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第二章 『「主人公」と「ヒロイン」』
第二章4 『嘘つき』
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その日の黄昏、久々にマルガリータの姿が隔世殿に現れた。帝国行きの準備で忙しく、参謀の仕事も基本的に手紙でやり取りしているため、もうかなり長く二人は会っていなかった。
自分が、どうしてノアリデアートの待遇をここまで良くしたのかは分からない。
彼を参謀にしたからには、あるべき待遇を与えねばならないと思ったに違いない、と思っている。それか、婚約者時代の情が残っているのかもしれない。
ノアリデアートは窓辺の椅子に座っており、その手には開かれた本を持っていた。
だが、その上に書かれた文字は何一つとして頭に入ってきてはいない。帝国、という言葉が本の上や頭の中をよぎるたびに、ヴァイスが訪れたあの日を思い出すから。
マルガリータの気配を感じて、ノアリデアートはゆっくりと顔を上げる。
ヴァイスに託されたこと。それを、実現する日がようやく訪れた。自分に何かできることがあるとしたら、今のこの瞬間の会話にしかないと知っている。
「北境の境界付近で小競り合いがあったようですので、わたしは最大で一ヶ月ほどその件を処理しに行かなくてはなりません。その間、ここには来られないのと、参謀としてのやり取りはソフィアとしていただくことになるかと。レガード医師の診察と物資の供給は今まで通りですので、ご安心を」
ヴァイスの話した通りの言い訳。それが、今まで通り、今まで話してきたどんな言葉とも変わらぬ、抑揚のない言葉で連ねられていく。本当に、ちょっとした何かを話しているような態度で。
まるで本気で、ちょっと行って来たら帰ってくる……そんなふうに言っているかのようで。敵地に単身で赴くとは、とても思えない。
彼女は、彼の前で嘘を吐いて、演技をしている。
それが、ノアリデアートの心を締め付けた。
自分が知っても意味がないからと、これほどに重大な情報を知らされる人々の中から、除外された。
その疎外感。彼女の引いた一線の内側に触れられないことが、こんなにも苦しいとは。
複雑な感情をにじませた瞳で、ノアリデアートはマルガリータと目を合わせた。その、全てお見通しだとでも言うような目に、マルガリータの心がざわめく。
「……俺には、本当のことを言わないんだな」
「なんですって?」
「帝都に行くんだな。エステル。これが君の復讐なら、本当に上手くやったな」
「――どうして、それを!」
さすがのマルガリータも、驚愕に染まる。
誰かがここに来てノアリデアートに教えに来ない限り、彼は絶対にそれを知ることができない。それに関してマルガリータが想いを馳せる前に、ノアリデアートは続ける。
「殺してもいいから、無関心をやめてくれと言ったのを、覚えているか?」
「覚えていますが……」
「君が俺に何も言わずに、俺の知らぬうちに帝都で何かが起こり、それを後から知らされたら、俺は精神的にも物理的にも今度こそ完全に終わる。それが君の望みなら、良かったな、目的達成だ……」
「縁起の悪いことを言わないでください。死にに行くのではありません……わたしにも計画と目的があって、これはそれに必要な事です……!」
「ああ。君が無事に帰ってきたとしても、万が一事実を知ることがあった場合、俺は平常心ではいられない。良い方法だ。そういう殺し方も、確かにある」
「……勝手なことを……」
ぎりっ、とマルガリータは奥歯を噛みしめる。失望したような笑みを見せるノアリデアートの言うことには、確かに反論する手立てが見つからなかった。
除け者にされるということは、無関心を恐れる人間にとって、何より苦しいものであることは間違いない。
最後に縋れるものさえ無くしてしまったなら、彼は確かに精神的な死を迎えるだろう。何にも縋らずに生きるには、あまりに過酷な三年を過ごしてしまったのだから。
だが、マルガリータは冷静だった。
ノアリデアートの言葉は確かに胸に刺さったが、それは彼女の思考を止める術にはならない。
彼女は怒りを込めた冷笑を浮かべて、彼を睨みつけた。
「ヴァイスですね。貴方に全てを教えたのは」
「……」
沈黙は肯定だった。
最も信頼していた人の裏切りに、マルガリータはハッ、と自嘲したような笑い声を上げた。彼女は間違いなく、今傷ついているはずだ。
でもヴァイスもノアリデアートも、その全てを覚悟して、彼女を説得することを選んだのだ。
彼女を傷つけたくはなかった。でもそれでマルガリータに警鐘を鳴らすことができるなら、ノアリデアートは前に宣言した通り、彼女の憎しみを一身に受ける覚悟があった。
そのまま背を向けて歩き去ろうとするマルガリータに向かって、声を張り上げる。
この世で一番傷つけた人。七年間、苦しませ続けた人。三年知らぬ土地で血のにじむ努力をしてきた人。そして、死に瀕する自分を、ここまで掬い上げてくれた人。
その彼女の憎しみが、殺意が、嫌悪が、彼女に警鐘を鳴らすことができるのなら。
「エステル、忘れるな。君に何かあれば後を追うぞ。この部屋には今や、それが叶いそうな物が豊富にある」
「……」
脅迫にも似たその言葉が、放たれる。
無関心を恐れ、余裕を失い、自分のことばかりを考えていた、数か月前とは違う。自分の為ではないから、恐れたり、震えたりする必要がない。
真摯に語った言葉だから、マルガリータの心にも届いていると信じている。
彼女が、安全に帝都から戻って来られること。
去り行く彼女の背中を見つめながら、ノアリデアートはそれを深く祈った。
自分が、どうしてノアリデアートの待遇をここまで良くしたのかは分からない。
彼を参謀にしたからには、あるべき待遇を与えねばならないと思ったに違いない、と思っている。それか、婚約者時代の情が残っているのかもしれない。
ノアリデアートは窓辺の椅子に座っており、その手には開かれた本を持っていた。
だが、その上に書かれた文字は何一つとして頭に入ってきてはいない。帝国、という言葉が本の上や頭の中をよぎるたびに、ヴァイスが訪れたあの日を思い出すから。
マルガリータの気配を感じて、ノアリデアートはゆっくりと顔を上げる。
ヴァイスに託されたこと。それを、実現する日がようやく訪れた。自分に何かできることがあるとしたら、今のこの瞬間の会話にしかないと知っている。
「北境の境界付近で小競り合いがあったようですので、わたしは最大で一ヶ月ほどその件を処理しに行かなくてはなりません。その間、ここには来られないのと、参謀としてのやり取りはソフィアとしていただくことになるかと。レガード医師の診察と物資の供給は今まで通りですので、ご安心を」
ヴァイスの話した通りの言い訳。それが、今まで通り、今まで話してきたどんな言葉とも変わらぬ、抑揚のない言葉で連ねられていく。本当に、ちょっとした何かを話しているような態度で。
まるで本気で、ちょっと行って来たら帰ってくる……そんなふうに言っているかのようで。敵地に単身で赴くとは、とても思えない。
彼女は、彼の前で嘘を吐いて、演技をしている。
それが、ノアリデアートの心を締め付けた。
自分が知っても意味がないからと、これほどに重大な情報を知らされる人々の中から、除外された。
その疎外感。彼女の引いた一線の内側に触れられないことが、こんなにも苦しいとは。
複雑な感情をにじませた瞳で、ノアリデアートはマルガリータと目を合わせた。その、全てお見通しだとでも言うような目に、マルガリータの心がざわめく。
「……俺には、本当のことを言わないんだな」
「なんですって?」
「帝都に行くんだな。エステル。これが君の復讐なら、本当に上手くやったな」
「――どうして、それを!」
さすがのマルガリータも、驚愕に染まる。
誰かがここに来てノアリデアートに教えに来ない限り、彼は絶対にそれを知ることができない。それに関してマルガリータが想いを馳せる前に、ノアリデアートは続ける。
「殺してもいいから、無関心をやめてくれと言ったのを、覚えているか?」
「覚えていますが……」
「君が俺に何も言わずに、俺の知らぬうちに帝都で何かが起こり、それを後から知らされたら、俺は精神的にも物理的にも今度こそ完全に終わる。それが君の望みなら、良かったな、目的達成だ……」
「縁起の悪いことを言わないでください。死にに行くのではありません……わたしにも計画と目的があって、これはそれに必要な事です……!」
「ああ。君が無事に帰ってきたとしても、万が一事実を知ることがあった場合、俺は平常心ではいられない。良い方法だ。そういう殺し方も、確かにある」
「……勝手なことを……」
ぎりっ、とマルガリータは奥歯を噛みしめる。失望したような笑みを見せるノアリデアートの言うことには、確かに反論する手立てが見つからなかった。
除け者にされるということは、無関心を恐れる人間にとって、何より苦しいものであることは間違いない。
最後に縋れるものさえ無くしてしまったなら、彼は確かに精神的な死を迎えるだろう。何にも縋らずに生きるには、あまりに過酷な三年を過ごしてしまったのだから。
だが、マルガリータは冷静だった。
ノアリデアートの言葉は確かに胸に刺さったが、それは彼女の思考を止める術にはならない。
彼女は怒りを込めた冷笑を浮かべて、彼を睨みつけた。
「ヴァイスですね。貴方に全てを教えたのは」
「……」
沈黙は肯定だった。
最も信頼していた人の裏切りに、マルガリータはハッ、と自嘲したような笑い声を上げた。彼女は間違いなく、今傷ついているはずだ。
でもヴァイスもノアリデアートも、その全てを覚悟して、彼女を説得することを選んだのだ。
彼女を傷つけたくはなかった。でもそれでマルガリータに警鐘を鳴らすことができるなら、ノアリデアートは前に宣言した通り、彼女の憎しみを一身に受ける覚悟があった。
そのまま背を向けて歩き去ろうとするマルガリータに向かって、声を張り上げる。
この世で一番傷つけた人。七年間、苦しませ続けた人。三年知らぬ土地で血のにじむ努力をしてきた人。そして、死に瀕する自分を、ここまで掬い上げてくれた人。
その彼女の憎しみが、殺意が、嫌悪が、彼女に警鐘を鳴らすことができるのなら。
「エステル、忘れるな。君に何かあれば後を追うぞ。この部屋には今や、それが叶いそうな物が豊富にある」
「……」
脅迫にも似たその言葉が、放たれる。
無関心を恐れ、余裕を失い、自分のことばかりを考えていた、数か月前とは違う。自分の為ではないから、恐れたり、震えたりする必要がない。
真摯に語った言葉だから、マルガリータの心にも届いていると信じている。
彼女が、安全に帝都から戻って来られること。
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