魔王様のメイド様

文月 蓮

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本編

公爵家のお屋敷に圧倒されました

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 玄関を出ると、家の前には下町に不似合いな豪奢な馬車が止まっている。
 真っ白な箱型の馬車の扉にはアダルジーザの紋章である双頭の蛇が描かれていた。
 物見高い下町の住人が集まりつつあるが、御者台に座る御者が睨みつけていて、近くに寄せ付けない。
 アルマンドが馬車の扉を開けると、アダルジーザはさっさと乗り込んでいく。
 ロザリアが馬車の前でためらっていると、アルマンドが手を差し出してきた。

「あなたもこちらへ」

 ロザリアはしぶしぶ手をとって、馬車に足を踏み入れた。
 内装は予想に違わなかった。壁には美しい布が張られ、座面はとてもやわらかそうに見える。
 アダルジーザはすでに窓の近くに進行方向を向いて腰を下ろしている。

「そちらへどうぞ」

 アルマンドがアダルジーザの向かい側に腰を下ろすように勧める。
 ロザリアが恐る恐る腰を下ろすと、隣にはアルマンドが座った。

「出してください」

 アルマンドの合図に従って、馬車はゆっくりと動き始めた。
 ロザリアは豪華な室内の雰囲気に、落ち着かない気分で視線をさまよわせる。
 ガラガラと車輪の回る音だけが響く車内で、アルマンドが口を開いた。

「まずはひと月の間、我が家でメイドとして働き、魔王城へ上がっても恥ずかしくないだけの技能を身につけていただきます」
「……はい」
「返事はすばやく、歯切れよく!」

 冷たい青色のアルマンドの瞳に射すくめられて、ロザリアはびくりと背筋を硬直させた。アルマンドに逆らうのは危険だと本能がささやいていた。

「はい!」
「よろしいでしょう。アダルジーザ様も、ロザリア様については私に一任するということで、よろしいですね?」
「好きにしろ、と言った」

 アダルジーザは興味なさげに、馬車の窓から外を眺めている。
 彼女が自分には大して興味がないことに、ロザリアはほっとしつつも、どこか胸の隅が痛んだ。
 向かい合うアダルジーザからはとても大きな魔力の波動を感じる。
 そして隣に座るアルマンドからも、アダルジーザには遠く及ばないけれども、ロザリアとは比べ物にならないほど強い魔力を感じる。
 ロザリアがこれまで過ごしてきた下町や仕事の中では、これほどの魔力の持ち主には出会ったことがなかった。
 貴族とそうではない者との違いを目の当たりにして、ロザリアは今更ながらに不安を覚えていた。

――こんな人たちの近くで働けるんだろうか?

 彼女の不安に対する答えを持つ者はいない。
 ロザリアが不安に包まれていると、やがて馬車の速度がゆっくりと落ちていく。
 どうやらアダルジーザの屋敷に着いたらしい。
 アルマンドが扉を開けて、先に下りていく。
 執事の手を借りてアダルジーザが馬車を降りる。
 少し怖気づいていたロザリアに向かって、アルマンドが手を差し出した。

「さっさと下りてください。時間がないのですから」

 アルマンドの言葉にカッとなったロザリアは、彼の手を借りずに馬車を降りる。
 目の前には壮麗としか言いようのない、大きな屋敷がそびえ立っていた。
 白い外壁は、魔界の太陽の光を受けてまぶしく輝いている。
 屋敷をぐるりと取り囲む鉄柵から玄関までは、かなりの距離があり、目に鮮やかな芝生と、対称的に広がるバラの庭園が美しい。
 茫然と見とれていたロザリアの背後から、アルマンドが声をかけてきた。

「どうです、美しいでしょう?」
「……ええ」
「公爵家にようこそ」
「お世話に、なります」

 茫然としたままのロザリアは、アルマンドに手を引かれて公爵家の玄関をくぐった。
 大きなホールでは使用人たちが並んで主人の帰宅を出迎えている。
 アルマンド以外にも執事らしきスーツを着た若い男性と中年の男性が三名、メイド服を着た若い女性が三名立っていた。
 アダルジーザは彼らの前を通り過ぎ、自室へと向かうようだ。立ち去る彼女の背中を二名の執事が追う。

「アルマンド……さんは、ついて行かなくていいの?」
「私は執事長です。細かな仕事は部下に任せることにしています」

 アルマンドは手を打ち鳴らし、みなの注意を引くと口を開いた。

「こちらは今日からこの屋敷でひと月のあいだ働くことになったロザリアさんです。が、いずれ魔王様のおそばで働くことになります。彼女に対する教育は私が担当します。そのように心得ておいてください」
「はい」

 使用人たちは落ち着いた態度でロザリアを受け入れた。

「ついてきてください。中を案内します」

 ロザリアはアルマンドのあとに続いて屋敷の中を進んだ。

「一階には、ホール、食堂、大広間と、図書室、厨房、それから使用人の住む部屋があります。二階はアダルジーザ様のお部屋や、衣装室、書斎、それから客室ですね」

 生活に必要な部屋を教えてもらいつつ、ロザリアはアルマンドに続く。

「あなたの部屋はこちらになります」

 一階の使用人の部屋が並ぶ一角ではなく、二階にある客室に案内されたことに気付いたロザリアは、戸惑った。
 自分の家の部屋よりも広く、床にはふかふかとした絨毯が敷かれている。部屋の中央には天蓋付のベッドが置かれていて、窓際にはライティングデスクと椅子まであった。

「あの、ここでいいの?」
「あなたがアダルジーザ様の庶子とはいえ血のつながったお子様であることには変わりありません。いくらメイドとして働くとはいえ、そんな方を使用人と同じ部屋に入れるわけにはいきません。それに、時々他家のお嬢様が行儀見習いとしていらっしゃることもありますので、みな慣れています。あなたのこともそうだと認識しているでしょう。庶子であることは知らせていませんから、あなたもそのつもりでいてください」

 冷たいアルマンドの口調に、自分が歓迎されているわけではないことを感じ取る。

「わかりました」
「それから……、私に対しては常に敬語を使うように」
「……はい。承知しました」

 青い瞳に見下ろされ、ロザリアはうつむいた。
 これからは使用人として、アルマンドは上司にあたるのだ。相応の態度で接することが求められるだろう。

「仕事は明日からです。今日はゆっくりと休みなさい。制服と着替えはそこのクローゼットにありますから、自由に着てください。夕食は部屋まで届けさせます」
「ありがとう……ございます」

 ロザリアは声を絞り出して答えた。
 アルマンドが部屋を出て行くのを見とどけて、ロザリアはベッドの上に倒れこむ。
 ベッドはやわらかく、それでいてしっかりと彼女の身体を受け止めている。

「はあ……」

 今日起こった事が多すぎて、ロザリアの気持ちは未だに整理がついていなかった。
 死んだと思っていた母に会えた瞬間はただ嬉しかった。
 それなのに、実際に話してみるとアダルジーザの表情はほとんど変わることがなく、感情が読めない。しかも、彼女はロザリア――娘に会えたことを嬉しがる様子も無く、都合がちょうどよかったから取引に応じたのだという態度には、腹が立った。
 父の嘘によって守られていた母に対する幻想は、すべて打ち砕かれた。期待してしまった分、ロザリアの失望は大きかった。

――あんな人だとは思わなかった。

 ロザリアの目から滲んだ涙が枕にしみこんだ。
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