氷上の悪役令嬢

Estella

文字の大きさ
6 / 47
第一章 『前皇帝と北境の主』

第一章6 『大嫌いなあなたに』

しおりを挟む
 マルガリータは手に帝都からの『宴会通知』を握ったまま、冷ややかな笑みを浮かべ、ふたたび暗闇と腐臭立ち込める地下室へと足を踏み入れた。
 血の気が引く寒さとべたつく湿気が最も深く刺々しいその場所、その部屋に、彼はいる。
 久々に響いた足音が耳に届くと、彼は反射的に身を固くした。鎖の音が、またじゃらりと響き渡る。

 そういえば、昔はそっと近づくと壁に押し付けられて「二度とするな」と凄まれたこともあった。だが今は、マルガリータを抑え込むどころか、その小さな部屋から出ることさえできない。
 マルガリータは牢屋の前で足を止め、観察するような、戯れるような視線でもって彼を見つめ続ける。その底知れない視線に、さすがのノアリデアートも顔を上げざるを得なかった。

「――何の、用だ」

「ここにいては、情報が伝わらないようですから」

 マルガリータは手紙をぷらぷらと掲げて、感情を感じさせない声で話した。

「貴方の素敵な弟さんですが……貴方のお気に入りのアメリアさんと、日々お楽しみのようですね」

「……」

 その切り出しに、ノアリデアートの瞳に刹那の警戒のようなものがよぎる。予測していた反応と違ったマルガリータは疑問に思いはしたが、話を続けた。

「帝都で酒池肉林してるそうですね。字のままですよ。浴室で美人さんと遊んでるんですって。親王……ああ今は陛下ですか、とても楽しんでますよ、貴方の蓄積した国の財産でね」

「……」

 マルガリータは注意深く彼の反応を観察していたが、この言葉でついに感情の波が見えた。
 やや神経が緊迫し、裏切りの痛みと屈辱の色がその目に灯る。しかしこの三年で一体何があったのか――、挑発的な発言を前にしても、憤怒の素振りは一切見せない。あるとしたら、悔しさが勝つようだ。
 ならば、とマルガリータは軽い笑い声を上げる。
 その声の質は唐突に転換し、ノアリデアートさえ思わず目を見張った。その冷酷で無機質で有無を言わせぬ口調が、誰を模倣しているかは明らかだったから。

「親衛隊隊長レオンハルト・グラーフ。家系は清し、忠誠は堅し」

 それはかつて、ノアリデアートが腹心だったレオンハルト隊長を評価する際に語った言葉であった。
 何をするつもりかと彼が問う前に、マルガリータは口調を回復させて続ける。

「けれど、彼の唯一の息子は錬金術に没頭して、グラーフ家を没落させるほどの債務を負った。債権者が誰かって……そりゃアメリアさんですよ! 彼女が金貸しを裏で糸引いてたんですね。貴方が廃位されたとき、親衛隊、助けに来てくれなかったでしょう? ちなみに今、親衛隊って解散してしまったんですよね……」

 ノアリデアートの呼吸が瞬間、停止する。その指は無意識に下に敷いた布を握り締めており、関節が力の入れ過ぎで白みを帯びだした。

「財務大臣ローレンス、国家に心を尽くし、その命民に捧げた」

 それも、ノアリデアートのかつての発言だ。控えめに言って暴君だった彼の、最上級の褒め言葉の数々であった。
 それが、マルガリータの告発によってひとつひとつ覆されていく。

「そうですよねえ。だから彼は軍事予算をこっそり糧食の購入に使用したのがアメリアさんに『偶然』露見して、『慌てて』エルムライトに告発されたんですね。家族と自分の命と秤にかけたら、従う以外の道は彼にはなかったんですね。貴方が廃位される前の話ですよ。財政界がどうして突然貴方を支持しなくなったか、わかりましたか?」

「黙れ……」

 ノアリデアートの喉の奥底から、掠れたうめき声がせり上がる。かつて視線一つで人を震え上がらせた、あの頃の空気を凍らす目を取り戻そうと、必死にマルガリータを睨みつける。
 だが、その敵意はマルガリータの憐憫にも似た目の前に、あまりに無力であった。その目、その憐みこそが、彼にとってどんな嘲笑よりも屈辱であるのだから。

 マルガリータは少しも止まらず、冷酷な殺人犯であるかのように、彼の過去の『信頼』を武器にして、少しずつ彼のまだ信じていたものを切り崩して踏みつけにする。
 強大だった彼の勢力と版図をひとつずつ挙げては、いかにそれがエルムライトとアメリアによって瓦解させられたか、詳細にとくとくと語る。
 腹心だった大臣も、将軍も、利益にくらみ、あるいは弱みを握られ、どのようにして裏切りに手を染め、ノアリデアートの帝国を埋葬する助太刀をしてきたのか。

 ひとつひとつの名前が、陰謀が、真実が、既に満身創痍だったノアリデアートの心を刺し貫いて打ち付ける。
 弟に、裏切られたのだと思っていた。だけれど、実際は帝国全てに捨てられてしまっていたのだ。信じられるものなどひとつもなく、全てがまやかしだったのだと、実感させられていく。

 憤怒が蓄積される。激情に体が小刻みに震え、そのたびに鎖が不快な摩擦音を奏でる。
 叫びたい。否定したい。だが、あまりの無力感と恥辱に苛まれ、言葉を発する事さえ叶わない。最後の矜持さえかき消されたノアリデアートの消沈をじっと見つめたマルガリータは、それ以上何も言わず、手にした手紙を彼の前に投げ渡した。

「あと、エルムライト陛下がアメリアさんと一緒に、うちにきて誕生日をお祝いするらしいですよ。貴方の誕生日、その次の日でしたっけ? ハッピーバースデイ、元皇帝陛下」

「黙れ――!」

 がしゃん、と鎖がひときわ大きな音を奏でる。どの時よりも大きな激情が湧き上がり、鎖を引きちぎろうとするものの、魔力さえ封じるその鎖は物理的に力をどう加えたところで外れはしない。
 裏切りへの憤怒。愚弄への恥辱。過去の愚かさへの憎悪。全てを失った絶望。その全てに引き裂かれるような苦しみに溺れる彼を見て、マルガリータは小さく首を傾げた。

「ああ、陛下……やっと、怒る心を思い出したのですか? でも残念ですが陛下、」

 彼の心に刻みつけようとするかの声で、何か遠い過去を想い出すかのような瞳で、マルガリータはゆっくりと鉄の扉を開けて彼の前に立って見下ろす。

「――もう、わたしを平手打ちすることはできませんね」

「――」

 平静な彼女の声が、ノアリデアートの暴れる憤怒を刺し貫いた。硬直した彼の動作が急にしんと止み、鎖を掴む手が力なく滑り落ちる。
 こちらを凝視するマルガリータの視線から逃れるように、彼は再度壁に寄りかかり、珍しく視線を逸らした。
 思いもよらぬ反応に、今度はマルガリータの方が目を見張ってしまう。せめて何か、恨み言くらいは言うだろうと思ったのに。
 彼もまた、あの冷たい婚約期間に何か――なにか、思うところがあったのだろうか?

(いやいや、何考えてるの! 今は……そう、目的があるのよ)

 静まり返った地下牢には、今や息を吸うことさえも辛そうな彼の弱い呼吸の音しかしない。
 少し溜飲が下がったような思いと、もっと複雑な何か。いや、そう、こんな状態の人間を放っておくのは非人道的だ。だから、人道的処置という目的のために、これは仕方のない事だ。
 マルガリータはもう一歩彼に近づくと、今度は目線に合わせるようにしゃがみこんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この離婚は契約違反です【一話完結】

鏑木 うりこ
恋愛
突然離婚を言い渡されたディーネは静かに消えるのでした。

ざまぁはハッピーエンドのエンディング後に

ララ
恋愛
私は由緒正しい公爵家に生まれたシルビア。 幼い頃に結ばれた婚約により時期王妃になることが確定している。 だからこそ王妃教育も精一杯受け、王妃にふさわしい振る舞いと能力を身につけた。 特に婚約者である王太子は少し?いやかなり頭が足りないのだ。 余計に私が頑張らなければならない。 王妃となり国を支える。 そんな確定した未来であったはずなのにある日突然破られた。 学園にピンク色の髪を持つ少女が現れたからだ。 なんとその子は自身をヒロイン?だとか言って婚約者のいるしかも王族である王太子に馴れ馴れしく接してきた。 何度かそれを諌めるも聞く耳を持たず挙句の果てには私がいじめてくるだなんだ言って王太子に泣きついた。 なんと王太子は彼女の言葉を全て鵜呑みにして私を悪女に仕立て上げ国外追放をいい渡す。 はぁ〜、一体誰の悪知恵なんだか? まぁいいわ。 国外追放喜んでお受けいたします。 けれどどうかお忘れにならないでくださいな? 全ての責はあなたにあると言うことを。 後悔しても知りませんわよ。 そう言い残して私は毅然とした態度で、内心ルンルンとこの国を去る。 ふふっ、これからが楽しみだわ。

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

婚約破棄された悪役令嬢は、辺境侯に拾われて過保護に愛される

nacat
恋愛
公爵令嬢エリシアは、婚約者である王太子に突然「お前とは結婚できない」と告げられる。 身に覚えのない罪を着せられ、社交界から追放されかけた彼女を救ったのは、冷徹と噂の辺境侯ゼノヴィア。 「俺の城で静かに暮らすといい」――そう言って差し伸べられた手は、思いのほか優しかった。 氷のように無表情だった彼が、次第に見せる愛情はあまりにも熱く、独占的で、息ができないほど。 そして彼女が新しい幸福を手にしたその時、かつて彼女を捨てた者たちが、後悔と嫉妬に塗れた顔で跪く――。 王道ざまぁ×激甘溺愛×救済ロマンス。苦しみの果てに手にした愛は、もう二度と離さない。

悪役令嬢を追放したはずの王太子殿下が、なぜか毎晩泣きついてきます

nacat
恋愛
婚約破棄の場で一方的に罪をきせられ、王都を追放された公爵令嬢リディア。 だが彼女には、誰も知らぬ“真の力”と“もう一つの顔”があった。 平穏な辺境生活を始めた矢先、元婚約者である王太子が何度も彼女のもとを訪れるようになり……? 「君なしでは眠れない」——そんな虫のいい言葉、今さら信じると思う? ざまぁ×逆転劇×溺愛の王道を詰め込んだ、恋と因果のファンタジーロマンス。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

処理中です...