氷上の悪役令嬢

Estella

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第二章 『「主人公」と「ヒロイン」』

第二章5 『忠誠とは何か』

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「――ヴァイス・クレンディ!」

 氷結城のヴァイスに当てられた執務室。そこには恐ろしいほどの量の本が散乱しているだけではなく、この世の物と思えぬ奇々怪々な物品が大量に転がっていた。
 何かを覚悟したような沈痛な表情でペンを動かすヴァイスの耳に、その声と扉を開く音が聞こえる。
 静かに書類から顔を上げたヴァイスは、冷たい目をしたマルガリータと目を合わせて立ち上がった。

「お嬢様」

「わたしの命令に従わなかったのね。これは初めてのことだわ。どうしてわたしの計画をあの人に知らせたの? 意味がないから言うなと言ったはずよね。わたしが貴方を一番信頼しているって知っているでしょう。それが、何故?」

 静かに、だが的確に追い詰めるように、マルガリータが詰問する。
 ヴァイスは、その強くなった少女をじっと見つめた。
 かつて、人々の言葉と視線に怯えてばかりで、理不尽にも言い返せなくて、苦しい事も全部抱え込んで、それなのに愚直にどんな人にも歩み寄ろうとして、そのたびに失敗してきた少女は、本当に強くなった。
 ヴァイスは、そんなマルガリータのもがきと進化を、ずっと隣で見つめてきたつもりだ。
 隣で見つめて、助言をして、彼女が強くなる手助けをしてきた。それは、彼女にここで危険に飛び込ませるためではない。

「何故かって? 分かってるでしょう。爵位を授けるって? ただの断頭台の間違いじゃないですか。どんな罠が待っているかも分からないのに、逆に何故僕が貴方をみすみす行かせると思ったんですか?」

「わたし一人の安全について考えているせいで、北境全域を危険にさらすわけにはいかないからよ!」

「でもそれは、あの人に情報を遮断した理由にはなりませんね」

「――。不必要な動揺と面倒を避けるためよ。知らなくても知っていても、メリットもデメリットも生まれないじゃない。なら、変に知らせる必要もないでしょう」

 マルガリータの言葉の勢いに乗った鋭いヴァイスの問いに、答える彼女の声に気勢はあまりない。
 対してヴァイスは、ハッハッハ、とらしくもなく大声で笑いだした。こんなことは一度もなかったために、マルガリータも思わず目を丸くする。

「面倒? 貴女自身も言ってましたよね。あの人は帝国のことを詳しく知ってる! だから参謀にするべきだと! 矛盾してるんだよ、全部! 僕らがここで頭を悩ませてあいつらの腹の中身を推測するよりも、あの人の意見を求めた方が価値があった! 貴女は彼を参謀として使ってはいるけれど、手紙のやり取りで精々コメント程度にしか関わらせていない。それは、あの人を北境で生きさせるための基盤を整えるためってだけですよね。貴女はずっと一線を引き続けている。貴女は面倒だからあの人を除け者にしてるんじゃない、貴女は怖がってるだけだ!!」

「勝手なことを言うのはやめなさい、貴方にわたしの何が分かるって言うの!!」

「分かる! 何年も見てきた! 前世も足したら何十年も貴女を見てきた! 分からないはずがない! 僕は貴女自身よりも貴女のことが分かっていると自負できる!」

「そんなの傲慢すぎるわ! わたしが何を怖がる必要があるっていうの、あの人には何の脅威もないのに!」

「あの人がどうとかじゃない、貴女が怖がっているのは貴女自身の心だ! あの人と向き合って、心が揺らぐのが怖いんだ! 気に掛けているんだって、重視してるんだって、彼の力が必要なんだって、共に生きたいって、認めたくないだけなんでしょう!? 待遇を良くしたのも、参謀にしたのも、貴女はいつだってメリットと合理性を強調してる! そこから逸脱したことは、しないんじゃない、できないんでしょう、怖いんでしょう!! あの人に何も言わなかったのも、前のようにあの人に引き留められたら、今度こそ理性的な選択ができるかどうか分からないからなんじゃないのか!!」

「やめなさい! いくらわたしが貴方を大事な部下だとしていても、出過ぎた発言よ!!」

「逃げるな!! 僕は貴女を止めるためだったら、いくらでも出過ぎてやるさ!! この命で以て、貴女を救うためにこの世界に転生してきたんだから! 貴女がその意地のせいで罠にかかって命の危険に陥るような未来は、絶対に許容できない! 僕は貴女がこの世界の頂点に立つのを補佐してる。あんな主人公たちの餌になりにいくことになんて、僕は協力しない!」

 その言葉にマルガリータが返事をしなかったことによって、部屋の中に沈黙が下りる。二人がはぁはぁと肩で息をする声だけが、部屋の中で交じり合っていた。
 ヴァイスの忠義の厚いことは、ずっと前から知っている。北境の厳しい環境の中で、彼が自己犠牲し続けてマルガリータを守ってくれなかったら、今回も彼女は悪役令嬢のまま命を落としたに違いない。
 世界を、そして例えマルガリータ本人を敵に回してでも、必ず護る。
 その決死の覚悟に、心が揺らぎっぱなしのマルガリータの言葉が届くはずがない。そもそも、認めたくはないが、ヴァイスの言葉はどれも的を射ているものばかりだった。

「――マルガリータ様! ヴァイス卿!」

「おいおい、大丈夫かよこりゃ……!」

 急いでいたマルガリータは、実は扉を閉めていなかった。そのため、通りがかったソフィアとグランツは、ただならぬ剣幕の二人の大喧嘩を聞いてしまっていたのだ。もちろん内容まではよく聞き取れなかったが、ヴァイスが何をしたか既に知っていたので、大体何を喧嘩しているかは分かっていた。
 喧嘩がひと段落着いたところで慌てて突入してきた二人は、剣呑な雰囲気に冷や汗をかいた。

「喧嘩はよせよお嬢。みんな家族みたいなもんなんだから、冷静にいこうじゃねェか。ほら、参謀の坊主は確かに我が強いところはあるが、思いやりで言ってくれてんのは間違いねェだろ? それを、一刀両断するのはちげェんじゃねェの。まァ坊主も坊主だ、主にどういう口利いてんだ。俺もとやかくは言えねェけど、さすがに大声は上げねェよ」

「お二人とも、このような争いをしても、得られるものは何もありません! 内部分裂なんて、皇帝側が望むことそのものではないですか!」

 マルガリータの目は変わらずヴァイスを睨んだままで、ヴァイスも負けじと見つめ返していたが、二人とも爆発的な激情は少しずつ落ち着いてきていた。
 初めてこんなマルガリータを見てやや衝撃的ではあったが、その驚嘆を抑え込んで、ソフィアはふたりの間に入る。

「マルガリータ様。機密を勝手に話したヴァイス卿に非はあります。ですが、正直に言って、彼が語られたのは、我々の心の声であります。帝都に赴かれる件はアウグスト元帥はもちろんのこと、グランツも私も、心底反対です。貴女を守りにも行けないのに……」

「あんな場所に行くって言われたら、誰だって反対する。アウグストのおっさんだって、今辺境巡回任務がなかったら、何度も押しかけてきてただろうしなァ。でも、お嬢の気持ちもわかる。俺だって、戦争が起きるって言われたら嫌に決まってるさ。現状それしか方法がないのも、理解できる」

 ソフィアの冷静な分析とグランツの重みがありながらも穏やかな声に、マルガリータとヴァイスの間に散っていた火花も徐々に霧散した。
 確かに、腹心たちを置いていって、そしてノアリデアートを排除して、マルガリータとヴァイスで帝国に突入というのは、あまりにも猪突猛進的で褒められたものではなかったのかもしれない。

 自分の能力を過信したり、傲慢になることが、戦場ではもっとも恐ろしい事だ。部下たちの意見が決して間違いではないことが、マルガリータにもわかった。
 そして、マルガリータが帝都に赴く以外に平和を守る方法はないのだと、ヴァイスも知っている。

 だから、ヴァイスは自らの感情を落ち着けて、制服を正して背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。

「お嬢様。でしたらどうか、腹心たちを全員帝都までお連れください。何か起きても、みんながいればどうにかなると思います。皇帝が皇室騎士団引き連れてここまで来たのですから、僕らも完全武装でいきましょう。これが最低条件です。お願いします」

「私からも、お願いします」

「あぁ、お願いだ、お嬢。俺たちも行かせてくれ」

 ずっと付き従ってきてくれた執事兼参謀の少年。冷静で、毒舌だけれど実は世話焼きで優しい内政官の少女。そして堅実で忠誠心が高く潤滑油な匠の男。
 マルガリータが北境へ来た時からの、ここでの彼女の核心的な存在。
 北境を守るために。マルガリータを守るために。彼らの心は、ずっと最初から変わっていない。二心ないそれを、忠誠と言わずして何と呼ぶのか。
 窓の外の風の音がはっきり聞こえるくらいの沈黙が過ぎていって、ついに、マルガリータが眉尻を下げて困ったように微笑んだ。

「……そうね。みんなで行きましょう。親衛隊もこの際作っちゃいますか。わたしも実はみんながいないと寂しいから……みんなで、帝都に行けるのは嬉しいわ。ただし、その間の北境の政務に関してはちゃんと考えないといけないわよ」

「やった!」

 思わずガッツポーズをとるヴァイス。ほっとしたように息を吐くソフィア。やれやれと肩をすくめたグランツ。ここにはいないアウグストとカゲロウも、大切な仲間たちだ。
 そうだ。みんなで一緒に帝都に行って、みんなで一緒に立ち向かおう。
 それでこそ、北境の在り方だ。

「準備をしてちょうだい。一週間後に、出発するわよ」

「「「はい!」」」

 ――そうして、波乱の末に、マルガリータ一行の危険な帝国行きが決まったのであった。
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