じ込めた硝子玉に似ていた。泣いているように濡れていて、けれどその瞳からは何の感情も読み取れない。
他色で汚される事を嫌った室内は目に痛いほど白く、一点の染みも許さない。
その部屋に、窓はなかった。
けれど部屋自体が光源であるかのように、そこは眩しいほど明るかった。
現実から完全に切り離された偽りの空間。
行き場を求めて彷徨うのは、少年の唇からこぼれた音のない声。
まっさらなノートに何かを書き記していくインクの音も、
眼鏡をかけた白衣の男が呟く言霊も、
胸の奥に隠れた自分の鼓動音さえ聞こえない。
夢を紡ぐ言葉だけが、絶対的な白い空間に反響する。
「そこには、白い指がありました」
少年の記憶に今も鮮やかに残るその指は、白く細く華奢に見えて力強い。
魅惑的に動く指を思い浮かべながら、少年は恍惚とした表情で宙を見る。
青い瞳が、とろんと揺れた。
「僕は、その指を愛していました」
愛しさからか、少年の瞳から涙が溢れ出す。
冷たい頬に熱を奪われて、涙の粒は顎から膝へぽたりと落ちた。
ゆっくりと伏せられた長い睫毛が、涙に濡れてかすかに光る。
その光景すら、美しすぎて絵になった。
少年の頬を止めどなく濡らす涙は、けれど少年にあるべきものではなかった。
少年の唇を割ってこぼれ落ちる声は、けれど少年にあるべきものではなかった。
少年の胸を裂いて喜びを感じる愛は、けれど少年にあるべきものではなかった。
少年は
それを、痛いくらいに理解していた。
自分が何を思い、悩み、苦しんでいるのかを。
自分がすべきことは何なのかを。
自分が、何であるのかを。
浮かんでは消えていく、白い指の夢。
その指先を狂うほど愛した自分。
結ばれぬ恋に泣き叫び、そして愛しいはずの思いさえ呪った。
手にすることすら叶わぬ思いに恋焦がれ、発狂するその姿はまるで。
……まるで、少年は。
「僕は、人間でした。哀しいくらいに、人間だったのです」
涙は止まらない。
愛しいひとを思う気持ちも止まらない。
けれどふたりは結ばれない。
限りない命が渦巻くこの世界で気紛れな運命に捕われた事は、少年にとって不幸以外の何ものでもなかった。
本来ならば決して手に入れる事のなかったものを与えられ、少年はたったひとりでこの世界に放り出された。それは奇蹟と言う言葉で飾るにはあまりにも残酷で、少年を悪戯に翻弄する悲しみの波でしかなかったのだ。
少年を確かにするものは何もない。
唯一の思いさえ報われずに、少年は命の意味を失っていく。
「望まないものを得たことは不幸でした」
命を持たずともよかった。
仲間のいる棚の隅に飾られて、愛しいひとを見つめているだけでよかった。
命を得ても、熱を持たない不完全な体では、秘めた思いを遂げる事も出来ない。
心をこめて丁寧に自分を作り上げてくれた彼女の白い指を思い出して、少年はゆっくりと目を閉じる。
「その指を、愛していました」
最後にぽつりと呟いて、少年は静かに動きを止める。
向かい合った椅子の上。
そこに眠るは、美しすぎる少年の人形。
作り手を愛した、哀しき人形。
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