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第二章 『「主人公」と「ヒロイン」』
第二章8 『爵位授与式と波乱』
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マルガリータにシャトーブラン大公位を授ける爵位授与式は、重要な行事にのみ開かれる帝国聖殿で行われた。その豪奢さと厳正さに、来場した貴族達が皆閉口する始末だ。
もちろんマルガリータが瑠璃宮に住まわされていると聞くと、閉口を通り越して愛想笑いを浮かべることしかできない。
噂と言うのは好き勝手言われるものなので、マルガリータとしても困った事だ。
これは、言い方は悪いが、ノアリデアートがこんな場所にいなくて良かったかもしれない。
――いや、何故そんなことを気にする必要があるのだろうか?
「……?」
「お嬢様?」
「あ、あぁ。何でもないわ」
影のように背後に潜むヴァイスの声に、軽く片手を上げてからマルガリータは前方を見据えた。そうだ、今は雑念の存在を許してはいけない。
目の前には、誰より高い位置で杖を掲げるエルムライトの姿。もちろんその杖は大公位を象徴するものとしてエルムライトに与えられるものだが――、生理的な嫌悪感が抑えられない。
彼の瞳から放たれる熱量は相変わらず尋常でなく、固唾を呑んで見守る貴族達も、エルムライトの常軌を逸した様子に小声で噂していた。
「――マルガリータ・エステル・ド・シャトーブランに、大公位を授ける。今日を以て、そなたは皇帝の名においてシャトーブラン大公の名乗りを許される」
「帝国の太陽、皇帝陛下に感謝申し上げます」
キラキラと輝く笑顔のエルムライトとは違い、授与式の最初から最後まで、マルガリータは表情筋ひとつ動かさなかった。
初めは、悪役令嬢マルガリータが聖女アメリアから夫を奪いに来たのだ、という噂もあったのだが、今となってはあまりそれを信じる人はいない。
エルムライトの態度もそうだが、マルガリータの地位が以前とは比較にならないことが理由の大半だろう。
人間とは、そういうものだ。
もちろん、マルガリータにとって大事なのは、授与式後の宴会。
そこは、錯綜する思惑と水面下の陰謀などが渦を巻いている、情報収集にもってこいの場だ。
ワイングラスを持って宴会場を渡り歩き、彼女に集まってくる貴族をあしらったり情報を聞き出したりしつつ、マルガリータは現帝国の派閥や政治、流行などを把握していた。
ノアリデアートの時は分かりやすかったが、エルムライトの統率力がないせいかぐちゃぐちゃの状況だ。エルムライトが貴族たちの権益を求める行為を放任しているから、不満はあれど反乱が起こることはないというだけだ。
(――けど、何もエルムライトに従ってる人ばかりじゃない。探せば必ず、汚職や腐敗に不満を抱いている貴族が存在するはず。そうね、あの人達はまだエルムライトにやられていないから……)
少なくとも、ノアリデアートの時代は汚職や腐敗というものは厳格に取り締まられていた。婚約者時代に、マルガリータはそうしたノアリデアートの方針に賛成していた貴族たちを把握している。
身分の高かった者は大抵エルムライトに失脚させられるか、最悪殺害されているが、まだ彼の力が届き切っていない人々は存在する。
エルムライトが即位したこと自体に不満を持つ者。そして彼の強引な政策に振り回されたくない者。彼の政策で利益を失った者。マルガリータにとって、そんな貴族たちを見分けることは簡単だった。
「――わたしと、手を組んでちょうだい」
長々とした説得は必要ない。
彼らの求めるものを提示して、そしてその一言。それがあれば、彼らの心を傾けるには十分。それが、統率力というものだ。
もちろん、マルガリータも『手を組む』と言いつつ、自分の陣営に誰かを引き込むことをしたわけではない。
『北境の安定のため、マルガリータ・シャトーブランとエルムライト・ルカスが衝突を起こすことがあった場合、どちらにも加勢せず中立的立場を保つこと』。
エルムライトの政権がある現在、加勢を求めることは危険だ。要は何もするな、という要求に、最初は戸惑っていた貴族達も最終的に首を縦に振った。
だが、エルムライトの軍事力は確実に削った。たとえ最終的に約束を守らない者が何人かいたとしても。
儀式と宴会は、そうした表面上の喧騒のなかで、そして水面下の思惑の中で終わっていった。
マルガリータは挨拶もそこそこに、そのまま瑠璃宮に直行。完全に伴侶にあげる部屋のように配置されたあの場所に行くのは億劫だが、仕方あるまい。
「疲れたわ……」
「そうでしょうね。明日も謁見がありますし……あと三日もここに滞在する必要が本当にあるんですか?」
「さすがに直帰は何を言われるか分からないもの。できるだけ動乱は少なく、エルムライトに勝ちたいからね」
「しかし……」
「!」
とんとん、と部屋の扉が軽く叩かれる。
ソフィアとマルガリータがバッと扉の方を向くが、気配から殺気などは感じないし、一人しかいないようだ。ベッドに座っていたマルガリータは、立ち上がって扉に向かっていった。
背後ではソフィアが魔力を活性化させて警戒している。彼女の戦闘力もかなりのものだ。
「――シャトーブラン大公閣下」
「貴女は……その制服は、皇后陛下の侍女?」
婚約者時代の知識で、マルガリータは訪問してきた中年の女性の身分を言い当てた。相手もそれは当然と思っているようで、軽くうなずいている。
意外にもアメリアの方から接触してきたことに驚くマルガリータだが、背後のソフィアは生きた心地がしていない。
「皇后陛下は明日正午『鏡花水苑』にてお茶会をお開きになります。陛下は大公閣下の参加を望まれております」
「参加者はどれくらいいるの?」
「……お二人でございます。必ず、ご参加ください。それでは、失礼いたします」
金色に光る招待状をマルガリータに手渡すと、侍女は足早に去っていった。マルガリータの返答も聞かなかったが、彼女が参加することに自信でもあるのだろうか。
招待状を開封すると、誰を何人連れてきても構わない、と書いていることもあるし、何やらアメリアには深い思惑があるようだ。
マルガリータはこっそりヴァイスを部屋に呼び寄せ、ソフィアと共に招待状を見せる。
「お嬢様。間違いなく罠ですね。あのアメリアが、ただ茶を飲むためだけにお嬢様を誘い出すわけがないです。何人連れてきてもいいって……何かとんでもないことを考えているに違いありません。お嬢様、行ってはなりません」
「私もそう思いますが……お嬢様のことですから……」
「……」
「……」
「……はは」
「やはりッ、行く気なんですねッ!?」
ヴァイスの魂からの叫びから逃れるように、マルガリータは窓元に向かい、外の明かりを見つめる。
授与式でのエルムライトの熱意の籠った目。そして、幾度も聞いた、未知の存在大魔法使いレインズウェル。二人きりの茶会を仕掛けてきたアメリア。
――ここまで来て、逃げるわけにはいかない。
わざわざ敵地に来たのだから、敵の思惑は全て把握しなければ、北境に帰ると一気に最新情報を手に入れづらくなる。
カゲロウにレインズウェルのことを探らせたが、あの情報収集の権化ですら、レインズウェルの素性は全く分からなかった。
今持っている情報は、レインズウェルが男で、そしてノアリデアートが廃位になった後、アメリアが皇后になるにあたって身分の低かった彼女の後見人となり、今は公爵位を持っているということだけだ。
だが、彼がどういう経緯で公爵になったのか、その家名もその歴史も来歴も出身も、何一つ分からない。少なくとも、マルガリータは婚約者時代一度もレインズウェルの名を聞いたことがなかった。
アメリアが接触してくるというのなら、むしろ歓迎すべきだ。危険を冒してでも……レインズウェルのことを探らなくては。
「……罠だとは知っているわ。例え罠にはまったとしても、情報が必要よ」
「レインズウェル、という者の情報ですか?」
「ええ。ヴァイスも知らないんでしょう?」
「……確かに、僕も知らないです。それでも反対です!」
「みんなわたしに付いて来るんだから、いいじゃないの。守ってくれるんでしょう?」
「大魔法使いと言うからには、魔法を使うはずです。僕らも知らない何かを使われたら、それでもし、お嬢様に何かあったら、僕たちは……!」
「――死なないわ」
ヴァイスの言葉に、マルガリータは覆いかぶさるようにそうきっぱりと言い放った。
何が待っているかも知らないのに、確信と自信に満ちた言い様に、ソフィアもヴァイスも固まってしまう。
それでも、マルガリータの瞳は真剣だった。
「……たとえ何が起ころうと、死ぬことだけは、ないわ」
重く、覚悟の籠った声に、部屋がしんと静まる。
マルガリータの瞳は、窓の外の景色を映していなかった。どこか遠くを見る彼女の脳裏に、あの日の記憶がよみがえる。
――エステル、忘れるな。君に何かあれば後を追うぞ。
彼は、その言葉を、どんな気持ちで口にしたのだろうか。
マルガリータが彼の元から去ることをあれほど恐れていた人間が、目的はどうであれ脅すようなことを言った。彼女があそこでもしも激昂したなら、彼のもとを去るかどうか以前に、どこか荒野に放り出してしまったとしたら、北境では三日も生きていけないだろう。
ノアリデアートの治世で奴隷制は撤廃されたが、未だに囚人の扱いは奴隷とそう変わらない。彼が前皇帝であろうとそうでなかろうと、上位者の庇護があるという例外の場合を除けば、囚人であるというだけで見るも無残な扱いを受けることは決定事項だ。
その未来を、考えられない彼ではない。それでも、マルガリータに警鐘を鳴らすことを優先した。
「……」
「お嬢様……」
「……わたしは、行くわ。そして、生きて北境に帰る」
ヴァイスはマルガリータを見つめて、しばし口をぱくぱくさせて何か言いたげにしていたが、ついには話したいことすべてため息に代えられた。
マルガリータが本気で決断した以上は、恐らく誰もそれを覆させることはできない。
やれることがあるとするなら、それはノアリデアートやヴァイスがやってきたように、できるだけ条件を増やすことだ。
「分かりました。僕たちの手で、完璧な準備をしてみせます。カゲロウは事前に潜入しておきますし、グランツさんは設備の点検をします、ソフィアさんは外交的な対処を。アウグストさんと僕は護衛を固めます」
「ええ。お願いね」
「……はぁ。本当に、マルガリータ様は仕方のない人ですね」
「でも、付いてきてくれるんでしょう?」
「――もちろんです」
「ふふっ」
北境でできた大切な想いを噛みしめて、マルガリータは微笑んだ。その瞳は、またも窓の外へとむけられる。星は、日々変わらず光り輝いている。
――明日の茶会。穏便に済むとは、決していかないだろう。
もちろんマルガリータが瑠璃宮に住まわされていると聞くと、閉口を通り越して愛想笑いを浮かべることしかできない。
噂と言うのは好き勝手言われるものなので、マルガリータとしても困った事だ。
これは、言い方は悪いが、ノアリデアートがこんな場所にいなくて良かったかもしれない。
――いや、何故そんなことを気にする必要があるのだろうか?
「……?」
「お嬢様?」
「あ、あぁ。何でもないわ」
影のように背後に潜むヴァイスの声に、軽く片手を上げてからマルガリータは前方を見据えた。そうだ、今は雑念の存在を許してはいけない。
目の前には、誰より高い位置で杖を掲げるエルムライトの姿。もちろんその杖は大公位を象徴するものとしてエルムライトに与えられるものだが――、生理的な嫌悪感が抑えられない。
彼の瞳から放たれる熱量は相変わらず尋常でなく、固唾を呑んで見守る貴族達も、エルムライトの常軌を逸した様子に小声で噂していた。
「――マルガリータ・エステル・ド・シャトーブランに、大公位を授ける。今日を以て、そなたは皇帝の名においてシャトーブラン大公の名乗りを許される」
「帝国の太陽、皇帝陛下に感謝申し上げます」
キラキラと輝く笑顔のエルムライトとは違い、授与式の最初から最後まで、マルガリータは表情筋ひとつ動かさなかった。
初めは、悪役令嬢マルガリータが聖女アメリアから夫を奪いに来たのだ、という噂もあったのだが、今となってはあまりそれを信じる人はいない。
エルムライトの態度もそうだが、マルガリータの地位が以前とは比較にならないことが理由の大半だろう。
人間とは、そういうものだ。
もちろん、マルガリータにとって大事なのは、授与式後の宴会。
そこは、錯綜する思惑と水面下の陰謀などが渦を巻いている、情報収集にもってこいの場だ。
ワイングラスを持って宴会場を渡り歩き、彼女に集まってくる貴族をあしらったり情報を聞き出したりしつつ、マルガリータは現帝国の派閥や政治、流行などを把握していた。
ノアリデアートの時は分かりやすかったが、エルムライトの統率力がないせいかぐちゃぐちゃの状況だ。エルムライトが貴族たちの権益を求める行為を放任しているから、不満はあれど反乱が起こることはないというだけだ。
(――けど、何もエルムライトに従ってる人ばかりじゃない。探せば必ず、汚職や腐敗に不満を抱いている貴族が存在するはず。そうね、あの人達はまだエルムライトにやられていないから……)
少なくとも、ノアリデアートの時代は汚職や腐敗というものは厳格に取り締まられていた。婚約者時代に、マルガリータはそうしたノアリデアートの方針に賛成していた貴族たちを把握している。
身分の高かった者は大抵エルムライトに失脚させられるか、最悪殺害されているが、まだ彼の力が届き切っていない人々は存在する。
エルムライトが即位したこと自体に不満を持つ者。そして彼の強引な政策に振り回されたくない者。彼の政策で利益を失った者。マルガリータにとって、そんな貴族たちを見分けることは簡単だった。
「――わたしと、手を組んでちょうだい」
長々とした説得は必要ない。
彼らの求めるものを提示して、そしてその一言。それがあれば、彼らの心を傾けるには十分。それが、統率力というものだ。
もちろん、マルガリータも『手を組む』と言いつつ、自分の陣営に誰かを引き込むことをしたわけではない。
『北境の安定のため、マルガリータ・シャトーブランとエルムライト・ルカスが衝突を起こすことがあった場合、どちらにも加勢せず中立的立場を保つこと』。
エルムライトの政権がある現在、加勢を求めることは危険だ。要は何もするな、という要求に、最初は戸惑っていた貴族達も最終的に首を縦に振った。
だが、エルムライトの軍事力は確実に削った。たとえ最終的に約束を守らない者が何人かいたとしても。
儀式と宴会は、そうした表面上の喧騒のなかで、そして水面下の思惑の中で終わっていった。
マルガリータは挨拶もそこそこに、そのまま瑠璃宮に直行。完全に伴侶にあげる部屋のように配置されたあの場所に行くのは億劫だが、仕方あるまい。
「疲れたわ……」
「そうでしょうね。明日も謁見がありますし……あと三日もここに滞在する必要が本当にあるんですか?」
「さすがに直帰は何を言われるか分からないもの。できるだけ動乱は少なく、エルムライトに勝ちたいからね」
「しかし……」
「!」
とんとん、と部屋の扉が軽く叩かれる。
ソフィアとマルガリータがバッと扉の方を向くが、気配から殺気などは感じないし、一人しかいないようだ。ベッドに座っていたマルガリータは、立ち上がって扉に向かっていった。
背後ではソフィアが魔力を活性化させて警戒している。彼女の戦闘力もかなりのものだ。
「――シャトーブラン大公閣下」
「貴女は……その制服は、皇后陛下の侍女?」
婚約者時代の知識で、マルガリータは訪問してきた中年の女性の身分を言い当てた。相手もそれは当然と思っているようで、軽くうなずいている。
意外にもアメリアの方から接触してきたことに驚くマルガリータだが、背後のソフィアは生きた心地がしていない。
「皇后陛下は明日正午『鏡花水苑』にてお茶会をお開きになります。陛下は大公閣下の参加を望まれております」
「参加者はどれくらいいるの?」
「……お二人でございます。必ず、ご参加ください。それでは、失礼いたします」
金色に光る招待状をマルガリータに手渡すと、侍女は足早に去っていった。マルガリータの返答も聞かなかったが、彼女が参加することに自信でもあるのだろうか。
招待状を開封すると、誰を何人連れてきても構わない、と書いていることもあるし、何やらアメリアには深い思惑があるようだ。
マルガリータはこっそりヴァイスを部屋に呼び寄せ、ソフィアと共に招待状を見せる。
「お嬢様。間違いなく罠ですね。あのアメリアが、ただ茶を飲むためだけにお嬢様を誘い出すわけがないです。何人連れてきてもいいって……何かとんでもないことを考えているに違いありません。お嬢様、行ってはなりません」
「私もそう思いますが……お嬢様のことですから……」
「……」
「……」
「……はは」
「やはりッ、行く気なんですねッ!?」
ヴァイスの魂からの叫びから逃れるように、マルガリータは窓元に向かい、外の明かりを見つめる。
授与式でのエルムライトの熱意の籠った目。そして、幾度も聞いた、未知の存在大魔法使いレインズウェル。二人きりの茶会を仕掛けてきたアメリア。
――ここまで来て、逃げるわけにはいかない。
わざわざ敵地に来たのだから、敵の思惑は全て把握しなければ、北境に帰ると一気に最新情報を手に入れづらくなる。
カゲロウにレインズウェルのことを探らせたが、あの情報収集の権化ですら、レインズウェルの素性は全く分からなかった。
今持っている情報は、レインズウェルが男で、そしてノアリデアートが廃位になった後、アメリアが皇后になるにあたって身分の低かった彼女の後見人となり、今は公爵位を持っているということだけだ。
だが、彼がどういう経緯で公爵になったのか、その家名もその歴史も来歴も出身も、何一つ分からない。少なくとも、マルガリータは婚約者時代一度もレインズウェルの名を聞いたことがなかった。
アメリアが接触してくるというのなら、むしろ歓迎すべきだ。危険を冒してでも……レインズウェルのことを探らなくては。
「……罠だとは知っているわ。例え罠にはまったとしても、情報が必要よ」
「レインズウェル、という者の情報ですか?」
「ええ。ヴァイスも知らないんでしょう?」
「……確かに、僕も知らないです。それでも反対です!」
「みんなわたしに付いて来るんだから、いいじゃないの。守ってくれるんでしょう?」
「大魔法使いと言うからには、魔法を使うはずです。僕らも知らない何かを使われたら、それでもし、お嬢様に何かあったら、僕たちは……!」
「――死なないわ」
ヴァイスの言葉に、マルガリータは覆いかぶさるようにそうきっぱりと言い放った。
何が待っているかも知らないのに、確信と自信に満ちた言い様に、ソフィアもヴァイスも固まってしまう。
それでも、マルガリータの瞳は真剣だった。
「……たとえ何が起ころうと、死ぬことだけは、ないわ」
重く、覚悟の籠った声に、部屋がしんと静まる。
マルガリータの瞳は、窓の外の景色を映していなかった。どこか遠くを見る彼女の脳裏に、あの日の記憶がよみがえる。
――エステル、忘れるな。君に何かあれば後を追うぞ。
彼は、その言葉を、どんな気持ちで口にしたのだろうか。
マルガリータが彼の元から去ることをあれほど恐れていた人間が、目的はどうであれ脅すようなことを言った。彼女があそこでもしも激昂したなら、彼のもとを去るかどうか以前に、どこか荒野に放り出してしまったとしたら、北境では三日も生きていけないだろう。
ノアリデアートの治世で奴隷制は撤廃されたが、未だに囚人の扱いは奴隷とそう変わらない。彼が前皇帝であろうとそうでなかろうと、上位者の庇護があるという例外の場合を除けば、囚人であるというだけで見るも無残な扱いを受けることは決定事項だ。
その未来を、考えられない彼ではない。それでも、マルガリータに警鐘を鳴らすことを優先した。
「……」
「お嬢様……」
「……わたしは、行くわ。そして、生きて北境に帰る」
ヴァイスはマルガリータを見つめて、しばし口をぱくぱくさせて何か言いたげにしていたが、ついには話したいことすべてため息に代えられた。
マルガリータが本気で決断した以上は、恐らく誰もそれを覆させることはできない。
やれることがあるとするなら、それはノアリデアートやヴァイスがやってきたように、できるだけ条件を増やすことだ。
「分かりました。僕たちの手で、完璧な準備をしてみせます。カゲロウは事前に潜入しておきますし、グランツさんは設備の点検をします、ソフィアさんは外交的な対処を。アウグストさんと僕は護衛を固めます」
「ええ。お願いね」
「……はぁ。本当に、マルガリータ様は仕方のない人ですね」
「でも、付いてきてくれるんでしょう?」
「――もちろんです」
「ふふっ」
北境でできた大切な想いを噛みしめて、マルガリータは微笑んだ。その瞳は、またも窓の外へとむけられる。星は、日々変わらず光り輝いている。
――明日の茶会。穏便に済むとは、決していかないだろう。
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