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第11話 セカンドチャンス
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ちぐはぐな気持ちのまま散歩から戻ってくると、ビアトリスに小包が届いていた。中身を確認してはっと息を飲む。さっきまでのことはすっかり忘れて、エリオットのところに飛んで行った。
「エリオット! 『紅の梟』の編集部からだわ! 私の原稿が見つかったらしくて、送り返してくれたの」
エリオットの部屋から見つかったビアトリスの没原稿は、一旦セオドアが預かり、謝罪文を添えて王都の編集部から送ることにした。直接渡せば簡単に終わるが、そんなことをしたらエリオットの正体がばれてしまうので、わざわざ面倒な手続きを踏んだのた。
「よかったね。少し手直ししてからまた別のところに送ろう。送り先は……ビアトリスの作風だと『楡の木』が向いてるかな?」
エリオットは編集長という立場上、競合誌のリサーチも抜かりない。他の雑誌の特色や読者層のデータはばっちり頭に入っている。
「まだあなたに読んでもらってないのに、よく分かるわね? そんなイメージなのかな?」
エリオットは、うっかり口を滑らせたことに気付いてぎくっとした。既に読んだ後だなんて言えるわけがない。何とか取り繕わなければと、しどろもどろになって言い訳する。
「そうそう、ただのイメージだよ。ほら、日常によく起こる小さなトラブルがテーマって話してたじゃない? それだと、うち……じゃなかった、『紅の梟』だとちょっと硬派すぎるかな……って」
確かにエリオットの言う通りかもしれないが……ビアトリスは、うーんと悩んでいた。
「私が書くようなものは、ペンドラゴン編集長の好みではないってことかしら?」
「いやっ、そうじゃないと思うよ!? ただ、せっかく頑張って完成させた作品なんだから、一度で諦めるべきじゃない。別の人が評価したらまた変わるかもしれないし」
ビアトリスにとってはペンドラゴンに評価されるのが一番の報酬なのだ。彼女の脳内では、ペンドラゴンは機知とウィットに富んだ落ち着きのある中年男性ということになっている。どこをどう読めばそんな解釈になるのか、エリオットは不思議でならなかった。まさか、目の前の引きこもりの青年がその正体だとは夢にも思うまい。
「……ねえ、ペンドラゴンに思い入れがあるようだけど、何か特別な事情があるの?」
「ペンドラゴンの批評ってただ的確なだけじゃない、厳しい中にも愛を感じるの。彼の文章を読むと、作品の裏に一人の人間がいるってことを思い出させてくれる。彼自身も色々苦労して人の痛みが分かる思慮深い人物なんだと思うわ」
それを聞いたエリオットは、何も言えなくなった。確かに苦労はしたが他はまるで身に覚えがない。自分はそこまで評価される価値のある人間ではない。恥ずかしくて消え去りたくなると同時に、なぜか胸がぎゅっと締め付けられる。彼の正体に彼女が気付いたら相当落胆させてしまうだろう。絶対に秘密にしておかなければならない。
結局ビアトリスは、エリオットのアドバイスに従って「紅の梟」で没になった自身の短編小説を一緒に手直ししてから「楡の木」に送った。そして、その結果は一か月後に判明した。
「エリオット!! これ! これ見て!」
相変わらず原稿書きに勤しんでいたエリオットは、ビアトリスがドアをノックもせずに部屋に飛び込んで来たので、驚いて反射的に立ち上がった。
「どうしたの? 何があったの?」
「これ、見て! これ、私の——」
ビアトリスは、息も絶え絶えに一冊の雑誌を彼の手に握らせた。「楡の木」の最新号だ。まさか。エリオットは、全身の血の気が引くのを感じながら、彼女が指すページに目を凝らす。そこには彼女の小説が掲載されていた。
「すごい! とうとうやったね! おめでとう!」
「どうしよう、こんなの初めてだわ。どうしたらいいか分からない。あわわわわわ」
ビアトリスは、すっかり混乱して、部屋をぐるぐる回り出した。無理もない。それまで連敗続きだったのが、初めて選ばれたのだから。しかも、かなり前の方に載っている。この業界では、何となくではあるが、前の方に載るほど注目度が高いとみなされる風習があった。
「ありがとう、エリオットが勧めてくれたお陰よ。おまけにかなり手直しもしてくれた。そうでなければ、絶対に選ばれなかったわ」
「それは違うよ。ビアトリスの実力が正当に評価されただけだ。全部自分の功績だから自信をもって」
エリオットはそう言ったものの、内心は複雑な思いでいっぱいだった。彼女の才能をみすみす手放してしまい、それをライバル誌に取られたという後悔。彼女を喜ばせる役割は自分がやりたかった。とはいえ、今の自分には彼女の作品をフェアに評価することはできない。それで「楡の木」に行かせたのだ。望み通りの結果になったのだから、素直に喜べばいいのにモヤモヤした感情が払拭できない己の狭量さにほとほと嫌気が差す。
「今日はお祝いをしよう。ビアトリスのためにちょっといい食事にしようか」
せめて、自分から彼女が喜ぶ提案を、と思い口走ったエリオットは、次の瞬間固まった。自分は何を言ってるんだ。お祝いをしようというのは、一緒に食堂室で食べることを意味している。散歩先で一緒に軽食をつまんだことはあるが、家の中ではまだ別々だ。でも口に出してしまった以上もう遅い。ビアトリスは、当然そういう意味だと解釈して、ぱっと顔を輝かせた。
「それって、エリオットと一緒に食事ができるってこと!? ようやくその気になってくれたのね! これも散歩のお陰かしら! すごく嬉しい!」
自分の小説が本に載ったこと以上に喜んでくれるビアトリスを見たら、撤回はできなくなってしまった。しかも、家の中で一緒に食事をしないのは、彼が心を開かないからと解釈していたらしい。それを知ったら今更撤回なんてできない。おろおろしながら「うん……」と小声で答えるしかなかった。
**********
ビアトリスは、うきうきした気持ちを隠せずに、夕食の時間に備えて少しいいドレスに着替えた。サーモンピンクのオーガンジーのドレスは、彼女をより華奢に見せる。いつも動きやすいズボン姿だから、エリオットがこの姿を見たらどんな反応をするだろう。鏡の前でポーズを作りながら、一人そんな想像をして頬を赤らめた。こんなことを考えるなんて我ながら柄にもない。
本当のパーティーではないので、アクセサリーはボリュームのないものを選び、時間より早く食堂室に下りて行った。少し早いが待っているのは苦にならない。わくわくした気持ちがその分長く味わえると思えばいいのだ。しかし、約束の時間になってもエリオットは姿を見せなかった。時計の針が15分を過ぎたところで、さすがにこれはおかしいと思い席を立つ。不安な気持ちに包まれながら、ビアトリスはエリオットの部屋を訪ねた。
「エリオット、いるの?」
しかし、返事はない。恐る恐るドアを開けると、部屋の中は電気が付いていなかった。そこでビアトリスが見たものは、冷や汗をかいてがっくりとうなだれるエリオットだった。
★★★
最後までお読みいただきありがとうございます。
恋愛小説大賞エントリー中です。
ビアトリスよかったね!エリオットはどうしたの?と思ったら清き一票をお願いします!
「忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される」も同時連載中です。こちらはシリアス度高めです。
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エリオットの部屋から見つかったビアトリスの没原稿は、一旦セオドアが預かり、謝罪文を添えて王都の編集部から送ることにした。直接渡せば簡単に終わるが、そんなことをしたらエリオットの正体がばれてしまうので、わざわざ面倒な手続きを踏んだのた。
「よかったね。少し手直ししてからまた別のところに送ろう。送り先は……ビアトリスの作風だと『楡の木』が向いてるかな?」
エリオットは編集長という立場上、競合誌のリサーチも抜かりない。他の雑誌の特色や読者層のデータはばっちり頭に入っている。
「まだあなたに読んでもらってないのに、よく分かるわね? そんなイメージなのかな?」
エリオットは、うっかり口を滑らせたことに気付いてぎくっとした。既に読んだ後だなんて言えるわけがない。何とか取り繕わなければと、しどろもどろになって言い訳する。
「そうそう、ただのイメージだよ。ほら、日常によく起こる小さなトラブルがテーマって話してたじゃない? それだと、うち……じゃなかった、『紅の梟』だとちょっと硬派すぎるかな……って」
確かにエリオットの言う通りかもしれないが……ビアトリスは、うーんと悩んでいた。
「私が書くようなものは、ペンドラゴン編集長の好みではないってことかしら?」
「いやっ、そうじゃないと思うよ!? ただ、せっかく頑張って完成させた作品なんだから、一度で諦めるべきじゃない。別の人が評価したらまた変わるかもしれないし」
ビアトリスにとってはペンドラゴンに評価されるのが一番の報酬なのだ。彼女の脳内では、ペンドラゴンは機知とウィットに富んだ落ち着きのある中年男性ということになっている。どこをどう読めばそんな解釈になるのか、エリオットは不思議でならなかった。まさか、目の前の引きこもりの青年がその正体だとは夢にも思うまい。
「……ねえ、ペンドラゴンに思い入れがあるようだけど、何か特別な事情があるの?」
「ペンドラゴンの批評ってただ的確なだけじゃない、厳しい中にも愛を感じるの。彼の文章を読むと、作品の裏に一人の人間がいるってことを思い出させてくれる。彼自身も色々苦労して人の痛みが分かる思慮深い人物なんだと思うわ」
それを聞いたエリオットは、何も言えなくなった。確かに苦労はしたが他はまるで身に覚えがない。自分はそこまで評価される価値のある人間ではない。恥ずかしくて消え去りたくなると同時に、なぜか胸がぎゅっと締め付けられる。彼の正体に彼女が気付いたら相当落胆させてしまうだろう。絶対に秘密にしておかなければならない。
結局ビアトリスは、エリオットのアドバイスに従って「紅の梟」で没になった自身の短編小説を一緒に手直ししてから「楡の木」に送った。そして、その結果は一か月後に判明した。
「エリオット!! これ! これ見て!」
相変わらず原稿書きに勤しんでいたエリオットは、ビアトリスがドアをノックもせずに部屋に飛び込んで来たので、驚いて反射的に立ち上がった。
「どうしたの? 何があったの?」
「これ、見て! これ、私の——」
ビアトリスは、息も絶え絶えに一冊の雑誌を彼の手に握らせた。「楡の木」の最新号だ。まさか。エリオットは、全身の血の気が引くのを感じながら、彼女が指すページに目を凝らす。そこには彼女の小説が掲載されていた。
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「どうしよう、こんなの初めてだわ。どうしたらいいか分からない。あわわわわわ」
ビアトリスは、すっかり混乱して、部屋をぐるぐる回り出した。無理もない。それまで連敗続きだったのが、初めて選ばれたのだから。しかも、かなり前の方に載っている。この業界では、何となくではあるが、前の方に載るほど注目度が高いとみなされる風習があった。
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せめて、自分から彼女が喜ぶ提案を、と思い口走ったエリオットは、次の瞬間固まった。自分は何を言ってるんだ。お祝いをしようというのは、一緒に食堂室で食べることを意味している。散歩先で一緒に軽食をつまんだことはあるが、家の中ではまだ別々だ。でも口に出してしまった以上もう遅い。ビアトリスは、当然そういう意味だと解釈して、ぱっと顔を輝かせた。
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「エリオット、いるの?」
しかし、返事はない。恐る恐るドアを開けると、部屋の中は電気が付いていなかった。そこでビアトリスが見たものは、冷や汗をかいてがっくりとうなだれるエリオットだった。
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