皇女殿下は婚約破棄をお望みです！

覚悟、そして開戦

「嫌だわリナ、昔の様にマリーと呼んで頂戴な」
「それは、子供の頃の話ではありませんか」

そうして笑いあう親達を見て、リリーアリアも双子達も、勿論マルグレーテも目をまあるくした。
ローンハルの王女だったアンナマリーと、アデリナの出会いは、随分昔のようだった事に驚いたのだ。

「さあ、昔話は後にしましょう。アリア、何か必要な物はあって？」
「……では、母上のお耳に入れたい事がございます」
「そう、それでは向こうに参りましょう」
設えられた天幕の奥に仕切られた母の居室があるようで、アンナマリーは掌で指し示した。

「御持て成しをお願いね」

古くからいる侍女のクレシェントに言いつけると、アンナマリーは優しくリリーアリアの手を引いて、奥へ向かった。
布の帳を奥へ進むと、戦場にしては豪奢な家具と寝具が置かれている。

「さあ、アリア、もっと顔を見せて、わたくしの可愛い子」
「お母様」

いつも顔を覆っている黒いベールを取り払って、アンナマリーは幼い娘の頬を白い手で挟んだ。
その目には慈しみと、涙が溢れている。

「陛下からお話は伺いました。わたくし達とこの国の為に吉報を運んできたと、陛下は笑っておいででしたよ」
「信じて頂けないかもしれませんが…」
「いいえ、信じておりますよ」

幼い娘の言う「戦争を終らせる方法」を誰が信じるだろう。
それは夢物語に過ぎない。
でも。

誰よりも、愛しい人達が信じてくれるという事に、リリーアリアは涙を堪え切れなかった。

「ならば、きっと叶えてみせましょう。でも、お覚悟を決めて頂きたいのです。わたくしが、倒れる事を」

死ぬかもしれない、とはそれでも口に出来なかった。
出してしまえば、止められる可能性もあるのだ。
それでは本末転倒になってしまう。

「倒れる？」
「ええ、魔力切れで倒れる可能性がございます。ですので、心の準備だけはお願い致します。この事は誰にも
友人達にすら言っていません」

魔法に造詣が深く、思慮深いメルティアと、一番身近にいて勘の鋭いマルグレーテは本能的に悟っているかも
しれないが、それでも彼女達には言わなかったのだ。

「アリア、貴女がそれを、必要だと思っているのね？」
「はい、お母様、わたくしは、誰の死も望みません」

その為に命を懸けるとしても。
敵の命ですら奪いたくは、ない。
けれど、奪わなければ、愛しい人達の命が狩られてしまうのだ。
それならば、どちらを選ぶのかは必定なのである。

「そう、では、母も貴女を支えましょう」
「心強うございます、お母様。それでは、わたくし達は魔力を温存する為に眠ります」

お辞儀をするリリーアリアを、ぎゅうと強く抱きしめて、アンナマリーはその髪に口付けた。
そして、ゆっくりと身体を離す。

「では、この部屋でお休みなさい。わたくしの寝具は寝心地が良くてよ？」
「くふふ、では遠慮なく堪能させて頂きますわ」


毛布に包まれて眠っていた４人は、ラッパの音で目を覚ました。

聖女の白い鎧とマントを身に纏ったアンナマリーが、優しく微笑む。

「さあ、参りますよ」

子供４人とアデリナを連れて、アンナマリーは夫である帝王の元へ向かう。

「開戦の通知でございますか？」
「ああ」

夕暮れの平原には、既に雲霞の如くガルガンチュアとゴルドニアの兵達が湧いていた。
遠く地平線を覆い隠すほどの大群だ。
手には松明を持っているので、はっきりとその異様な数だけは計り知れた。

「皆の者、私を信じ、準備をせよ」

凛とした低音で、帝王の宣言が為された。
それは、不可思議な要求だったのだが、兵達はぞろぞろと持ち場へ移動する。
リリーアリアは、父レオンハルトと母アンナマリーと手を繋いだ。

そして、最後の確認をする。

「双子ちゃん達、絶対に振り返っては駄目よ。そして、歌を止めないでね」

「「はい」」

双子は言われたとおりに、リリーアリアに背を向けて並んで立ち、二人だけで手を繋ぐ。
マルグレーテはリリーアリアの背後に待機した。
アデリナはリリーアリアの言いつけどおり、双子の後ろに立って、二人の肩を抱いている。

何度か深呼吸を繰り返す。

開戦の通知を持ってきた使者が、敵軍へと辿り着き、暫くすると彼らは進軍を始めた。