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帰郷

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 神殿に戻る馬車が待機する場所にまで歩いた時、ライラは王宮の一角から視線を感じた。

「……?」

 何気なくその方向を見上げたが、そこには誰もいないバルコニーがあるだけだった。

「聖女様、どうかなさいましたか?」
「いえ、気のせいだったみたい。戻りましょう……」
「そうですな。このような気分の悪い場所などさっさと去りましょう」
「そうね……、新たな聖女様に期待をしたいところだわ」
「期待、ですか?」

 神殿騎士の問いには返答しないまま、ライラは神殿に戻ることにした。
 しかし、自分の都合だけで決めたことを押し通していいものだろうか? 神殿や、これまで管理を任されたいたクレストの部下たち、奴隷から解放した仲間の獣人たちはどう思うのかしら? 裏切られた、そう罵られても仕方ないのかもしれない。
 
「あの振る舞いにまだお怒りですか、聖女様?」
「リー騎士長……どうして獣人というだけであんな扱いを受けるのかと。私はこれまでとても恵まれていたのだなとそう、思いました。クレストで解放した元農奴たちはどんな思いで生きてきたのかと」
「……聖女としては模範的な回答だと思いますが、ライラ様。それが御本心ですか?」
「あっ。何故?」

 困った顔をするライラにリー騎士長は父親のような微笑みを見せていた。
 
「ライラ様。もう十年のお付き合いですよあの振る舞いに、よく我慢なさいましたな。剣を抜かせたところであの近衛騎士たちなら――我らでも勝てたでしょうがそれでは神殿と王家との対立となってしまう。と、いうところですか我慢された原因は」
「まあ、そう……です、ね。それに」
「王太子妃様の聖女になりたい宣言、ですな。問題は」
「え、あの」 
「まさか任期まで聖女でいるおつもりですか?」
「いえ、ですから……その。もう、嫌だと――すいません」
「私と大神官様の前でなら、あなたは殊勝な十六歳の少女に戻られる。いいのではないですか、任せてしまえば」
「でもっ」
「決めたのでしょう? 決めかねているから、どうしようかと悩んで顔を曇らせている。違いますか?」
「誤魔化せませんね、でも任せれるのでしょうか? もしかしたら王太子妃様は数週間でお亡くなりになるかもしれません。私は精霊王様との約束も、王太子殿下との任期まで務めるという約束も破ってしまいます」
「では、ご相談成されるのですな。大神官様に。それから決めても遅くない。ただ――あんな振る舞いに罵詈雑言を浴びせてくる主人など……鞍替えができるならばしたい者もいるでしょう。彼が王になられた後に戦争など起こらなければいいが」
「相談ですか」
「ええ。それが一番でしょう。可能ならば――精霊王様とお話されるのが良いですが」
「……主はここ数年、沈黙されたままですから」
「でしたな。何もなければよいのですが」

 相談してみます。そう言うと、馬車が神殿に戻った時、ライラは神官たちが寝起きする棟の大神官の部屋を目指した。
 体調がすぐれない彼にこんな話をすることには気が引けたが、それでも、もう決めたことだ。
 自分の人生、自分のために使って何が悪いというの、これまで命をかけて国民を守ってきたことが王族に理解されていないことが何よりも辛い。
 そんな彼女の急な来訪を、大神官は待っていたかのように部屋に招き入れてくれたのだった。

「急なことですが、聖女を辞めることにしました。精霊王様はお許しになるでしょうか? 大神官様はどう思われますか……?」

 寝たきりの老人は御付きの者に身を起こさせると、下がるように言いつけて室内は二人きりになる。
 いきなりそんな話題を切り出したライラに大神官はまるで実の祖父のように微笑んで返した。

「実は、そうさな。どういうべきか、先ほどまで話していた」
「話? あのさっき出ていった者とですか?」
「うん? ああ、そうだな。あれはもう長い。ずっと共にいたよ」
「まだ若く見受けられましたが……」
「話は聞いた。王宮での王太子夫妻のふるまいも、神殿やあなたの故郷の仲間を侮辱されたことも。それは許されないことだ。聖女に手を挙げるなと、神殿に敵対するに等しい。何より――」
「どうしてそこまでのことを!? 彼は――どなただったのですか?」
「まあ、聞きなさい。王太子妃が聖女になりたいというなら、ならせてやればよい。あれも怒っていた。これからは聖女がいなくとも結界を維持できるようにするとそう言っていたよ。ただ、効果は幾分、薄れるがね……それも身から出た錆だ」
「それはつまり……!?」

 しーっ、と大神官は人差し指を立てると、口の前にそれを持ってきて秘密だ、とそんな仕草をした。
 驚きのあまり声がでないライラは呆れてしまうばかりだ。
 この老人と彼……精霊王はなんと、自分がこの神殿に入る前からこうやって、親しく話をしてきたというのだから。

「あれとはな、わしの妹が聖女になり、彼女を亡くした悲しみでわしが立ち直ることが出来なかった時、たまたま偶然のいたずらで出会ったのだ」
「そんなお話、初めて耳にしましたわ。それにしても、そうならそうと教えてくだされば……何より、聖女の親族の悲しみを知っているなら、精霊王様だってこんな十年の寿命だけにしなくてもいいのに……!」
「まあ、そう責めて差し上げるな、ライラ。死んでいった聖女たちは――国の外のどこかで生まれ変わっている。というよりは、蘇生し、新たな人生を過ごしている。これまでずっとそうだった。秘密だがな」
「ではなぜ、十年という区切りを!?」
「人の世の治世はそれくらいがキリが良いのだそうだ」
「それでは納得致しかねます! 死んだ者は国内に戻れず、家族にも会えずに死ぬまで別人となって生きることになるではないですか……そんな悲しい運命をなぜ、精霊王様は歴代の聖女に与えたのですか……!?」
「なぜ、か。死に蘇生しても聖女の力を失うわけではないのでな。少しばかり、力は残っている]
「大神官様、ライラには意味が分かりかねます……」
「この国では王族と聖女の地位は等しい。国外ではどうかな?」
「いいえ、それはまるで知らない――結界の外の世界のことはあまり知らされておりません。ただ、外には魔族がおり瘴気があり、それを防ぐために国外との交流はあまりないとしか……知りません」
「そうだな、ライラ。それを望んだのが精霊王様と契約された初代の国王だった。外の世界でも王族とまではいかないが、貴族のような地位が与えられて暮らせるとすれば、どうかな?」
「つまり、それが聖女を十年続けたことの……報酬、だと……? でも望まない方もいたのでは? 戻りたいと泣いた方もいたはずです。なのに、戻れなかったのですか? 誰も?」
「戻れば結界の使い方を知る人間が二人になる。それでは、魔族などにもし操られた時どうなると思う?」
「あっ……」
「そういうことだ。あくまで聖女は国内に一人だけということだな。役目が終われば戻れない、いや戻してやりたくてもできなかったのだろう。多くの国民の命がかかっていただろうからね。……さて、話を戻そうかライラ。新たな聖女様は王太子妃様と決まった。引き継ぎなどはこちらでしておくとしよう。それまでは、このおいぼれの命も持つだろうしな」

 そなたは今夜、故郷に戻りなさい。
 そう言うと大神官は人を呼び、ライラの荷造りをするように命じてしまった。
 荷物と共に神殿をライラが出たのはその夜遅く。
 誰にも知られないように、粗末な馬車一台だけの帰郷だった。
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