ラグナロクの明くる朝 〜女神よ、みめぐみを垂れたまえ〜

若宮 卯芽

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夢見鳥(ゆめみどり)

若葉の子(2)

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 革の鎧で着ぶくれした長身の女性が、巨大な斧を肩に担ぎ、大股で近寄ってきた。

「ハハハッ! おまえ、どうやって海神わだつみの腹ン中から戻ってきた?」

 少年はすかさず短剣を抜刀し、切っ先を女性に突きつけた。

「あん? なんのつもりだ?」

 女性は挑発するように、斧ので自身の肩を叩いた。次の瞬間、斧を振りかぶって短剣を払った。

 はじばされた短剣が、回転しながら空中で弧を描く。
 ちょうど落下地点にいた男が、短剣を難なくキャッチした。片目に眼帯をつけているが、支障はないらしい。眼帯の男はニヤニヤ笑いながら、ペン回しを思わせる動きで短剣をもてあそぶ。

 女性は、少年に鼻が当たるほど顔を近づけて、いやらしく笑った。

「その小娘の具合がよかったか、犬?」
けがらわしい口を閉じろ、熊女くまおんな!」

 犬と呼ばれた少年が吠えた。鞘を右手に持ち替え、女性の顔に向けて突き出す。女性は上半身を反らしてける。少年は間髪を入れずに鞘を引き、斧を握る女性の手を打ち、次いで斧のを打ち、斧を叩き落とした。
 舌打ちした女性が、足のベルトからナイフを抜き、少年めがけて投げる。が、かわされる。その動きを読んでいたのか、女性が急速に距離を詰め、濡れ髪を掴んで頭突きした。少年の鼻から血が垂れ、思わず悲鳴を上げた。

「おい聞いたか? きゃあだってよ! ありゃどこのお嬢様だァ?」
「ギャハハ、お嬢様はねえだろ! 積荷がお粗末すぎる!」
「でけえ船だから期待したってのに……」
「ワンちゃん~、せいぜい頑張って~」
「お頭かっこいい~」
「きゃあ~」

 男たちが略奪の手を止め、野次やじを飛ばす。

 痛みでよろめく少年に背を向け、女性が斧を取り戻す。わざとらしいゆっくりした動きで振り向き、斧ので少年のあごを上向けた。
 少年は未だふらついている。だが、刃先が喉をかすめても、鼻血が口元をよごしても、不敵に笑ってひるまない。

「クソガキが、女を見たのが初めてじゃあるまいし、なァに番犬ぶってやがる」
「……ハッ、ご存じないようで? 目まではずがねえんだよ」

 少年の言葉遣いは、礼儀正しさのかけらもない、挑発的なものだった。
 鼻に皺を寄せた女性が斧のを返し、少年の頬を殴りつけた。薄べったい体が簡単に吹き飛び、船べりにぶつかった。

「この駄犬が。まァたしつけされてえらしいな。いいぜ、望みどおりにしてやるよ!」

 女性が怒声を発し、少年の腹を蹴る。少年が衝撃に耐えかね、うずくまる。女性は、少年が鞘を放すまでその手を、放したらその頭や背中を、何度も何度も踏みつける。少年が次第に動かなくなっていく。

「もう終わりかよ~」
「お頭、お疲れっした~」
「犬め、お頭の手をわずらわせやがって……」
「ギャハハハハ! 弱すぎんだよ!」
「……や、やめて」

 男たちの嘲笑が止まらない。少年は体中からだじゅうが泥だらけだ。じわじわと視界がぼやけていく。

「お、お願い、もうやめて、その子が死んじゃう」
「バカが、死ぬわけねえだろ」

 ぴくりともしない少年をもう一度だけ蹴飛ばして、女性がこちらを見た。眉間の皺を深め、目を細めている。

「目、ねえ?」

 女性が鞘を拾って後ろに投げると、海から小さな水音がした。

「どんな目してんだァ、お嬢ちゃん?」

 一人の男が、肩を組んできた。酒臭い、毛むくじゃらの大男だった。もう片方の手に、薪割りに使うような手斧を持っていた。一瞬で血が凍りつく。

「は、離して」
「アッハハ、あおかたをよ~く知ってるじゃねえか」

 大男がスカートの裾を乱暴に掴み、上下に動かす。

「いや……っ」
うぶなフリが上手じょうずなこって」

 大男に目を覗き込まれた。アルコールと歯垢の悪臭がして、とっさに息を止めて身をよじった。抵抗すれば逆上されかねないのに、逃げたい気持ちがまさった。

「そんなに嫌がるなよ~」

 大男がふざけて、離れた分だけ顔を近づけてくる。いつまでも呼吸しないではいられない。悪臭をまともに嗅いでしまい、吐き気が込み上げ、何度も咳が出た。鍵を両手で握り込んで耐える。

「あん? 小娘、何持ってる?」

 女性にたやすく指をはがされ、鍵を奪われた。大男は鍵を飾る宝石を見て、はしゃいだ。

「おお、それならわかるぞ! 赤、青、緑だ!」

 女性が鍵を見て、こちら見たあと、目元に型押しするような強さで鍵を押しつけてきた。こぼれた涙が、眼球すれすれにある赤い宝石をきらめかせる。

「フン。たしかに見たことねえ色だが、それがなんだ? からって、ありがたがることかよ。なァ、兎女うさぎおんな

 今度は鍵を空に掲げ、赤い宝石と比べ合わせる。

「日暮れでもねえのに、不吉なこった」

 ──赤い宝石と、私の目と、この空が……同じ色……?

 いちいち確かめるまでもない。
 空は、紫だ。
 しかし、男たちから反論はない。

「お頭! 宝箱だ!」

 舳先へさきから女性に声がかかった。

「待ってろ! ……おいジジイ、じゃれるだけにしとけよ。からすに売れなくなる」
「わかってるって!」
「やりすぎたら引きちぎるからな」

 女性は大男に釘を差してから、宝箱の方向に足を進めた。
 聞き流していただろう大男は、椅子を薪割り台の代わりにして、手斧を刺す。それから、ベルトに下げた革の水筒を持ち上げ、歯でコルクを抜く。大男は酒と思われるものをあおり、ぷはっと息を吐いた。雫が垂れる飲み口を向けられたが、小さく首を振って断った。

「オッサン、いつまでも遊んでんじゃねーぞ」

 眼帯の男が近づいてくる。非難がましい態度で文句を言いつつ、短剣を投げ上げては取ることを繰り返している。

「おめえ何やってんだァ? 働け、若いの」
「アンタと違って、オレは働いてまーす。お目付け役やってまーす」
「お目付け役ぅ?」
「そーそー。かねになンのって、さっきの鍵以外にゃ、その女くらいだろ? うっかりでブッ壊されたら大損なんだよ」

 眼帯の男に、短剣の腹で頬を軽く叩かれた。やいばの鋭さに言葉も出ない。男は鼻で笑って、短剣での手遊びを再開した。

「鍵ぃ?」

 大男が遠慮なしにもたれかかってきて、気づけば諸共に床の上だった。ヘビー級のボクサーに匹敵する筋肉のかたまりに押しつぶされ、平たくなる。あまりの重さにうめいた。悪臭、知らない人間に密着されること、どちらの不快感をも上回って、圧死しかねない息苦しさに危機感を覚える。
 大男がのたのた離れていく。早く、早くどいてほしい。

「おい、鍵なんてあったか?」
「持ってただろ」
「さっき宝箱って言ってなかったか?」
「言ってたな」
「……だからなんだァ?」
「グデングデンじゃねーかよ、この野郎。あーあ、金貨の一枚でもありゃいいが……」

 男たちの会話をよそに、我ながら鈍い動作で上半身を起こした。大男がしつこく体重を預けてくるが、酔いが回った頭でも力加減を学んだらしい。再度プレスされることはけられた。

 しばらくして、遠くでガチャンと音がした。

 あのじょうと鍵。
 蝶をかたどった古い錠と、逆さまのクローバーで彩られた新しい鍵。
 劣化具合が異なる、まるで作られた時代が違うような、それ。

 不自然な組み合わせだと思わなかったのか。開けるべきではないという予感はなかったのか。
 宝箱に封じられていたものが何か、知るのが恐ろしかった。
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