白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第十章 決戦

6 邁進

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 そこからは無我夢中だった。
 ゆったりとうねる真っ黒な《闇のヘビ》に、シディはいっさいの躊躇もなく齧りついた。自分ごときの牙で何ができるとも思わなかったけれど、なぜかその《闇》の表面はがりがり音をたてながら漆黒の鱗をまき散らし、咬み裂かれていく。
 気のせいかもしれなかったが、あれほど大きいと思えたはずの《闇のヘビ》の胴体が、今はさほどの太さには感じられなくなっていた。

(インテス様、インテス様、インテスさま……っ!)

 頭の中心ではただそれだけがこだましていた。
 牙だけでなく両手両足もめちゃくちゃに振り回し、爪で切り裂き、ばりばりと《闇》を食いちぎって掘り進んでいく。

「ギュエオオオオン!」
「ギィエアアアアア──ッ」

 ひとつ咬み裂くたび、爪で切り裂くたびに、凄まじい悲鳴が耳をつんざき、ともすると聴覚を奪い去ろうとする。だがシディはやめなかった。ただただ、頭の中で点滅する温かな光に向かって邁進まいしんする。
 この先だ。この先にあの人がいる。
 いまやシディの本能はその存在をかけらも疑ってはいなかった。
 何を疑う必要もないのだ。この耳が、鼻が、「その人はそこにいる」とこれほどはっきりと教えてくれている。

(インテス様! インテスさまっ……!)

 最後にぐわりと《闇》を食いちぎったとき。
 ぱっと目の前が明るくなった。

「あっ……!」

 思わず目に鋭い痛みを感じた。真の闇の中にいた者が急に日の当たる場所に出た時と同じように。完全に目がくらみ、ぎゅっと目を閉じる。が、それは一瞬のことだった。
 薄目をあけてじっと窺うと、そこにはふんわりとした光に包まれて横たわる、恋しい人の姿があった。
 広がる長い金色の髪。だがその人はしっかりと目を閉じた状態だった。

「インテス様っ……!」

 夢中で駆け寄る。
 その胸に手を当ててそっと揺り起こそうとして、ハッとした。

(えっ。これ……なに?)

 シディはわが目を疑った。
 インテス様の胸を今しも踏み潰しそうなほどになっている「自分の手」。それはインテス様の身体ごと踏み潰すこともできそうなほど大きな大きな、真っ黒い狼の前足だった。

(えっ……? どうして? なに? どうなってるの??)

 おろおろして慌てて手を引っ込めると、その大きな前足も引っ込んだ。そこではじめてシディは自分の体を眺めまわすことになった。

(まってよ。これって──)

 黒くふさふさとした獣毛につつまれた大きなしっぽ。肩の筋肉が盛り上がり、丈夫な前足と後足も黒い毛につつまれた屈強な狼族のものだ。

(いや。驚いてる場合じゃない)

 混乱しまくってはいたが、今はそれに驚いている時ではなかった。なによりもまず、インテス様の安全を確保することが最優先だ。

(……え?)

「インテス様、起きてください」と、そう言ったつもりだった。しかしシディの口から漏れ出てきたのは「グルルッ、ウオオン」という狼そのものの唸り声のような音だけだった。
 仕方なく、鼻先でインテス様の頬や肩をぐいぐい押してみる。

(インテス様、お願い。起きて……。目を覚まして)

「うう……ん?」

 必死に何度かそれを繰り返していたら、果たして、ようやくインテス様がその美しい睫毛をあげた。紫の瞳が最初はぼんやりと虚空を見つめ、それからゆっくりとこちらを見た。

「シ……ディ?」
「ウオルルルゥッ」

(インテス様……!)

 さすがはインテス様だ。こんな姿になった自分のことも、即座にわかってくださるなんて!
 嬉しくて大きなしっぽをブンブンに振ってしまうと、その先が《闇》どもをしたたかに叩きつけた。

「私は……どうしたんだ。あの時、《闇》に取り込まれて──ええと」
「わうわうっ、わおんっ」

 今はそんなことはいいんです。早く起きて。オレの背中に乗って、はやく!
 そう言うつもりで、シディはまた鼻先でインテス様の胸元をぐいぐい押した。

「ああ、わかった。その背に乗ってもいいのかい? シディ」
「わう、わううっ」
「ありがとう。……おっと。すっかり足が弱ってるな」

 それはそうだろう。あれから何日も経っているのだ。それでもこうして飢えを感じておられないのが不思議なほど、インテス様はお元気そうだった。体もどこも傷めてはおられないらしい。そのことは健康そうな匂いからもすぐにわかった。
 思うように動かない足を使って、それでもなんとかインテス様はシディの背中によじ登ってくださった。

「これは……素晴らしいな、シディ。これが黒狼王ニグレオス・ウォルフ・レックスの末裔たる、そなた本来の姿なのだな」
「ウルルッ、わう、わうっ」
 と、インテス様がくすっと笑った。
「その首飾り。そなたの首に合わせて大きくなるよう、鎖に魔法がかかっているな……。どうやらセネクス殿のお気遣いらしい。さすがは師匠」
「わおんっ」

 そんなことは今はどうでもいい。
 とにかく一刻も早くここから脱出することが先決だ。

「うわおうっ」
(インテス様、しっかりつかまってて!)
「わかっている。そなたの声は私にはよく聞こえてるぞ。よろしく頼む」

 優しい声を首の後ろあたりで受けた次の瞬間、シディは全身のあらん限りの力を使って跳躍した。
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