氷上の悪役令嬢

Estella

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第一章 『前皇帝と北境の主』

第一章24 『握手』

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 ひとまず反論がそれ以上出ないことは分かったが、と、気を取り直してソフィアが眼鏡をくいっと押し上げる。

「参謀にすることは分かりました。ですが、どこに住まわせるつもりですか? まさか、マルガリータ様の寝室にずっといさせるわけにはいきませんよね」

「はっ!? 寝室にいたのかよ! やべェな!」

「捜査を避けるためだそうです。でも、もうその必要はありませんよね」

 グランツが思わずあんぐりと口を開ける。あの日、あまり詳しいことは聞かなかったが、まさかそんなことになっていようとは。
 ソフィアも、マルガリータに聞いた時は言葉を失ったものだ。特に、実は人一倍彼女を尊敬しているソフィアにとって、敬愛する主が憎き帝国の前皇帝とひとつ屋根の下というのは、ずっと我慢ならなかった。

 マルガリータが口を開く前に、みんなの腰ほどの身長しかないカゲロウが、長い袖をひらひらさせながら手を上げた。

「はーい。隔世殿に戻るのが今のとこ一番安全だと思うです。さいしゅーぼうえーラインですから。そうですよねっ、おじょー!」

 その言葉で、ノアリデアートは思わず目を見張る。
 自分がいた場所がどこだったのか、実はずっと知らなかった。あそこが北境で最も安全な場所、最終防衛ラインであったと、カゲロウの言葉で初めて知った。
 要は、もしも隔世殿周辺が落ちることがあれば、北境は終わりだということだ。エルムライトが捜査時に武力衝突を起こさなかったのも、さすがにそこまで過激な行為は避けるべきだと考える頭はあったからだ。

 そんな彼の反応をどう解釈したのか、アウグストが挑戦的な視線をマルガリータに向ける。

「この男は、今しがた鎖から解き放たれたばかりだ。もう一度自分から繋がれに行くなんてこと、あると思うか、お嬢?」

 その質疑は、ストレートであり鋭いものだった。
 鎖から解放される自由を味わった者が、また自分から軟禁されに行くだろうか。その質問に、沈黙が下りる。
 だがマルガリータは何でもないことかのように、ノアリデアートに視線を向けた。

「そうなの?」

「――全て、君に従う」

 短く語られた言葉はひどく自然で、繕った形跡が全く見られなかった。飄々としているカゲロウでさえも、思わず目を見張ってしまう。
 怒ることも、焦ることもせずに、ただ冷静に応対し続けるノアリデアートに、さすがのアウグストも気勢を削がれてしまった。

「チッ、そーかよ」

「カゲロウ、ソフィア。隔世殿の警戒レベルは今まで通りに。生活用品もこれまでと同じ標準で供給。レガード医師の定期健診も変わらずでよろしく」

「はぁーい」

「承知いたしました」

 話がまとまったのを見て、マルガリータは一息ついた。そんなとき、グランツが思い出したように口を開く。

「あ、どうせなら聞いていいか。帝国工房で開発されてるらしい『破城者Ⅲ』とかいうすげェ大砲、あれの射程が上がったって本当か? 最近の話だから、知らねェかもしれねェが」

 唐突な専門性の高い話題に、皆が目を白黒させる。
 ノアリデアートはしばしの沈黙の末に、こくりと頷いた。

「設計図は見たことがある。伝統的な構造にあまり変化はないが、振動によって起こる偏差を矯正している」

「うおっ、マジか! 技術的なところまで分かるか?」

「……一応は」

 一応、と言いつつ、マルガリータは彼が歴史上稀に見る軍事の鬼才であることを知っている。二人の専門家の話が、こうして盛り上がってしまった。
 そして不覚にも、それによって部屋の空気が少しずつ和らいでいくのが分かる。
 そのうちソフィアまで間に入って、物資の消耗や補給に関する質問をしたり、アウグストも実戦への応用について尋ねたりし始めた。カゲロウも一生懸命メモしている。
 その長いとも短いとも言えぬ交流がひと段落着いたところで、マルガリータは両手を叩いて会合の終結を示した。

「おっ、すまんお嬢、話し込んじまって」

 最初に動き出したのはグランツ。彼は重そうな工具箱を肩に担ぐと、ノアリデアートに向かって行って、力強い握手を交わした。
 傷だらけで、たこが点在するその手は、彼の努力と才能を示すかのような、強さと暖かさを持っていた。

「生きてりゃ、希望はある。傷、早く治しな!」

 そう言うと、彼はマルガリータに一礼してから、颯爽と部屋を出て行った。
 ソフィアもそれに続いて、少し考えた末に、手を差し出して握手をした。短く控えめな握手だが、確かな温度が残る。

「あなたが更生するつもりなら……見守らせてもらう。けどまだ、私は認めてないから」

 そう言ってからマルガリータに深々と頭を下げ、去っていくソフィアの後ろ姿に、マルガリータは苦笑したが何も言わなかった。
 アウグストも、ノアリデアートの手を強く握りしめた。粉砕しそうな力の使い方だが、それが今の彼の考えを示しているようだった。

「……」

 そうして手を離したアウグストが、マルガリータに敬礼してから無言で立ち去って行く。
 彼の巨大な影からぴょこんと出てきたカゲロウが、小さな手でノアリデアートの手を取り、ぶんぶんと上下に振った。
 先ほどの会話からは、カゲロウの立場はあまり分からない。だが、敵意はあまりなさそうだった。

「隔世殿は静かだから、いっぱい考えるのに最適な場所だよね。じゃーね!」

 何だか意味深な言葉を残して、カゲロウはマルガリータに笑みを見せた後ぱたぱたと去っていく。逐一握手に応えたノアリデアートは、自分の手をじっと見つめた。
 四人分の温度と言葉を、頭の中で反芻する。
 ――すべては、これから、一から始まるのだ。マルガリータは、そのチャンスを自分にくれた。

「……今日のところは、隔世殿の作業が終わっていないから、とりあえずわたしの部屋に来てもらうわ。いいですか?」

「あ……。あぁ」

 もちろんなんだろうと従うつもりではあったが、今更ながらやはり気恥ずかしいことだった。ソフィアやグランツの反応が本来は正しいだろう。
 まあ、マルガリータにとって彼が全く興味のない人間であれば、確かに気にする必要はないが――。
 頭をよぎった苦い考えを、ノアリデアートは首を振って払い落とした。

「これから、どうするつもりだ?」

「エルムライトとアメリアが、このまま引き下がるはずがない。手段を選ばなくなる可能性だってあるわ。多方面からそれを警戒しなくてはならない。そのためにも、貴方の力が必要です。貴方ほどあの二人を良く知っている人は、ここにはいないでしょう」

「……そうだな」

 例え、マルガリータがノアリデアートに対し何の感情も持っていないとしても。
 今、帝国とたたかうこの瞬間において、ノアリデアートという存在は、彼女にとって必要である。それだけで、もう充分だった。

「まぁ、例えどんな手を使ってきたとしても――」

 好戦的に口角を吊り上げたマルガリータが、前方を見据えて続ける。

「――受けて立ってやるわ」

 マルガリータの鋭い瞳が、まるで遠くの帝都とそこにいる『主人公たち』を射抜くかのように、光を放った。
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