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中学生編
川遊び
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翌朝。
こいつ本当に来た……。
朝ご飯を食べ終え食器の片づけをしている最中、玄関から甲高い声がしてきたのでまさかと思い格子戸を開けてみると、そこには水色のタンクトップに薄茶色のショートパンツ姿の門崎彩恵が立っていた。
手には何故か虫かごの二倍以上の大きさはある水槽が抱えられている。
「やっ!」
「何で来るんだよ……」
「だって昨日ちゃんと『明日も行くから』って言ったでしょ?」
「僕はそれにオッケーとも何も言ってないんだけど」
「本当は来てほしいくせに」
「逆だよ逆」
「もー。いいから早く着替えてきて。そんな恰好じゃ遊びに行けないよ」
「……? どこに行くっていうんだよ」
「それは着いてからのお楽しみ!」
「はぁ……。ちょっと待ってて」
今日は家でゆっくりしたかったんだけどな……。
僕はため息をついてパシャリと格子戸を閉めた。
***
「お、来た来た……ってえ? 何その恰好」
「何とは失礼な。これしかなかったんだよ」
自分でもびっくりした。
家に戻って仕方なく僕の部屋のタンスを開けてみたら中には九歳の時に父さんが仕事先の長野で買ってきたアイラブ長野Tシャツ一枚と今まで通ってきた小学校の体操服一式だけしか入っていなかったのだ。
なんというつまらないタンスだろう。
さすがにここでアイラブ長野Tシャツを着たら岩手県民に喧嘩を売ることになってしまうので僕は沢山ある体操服の中でもまあまあオシャレなデザインの学校の服を選んだ。
「……胸の真ん中に『小鳥遊』は……ダサいって……」
「笑うならこらえずにしっかり笑ってくれよ。僕もその方が気が楽だ」
「はいはい」
こいつ……。
こうして僕は行き先も分からないまま彩恵について行くことになってしまった。
***
「ねえ、結構歩いてるけどどこに向かってるんだよ」
「だから着いてからのお楽しみだってー」
「……」
大きな水槽を抱えながらもペースを全く落とさない彩恵の後ろで手ぶらの僕はクタクタになりながら歩く。
……そういえば何で僕こいつと自然に喋れてるんだろう。
心の中では誰とも話さないと決めていても気づけば向こうのペースに飲まれている。
こんな事だいぶ前にもあった気がするけどはっきりと思い出せない、でも前を歩く彩恵の背中、ここの自然を見ていると謎の既視感が僕を襲って来るんだ。
「ねえ、君は方言は使わないの?」
僕は彩恵の背中に問いかける。
「たまにしか使わないよ。だってここの方言ってかっこ悪いんだもん」
そう言うと彩恵は顔だけ振り返って僕にニッと笑って見せる。
その姿を見た瞬間、僕の頭の中にいつかの懐かしい光景が浮かんでくる。
『いいなー。私も璃都くんが住んでる所に行きたい。そしたら毎日のように会えるのにね』
……まさか、そんなわけないよね……。
「着いた!」
彩恵がそう言うと目の前に広がってきたのはつい最近見たことのある景色だった。
「ここって……」
「そう! 一昨日璃都くんが私の事無視した場所だよ」
「人聞きの悪い……関わりたくなかったんだよ」
「同じようなもんじゃん。べー」
「……」
こいつまだ根に持ってたのか。
でも彩恵を無視したのは単に関わりたくないという理由だけではない。
この優しく耳に入り込んでくる川のせせらぎ、澄み渡る水の美しさ、九戸の全ての自然に浸る時間を一人で過ごしたかったから。
自分以外の何にも、誰にも邪魔されない時間を僕は心のどこかで欲していたんだ。
「……で、ここで何するんだよ」
「あの時私がしてたことだよ」
「キャッキャして水をバチャバチャするの?」
「へ? キャッキャ? バチャバチャ?」
彩恵はコテンと首をかしげる。
「いや、だって一人で楽しそうにはしゃいでただろ」
「魚を捕まえてただけだけど」
「は? 魚?」
「そう。詳しい事は下流に行ってからね」
僕と彩恵は川沿いの小石道を進んで下流の方へと向かった。
***
「さ! 始めようか!」
「始めようって……釣り竿が無いじゃないか」
「大丈夫。竿ならここにあるから」
彩恵はそう言って自分の右腕にほんの少しの力こぶを作って見せる。
「まさか素手でやるの?」
「あたぼうよ!」
いやプロの人がやるならまだしも、素人の子供が摑み取りなんてできるわけないだろ……。
「まぁ見ててみそ」
彩恵は薄茶色のショートパンツを少し捲り上げると、靴を脱いで浅い川の中へと入っていった。
……あいつには女子としてのたしなみが無いのか。僕が言うのもなんだけど。
僕は長時間歩いたせいで立っているのも疲れたのでそこら辺にあった大きな丸石に腰掛けた。
……今頃布団の上でゴロゴロしてたんだろうなぁ。何で出会って一日の女と一緒に川なんて来てるんだろう。
川に手を突っ込んで楽しそうにバシャバシャと水飛沫をあげる彩恵を僕は頬杖をつきながら見つめる。
いいな。あいつは悩みが無さそうで。
僕もこういう田舎で育ってたら人間関係なんて気にせずに呑気に生活できてたんだろうな……。
「捕った!」
「え?」
どうせ長丁場になるだろうと目をつぶって眠りにつこうとした瞬間、彩恵が高々と右手を空に掲げていた。
その手の中をよく見てみると、三十センチ程の大きな魚がピチピチと体をうねらせて暴れていた。
「璃都くん捕ったよ!」
「……」
予想もしなかった早さに僕は口が半開きになった。
彩恵は水飛沫をあげながら僕の所に駆け寄ってくる。
「ちょ、それ持って来るな気持ち悪い……」
「えー? 気持ち悪くないよー。ほらー」
「近づけるなって。早くそこの水槽に入れろよ」
「可愛いのに……」
彩恵はそーっと水の入った水槽に魚を放り込む。
「これ何て言う魚? 川魚にしては大きいけど」
「鮎だよ。この時期は産卵期で大人の鮎が卵を産み付けに来るから稚鮎っていう赤ちゃんの鮎がよく捕れるんだよー。これは大人になったばっかの子かな」
「へー……。詳しいんだね」
「常識だよ常識。こんな事も知らないなんて璃都くんはのっけなしだね」
「え?」
「いや、なんでもない」
「……お前、僕が方言分からないのをいい事に何か悪口言ってるだろ」
「言ってない言ってない。私は璃都くんの事ちゃんと尊敬してるよ」
「……」
彩恵は僕の顔から徐々に視線をずらす。
「ほら嘘じゃないか」
「さ、さあ! もう二匹とって幾ばあに焼いてもらおうかぁ!」
彩恵はそう言って誤魔化すと再び川に向かって走り出した。
「……何なんだよあいつ」
「ほらー。璃都くんもおいでよー」
川の中腹で彩恵がこちらに手招きしてくる。
「……仕方ないな」
こんな日もたまには悪くない。そんな滑稽な感情が心の中にほんの少し芽生えたことを無意識に感じながら、僕はスニーカーを脱いだ。
こいつ本当に来た……。
朝ご飯を食べ終え食器の片づけをしている最中、玄関から甲高い声がしてきたのでまさかと思い格子戸を開けてみると、そこには水色のタンクトップに薄茶色のショートパンツ姿の門崎彩恵が立っていた。
手には何故か虫かごの二倍以上の大きさはある水槽が抱えられている。
「やっ!」
「何で来るんだよ……」
「だって昨日ちゃんと『明日も行くから』って言ったでしょ?」
「僕はそれにオッケーとも何も言ってないんだけど」
「本当は来てほしいくせに」
「逆だよ逆」
「もー。いいから早く着替えてきて。そんな恰好じゃ遊びに行けないよ」
「……? どこに行くっていうんだよ」
「それは着いてからのお楽しみ!」
「はぁ……。ちょっと待ってて」
今日は家でゆっくりしたかったんだけどな……。
僕はため息をついてパシャリと格子戸を閉めた。
***
「お、来た来た……ってえ? 何その恰好」
「何とは失礼な。これしかなかったんだよ」
自分でもびっくりした。
家に戻って仕方なく僕の部屋のタンスを開けてみたら中には九歳の時に父さんが仕事先の長野で買ってきたアイラブ長野Tシャツ一枚と今まで通ってきた小学校の体操服一式だけしか入っていなかったのだ。
なんというつまらないタンスだろう。
さすがにここでアイラブ長野Tシャツを着たら岩手県民に喧嘩を売ることになってしまうので僕は沢山ある体操服の中でもまあまあオシャレなデザインの学校の服を選んだ。
「……胸の真ん中に『小鳥遊』は……ダサいって……」
「笑うならこらえずにしっかり笑ってくれよ。僕もその方が気が楽だ」
「はいはい」
こいつ……。
こうして僕は行き先も分からないまま彩恵について行くことになってしまった。
***
「ねえ、結構歩いてるけどどこに向かってるんだよ」
「だから着いてからのお楽しみだってー」
「……」
大きな水槽を抱えながらもペースを全く落とさない彩恵の後ろで手ぶらの僕はクタクタになりながら歩く。
……そういえば何で僕こいつと自然に喋れてるんだろう。
心の中では誰とも話さないと決めていても気づけば向こうのペースに飲まれている。
こんな事だいぶ前にもあった気がするけどはっきりと思い出せない、でも前を歩く彩恵の背中、ここの自然を見ていると謎の既視感が僕を襲って来るんだ。
「ねえ、君は方言は使わないの?」
僕は彩恵の背中に問いかける。
「たまにしか使わないよ。だってここの方言ってかっこ悪いんだもん」
そう言うと彩恵は顔だけ振り返って僕にニッと笑って見せる。
その姿を見た瞬間、僕の頭の中にいつかの懐かしい光景が浮かんでくる。
『いいなー。私も璃都くんが住んでる所に行きたい。そしたら毎日のように会えるのにね』
……まさか、そんなわけないよね……。
「着いた!」
彩恵がそう言うと目の前に広がってきたのはつい最近見たことのある景色だった。
「ここって……」
「そう! 一昨日璃都くんが私の事無視した場所だよ」
「人聞きの悪い……関わりたくなかったんだよ」
「同じようなもんじゃん。べー」
「……」
こいつまだ根に持ってたのか。
でも彩恵を無視したのは単に関わりたくないという理由だけではない。
この優しく耳に入り込んでくる川のせせらぎ、澄み渡る水の美しさ、九戸の全ての自然に浸る時間を一人で過ごしたかったから。
自分以外の何にも、誰にも邪魔されない時間を僕は心のどこかで欲していたんだ。
「……で、ここで何するんだよ」
「あの時私がしてたことだよ」
「キャッキャして水をバチャバチャするの?」
「へ? キャッキャ? バチャバチャ?」
彩恵はコテンと首をかしげる。
「いや、だって一人で楽しそうにはしゃいでただろ」
「魚を捕まえてただけだけど」
「は? 魚?」
「そう。詳しい事は下流に行ってからね」
僕と彩恵は川沿いの小石道を進んで下流の方へと向かった。
***
「さ! 始めようか!」
「始めようって……釣り竿が無いじゃないか」
「大丈夫。竿ならここにあるから」
彩恵はそう言って自分の右腕にほんの少しの力こぶを作って見せる。
「まさか素手でやるの?」
「あたぼうよ!」
いやプロの人がやるならまだしも、素人の子供が摑み取りなんてできるわけないだろ……。
「まぁ見ててみそ」
彩恵は薄茶色のショートパンツを少し捲り上げると、靴を脱いで浅い川の中へと入っていった。
……あいつには女子としてのたしなみが無いのか。僕が言うのもなんだけど。
僕は長時間歩いたせいで立っているのも疲れたのでそこら辺にあった大きな丸石に腰掛けた。
……今頃布団の上でゴロゴロしてたんだろうなぁ。何で出会って一日の女と一緒に川なんて来てるんだろう。
川に手を突っ込んで楽しそうにバシャバシャと水飛沫をあげる彩恵を僕は頬杖をつきながら見つめる。
いいな。あいつは悩みが無さそうで。
僕もこういう田舎で育ってたら人間関係なんて気にせずに呑気に生活できてたんだろうな……。
「捕った!」
「え?」
どうせ長丁場になるだろうと目をつぶって眠りにつこうとした瞬間、彩恵が高々と右手を空に掲げていた。
その手の中をよく見てみると、三十センチ程の大きな魚がピチピチと体をうねらせて暴れていた。
「璃都くん捕ったよ!」
「……」
予想もしなかった早さに僕は口が半開きになった。
彩恵は水飛沫をあげながら僕の所に駆け寄ってくる。
「ちょ、それ持って来るな気持ち悪い……」
「えー? 気持ち悪くないよー。ほらー」
「近づけるなって。早くそこの水槽に入れろよ」
「可愛いのに……」
彩恵はそーっと水の入った水槽に魚を放り込む。
「これ何て言う魚? 川魚にしては大きいけど」
「鮎だよ。この時期は産卵期で大人の鮎が卵を産み付けに来るから稚鮎っていう赤ちゃんの鮎がよく捕れるんだよー。これは大人になったばっかの子かな」
「へー……。詳しいんだね」
「常識だよ常識。こんな事も知らないなんて璃都くんはのっけなしだね」
「え?」
「いや、なんでもない」
「……お前、僕が方言分からないのをいい事に何か悪口言ってるだろ」
「言ってない言ってない。私は璃都くんの事ちゃんと尊敬してるよ」
「……」
彩恵は僕の顔から徐々に視線をずらす。
「ほら嘘じゃないか」
「さ、さあ! もう二匹とって幾ばあに焼いてもらおうかぁ!」
彩恵はそう言って誤魔化すと再び川に向かって走り出した。
「……何なんだよあいつ」
「ほらー。璃都くんもおいでよー」
川の中腹で彩恵がこちらに手招きしてくる。
「……仕方ないな」
こんな日もたまには悪くない。そんな滑稽な感情が心の中にほんの少し芽生えたことを無意識に感じながら、僕はスニーカーを脱いだ。
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