氷上の悪役令嬢

Estella

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第一章 『前皇帝と北境の主』

第一章12 『宴会と陰謀』

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 マルガリータの言葉のままに壇上に上がったエルムライトが、用意されていた演説内容をつらつらと述べていく。だが、その声には動揺が隠せず、ちらちらとマルガリータを見ているのが丸わかりだった。
 儀式の進行は熱烈な雰囲気と水面下の打算を交えつつ、順調に終わりを迎えた。マルガリータも主人として簡単に祝辞を述べ、すっと片手を上げると、優雅な音楽が会場を満たした。
 宴会の定番、そしてメインのイベント、ダンスの始まりである。

 やっと満足に喋る環境を得られた貴族達の声が、音楽に匹敵するほどにざわめき出した。

「北境がこんなに素晴らしい場所だったなんて、投資でもしときゃよかったな!」

「そ、それにしてもあの悪役令嬢……ああっとシャトーブラン公爵令嬢が北境の主になっているとは。無能の悪女と言われていたが、もしやそうではなかったのか?」

「流刑から北境の主とは、大逆転物語じゃないか! これはいい物語が描けそうだ!」

「そうね、帰ったら芸術家たちにお願いしてみましょう! どこかで公爵令嬢にお声をかけられないかしら……」

「北境騎士、顔が良すぎるわ……!!」

 各々踊り出した貴族たちの煌びやかな衣服と香水の香りが交錯して立ち込める。こう見ていると、帝都の宴会とそう変わらない情景だ。
 だが、水面下では様々なものが動いているだろう。
 マルガリータはすぐにはダンスホールに入らず、水のグラスを持って上から貴族たちの様子を見下ろしていた。その背後では影のように気配を消したヴァイスが手に入れた情報を伝えている。

 北境の幹部たちも貴族たちと融合しているように見えて、警戒と監視を続けている。この宴会は、彼らにとってまた別の形式の戦争だった。
 そんな彼らの目に、そして貴族たちの目にも目立って見えたのが、やはり恍惚の表情を浮かべる皇帝エルムライトであった。

 彼はダンスの申し込みをしてきた女性の全てを拒絶し、手に持った空のグラスを置くことすらせず、磁石に吸われたかのようにマルガリータの姿を注視していた。
 驚愕、憤怒など今の彼の頭にはない。ただ、シャンデリアの光を受けて輝く、神秘的で美しいその銀の少女の姿を見た瞬間に、エルムライトの脳内は全て彼女に占拠されてしまったのだ。
 高みに立つ氷結の女王。神聖で手すら届かぬ雰囲気を纏う彼女を……引きずり下ろして、エルムライトのものにできたなら。そんな欲望が、彼の心中でふつふつと湧きあがる。

 そんな皇帝の態度に最も我慢ならなかったのは、当然皇后たるアメリア・ローズウェルであった。

(なんで生きてるの、あの悪役令嬢!? とっくに死んでるはずでしょ!? それが北境の主ですって、ふざけないでよ!! ルカスまであの女のこと見つめて、私とのダンスまで拒絶してなんなの!? あんな目で私のこと見たことないのに! あの女絶対にわざとよ、私のもの全部奪い取ろうとしてるんでしょ! 性悪悪女! ルカスも陛下も私のものだって決まってるんだから、私はヒロインなんだから! あっ、そっか、私がヒロインなんだからこれは試練ってことだよね。これも神の思し召しじゃない? 今度こそこの手でこの女を踏みつけにしてやれるって事でしょ! 冷静に考えればこれはチャンスだよね!)

 エルムライトの熱い視線、アメリアの憎悪の籠った視線。その全てを感じ取っていたマルガリータは、小さくため息をついてグラスを置いた。
 彼女は振り返ってヴァイスに何やら指示を出し、彼がすっと奥へ消えていくと、マルガリータもまた降りてダンスフロアに足を踏み入れた。

 それを見て今度こそ我慢の限界だったエルムライトは、人々をかき分けてマルガリータの前で片手を差し伸べた。

「マルガリータ! 良ければこの私に、美しい貴女と踊る栄誉を与えてくれないだろうか?」

 輝く笑顔を浮かべた彼のその言葉が終わった瞬間に、周囲が停止ボタンを押されたかのように静止した。話し声、笑い声、グラスをぶつけ合う音も、今は聞こえない。
 驚愕、好奇、憂慮、高みの見物。様々な意味を込められた会場の視線の全てが、ふたりに向けられている。
 宴会。注目。見物。
 ふと、思い出したくもない昔のことを思い出して、マルガリータは拳を握りそうになったが、何とか堪えて立て直した。

 帝国の現皇帝が、前皇帝の元婚約者にダンスの誘いをする。なんともスクープになりうる内容だ。
 マルガリータは氷の如き無表情で、無機質に応える。

「ご厚意に感謝いたします。しかし北境の事務が忙しく、この間踊りの練習をしておりません。陛下の興を冷ましてはとんでもないことにございます」

 嫌だ、とは言っていないが、帝国の礼儀に基づけば、いや基づかなくとも、誰の目にもはっきりとした拒絶の意が聞き取れる。
 空気が刻一刻と張り詰めていき、窒息感が蔓延する。エルムライトの笑顔が一瞬固くなり、その瞳に瞬間暗い色が灯る。が、それはすぐに、自信の輝きに取って代わられた。
 エルムライトはさらに一歩マルガリータに近づき、声を更に低く抑え、計算されたかのような誘惑的な話し方で続けた。

「そう冷たく拒絶しなくてもいいじゃないか、我が愛しのマルガリータ。まさか過去のことでも気にしているのかい? 私はあのような噂、初めから信じてなどいなかったよ。ほら、私とダンスを踊ったことだってあったじゃないか。私の目には、君の美しさしか映っていない。君こそが、この雪原で私の光と唯一交われる存在だろう。たかがダンスじゃないか、君は君を慕う者をこうもあっさりと拒絶してしまうのかい?」

 まくしたてるように述べられた、告白さえ超えて求婚の時くらいにしか使わない甘い言葉。そして身分と場合に全く合わぬこの光景自体が、水面に石を投げるかのように、人々の間に波紋を広げた。これは、マルガリータ・シャトーブランに対する愛の告白に他ならないではないか。
 沈黙が、ひそひそと囁き合う声に変わる。
 癪に障る貴族たちの声を意図的に聞かないようにしつつ、マルガリータはアメリアに目を向ける。

 蒼白な顔色をしたアメリアが、珍しく恥も外聞もなく奥歯を噛みしめ拳を強く握ってマルガリータを睨みつけている。
 あれほどまでに気にしていた美しい爪も、掌に食い込んでヒビが入った。
 その爪がもたらす痛みも、引き裂かれるような嫉妬と憎悪の炎に比べたら、痛くもかゆくもない。愛をささやく恍惚としたエルムライトを見つめ、そのこちらが恥ずかしくなりそうな言葉を聞いて、アメリアは叫び出さないようにするので精いっぱいだった。
 夫が負け犬だったはずの女にプライドを捨てて愛をささやき、皇后たる妻がここで放っておかれるとは、こんな惨めなことがあるものか。

 マルガリータの視線は人々の間をかき分け、ある箇所に留まった。
 柱の陰からヴァイスが彼女に親指を立て、意味ありげな視線を込めたのを見た瞬間、ついにマルガリータも動き出した。

「陛下がそこまでお望みであれば……わたしも、応じないわけにはまいりません」

 感情の波動を感じさせないその声と共に、マルガリータの冷たい指が、長いこと伸ばされ続けたエルムライトの掌に重ね合わされる。
 同時に、止まった時間が動き出すかのように、会場が騒然とした。賑わいが戻りはしたが、とても歓談とは言えない雰囲気である。

 エルムライトの表情に、勝利と歓喜の色が現れる。彼は狂喜を寸分も隠そうとせず、強く彼女の手を握ると、手で指揮者に音楽の再開を命じた。
 音楽が再び奏でられる。マルガリータとエルムライトの、絵画の一幕かのようなダンスが、会場の中心でひときわ輝き出した。

「ああ……」

「皇后陛下!」

 あまりの羞恥と憤怒に身を震わせたアメリアが、思わず頭を押さえて倒れかける。それを支えに向かった侍女が、彼女の腰を支えると共に、耳元で小さく囁いた。

「皇后陛下、例のあの方の幽閉された場所が分かりました。まず間違いはないとみていいでしょう。どうなさいますか?」

「――! あぁ、なんてこと! よくやってくれたねダーナ。貴女なら私の期待を裏切らないって信じてた!」

 その言葉を聞いたアメリアは、一転今のエルムライトを上回るほどの歓喜に頬を染める。そう、ここに来た目的はダンスなどではないのだ。
 あの女がどんな邪悪な方法を使ってエルムライトを虜にしただろうが、ヒロインはアメリアなのだ。
 きっとこれで、全てが正しい道に戻る。
 そうしたら――!

(マルガリータ・シャトーブラン。覚えておきなさい、陛下を見つけて、私のものにしたら、その時は……! 絶対にただじゃおかないんだから!)

 アメリアは悩む素振りすら見せず、振り返ることなく侍女ダーナの示す方向に向かって走り去っていった。
 ダンスホールでは、妻の挙動に何一つ気付いていないエルムライトが、陶酔した顔でマルガリータとくるくる舞っている。
 一方でマルガリータは何かタスクでもこなすかのような無表情で呼吸を合わせ、脳内ではこれからの計画の事を緻密に考えていた。
 ヴァイスは柱の陰に隠れたまま、冷静に盤面を眺めている。まるで、脚本の演出を確認する監督かのように。
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