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2.王太子と王太子妃

14.離宮の王太子2(ハロルド)

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 不可解な心持ちのまま離宮の初日を終えて、次の朝を迎えたハロルドは特にすることがない1日を始める。

 まずは書物でも読もうと考えたものの、宵闇の離宮に置いてある本は少ない。昼過ぎには読み切ってしまい、仕方なくハロルドは外へ出て小さな庭園を何度も歩き回ることにした。

 ただし部屋に居ても庭園に出ても青い湖は何かにつけ目に入り、そのたびにクレアのことを考えては後悔が湧き上がる。
 無理にでも「自分の行動は間違っていなかった」という気持ちでねじ伏せるのだが、真に納得はしていないのだから心は沈んだままだ。
 父王がハロルドの謹慎の場所にこの宵闇の離宮を選んだ理由は「クレアに対する想い」に気付いていたせいではないかと邪推したくなるくらいだった。

(普段なら、仕事に没頭すればいいだけなのに……余計なことを考える時間がたっぷりある状況は、なかなかきついな……)

 なんどもため息を吐きながら夕刻を迎え、鬱々としながら部屋へ戻るハロルドの元にはまたマリッサからの手紙が届いた。
 この日の手紙に書かれていたのは王宮の庭園で見た花の話。やはり恨み言はどこにもなかった。

 マリッサからの手紙は次の日も、またその次の日にも届いた。
 書いてあるのはいつも、彼女が見聞きしたことだった。

 変わりばえのない離宮の日々の中で、マリッサからの手紙は小さな変化だ。幾日か経つうちハロルドは、夕刻に届く手紙を心待ちにしている自分に気が付いた。

 なんとなく懐かしくなって、ハロルドは小さく笑う。

(ああ……結婚前もこんな気分でマリッサからの手紙を待っていたことがあったっけ)

 山に囲まれた地で生まれ育ったハロルドは、マリッサの手紙に出てくる『海や島』などの様子がとてもおもしろく思えた。
 あるときそのように書いてみたところ、彼女からの手紙には海の国にまつわる風習や景色の話が多く書かれるようになり、時には彼女自身が描いたという絵も一緒に届くようになった。

 おそらくマリッサは、ハロルドが興味を持ちそうな話題を選んでくれていたのだ。
 おかげでハロルドは手紙の到着がより楽しみになったし、届いたものは何度も読み返した。今も、もらった手紙や絵はすべて大事に保管してあるのだが。

(……僕はそのことを、マリッサに言ったことがあったかな……)

 答えは考えるまでもなく「否」だ。
 マリッサを見ないようにするため会う機会を減らしているハロルドは、彼女と親しく語らう時間をほとんどもたなかった。

 考えてみれば酷い話だ。生国から遠く離れた場所まで嫁いできてくれたマリッサに対し、当のハロルドは冷たい態度を取っている。のみならず、違う女性の方ばかりを見ているのだ。
 マリッサが不満を口にしたことはないが、だからと言って満たされているはずなどない。果たして彼女は今、どれほど寂しく、つらい日々を送っているのだろうか。

「……マリッサ」

 この日の夜、ハロルドはペンをとった。マリッサへ手紙を書くためだ。始めは謝罪の言葉を綴ろうと思ったのだが、途中まで書き進めるうちに違うような気がしてきた。
 悩んで途中まで書いたものを捨て、次に取り出した紙にはマリッサと同じように、――昔、あの海の国へ届けさせた時のように、今日の出来事を書いた。
 離宮の側から王宮へ連絡を取るのは父王から禁止されていたので、ハロルドはただ手紙を書いただけだったが、それでもなんとなく心が落ち着いたような気がした。

 翌日届いたマリッサの手紙の内容は読んだ本の感想だった。この国に伝わる童話集なのだが、生国にある話とは違っていて興味深かったらしい。

『こちらの童話は山や森や、木にまつわるものが多いのね。私が知っているのは海や水の話が中心だから、とても面白いわ』

 なるほど、とハロルドはうなずく。国土の違いは文化にも影響をあたえるのだなと思った。マリッサがこの差をどうとらえているのか、ぜひ詳しく聞いてみたい。あるいは、この国の景色をどう見ているのかも。

 この手紙をもらった日からハロルドの頭の中は、マリッサのことが多く占めるようになっていった。おかげで『ネイヴィス公ロジャーの容体が持ち直した』との連絡も、「残念」ではなく「良かった」という思いで聞くことができた。

 以降もマリッサからの手紙は毎日届いた。
 マリッサの手紙が積みあがるのと同様に、ハロルドが書く“出せない手紙”も日々積みあがって行くばかりだったが、それでも手紙をもらうこと、そして書くことは、ハロルドの日々の楽しみになっていた。

 そんなある日、いつものように届いた手紙へ目を通したハロルドは、中の一文に目を止める。

『この国に来てから初めて、木々がこんなにも鮮やかに色づく様を見たのだけれど――』

 そこでようやく思い出した。
 マリッサは嫁いできてからまだ半年と少ししか経っていない。彼女にとっては今、目に映るすべての景色が初めて見るものなのだ。
 ハロルドは彼女のいろいろな「初めて」を共有できていないことに気付き、ようやくそれを残念だと思う。

 だが、マリッサが辺りをどんな風に見ているのかは想像ができた。きっと彼女は優しい微笑みを浮かべている――。

「……いや、違う」

 手紙を持つ手が震えた。

 ハロルドが思い出せるマリッサは微笑む姿だけ。しかしこれは現実の姿ではない。絵に描かれたマリッサだ。結婚する前に、海の国から届けられた肖像画に描かれていたマリッサの姿。

 彼女から顔を背け続けるハロルドは「現実のマリッサがどんな顔をするのか」を知らない。泣いた顔や拗ねた顔、怒った顔はもちろん、笑顔ひとつ取ってみても知るのはたった一種類だけでしかないのだ。
 すべては自分が、そのように行動したから。

「……僕は、本当に、馬鹿だなあ……」

 いても立ってもいられず、ハロルドはペンを握る。「自分からの連絡が禁止されていることは重々承知している」と前置きをした上で、何度も書き直しながら「どうしても王宮へ戻りたい」と思いの丈を訴えた。
 ようやく書き終えた手紙は、マリッサからの手紙を持って現れた使用人へ託した。

 宛先は、もちろん。

「どうかお願いします。父上」

 去って行く使用人の背を見ながら、ハロルドは祈るような気持ちで呟いた。

 果たして父王はどのような態度に出るのか。気をもんでいたハロルドの元に「王宮への帰還許可」が届いたのは手紙を託した翌日、湖の青にマリッサの瞳の色を重ねていた時のことだった。
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