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無償の愛
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土屋さんが殺された。
嵐のように雨風が吹き荒れた夜、メゾン城田の横にある小さな公園で、彼女はうつ伏せの状態で倒れていた。
土屋さんの体には複数の傷があったが、直接の死因は後頭部への打撃による脳挫傷。
凶器となったのは公園の花壇を囲むコンクリート製のブロックだ。花壇といっても生えているのは雑草だけであり、ブロックも一部が崩れたまま放置されていた。
「犯人」はそれを手にし、土屋さんを背後から襲ったと見られる。
現場は地面が雨に流されているが、彼女が倒れていた滑り台の下は部分的に土が乾いており、足跡がはっきりと残っていた。
「犯人」のものと思しき足跡は男性用の革靴。鑑識の靴裏データ照会により、メーカーとデザインが即座に判別された。
何もかも雨ざらしになった現場において、それは「犯人」を特定するための大きな手掛かりになると警察は言う。
だけど、私には分かっている。
「犯人」が誰なのか、考えるまでもなかった。
『古池店長だと思います。ここまでやるなんて、信じられないけど』
私は初動捜査の現場で、店長と土屋さんの関係について東松さんに話した。そして、あの二人と私の関わりも。
東松さんは黙って聞いてくれたが、どこか納得できない様子でもあった。
『土屋さんが一条さんを呼び出したのは、古池店長と三人で話すつもりだった。そういうことですか?』
東松さんの問いに、私はしっかりと頷く。今となっては、そうとしか考えられない。
『店長は今日、仕事が休みだったわ。そうだ、今すぐ電話してみます!』
『一条さん、落ち着いてください』
東松さんは冷静な口調で、興奮する私をなだめた。
『捜査は我々が行います。その前に聞かせてください。土屋さんは、何の話をするつもりだったんでしょう』
『分かりません。あの人は私をライバル視していました。仕事だけでなく、店長についても。私にはまったくその気がないのに、勝手に絡んできて……三人で会って、浮気の件をはっきりさせるつもりだったに違いありません』
しかし私が到着する前に店長と揉めて、殺されてしまったのだ。
『とにかく彼女は私に対抗心剥き出しで、いちいち競いたがるんです。あっ……』
私はそこで、例の傘に思い至った。
『あの、東松さん。土屋さんのそばに傘が落ちていましたよね。ピンク地に黒のストライプが入った。あれ、コンビニで盗まれた私の傘です』
『被害者のものじゃなかったんですか』
『すみません。さっきは動揺してぴんとこなかったけど、今、はっきりしました。傘を盗んだのは土屋さんだったんです』
だから、こんなところに転がっていたのだ。そういえば、他に傘は見当たらない。つまり土屋さんが今夜、あの傘を差していたということ。
『一条さんの傘を彼女が盗んだ。何のために?』
『土屋さんは人のものが欲しくなる癖があると、同僚が言っていました。というより、とにかく私を目障りに思っていたし、嫌がらせでしょう。今夜も、三人で話し合うのではなく、ただ困らせたかっただけなのかも』
死者を悪く言うのは気が引けるが、そう考えると辻褄が合う。
彼女の子どもっぽい挑発に、私は乗ってしまったのだ。
やっぱり、公園に来るべきではなかった。智哉さんの言うとおりにすれば、巻き込まれずに済んだのに。
後悔に苛まれる私を見下ろし、東松さんは何か考えている。
『……一条さん、一つ確認します。あなたは日頃、土屋さんや古池店長の言動に悩まされていた。それを誰かに相談しましたか』
少し唐突な質問に思えた。
『ええ……アルバイトの山賀さんという人に。あと、エリアマネージャーとコンプライアンス部門の人にも話しましたが』
『いや、職場の人ではなく、もっと身近な人物。例えば……』
東松さんは、私の頭越しに視線を投げる。振り向くと、規制線の外に立つ智哉さんがいた。
雨の中、こちらをじっと見つめている。
『も、もちろん相談しました。彼は、私が一番頼りにする人ですから』
『そうですか』
東松さんのコワモテがより怖く感じられるのは、気のせいだろうか。
『あの、それが何か』
まさか、智哉さんを疑っているのかしら――
バカな考えが浮かび、すぐに打ち消す。いくらなんでも、その発想はない。第一、智哉さんはついさっき、ここに来たばかりではないか。
東松さんはそれ以上智哉さんに触れることなく、話を元に戻した。
『土屋さんと店長が揉めたとすると、理由は浮気の件か、それとも子どもを産む産まないの話か。いずれにしろ、本人に事情を聞くほかないな……』
東松さんは私に少し待つよう言い置き、土屋さんの遺体がある滑り台の下に入った。シートに囲まれた中で、彼女の検視が行われている。
東松さんはじきに戻ってきた。
『土屋さんは、妊娠二カ月と言ってましたか』
『はい』
そうだ。彼女は店長の子を身ごもっていた。私は思い出して暗い返事をするが、
『検視によると、妊娠していないそうです』
『えっ?』
『揉めた原因は、その辺りかもな』
私は愕然とした。だって、あんなに辛そうにしていたのに。
『でも、最近の土屋さんは体調が悪かったですよ。トイレで吐いたり、つわりの症状が出てたから、てっきり……』
東松さんは首を横に振る。私は、何か間違ったことを言っただろうか。
『吐いたのは別の理由です、たぶん。まあとにかく、今の話は参考になりました』
嵐のように雨風が吹き荒れた夜、メゾン城田の横にある小さな公園で、彼女はうつ伏せの状態で倒れていた。
土屋さんの体には複数の傷があったが、直接の死因は後頭部への打撃による脳挫傷。
凶器となったのは公園の花壇を囲むコンクリート製のブロックだ。花壇といっても生えているのは雑草だけであり、ブロックも一部が崩れたまま放置されていた。
「犯人」はそれを手にし、土屋さんを背後から襲ったと見られる。
現場は地面が雨に流されているが、彼女が倒れていた滑り台の下は部分的に土が乾いており、足跡がはっきりと残っていた。
「犯人」のものと思しき足跡は男性用の革靴。鑑識の靴裏データ照会により、メーカーとデザインが即座に判別された。
何もかも雨ざらしになった現場において、それは「犯人」を特定するための大きな手掛かりになると警察は言う。
だけど、私には分かっている。
「犯人」が誰なのか、考えるまでもなかった。
『古池店長だと思います。ここまでやるなんて、信じられないけど』
私は初動捜査の現場で、店長と土屋さんの関係について東松さんに話した。そして、あの二人と私の関わりも。
東松さんは黙って聞いてくれたが、どこか納得できない様子でもあった。
『土屋さんが一条さんを呼び出したのは、古池店長と三人で話すつもりだった。そういうことですか?』
東松さんの問いに、私はしっかりと頷く。今となっては、そうとしか考えられない。
『店長は今日、仕事が休みだったわ。そうだ、今すぐ電話してみます!』
『一条さん、落ち着いてください』
東松さんは冷静な口調で、興奮する私をなだめた。
『捜査は我々が行います。その前に聞かせてください。土屋さんは、何の話をするつもりだったんでしょう』
『分かりません。あの人は私をライバル視していました。仕事だけでなく、店長についても。私にはまったくその気がないのに、勝手に絡んできて……三人で会って、浮気の件をはっきりさせるつもりだったに違いありません』
しかし私が到着する前に店長と揉めて、殺されてしまったのだ。
『とにかく彼女は私に対抗心剥き出しで、いちいち競いたがるんです。あっ……』
私はそこで、例の傘に思い至った。
『あの、東松さん。土屋さんのそばに傘が落ちていましたよね。ピンク地に黒のストライプが入った。あれ、コンビニで盗まれた私の傘です』
『被害者のものじゃなかったんですか』
『すみません。さっきは動揺してぴんとこなかったけど、今、はっきりしました。傘を盗んだのは土屋さんだったんです』
だから、こんなところに転がっていたのだ。そういえば、他に傘は見当たらない。つまり土屋さんが今夜、あの傘を差していたということ。
『一条さんの傘を彼女が盗んだ。何のために?』
『土屋さんは人のものが欲しくなる癖があると、同僚が言っていました。というより、とにかく私を目障りに思っていたし、嫌がらせでしょう。今夜も、三人で話し合うのではなく、ただ困らせたかっただけなのかも』
死者を悪く言うのは気が引けるが、そう考えると辻褄が合う。
彼女の子どもっぽい挑発に、私は乗ってしまったのだ。
やっぱり、公園に来るべきではなかった。智哉さんの言うとおりにすれば、巻き込まれずに済んだのに。
後悔に苛まれる私を見下ろし、東松さんは何か考えている。
『……一条さん、一つ確認します。あなたは日頃、土屋さんや古池店長の言動に悩まされていた。それを誰かに相談しましたか』
少し唐突な質問に思えた。
『ええ……アルバイトの山賀さんという人に。あと、エリアマネージャーとコンプライアンス部門の人にも話しましたが』
『いや、職場の人ではなく、もっと身近な人物。例えば……』
東松さんは、私の頭越しに視線を投げる。振り向くと、規制線の外に立つ智哉さんがいた。
雨の中、こちらをじっと見つめている。
『も、もちろん相談しました。彼は、私が一番頼りにする人ですから』
『そうですか』
東松さんのコワモテがより怖く感じられるのは、気のせいだろうか。
『あの、それが何か』
まさか、智哉さんを疑っているのかしら――
バカな考えが浮かび、すぐに打ち消す。いくらなんでも、その発想はない。第一、智哉さんはついさっき、ここに来たばかりではないか。
東松さんはそれ以上智哉さんに触れることなく、話を元に戻した。
『土屋さんと店長が揉めたとすると、理由は浮気の件か、それとも子どもを産む産まないの話か。いずれにしろ、本人に事情を聞くほかないな……』
東松さんは私に少し待つよう言い置き、土屋さんの遺体がある滑り台の下に入った。シートに囲まれた中で、彼女の検視が行われている。
東松さんはじきに戻ってきた。
『土屋さんは、妊娠二カ月と言ってましたか』
『はい』
そうだ。彼女は店長の子を身ごもっていた。私は思い出して暗い返事をするが、
『検視によると、妊娠していないそうです』
『えっ?』
『揉めた原因は、その辺りかもな』
私は愕然とした。だって、あんなに辛そうにしていたのに。
『でも、最近の土屋さんは体調が悪かったですよ。トイレで吐いたり、つわりの症状が出てたから、てっきり……』
東松さんは首を横に振る。私は、何か間違ったことを言っただろうか。
『吐いたのは別の理由です、たぶん。まあとにかく、今の話は参考になりました』
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