残りの時間は花火のように美しく

雨宮 瑞樹

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美羽の決意

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 授業が終わるとほぼ同時に、美羽は急いで机のものを鞄に閉じ込めてゆく。そんないつもと違う姿をちらりと見た文乃は「ねぇ」と声をかけた。
「大隈先輩のところ、私も一緒に行くよ」
 突然の申し出に美羽は驚いて、見見返していると文乃はいった。
「だって……美羽、逃げる気でしょ?」
 文乃の容赦ない指摘に、美羽の逃げたかった気持ちが袋小路に追いやられて行き詰まる。
 片付け終わり始めていた手が行く道を失って立ち止まってしまったが、文乃は構わずカラッと笑った。
「美羽ってわかりやすいよね。私も人のこと言えないけど」といいながら豪快に笑う。

 嘘や隠し事が苦手なのは母からしっかりと受け継いでいることを自覚している美羽は、はぁっと体の奥底から深いため息を漏らした。
 血が少なくなったんだから、その分不都合なところも薄まってくれればよかったのにと思う。変わらなかったものより変わったことの方が断然多いのにそういうところだけは消えずに残っているのだから、もう笑うしかない。馬鹿が付くほどに正直な自分が恨めかった。
 湿っぽくそんなことを思っている美羽の横で文乃は、相変わらず明るく言った。

「そうはさせないわよ。連絡しちゃった手前、大隈先輩のところにちゃんと行くところまで、この目でしかと見届けるから。じゃないと私が先輩に八つ裂きにされるわ」

 そんな怜を想像もできないなと笑っていると、思いがけず文乃の真面目な声色が飛んできた。

「それとも、嫌いになっちゃったの? 大隈先輩のこと」
 「まさか、そんなわけないじゃない」即座に否定する言葉が出てきて、美羽自身も驚いていると、どこかほっとしたような顔をして文乃は続けた。

「なら、話は簡単。頭を空っぽにして、とりあえず会おう。私はさ、恋とかよくわからないけど、折角付き合ったんだったら楽しくいたいじゃん。美羽も大隈先輩も頭でっかちになりすぎて余計なこと考えすぎなんじゃない? 難しいことを考えるのはとりあえず全部後回しにしてさ、自分の気持ちに素直になればいいんだよ。悩んだり後悔するのは、行動してから考えよう」
「ね?」と、文乃は美羽を覗き込む。
 大きな鏡のような瞳に美羽をいっぱいに映しだしていた。キラキラしたどこまでも真っすぐな目。
 その瞳を見たら、自分がどれほど臆病者なのか感じずにはいられなかった。こんなに風に仕上がってしまったのは、この病気のせいだと思っていた。だけど、本当はこの身体のせいじゃなくて、ただの本来の弱い自分自身のせいなのかもしれない。どこまでも真っすぐで、傷つくことを恐れない文乃を見ていたら、ずいぶんと自分自身を甘やかしていたんだと思えた。
 
 文乃は行こうといって美羽を連れだって教室を出た。大隈先輩がどこにいるのかちゃんと把握してるのよ、と文乃は得意げに笑う。その背中を少し後ろから美羽は追いかけた。迷いなく隣の建物に歩みを進める文乃のぶれない背中がいつもより大きく見えて、足がすくんでしまいそうだった。
 怜がいるという校舎に入り、二階に上がってすぐの教室の開いている後方のドアから文乃は躊躇なく中を覗き込んだ。

――――――
 
「渡さーん!」
 よく通る元気な声は授業が終わって閑散とした教室によく響いた。
 中央あたりで背を向けていた渡に真っすぐ届いて、おお! と歓声を上げて荷物を持ってすぐにこちらに来てくれた。
「文乃ちゃん相変わらずだね。あ、美羽ちゃんも。体調大丈夫かい?」
 明るい渡と文乃。二人並ぶとよりパッとその場に澄んだ風が流れ込んだように、清々しくなる。そんな空気に、自然と美羽は微笑んでいた。

「はい。もうすっかり」
「よかった。怜に会いに来たんだろ? 今、溝口教授に捕まって話し込んでるんだ。共同研究のメンバーに加わってくれって教授が怜を口説いているところ」
「へぇ! やっぱり、大隈先輩って凄いんですね!」
 文乃は顔までキラキラさせてそういうと、渡は大きく頷いていた。
「本当にな。俺は勝てないよ、あいつには」

 ちらりと怜に視線を移して、そういう渡。パッとした光は少しだけ失っていたように見えるが、それでも、その声や表情は自分を卑下しているような暗さは少しもなかった。
「でも、渡さんには渡さんのいいところあるじゃないですか。それぞれの個性を生かせばいいんですよ」
 そういう文乃の明るさが一つだけ加われば渡はすぐに輝きを取り戻す。そして、渡は少し顔を少しだけ赤くしながら笑った。
「だよなぁ。さすが、文乃ちゃん」
 
 渡に誉められて、えへへと少し恥ずかしそうに笑う文乃の笑顔は無邪気な少女のようだった。そうやって、影を落としそうなところを救い上げる力こそが文乃の最大の魅力であると美羽は思う。
 渡は、文乃から視線を移して今度は美羽を拾い上げる。そんな渡も、文乃に似ていると思う。この二人の太陽のように輝ける力が美羽には少し眩しかった。

「もう少し、待っててよ。怜そろそろ終わると思うんだ」
 怜に会いにきたことが前提の会話にたじろぐ美羽を見て、渡は何かを察したのか怜の方に顔を向けながら口を開いた。
「あいつ、変わったよ」
「え?」
「いや、美羽ちゃんと付き合う前は、分厚い壁があってさ。あいつ、サイボーグなんじゃないかって思ったこともあった。だけど、美羽ちゃんと付き合ってるって公言してから、どこか人間らしくなったんだ。ずっと通っていなかった血がめぐり始めたような感じ。
 多分、今もああやって教授から誘われているのもそれが影響していると思うんだ。
 今のあいつ、いい感じだよ。ま、美羽ちゃんがいない間は死ぬほど雰囲気悪かったけどな」

 そういって豪快に笑う渡に追随して文乃が「ですよね」と笑っていた。
 明るい二人の笑い声が廊下にこれでもかと響き渡っていた。美羽の鼓膜にもその声が張り付いて離れない。その明るさを分けてくれたらと思う。でも、暗い穴に落ちてしまった身体はそう簡単に日の当たるところに引き上げてくれない。

「……そうですか」と、どうしても沈んだ声が出てしまったことをなかったことにしたくて、美羽は大きくため息を吐いた。
 視線を教壇の上で教授と話し込む怜の後ろ姿に移せば、ぎゅっと胸が締め付けられて、逃げたい気持ちが強くなる自分に嫌悪感が沸き立つ。だけど、渡と文乃太陽のような二人を目の前に逃げることは卑怯だといわれている気がして、黒い嫌悪感が本来の美羽の姿が見えないほどに包み隠す。何もかも飲み込まれそうになった時、話し終えたのか怜がこちらに身体を向けられた。

 怜と美羽の視線が遠くで交わる。怜はわかりやすく大きく目を開いていた。羽織っていた茶色いジャケットを翻し、肩にさげた鞄を大きく揺らしながら、迷いなく美羽の方へと向かってくる。会いたいと思う気持ちと会いたくないと思う気持ちの鬩ぎ合いの熱で、美羽の鼓動は高鳴ってゆく。ゆっくりとした足音が迫る。緊張なのか手に自然と力が籠って、ぎゅっと拳を握って足元を見つめるしかない。すぐ目の前に立つ気配と怜の青いスニーカーが美羽の視界に入ってきていた。
 それでも、まともに顔も見ることができなくて、美羽が視線を落としていると。
「美羽。考えるのは後だよ」文乃が耳打ちしてきて、ハッとして顔を見返すと文乃はニヒヒと笑っていた。文乃は、美羽の肩をトンと押し出すように叩く。

「じゃ、お邪魔虫は退散しましょ。渡さん」
「あ、あぁ。そうだな! お前もシャキっとしろよ」

 渡は怜の背中をドンと叩くとからりと笑って、文乃と二人でその場を離れていった。
 太陽のように明るい二人がいなくなれば、怜と美羽の間には静かな空気が流れていた。
 その空気に溶けるように怜の声がふわりと響く。

「よかった」
「?」
 美羽は顔をあげて、言葉の裏側を読み取るように怜の瞳を見つめる。その言葉の後に「顔が見られてホッとした」と続くようだった。
 あまりの言葉の少なさと温かさに、ふふっと美羽は笑う。

「ごめんね。心配かけて。でも、ほら。もうこの通り元気いっぱいよ」
「……そうか」
 二コリと笑って見せる美羽を検分する様にじっと顔を見てくる怜の視線に居たたまれず自然と美羽の瞳は左右に揺れていた。怜の声は頷いているけれど納得していないような顔をしていて、美羽は密かに焦る。
「あ、そうだ。これ、返そうと思って」
 美羽はこれ以上探られまいと、鞄の中にあった紙袋を差し出し、怜に頭を下げた。

「ありがとう。あの時は、本当に助かりました。自分で無理やり誘っておきながら、あんなに迷惑かけてごめんなさい。もう……」
 「誘わないから」といおうとする前に「別に迷惑じゃなかった。純粋に楽しかったよ」という柔らかい怜の声が降る。美羽は思わず、顔を上げ透明な瞳の奥を見つめたら、それは決して嘘ではなく本当だとわかって思わず赤面してしまった。
 悪い癖だと思う。ちゃんと言葉で伝えてくれているのに、それを信じることもできずにいる自分も情けない。病という呪いは、体だけじゃなく性格まで蝕んでいくものだということをこの時、初めて自覚した気がした。

 紙袋を受け取りながら「もう少し、元気になったらまた行こう」と怜はさらりと言った。その顔は心なしか笑っているように見えた。
 その言葉が、その表情が嬉しかった。それを証明するように美羽の心臓の音は大きく音を立てている。顔に熱が集中する。なのに、心はずしりと重く霞かかる。
 せめて無理にでも笑っておけば、心と身体の矛盾の真ん中に帳尻が合うと思うのに、美羽の顔は固まったままピクリとも動かなかった。
 大きな優しさの前に、凍り付く気持ちがどうしようもなくて、涙が出そうになる。それを無理矢理押し返せば、硬くなった心に決心が生まれた気がした。

「もう、帰るんだろ?」
「え?」
「送っていく」

 その優しさにやっぱり、涙が出そうになるけれどまた一層心が固まった気がした。
 何もかも自分が元凶なんだ。
 怜のこの優しさも、しなくてもいい気遣いも。
「行こう」

 怜が少し前を歩く。自分が提案したあのどうしようもない約束がすべての始まりだとしたら、答えは一つしかない。
 怜から延びる黒い影を美羽は静かに辿っていた。
 
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