結婚する気なんかなかったのに、隣国の皇子に求婚されて困ってます

星降る夜の獅子

文字の大きさ
21 / 60
約束のワイン

クライヴの事業

しおりを挟む
「アクイラ国皇子は、こちらにご滞在なのでしょうか。」

 食堂に向かう道中でリラは何気なくクライヴに質問した。

「クライヴ。そう呼んでもらえないだろうか。」

 一瞬戸惑ったものの、ルーカスも既に『クライヴ』と名前で呼んでいるのだ。
 クライヴは今、曲がりなりにも取引先であり、自分の言動ひとつで機嫌を損ね、商談を破談にするわけにもいかなかった。

「ク、クライヴ様は…こちらにご滞在なのでしょうか…。」

 リラは恥じらいながら、『クライヴ』と名前を呼びつつ同じ質問を繰り返した。

 異性を名前で呼ぶことは始めてではない。
 現に、学友のロイド、レナルド加えてクライヴの側近のデイビッドは名前で呼んでいた。

 それなのに、なぜだろう。
 名前を口にしただけで、どうにも熱い気持ちが込み上げてきた。

「そうだな。今回はここに滞在している。ここは元々、先先代のアベリア国皇が、国賓が長期滞在をする際に利用することを目的に作られた屋敷らしい。あまり、使用したことがないが、始めてではないな。」

 クライヴは名前を呼ばれて満足げのようだった。

「式典などの数日の滞在であれば本殿の客室に滞在することもあるが、今回は数週間の滞在だから、自分の使用人も何人か連れてきたくて、こちらを選んだんだ。」

「そうなんですね…。知りませんでしたわ。」

 リラは妙に納得した。
 少し考えればわかるが、国賓はやはり皇城に滞在するのは当然のことだ。

 それにしても、そのための建物があることには驚かせるばかりだった。
 曲がりなりにも自分は一貴族であるが、皇族の前ではその比ではないと改めて痛感した。

「ふふ。すぐ詳しくなることになる。」

 クライヴはそんな無防備なリラの耳元で甘く囁いた。
 一気に耳が真っ紅になり、こそばゆくて肩をすくめた。

 恥じらいながらリラはクライヴを睨むとも、クライヴは愉しそうにするばかりだった。
 クライヴの前では常に気を張っていないと直ぐに絆されてしまう。



 食堂に着くと、リラはクライヴの正面の席に案内された。
 リラは少し戸惑った。

 本来、クライヴの商談相手はルーカスである。
 それなら、ルーカスが正面に座るのが適切なのだろう。

 それをわざわざ、何故、自分が正面に座る必要があるのかということだ。
 けれど、そんなことを突っ込んでも今更だろうと思い心に留めた。

 正面に座るクライヴは、容赦無く熱い眼差しをリラに注いだ。
 リラはクライヴのその美しさに恥ずかしくなり視線を逸らした。

 やはり最初から正面の席は断るべきだったろうか。
 これでは、食事どころではないのは確実だ。

 一令嬢としてテーブルマナーは学んでいるが、どうもクライヴの所作が美し過ぎて自信が持てない。
 加えて目の前にクライヴがいると見惚れてしまう悪癖が勃発してしまう。



 皆が着席すると食前酒が注がれ、四人はクライヴの音頭で乾杯を行った。

 クライヴは食前酒であるスパークリングワインについての産地などの説明をしているが、まるで頭に入ってこなかった。

 元々ワインに興味がないのもあるが、やはりクライヴの正面に座っているせいだろう。
 グラスを持つ指先、少し濡れた唇に、嚥下さえ美しく感じてしまい見惚れてしまう。

「リラ、少々クライヴ様を見過ぎではないか。」

「も、申し訳ございません…。」

 ルーカスは、そんなリラに気付き思わず注意した。
 リラはルーカスの言葉に我に返り急いで謝るも、クライヴは上機嫌に微笑んでいた。



 料理が運ばれてくると、クライヴとルーカスは今回の目的である羊皮の商談を始めた。

 何やらクライヴ直属の近衛兵のコートに羊皮を起用するらしい。
 近衛兵は数人程度で大量注文ではないが、好評であれば皇宮騎士団全員のコートに起用することも検討するとのことだ。

 そうなれば、大量注文に加えて、かなり良い宣伝となること間違いなしだ。
 アクイラ国皇子直属の近衛兵のコートというだけでも上等の謳い文句なのに、皇宮騎士ともなれば、多くの人の目につくだろう。

 国内外の貴族はもちろん、もしかしたら近隣国から同様の大量注文が入るかもしれない。
 リラの中の商売人の血が騒ぎ目を輝かせた。

 しかし、肝心の納品時期や納入先などはクライヴはわからないとのことで、追ってデイビッド経由で書類が届くこととなり、この話はメインディッシュを待たずして終わりを迎えた。



 その後の会話の料理に合わせたワインについての品評が多く、ワインに詳しくもなければ、あまり興味のないリラには何を話しているのか点でわからないことが多かった。

(果たして本当に自分は必要だったのだろうか。)

 リラの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
 時折、クライヴはリラにワインの味の感想を求めたが、リラからすると美味しいか好みじゃないかの二択しか選択肢はなく、あまり貧困なボキャブラリーに自分でも驚くほどだった。

 かたや、ルーカスは無類のワイン好きのためクライヴと大いに話が盛り上がっていた。


 もはや、この晩餐はただのワインの品評会だろう。


 リラは三人の楽しそうな会話をただ眺めながら、空気を悪くしないようににこやかに頷いていることしかできなかった。
 ルーカスが馬車で話した通り、文字通りただの『華』としか役目を果たしていなかった。



 それからデザートが運ばれてくると、クライヴはリラに視線を移した。

「今日は俺のお勧めのワインを用意したんだが、どうだっただろうか。」

「どれもとても飲みやすいワインだと思いました。」

 これはリラの正直な感想だ。
 普段、あまりワインを好んで飲まないリラでも、今日飲んだワインは全てすんなり飲むことができた。

「リラがそう言ってくれるなら、安心だ。デイビッドもう少し多めに注文しようと思うがどうだろうか。」

(なんのことだろう…。)

 リラの疑問が、顔に出ているのだろうか、クライヴはふわりと笑った。

「ルーカス、何も話してないのか。」

「あー…。クライヴ様から直々にお伝えした方がよろしいと思いまして。」

 ルーカスはワインを味わいながら、クライヴに答えた。

 リラはルーカスの行動があまりに端なく思えた。
 いくら気の知れた仲とはいえ、一国の皇子の質問に食事を取りながら答えるとはあまりに行儀が悪かった。

(そこらへんの居酒屋で町役場のおっちゃんとだべっているんじゃないんだから、もう少し行儀良くしていただけませんかねー。)

 リラはにこりと微笑みながら、頬をうっすら引き攣らせた。
 けれど、クライヴはルーカスの様子を何ひとつ気にした様子もなく話し始めた。

「そうか。それなら、最初から説明すると。個人的にワインの輸入事業を行っていて、今日用意したワインはすべてアベリア国産の品評会ではまだ賞も取れていない、というか出してもいない無名のワインだ。これらの買い付けの有無を相談したかったんだ。ターゲットは、あまりワインに慣れていない若い女性向けかな。飲み慣れないものが、いきなり玄人よりのワインを飲んでも味が慣れずに、より苦手意識が植え付けられてしまうだろう。そうならないように、少し軽くて甘めなものを探していたんだ。そういうわけで、リラも満足してくれたようだし、問題ないだろう。」

(なるほど…。)

 リラは今日の晩餐に呼ばれた意図をようやく理解した。

 ルーカスは無類のワイン好き、何を飲んでも、そこそこ美味しいか、美味しいか、かなり美味しいかの三択で、何の参考にもならないだろう。

 けれど、リラは今回のターゲット層に当てはまり美味しいと言えば幾分参考になるのだろう。

「それで、この事業を進めるにあたって、運送料が少し割増させられて困っているんだ。そこで、ルーカスにアベリア国内の情勢と運輸ルートに詳しいものを紹介してほしいとお願いしたんだ。というわけで、リラ、明日から、しばらく仕事を手伝ってもらえないかな。」

 クライヴはテーブルに肘をつき手を組んで嬉しそうにリラを見つめた。

「え?」

 一瞬間を置いてリラは思わずルーカスに怪訝な表情を向けた。

(なんで、初めから相談してくれなかったのですか!?)

 ルーカスはリラの表情に不服そうな表情を浮かべ頬杖をついた。

「なんだ。学園もあと数ヶ月で卒業で、学級委員の仕事もないし、暇だから仕事がほしいと休暇中言っていたではないか。」

 確かに冬季休暇でカントリーハウスに帰った際にルーカスとそんな会話をしたことを覚えていた。
 実際、卒業まで日数はあるものの、冬季休暇明けの三年生は春からの社交デビューや花嫁修行などもあり通常より休みも多く、何なら卒業式まで来なくて問題ないくらいだった。

「そ、それは、そうですが…。」

「では、決まりだな。」

「よろしく頼むよ、リラ。」

 なぜかリラ以外の三人はとても上機嫌にニヤニヤしながらリラを見つめていた。

(はめられてます?)

 リラはそんな思いが沸々と湧くも決して言葉にすることはなかった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

転生したら悪役令嬢になりかけてました!〜まだ5歳だからやり直せる!〜

具なっしー
恋愛
5歳のベアトリーチェは、苦いピーマンを食べて気絶した拍子に、 前世の記憶を取り戻す。 前世は日本の女子学生。 家でも学校でも「空気を読む」ことばかりで、誰にも本音を言えず、 息苦しい毎日を過ごしていた。 ただ、本を読んでいるときだけは心が自由になれた――。 転生したこの世界は、女性が希少で、男性しか魔法を使えない世界。 女性は「守られるだけの存在」とされ、社会の中で特別に甘やかされている。 だがそのせいで、女性たちはみな我儘で傲慢になり、 横暴さを誇るのが「普通」だった。 けれどベアトリーチェは違う。 前世で身につけた「空気を読む力」と、 本を愛する静かな心を持っていた。 そんな彼女には二人の婚約者がいる。 ――父違いの、血を分けた兄たち。 彼らは溺愛どころではなく、 「彼女のためなら国を滅ぼしても構わない」とまで思っている危険な兄たちだった。 ベアトリーチェは戸惑いながらも、 この異世界で「ただ愛されるだけの人生」を歩んでいくことになる。 ※表紙はAI画像です

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セリフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セリフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セリフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセリフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセリフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セリフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

追放された悪役令嬢はシングルマザー

ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。 断罪回避に奮闘するも失敗。 国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。 この子は私の子よ!守ってみせるわ。 1人、子を育てる決心をする。 そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。 さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥ ーーーー 完結確約 9話完結です。 短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

半竜皇女〜父は竜人族の皇帝でした!?〜

侑子
恋愛
 小さな村のはずれにあるボロ小屋で、母と二人、貧しく暮らすキアラ。  父がいなくても以前はそこそこ幸せに暮らしていたのだが、横暴な領主から愛人になれと迫られた美しい母がそれを拒否したため、仕事をクビになり、家も追い出されてしまったのだ。  まだ九歳だけれど、人一倍力持ちで頑丈なキアラは、体の弱い母を支えるために森で狩りや採集に励む中、不思議で可愛い魔獣に出会う。  クロと名付けてともに暮らしを良くするために奮闘するが、まるで言葉がわかるかのような行動を見せるクロには、なんだか秘密があるようだ。  その上キアラ自身にも、なにやら出生に秘密があったようで……? ※二章からは、十四歳になった皇女キアラのお話です。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

処理中です...