氷上の悪役令嬢

Estella

文字の大きさ
25 / 47
第二章 『「主人公」と「ヒロイン」』

第二章1 『隔世殿の波乱』

しおりを挟む
 隔世殿の客室は程よい温度に保たれていて、初春のやや冷たい風が開かれた窓から感じられる。
 ノアリデアートが収監されているのは、今や地下牢でも使用人部屋でもなく、客人用の一室であった。前と比べて長くなった鎖がなければ、囚人だとはとても思えない。
 壁も地面も清潔で、ベッドも柔らかく、机と椅子、それに本棚まで用意されている。彼の行動範囲は部屋の全域にまで広がり、これまで通りベッドの上で時間が過ぎるのを待つ必要もなくなった。
 窓の近くに椅子を置いて腰かけていたノアリデアートは、静かに本を読んでいた。北境の文化や歴史、地理に関わる書籍が、机の上に積み上げられている。

 レガード医師の治療とマルガリータの煎じる薬が功を奏し、相当深い傷はともかく、内臓に届かない傷は基本的に快方に向かっていた。
 唐突に襲う激痛も減ったし、三年前からの長い付き合いである高熱とも、ようやくおさらばができた。
 長時間座っていられるほど体力も回復し、ノアリデアートとしても意外なくらいに快適な生活を送っている。もちろん、参謀として意見を出したり情報を差し出す仕事は、ほぼ毎日のように行っていた。

 暴言も、暴力も、侮蔑も、屈辱もない。そんな生活が、なんだか非現実的に思えるほどで。
 だが、穏やかに本を読んでいた彼の平静は、ついに焦りを隠さぬ速い足音と扉を開ける音によって打破されてしまった。

「……ヴァイス参謀?」

 ノアリデアートと同じく参謀の地位にいる少年、ヴァイスの姿が、目に飛び込んでくる。
 肩で息をするヴァイスの表情は、とても平静とは見えなかった。
 いつも冷静な彼の姿からかけ離れているし、何より、彼がマルガリータを伴わずにノアリデアートを訪問するのは初めてだった。

 ヴァイスはその呼び声には答えず、何かから逃げるように扉を閉めて、焦燥感を込めて重々しく口を開いた。

「……僕がここにいることも、これから話すことも、マルガリータお嬢様の許可を取っておりません。というより、お嬢様ははっきりと貴方に教えてはならないと、僕に命令しました」

 ノアリデアートの本を握る指に力がこもる。
 ヴァイスがマルガリータの言いつけを破るほどに焦り、そして何も行動を起こせぬはずのノアリデアートにわざわざ情報を封じるように、マルガリータが命令する程の何か。
 何かが起こっている。もどかしい思いに焼かれながら、ノアリデアートは自身の感情を押さえつつ言葉を絞り出す。

「……命令を、破ってもいいのか」

「僕は! 貴方がこの事を知らないでいることを、許容することが出来ません。お嬢様が罠に自ら飛び込んでいくのを、見過ごすこともできません!」

「一体何があった?」

 ヴァイスは深呼吸を一つして、ノアリデアートが一文字も聞き漏らさぬように、ゆっくりと語った。

「エルムライト皇帝の要請に応じて、お嬢様が帝都に赴かれます。恐らく、もう出発の準備をされているかと」

「――!!」

 驚愕が、部屋の中に弾ける。
 道理で、ここ数日マルガリータが来なかったわけだ。全てが繋がって、ノアリデアートは青ざめた。手に持っていた本が、するりと手から落ちて地面にぶつかり軽快な音を立てる。
 マルガリータが……帝都に行く?

 何もないはずがない。誰がどう見ても、エルムライトとアメリアがわなを仕掛けて待っているはずだ。
 そこに自ら赴くのは、自殺行為に他ならない。北境ならばすべてが彼女の味方だが、帝都ではいくら彼女が強かろうと、不測の事態はありうる。
 それにもしも、エルムライトが手段を選ばず彼女を制圧しようとしたら? 誰より強大な魔力量を保持するノアリデアートさえどうにもできなかったのだ、彼女にとっても危険に他ならない。

「何故……こんな……!」

 声を震わせるノアリデアートが、立ち上がろうとして力の使い方を間違えて失敗する。焦燥感が、まるで体の使い方を忘れさせるかのようだ。
 変な動き方をしたせいか、久々に傷口に激痛が走る。鎖が急な動きに伴って耳障りな音を立てた。

 初春の穏やかな雰囲気の中で、新たな波乱が起ころうとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

この離婚は契約違反です【一話完結】

鏑木 うりこ
恋愛
突然離婚を言い渡されたディーネは静かに消えるのでした。

ざまぁはハッピーエンドのエンディング後に

ララ
恋愛
私は由緒正しい公爵家に生まれたシルビア。 幼い頃に結ばれた婚約により時期王妃になることが確定している。 だからこそ王妃教育も精一杯受け、王妃にふさわしい振る舞いと能力を身につけた。 特に婚約者である王太子は少し?いやかなり頭が足りないのだ。 余計に私が頑張らなければならない。 王妃となり国を支える。 そんな確定した未来であったはずなのにある日突然破られた。 学園にピンク色の髪を持つ少女が現れたからだ。 なんとその子は自身をヒロイン?だとか言って婚約者のいるしかも王族である王太子に馴れ馴れしく接してきた。 何度かそれを諌めるも聞く耳を持たず挙句の果てには私がいじめてくるだなんだ言って王太子に泣きついた。 なんと王太子は彼女の言葉を全て鵜呑みにして私を悪女に仕立て上げ国外追放をいい渡す。 はぁ〜、一体誰の悪知恵なんだか? まぁいいわ。 国外追放喜んでお受けいたします。 けれどどうかお忘れにならないでくださいな? 全ての責はあなたにあると言うことを。 後悔しても知りませんわよ。 そう言い残して私は毅然とした態度で、内心ルンルンとこの国を去る。 ふふっ、これからが楽しみだわ。

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

婚約破棄された悪役令嬢は、辺境侯に拾われて過保護に愛される

nacat
恋愛
公爵令嬢エリシアは、婚約者である王太子に突然「お前とは結婚できない」と告げられる。 身に覚えのない罪を着せられ、社交界から追放されかけた彼女を救ったのは、冷徹と噂の辺境侯ゼノヴィア。 「俺の城で静かに暮らすといい」――そう言って差し伸べられた手は、思いのほか優しかった。 氷のように無表情だった彼が、次第に見せる愛情はあまりにも熱く、独占的で、息ができないほど。 そして彼女が新しい幸福を手にしたその時、かつて彼女を捨てた者たちが、後悔と嫉妬に塗れた顔で跪く――。 王道ざまぁ×激甘溺愛×救済ロマンス。苦しみの果てに手にした愛は、もう二度と離さない。

悪役令嬢を追放したはずの王太子殿下が、なぜか毎晩泣きついてきます

nacat
恋愛
婚約破棄の場で一方的に罪をきせられ、王都を追放された公爵令嬢リディア。 だが彼女には、誰も知らぬ“真の力”と“もう一つの顔”があった。 平穏な辺境生活を始めた矢先、元婚約者である王太子が何度も彼女のもとを訪れるようになり……? 「君なしでは眠れない」——そんな虫のいい言葉、今さら信じると思う? ざまぁ×逆転劇×溺愛の王道を詰め込んだ、恋と因果のファンタジーロマンス。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

処理中です...