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第三章 宿命編

目覚めてしまった妖力

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 デレクが京都へ出発した翌日、紫蘭は子供たちを連れていちに来ていた。元気すぎる子供たちは家の中では満足しない。かといってデレクがしてやるように遊びの相手は紫蘭には難しかった。だから今日は、いつもとは違う少し離れた市にでかけることにしたのだ。

「かあさま、いっぱい」
「いろんな店が出ているわね。あ、二人とも離れないでね」
「かあさま、あれはなに?」

 見るもの全てが子供達には珍しかった。竹で編んだ籠は鳥の格好をしているし、風車が三連になって互い違いに回ったりしている。子供たちはうずうずして今にも駆けて行きそうだ。それでもまだ母の言いつけを辛うじて聞いているといったところだ。

「山崎先生にもお土産を買っていこうかしら。なにがいい? たけるちゃんは何がしいかしらね」
「にいには、これー」

 木でできた玩具を手に取りこれはどうだと楓が言う。蓮は座り込み何やら玩具の吟味をしている。瞳を輝かせて笑顔を見せる我が子を見て、紫蘭はここまで来てよかったと思った。

 
 あの日の出来事は夢だったのかもしれないと思った。よその子供たちと何ら変わらないではないか。あれは自分が動転して見た幻覚だったに違いない。デレクと遊んで怪我をしても舐めるといった素振りは無かったではないかと。

「いいわね。これを買いましょう」
「かあさま」
「どうしたの、蓮」

 蓮も控えめではあるが、これが欲しいのだとメンコを指さした。

「いいわよ買いましょう。楓はお人形はいらないの?」
「かえも、れんといっしょがいい」

 こんな会話にすら紫蘭はほっとした。二人は間違いなく人間の子だ。活発すぎるのはデレクの血を引いているからだと言い聞かせた。

 辺りを見渡せば珍しい玩具が増えた。西南戦争が終わると、日本は外国との貿易が盛んになり、それのおかげで日本にはなかったものが増えた。着物が主流だった国民に洋服を着る流れが少しずつ出てきた。もちろん商売で成功している裕福な流れの人間に限られていたが、日本は確実に世界に溶け込もうとしていた。

「これをください」
「へい。おおきに」


 紫蘭は店主から土産を含めて三人分の玩具を買った。あとはまた来た道をのんびり帰ろうと、紫蘭は子供たちの方を振り向いた。

「え、楓っ……蓮!」

 ほんの僅かな時間だった筈だ。その僅かな時間に二人の姿が見えなくなってしまった。通りは行き交う人でごった返し、時々たくさんの荷物を積んだ馬車が通り過ぎる。そして土埃が舞い上がり視界が悪くなる。こんな場所で見失ってしまった事に紫蘭は焦った。

「すみません! 男の子と女の子の双子の子供を見ませんでしたか」

 手当たり次第に紫蘭は尋ねた。しかし誰も見ていないと首を横に振る。

「子供を見かけませんでしたか? 男の子と女の子です」

 大きな声で叫ぶようにしながら、通りを紫蘭は流した。人々はそんな紫蘭を避けるかのように道を開けた。そして誰かがこう言った。

『神隠しにおうたんかのう』と。

(神隠し……! まさか)
「かえでー! れーんっ!」

 通りをなん往復も流した。子供が興味を持ちそうな小路も、空き家も、小川も全部立ち寄った。なのに、二人が寄った痕跡は見つからなかなった。とうとう紫蘭は、街の外れにある祠の前で崩れるように座り込んでしまう。

「どこに、行ってしまったの……どこに」









 キュイーン……、キュイーン……

 遠くから聞こえる動物の鳴き声に、紫蘭はドキリとした。それはあまりにも懐かしい声だった。紫蘭が赤子の頃から、そしてほんの数年前までともにしていた彼らを思い出させたからだ。なぜ、それが今、聞こえてくるのか。

「お狐様が、いらっしゃる。どこに……」

 ゆっくりと、紫蘭は立ち上がった。その鳴き声が聞こえる方へ足を向けた。すると、人ひとりが通れる程度の細い階段が現れた。そこには朱色の鳥居が幾重にも重なるように建っている。紫蘭は何かを感じたのかゆっくりと階段を上る。上り始めると、周りの空気が変わったのが分かった。


 ツンと刺すような冷たく澄んだ空気が紫蘭の体を包み込んだ。最後の段を上がったところで、古びた小さな社が目に入る。

「こんなところに、御社が」

 風がさわさわと木々の葉を揺らし、足元で木漏れ日がちかちかと煌めいた。

 キュイーン、キュイーン

 さっきよりも近くに、鳴き声が聞こえる。

「かえもー! かえものりたい。れん、おりて」

(楓!)

 確かに楓の声がした。

「楓! 蓮!」

 紫蘭が二人の名を叫ぶと、なんの音もしなくなった。風さえも吹かないのだ。それに紫蘭は恐怖を覚えた。

「それは私の子です! 連れて、行かないでくださいまし」

 ザザーっと、風が紫蘭を撫で付けるように吹き抜けた。着物の袖で顔を隠し埃を避けた。すぐにその風がおさまると柔らかな陽が足元を差した。

「かあさまー」

 楓が紫蘭を見つけ走ってきた。紫蘭は目を見開いて、かけてける我が子を両手で受け止める。

「楓。蓮はどこにいるの。一人ではないわよね」

 紫蘭はできるだけ心を落ち着かせて問いかけた。すると楓は悪びれた様子もなくにこにこと無邪気な笑顔を紫蘭に向けた。

「れん、おじさんといっしょ」
「そのおじさんは、どこっ」
「あっち」

 紫蘭は楓を抱き上げると、楓があっちだと指差す方へ足を進めた。

(お願い、蓮も無事でいて!)



 社の後ろに回ると大きな杉の木がそびえ立ち太い縄が巻かれてある。それは御神木だとすぐに分かった。その御神木の前に大人の男と蓮が座っていた。

「蓮!」

 紫蘭は走り寄るとひしっと蓮を抱きしめた。

「蓮……よかった。よかった、無事で」
「かあ、さま」

 強く抱きしめる母に苦しいと言えずに、蓮は暫くされるがままでいた。そんな中、隣にいた男が口を開いた。

「親子の再会だ。うん、よかった」

 そこでやっと紫蘭は男の存在に気づいた。自分と同じか少し若く見える人の良さそうな男。着物ではなく洋服を着ていることから、恐らくそれなりに地位のある人間だろうと紫蘭は思った。

 明治政府発足後、政府は国民に着物ではなく洋服をすすめた。外国と渡り合うには国民の品性も大事であるという理由だ。特に政府は女性が着物を着崩して、肌が露出することを嫌った。野蛮な国だと思われたくないからだ。しかし、庶民には洋服など手の届かない高級なものだった。故に、目の前の男はそれなりの裕福な家柄、もしくは国に関わる職務をもった者となる。

「あの、あなた様は」
「私のことですか。なんと説明をしたらよいか……まあ、その。研究者、とでも言っておきましょうか」
「研究者」

 男は説明しあぐねているのか、ぼそぼそと知りすぼみに言葉を紡いだ。

「かあさま。おじさん、キツネさんとなかよし」

 楓がいつもの無邪気な笑顔で言う。

「狐さんと仲良し、なの?」
「かえとれんも、キツネさんとなかよし」

 まさかと、紫蘭はどきりとした。背中を冷たい汗が伝う。いや、ここは本当に狐が現れるのだろう。近くに市が出るから、そこにある食べ物目当てで野狐がやって来たのだと、紫蘭は自分に言い聞かせた。

「いやいや、驚きましたね。この子たちはお稲荷さんと会話ができる。さっきも三体ほど使いの狐と遊んでおりました」
「なっ、何を、仰っているのか分かりませぬ。さあ、楓、蓮、かあさまと帰りましょう」
「かえ、かえりたくない」
「わがまま言わないで。お空が暗くなってしまうから」
「かえ、ここがいい」
「……れんも」
「えっ、どうして。あなた達はここに居てはいけないの。とおさまとかあさまの家に帰るのよ。さあ」

 紫蘭は必死だった。早くここから去りたかったからだ。ここは駄目だと紫蘭の本能がそう叫んでいた。

「帰るのよ!」
「やだっ」
「楓! 蓮! 言うこと聞かない子は、置いていきます」
「ここが、いい!」

 紫蘭は泣きたくなった。いつもは聞き分けのいい楓が聞かない。蓮に至っても無言の抵抗を続けている。

「お願いっ、かあさまの言うことを聞いて……」

 紫蘭は膝をついて、二人を説得しようとした。でも、首を縦に振らない。小さな唇は固く引き結ばれ、嫌だと訴えている。

「あの、余計なお世話ですが彼らに言っても聞きませんよ。彼らは自然のままに生きたいのですよ、きっと」

 男は何もかも知っているような口ぶりでそう言った。

「あなたに、何がわかるのです。この子たちの母親は私です。あなたには関係ありません」
「確かに私には関係ありません。この世には説明のつかない事柄がたくさんありますし、それを否定も肯定もしません。しかし、押さえつけてしまうと、反動が現れるものです。目に見えるもの、見えないもの、感ずること、察すること、悩み、恐れ、物理的、心理的、神仏、みな……妖怪の仕業なりってね」
「今……なんと!」

 紫蘭は目を剥き言葉を失った。
 この男はいったい何者なのか。

(妖かしを、知っているーー!!)

 紫蘭はすぐさま二人を引き寄せて抱き込んだ。命に代えても、我が子は守ると鋭い視線を男に突きつける。それを見た男は息をのんだ。

「これは……なんと立派な……」

 そこには大きな雌狐が二匹の子狐を庇う様に立っていた。

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