古書店の精霊

月咲やまな

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第一章

【第五話】「愛があれば、盗聴じみた行為も好意の一環です」④

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「ご馳走さまでした」
 両手を合わせてそう言う私に向かい、「お粗末様でした」とセフィルさんが返す。食事を頂いたお礼にせめて食器を下げようとしたのだが、彼の方が先に動き、全てを片付けてくれてしまった。
「お茶も淹れなおしましょう」
「いえ、もうそこまでは…… 」
 至れり尽くせりで、居た堪れない。
 時間的にも流石にこれ以上長居をする訳にもいかないと思い、私はソワソワと時計を探し周囲を見た。
「…… おや?どこへ行くつもりで?」
 新しく淹れなおしたお茶を私の前に置きながら、セフィルさんが訊いてきた。
 行く宛などどこにも無い為、即座には答えられない。だが、このままココに居るわけにもいかないので困っていると、セフィルさんが私の隣に腰掛けた。
「こんな時なのに、私を頼ってはくれないのですか?貴女は、私の妻になる人なのに?」
 顎をくいっと持ち上げられ、間近にセフィルさんの顔が迫る。キスでもされかねない距離に、私は目を見開いた。

 子供の戯言を、覚えていてくれていた事にも驚いた。あんな…… 三歳か四歳か、そのくらい小さな頃に一度言っただけのごっこ遊びの延長に等しいバカな要求を、忘れてもらえていなかったなんて気恥ずかしくてしょうがない。
「…… まさか、お忘れになってなどいないですよね?」
 顎に当たる手を少し動かし、セフィルさんが親指でスッと私の唇を撫でた。
「もう、私の事など好きではないのですか?」
「え…… いや、あの…… 」

 な、何故私がセフィルさんが好きだってバレてるの?

 焦りから、額にへんな汗が滲む。
 もしかして私の好意はダダ漏れだったのだろうか?確かに高頻度でココへと通ってはいたが、あくまでも客としての距離感で…… あ、私一度も買い物してない。

 きゃ、客ですら無かったぁ!

 近過ぎる距離のままグダグダ考えていると、セフィルさんがクスッと笑う声が聞こえた。
「好きなのでしょう?僕を嫌いになど、なれるはずが無い」
 その通りですとしか答えられない言葉に、更に声が詰まる。このまま『その通りです』と言って甘えてもいいのだろうか?

 私の存在など、“斎藤柊華”の借り物でしか無かったというのに——

「でも、わたしは…… 私じゃ…… 」
 目を伏せて黙り込むと、問答無用で距離を詰められ、私達の唇が重なった。
「んっ⁈」
 重なった私の唇をペロッと舐めるセフィルさんの舌に、体温を感じない。湿った無機質な物が肌を這ったような感触に違和感を感じ、体に寒気が走った。
「まさか、自分ではダメだと言う気では?貴女でなければダメな私にその台詞は、流石に看過出来ません」
 セフィルさんが私の右耳に手を添え、左頬に舌を這わせた。
、私の妻になると言ったのは、

 ——セフィルさんは、絶対に知ってる!

 怖くなった私は反射的に彼の胸をぐいっと押したが、ビクともしない。それどころか逆に、セフィルさんに思い切り抱き締められ、息が詰まる程強く彼の両腕が体に絡みついた。
「あぁ…… いい香りだ。よく熟れた果実のような香りがしますね、貴女は」
 さっきからセフィルさんが一度も私を名前で呼んでいない事にも、今やっと気が付いた。
 腕の中で空気を求め体をもがくが、振りほどけない。彼の体からも一切体温を感じられず、恐怖が私の心を支配する。
「まさか…… 私から逃げる気ですか?ココへ入れば引き返せないと、先にお伝えしたのに」
 耳に添えられていた手が後頭部へとずれ、ギュッと私の髪を鷲掴む。痛くはなかったが、心臓が止まるかと思った。
 体が小刻みに震え、力が抜ける。
 抵抗する気が私から薄れていると悟ったのか、セフィルさんはゆっくりと抱き締める腕の力を緩め、少しだけ距離をとってくれた。
「酷い目にあったのですから、私に全てを任せたらいいじゃないですか」
 そう言い、微笑む顔に影を感じる。病んでいる様なセフィルさんの笑みに、私は血の気が引いた。
「…… 私、まだ…… 何も話していませんよね?」
 震える声で問い、私は自らの体をギュッと守るように抱き締めた。
「ずっとから、全て知っていますよ。…… 貴女の周囲に起こる事は、ね」
 頰を撫でられ、その指先が首のラインに沿って下へとおりていく。制服の首元に指をかけ、縁に添い動いた指が、前へきた。
「聞いて、いた?…… え?」

 まさか、あの場に居たのだろうか?
 あんな情けない姿を、セフィルさんに見られていたの?

「貴女に絵本を渡したでしょう?まぁ…… アレがなくても、勉強熱心な貴女の鞄なら何の問題も無く全てを知れたのですけどね」
 何を言っているんだろう、この人は。…… この、人まで。
 今日は訳の分からないことばかりで、もう何がなんだか、全然理解出来ない。
 いやだ、いやだ…… まさか、セフィルさんにまで裏切られていたの?
 心が引き裂かれ、その傷口に向かい更にナイフを刺し、抉られたみたいだ。目の前の全てが辛い。もう何もかもが嫌だった。
 悲しくて、悲しくて…… 涙も出ない。
「私なら、貴女の知りたい事を全て教えてあげられますよ」
 暗い笑みを浮かべたまま、制服に引っ掛けていた彼の指先が、スッと離れる。
 私の前に手を差し出し、不自然な程綺麗にセフィルさんが微笑んだ。

「全てを、知りたくはないですか?」

 彼の言葉が、悪魔の囁きみたいに聞こえる。
「貴女の全てをくれるのなら、僕は貴女に全てを与えてあげられますよ」
「…… 何を言っている…… ん、ですか?」
「私は貴女の本名だって知っていますよ?貴女が選ばれてしまった理由も、何もかも」
 辛抱強く、セフィルさんは手を差し出したままでいる。
 知りたい…… だけど、すごく怖い。なんで彼が知っているのかもわからないし、それが本当なのか確認する術も思い付かない。
「私が好きならば、何も考えずに身を任せてくれたらいいのに。何を迷うんです?」
 心底理解出来ないと言いたげな顔を横に傾げ、セフィルさんが私の瞳を覗き込む。
「貴女の心を、私への想いだけで染めあげられたらいいのに…… 」
 切なそうに顔を歪めるセフィルさんの表情に、心が痛んだ。
「何故手を取ってくれないのです?貴女を愛しているのに。早く触れたい…… ここまで待ったというのに…… 更にお預けだなんて、酷い」
 責められても、ただ困るだけだった。
「まさかこのまま、私の手を取らない…… つもりですか?」
 スッとセフィルさんの顔から表情が消えた。とても無機質で、人らしからぬ風貌に私は恐怖しか感じず、体を後ろへと引いた。
「そう怯えなくてもいいじゃないですか。私は、貴女を殺したりなどはしませんよ?閉じ込めるくらいならしますけど」
 開いた距離を、詰められる。
「私としては此処に監禁して無理矢理娶ってもいいんですが、そこまでは…… されたくないですよね?」
「ま、待って下さい!もう、私には何を信じていいのか…… 」
 首を横に振り、ソファーに座ったまま更に下がる。それでも追われ、私は立ち上がって逃げようとしたが、即座にセフィルさんが私の上へと覆いかぶさってきた。
「貴女は私だけを信じればいいんですよ。夫となる、私だけを」
 セフィルさんがそう言い、右目に付けている銀色のモノクルを外す。途端に彼が持っていたはずのモノクルは消えて無くなり、複雑な魔法陣の描かれた眼球と私は目が合った。
「…… その、目は一体?」
 濃紺色の魔法陣の刻まれた瞳に私は吸い込まれそうな錯覚を感じ、無意識に手を伸ばす。彼の眼球に触れるつもりは全く無いが、触れるか触れないかみたいな仕草でセフィルさんの顔の前で手を揺らした。

「私は、今では最古となってしまった…… “本の精霊”です。それを知っても、貴女は僕を信じてくれませんか?」

「…… せ、せいれい?」
 また、何か別の日本語と間違えたのだろうか。
「この目はどう見ても人のモノでは無いと思いませんか?…… まだ証拠が足りないと?」
 確かに、人の目としてはあり得ないとは思う。だが、眼球にするタトゥーもあると聞いた事があるからそれかもしれない。それ以前に、精霊だって言われても、そんな者が現実にいるはずがないので納得など出来ない。
『なんて散々な日なんだ、憧れの人に妄想癖があったなんて…… 』と、落ち込む材料くらいにしかならなかった。
「では、これならどうでしょう?」
 セフィルさんがそう言った瞬間、ソファーに居たはずだったのに、私達は彼のキングサイズのベットの上へと寝転んでいた。
「え⁈」
 驚き、周囲を見渡す。
 私は今さっきまで絶対に制服を着ていたはずなのに、普段着ることの多いお気に入りのパジャマ姿に変わっている。セフィルさんも、灰色をした薄手の夜着へと変化していた。
「な…… いつの間に?」
「これで、私が人では無いと信じてもらえましたか?」
 ニコッと微笑まれたが、もう私のキャパシティは限界に達し、その場で気を失ってしまったのだった。
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