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第二部
献身の話 【8】
しおりを挟む────『魂の同化による精神転移』、というものらしい。
みほさんの家から帰る途中、前条さんは何一つ理解が追いつかずに思考を放棄している僕にそんな説明をしてくれた。
なんでも、今のみほさんと千紗さんは限りなく魂が同じ性質を持っている、いわば魂だけが同一人物のような状態なのだそうだ。
『クソ面倒くさい手順を踏めば誰にでも出来る』けど、『クソ面倒くさいから誰もやらない方法』だと、前条さんはやけに弾んだ口調で語った。
奇妙な生態を持つ生き物を新発見したみたいな、妙に気味の悪い喜色の滲んだ声だった。
とにかく、みほさんと千紗さんは魂だけで見れば同一人物であり、異なるのは体だけである。何故わざわざ、『クソ面倒くさいから絶対にやらない』ような方法でそんなことをしたのかといえば、答えは『精神転移』にある。
限りなく同一の魂同士ならば、魂の置換が可能なのだそうだ。Aの魂をBに移すことで、Bの魂は消滅しBの体を持ったAが生まれる。不老不死を目指した古代のなんちゃら、みたいな話をされたが、よく分からなかった。
要するに、みほさんは自分の体に千紗さんの魂を移すために、そんな面倒くさいことを行った訳だ。恐らく、体の弱い千紗さんに健康な体――――自分の体を与える為に。
だが、それを実行に移す前に妹に呪いがかかってしまった。正確には、『最上川みほ』を呪った筈の呪術が、同一の魂である『最上川千紗』に作用してしまったのだという。
前条さんは千紗さんから呪いを取り除く際に魂の同一性と、呪いの掛け違いに気づいたそうだ。こんな七面倒くさい方法を取る人間が実在しているのか、と面白くなって笑ってしまったらしい。
みほさんの公式ブログを見直す。恐らくこの体調不良というのは妹さんのことを指しているのだろう。
呪いによって引き起こされた体調不良だ、呪ってきた相手は『最上川みほ』を狙っている。これでは仮に千紗さんがみほさんの体を得たとしても、『最上川みほ』になった千紗さんが狙われてしまう。だから、みほさんは呪い返しを望んだ。
どこの誰とも知れない相手を完全に排除するにはそれが一番だったからだ。
――――元気に戻ってきた『最上川みほ』を、よろしくお願いします。
この『最上川みほ』は、きっとみほさん自身のことではない。千紗さんが入った『最上川みほ』だ。だが、それを千紗さんが望まないだろうことは、少し考えれば分かった。
あんなに姉を慕っている妹が、姉に成り代わってまで健康な体が欲しい、などとは思わないだろう。前条さんもそのように捉えたようで、だからこそ『転移の失敗』について告げた。
前条さんから見てすら、確実に失敗するような方法だったということだ。どうして側で見てきたみほさんにそれが分からないのだろう……と思っていた僕の疑問は、三日後、再び事務所を訪ねてきたみほさんの告白によって解決した。
「……本当はもう長くないんです、あの子」
無理に延命するより、自宅で家族と過ごした方が良いと判断されるほどの状態なのだと、みほさんは言った。近づく死期に気が急いたみほさんの狭まった視界には、千紗さんの気持ちも、意思も入ってこなかったのだ。
例え千紗さんに恨まれたって構わないから、これから先の人生を健やかに過ごして欲しかったのだと言う。
「治療して体調が良くなったとしても一時的なものでしょう? 仮に綺麗さっぱり身体が治ったとしても、あの子はこれまで失ってきたものを取り戻す所から始めなきゃならない。それなら、もういっそ全て変えてしまえたら、と思ったんです」
元々、アイドルも千紗さんの治療費の為に目指したのだと言う。賞金が出ると聞いて出たコンテストでスカウトされ、そこからはひたすらバイトとアイドル活動の掛け持ちだ。
働ける年齢になったら風俗に行くことも考えたようだったけれど、千紗さんがアイドル活動を喜んで応援してくれたから、続けてきたのだと言う。
みほさんの口からは、ただの一度も両親のことは出なかった。
「まあ、もしそれが出来るならその方が手っ取り早いですからね。ところで、その方法はどこで覚えたんです? 化石みたいなもんでしょう、それ」
「……布施さん、という方に」
「は? えっ、うわー、布施さんかぁ」
興味本位を隠そうともしない声で問いかけた前条さんは、みほさんの返答に、珍しく仰け反るようにして蛍光灯を仰いだ。
「何やってんだろあの人」
ぼやく声が聞こえる。布施さん。また知らない名前が出てきた。それも、前条さんが思わず天井を仰ぐような人が。
気にならないと言えば嘘になる。『布施さん』について尋ねかけた僕は、そこで勢い良く開いた扉に反射的に口を引き結んでいた。
「前条テメェ!! 人にアポ取れとか言っといて当日急に呼びつけんじゃねえ!!」
いつぞやの再現が如く、月下部さんが事務所の扉を蹴り飛ばして入ってきた。その態度から、どうやら月下部さんが今回の件について『一切何も聞いていない』ことを、そして詳細を教えないという行為がある種の意地悪であることを、僕は静かに察した。
銜えた煙草に火を付けようと、何度もライターを鳴らす月下部さんに、前条さんは極めて薄っぺらい声で言う。
「やー、ごめんごめん。サプライズしようと思ってさあ」
「何がサプライズだふざけんなよテメェ! で、何? 俺に占って欲しいやつがいんだって? マジ金払い悪かったら断っからな、安くねえんだよ俺ァ」
「一応、所長さんにお払いする額と同額用意してきました」
「はあ? 前条と同額とかマジで――――」
勝手知ったるといった様子でずかずかと上がり込んだ月下部さんは苛立ちをぶつけるように何度か前条さんを蹴り飛ばし(当然のように避けられていた)、そこでようやく声を上げたみほさんに目を向け、存在を意識し、帽子も眼鏡もマスクもしていないみほさんを正しく認識して――――、
「ミ゛ッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!」
一瞬で壁際まで吹っ飛んだ。誰かに吹っ飛ばされた訳では無い。セルフである。セルフで、かめはめ波を食らった敵みたいな吹っ飛び方をした。
そして前条さんはそれを見て指差してげたげたと笑っていた。絶対にこうなると分かっていて、『誰を占うか』は教えずに占いの依頼だけをしたのだろう。性格が悪すぎる。
よほどツボにハマったのか、前条さんは体をくの字に折って、中々見ない方の笑い方をしていた。ひひっ、ひぇっ、ひーひっ、ぅふっ、セミ、セミみてぇ、セミの死に様、と爆笑する前条さんと、カーテンに包まって蓑虫みたいになっている月下部さんを、みほさんは真顔で見つめていた。
非常に不味い空気である。場を裂くように大きく咳払いを響かせた僕は、未だ笑い続ける前条さんの頭をしばき、カーテンの向こうに隠れる月下部さんを引きずり出しに向かった。
「前条さん! 笑ってないでちゃんと説明してください! 月下部さんが死にそうじゃないですか!」
「ええ? だ、だって、そいつがそんな、すげえ吹っ飛び方、んふっ」
「みほさんにも失礼でしょうが! すみません、みほさん! この人これでも凄い占い師なんです!」
「やめろ櫛宮……俺はゴミクズ野郎だ……何も凄くない……」
「月下部さん!?」
「金返さねえし……パチンカスだし……俺はゴミだ……窓から捨ててくれ……」
蓑虫状態の月下部さんは現実を受け止めきれないのか、過剰な自己嫌悪に襲われているようだった。いや、まあ、そうでしょうよ。十年応援しているアイドルに暴言を吐きかけましたもんね、しょうがないですよ。全部前条さんが悪いです。
「き、聞いてください。実は三日ほど前にみほさんから依頼を受けまして、話はちょっと長くなるんですけど……」
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