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ホームパーティー <side晴>

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お昼に食べた中華は隆之さんのおすすめだけあって大満足だった。

午後は会社へと戻り、今日のリュウールの会議報告と、あとは金曜日に負った腕の再診。
もうほとんど痛みもないし、日常生活も送れているから問題はないと思うけど診てもらう約束だし。

電車よりタクシーの方が早いと言うので、タクシーで小蘭堂へと帰った。
IDカードでゲートの中に入ると、周りの人から視線を感じた。

ああ、そうか。今日は隆之さんの選んでくれたコーディネートじゃないから子どもっぽく見えているのかも。
こんな一流企業に私服の子どもがIDかざして入って行ったら、そりゃあ驚かれるよね、うん。

心配になって隆之さんの方を見ると、心配ないよとでも言うようにそっと抱き寄せてくれた。
その瞬間、ロビーに高い声があちらこちらから聞こえてきた気がしたけれど、隆之さんはそんな声になんの気を向けることなく、ただ僕だけを見つめながらエレベーターへと向かった。

エレベーターホールに着くと、そこに桜木部長がいた。

「桜木部長」

「ああ、ロビーから何やら騒いだ声が聞こえてきたと思ったらお前たちか」

わっはっはと豪快に笑いながら、こちらに寄ってきた。

「そんなに騒いでましたか?」

いや、隆之さん。気づいてなかったの?

驚く晴を後目しりめに、隆之さんは今日のリュウールとの会議について報告を始めた。

「それよりも、先ほどクライアントとの会議でこちらが提示したもので決定しました!」

「おお、そうか! でかした」

そういうと、晴にも目を向けて

「香月くんもお疲れさん。これから忙しくなるな。そうだ、腕は大丈夫か?」

「ありがとうございます。もうすっかり痛みもなくて大丈夫です。あとで渡辺先生に診ていただく予定です」

「ああ、しっかり診てもらってくれ」


まずは6階の営業部オフィスへと向かう。
先週金曜日と同じように隆之さんに連れられて中へ入ると、みんなこちらを向いたままじっと晴を見つめている。

その様子に桜木部長が口を開いた。

「おい、お前たち。そうやって見られたら香月くんもやりにくいだろ。これから当分通うんだから、いい加減慣れろ」

「いや、部長。それは難しいですよ」

橘がさっと後ろから声をかけてくる。

「何が難しいんだ?」

「だって、今日の香月くん。金曜日と全然違う雰囲気で可愛すぎです。そりゃあ、驚いて声も出せなくなりますって」

橘さんは僕を上から下まで舐め回すようにじっくり見ていった。
その視線に僕は恥ずかしくなって顔が赤くなるのを感じた。

「おい、は……いや香月くんを変な目で見るな。今日はクライアントとの会議で香月くんを紹介するから、香月くんのいつものイメージの服を着せるようにって田村代表からの指示だったんだよ」

「へぇー、なるほど。さすが、よく似合ってるな。これ、自分で選んだの?」

「えっ、はい。こういう色の組み合わせが好きなんですけど、どうしても年齢より下に見えてしまうのでちょっと悩んでます。金曜日みたいな服を選びたいんですけど、自分で選ぶとつい幼くなりがちで……」

「なんで? 良いじゃん。たしかに大人っぽい雰囲気だった金曜日とはまた違うけど、こういうのって着る人を選ぶものだし、すごく似合ってるよ。どっちも着こなせるって、感性が豊かなんだなって思うし良いことなんじゃない?」

隆之さんにも同じようなことを前に言われた。

そっか。それで良いんだ。


年齢相当にならないといけないって思い込んでたけど、どっちも僕自身なんだ。
あのポスターだって、メイクをしていない僕と、している僕、どっちも僕なんだよね。

「あれ、香月くん。なんか良い表情になったな。何か掴んだか? 良いことだ。期待してるぞ」


えっ?! 桜木部長が期待してるぞって声かけしてるの、初めて聞いたんだけど……。
桜木部長のあの笑顔みた?
あんなの引き出すなんてあの子何者?

オフィス内がざわつき始めたが、

「ほら、昼休みはもう終わってるぞ!早く仕事に取り掛かれ」

という桜木部長の声にみなさん慌てて自分たちの仕事へと向かった。

「早瀬。クライアントとの会議報告、すぐにまとめて持ってきてくれ。香月くんはちょっと会議室にきてもらえるか?」

「はい」

僕は桜木部長に連れられて会議室へと向かった。

「ここへ座ってくれ。どうだったかな? 今日の会議は」

「はい。最初はリュウールさんもあの構図に難色を示していたんですが、早瀬さんが別の構図のものをポスターに仕上げていてそれを見ていただいたら納得されたようでした」

「そうか。早瀬からのまとめ報告が楽しみだな」

桜木部長はここからが本題だというように、椅子に深く座り直した。

「ところで、金曜日のことだけれど……怖い目に合わせてしまって申し訳なかった」

桜木部長は頭を深々と下げて僕に謝罪した。

「そ、そんな……お気になさらないでください」

「いや、君が心に受けた苦しみも知らずにそれを思い出させるようなことをしてしまって、上に立つ者として軽率な判断だった。許して欲しい」

「部長、どうか頭をお上げください。僕が前の事件のことをお話ししていなかったんですし、部長が謝罪されることではありません。それより、彼女はどうなったんでしょうか?」

僕は彼女が物凄い勢いで近づいてきてからの記憶がほとんどない。その後どうなったのか気になってはいたけれど、彼女のことをとてつもなく怒っていた隆之さんに憚られて、何も聞けずにいたのだ。

「ああ、笠原くんは処分が決定するまでは自宅謹慎になった。今週中には決まる予定だが、おそらく10日間程度の自宅謹慎処分になるだろう。今現在の自宅謹慎の日にちも加味されるから実質1週間ほどになるだろうな。それから、彼女の上司である、総務部長の谷口と主任の加納両名は譴責処分となった」

「お二人もですか」

「彼らは笠原くんの上司だからな。特に加納くんは笹原くんの教育係でもあったし、処分は仕方ないだろう。本来ならば3人とももう1段階重い処分になる予定だったんだ。それを回避できたのは、リヴィエラの田村代表からの要望があったからだ。彼らの処分を軽くしてあげて欲しいとね」

「えっ? 田村さんが?」

一番怒っていたであろう田村さんがそんな要望を出すとは思いもしなかったので、僕は驚いて言葉が続かなかった。

「ああ。田村代表は本来ならば許したくない事態だけれど、おそらく、香月くんが重い処分を望まないだろうからと仰っていた。その代わり、もう二度と同じ過ちを繰り返さないように徹底してくださいと強く強く念を押されたけれどね」

「そう、ですか……」

田村さんが自分の怒りを抑えてまで僕の気持ちを深く理解してくれたこと。
そして、その想いを汲み取って処分を軽くするように頼んでくれたことがとても嬉しかった。

「田村代表は心から君を守ろうとしてくれているね。彼の深い慈愛の心は君の心にある苦しみを取り除いてくれるはずだよ」

桜木部長の言葉に、僕は嬉しくて涙が止まらなくなった。
それでも必死に

「あ、りがと……う、ござい、ます」

と声を紡いだ。

その時、ドアをノックする音が聞こえ、桜木部長が返事をすると隆之さんが入ってきた。

隆之さんは入ってくるやいなや、僕が泣いていることに気づき、桜木部長に食ってかかった。

「部長、は……香月くんに何を言ったんですか!? 彼、泣いてるじゃないですか!」

「早瀬さん、ち、違います!」

必死に隆之さんの誤解を解こうとしたが、ヒートアップしている隆之さんに僕の小さな声は届いていなかった。

「早瀬、落ち着け!」

その言葉にようやく我に帰った隆之さんは、僕の傍へと走り寄った。

「香月くん、大丈夫か?」

普段の隆之さんの声に戻ったことに安心して

「大丈夫です。嬉しくて泣いちゃっただけなんです」

と理由を話した。

隆之さんは安堵の表情を浮かべたあと、桜木部長に謝罪した。

「部長、申し訳ありません。香月くんが泣いているのを見たらつい慌ててしまって……」

「ああ、私も誤解をさせて申し訳なかった。じゃあ、落ち着いたところで、会議報告してもらおうか」

「はい」

隆之さんはリュウールとの会議で決定した経緯、そしてこれからのスケジュールについて桜木部長に報告した。

「よし。よくやった。早めにカメラマンの手配とスタジオの確保しておくように」

「はい。承知しました」

報告を終え、隆之さんは足早に会議室を出ようとしたので、僕も桜木部長に挨拶をして出ていこうとすると、
部長はそっと僕の耳元で

「一番君を守っているのは早瀬のようだな」

と囁いた。

「えっ? あのっ……」

なんと返していいのか戸惑っていると、
部長は

「君の焦った姿は初めて見たな。やっと普通の大学生のような姿を見た気がするよ」

と言って わっはっはと豪快に笑った。
僕は恥ずかしいやら照れるやらで、しばらくその場に立ち尽くしてしまった。

一日の仕事を終え、隆之さんと共に帰宅の途についた。

「ねぇ、隆之さん。今日は帰りに寄りたいところがあるんですけど、いいですか?」

「ああ、いいよ。どこに行くんだ?」

「あの、リヴィエラに行きたくて…」

田村さんに会って直接お礼が言いたかった。

「うーん、リヴィエラか……。真島のことがあるからな。晴がリヴィエラに入るのはあまり勧められないんだけどな」

たしかにそうだ。
あの場所は真島に知られてしまっている。
もし真島と鉢合わせでもしたら……。
僕がブルッと身体を震わせると、隆之さんは慌てて謝った。

「ごめん、怯えさせるつもりじゃなかった」

そう言って、僕の手を温かい大きな手で優しく握ってくれた。

「そうだな。俺たちの家に来てもらうというのはどうだ?」

隆之さんが自宅を俺たちの、と言ったことが妙にくすぐったかったけれど、同時に嬉しい気分でいっぱいになった。

「良いんですか? それ、嬉しいです!!」

「今日の今日だから難しいかもしれないが、とりあえず声を掛けてみよう」

「はい」

隆之は路肩に車を止めると、田村へと電話をかけた。

ーはい。リヴィエラ田村です。

ーお忙しいところ恐れ入ります。小蘭堂の早瀬です。

ーはい、早瀬さん。香月くんはその後いかがですか?

ーその香月くんが、田村さんにお会いしたいと話していて……。リヴィエラに連れて行きたかったんですが、あの件でちょっと…

ーそうですね。ここには連れてこない方がいいですね。

ーそこで、提案なんですが、もしご予定がなければこれから私の自宅にいらっしゃいませんか?

ーえっ? よろしいんですか?

ーはい。もしご都合が宜しければ是非。

ー喜んでお伺いします。

ーでは、住所をメールでお送りします。

ーはい。それでは、2時間後くらいにはお伺い出来ると思います。

ーはい。お待ちしていますね。


「晴、来ていただけるようだよ」

僕は嬉しくなって大声をあげて喜んだ。

「2時間後にはいらっしゃるようだから、デリバリーにするか? それとも晴が作る?」

「せっかくのご招待だし、僕が作りたいです!」

「じゃあスーパーに寄って帰ろうか」

隆之さんは車を発進させ、スーパーへと向かってくれた。

スーパーで食材を買い込み、そこのスーパーで足りなかったものはコンシェルジュの高木さんに頼んで後で届けてもらうことになった。

ああ、人にご馳走する食事作るの久しぶりだな。
でも何を作ろう?

隆之さんの好みはわかっているけれど、田村さんは何が好きなのかわからない。

結局悩んだ結果、中華はお昼に食べたので、
今回は、パエリア、トマトとモッツァレラチーズとバジルのカプレーゼ、生春巻き、カニクリームコロッケ、そして、隆之の希望できんぴらごぼうと中華スープを作ることにした。

時間はあまりなかったけれど、手際良く作ったせいか料理はほぼ完成のところまでやってきた。

パエリアはオーブンに、カプレーゼとカニクリームコロッケは揚げるだけの状態で冷蔵庫に、きんぴらごぼうはお皿に盛り付け済み、中華スープも鍋に出来上がった。

あとは生春巻きのみ。
近くのスーパーではライスペーパーが在庫切れで、あとは巻くだけの状態で待っていると良いタイミングで高木さんが持ってきてくれた。

「ありがとうございます! 助かりました」

「お役に立てまして光栄です」

高木さんが部屋を出て行こうとしたので、僕が咄嗟に手を掴むと、高木は驚きつつも表情は変わらず振り返った。

「あの、あ、ごめんなさい。手を掴んでしまって……」

「いいえ、何かございましたか?」

「あの、もし良かったらこれ食べてください」

僕は食後のデザートにこっそり作っておいたプリンを3つ渡した。

「手作りなんですけど、もし良かったら皆さんでどうぞ」

高木さんは今度は表情を大きく変えた。
目を丸くして僕と隆之さんを交互に見た後で、

「香月様が手ずから作られたものをわたくし共に宜しいのですか?」

「そんな大したものじゃありませんけど、召し上がっていただけると嬉しいです」

「ありがとうございます!」

いつも冷静な高木さんがテンション高く御礼をいって、何度もお辞儀をしながら部屋を出て行った。

「晴。食事も作りながらデザートまで作ってたのか。すごいな!」

「この前社食で貰ったプリンがすごく美味しかったから作りたくなっちゃって……隆之さん、プリン好きですか?」

「ああ、晴の手作りなら何でも好きだ」

隆之さんの嘘偽りのない言葉に晴は嬉しくて笑みが溢れた。

しばらく経って、高木さんから田村さんが来たと連絡があり、玄関のチャイムが鳴った。

「今日はお招きいただいてありがとうございます」

「突然のお誘いで失礼しました。お越しいただけて嬉しいです。どうぞ。晴はキッチンにおります」

「田村さん、いらっしゃいませ」

「ああ、香月くん。元気そうで何よりです」

「はい。ありがとうございます」

僕が料理を仕上げている間、隆之さんと田村さんはリビングで雑談をして待っていた。

「料理できましたよー」

声をかけると、2人は足早にダイニングへとやってきた。
上座に田村さんに座ってもらい、僕と隆之さんは隣同士に座った。

「これ、もしかして全部香月くんが??」

「はい。お口に合えば良いんですけど……」

田村はすごいなー、すごいなーと目を輝かせながら、料理をお皿にとった。

カニクリームコロッケをひと口、はむっと食べると
『あちちっ』と言いながらも、あっという間にひとつ食べ終わった。

「このクリームコロッケも手作りなんですか? お店で食べるより美味しいです!」

「田村さん、何が好きか聞くの忘れたので、適当に作ってみたんですけど、お口に合って良かったです!」

「田村さん、このきんぴらごぼうも食べてみてください。私、香月くんのを食べてから他のが食べられなくなってしまって……」

隆之さんが一番の好物であるきんぴらを田村さんに勧めると、田村さんは興味深げにきんぴらを掬い取った。

「本当に美味しいですね! 歯応えといい味付けといい、私もこれ好きになりました」

でしょうと隆之さんが得意げに言うのがなんだか可愛らしく思える。

「あ、私としたことが……手土産をお渡しするのを忘れていました」

慌てて紙袋からワインを取り出して隆之さんに渡した。

「これ、私が最近気に入っているワインなんですが、口当たりが良くて飲みやすいですよ。アルコール度数も低めなので、まだ若い香月くんにも飲んでいただけるかと思いまして」

へぇー、美味しそう。
外では飲んじゃダメって言われたけど、
ここはお家だし、隆之さんも一緒だから良いよね?

飲みたいなと目で訴えかけてみると隆之さんは少し渋い顔つきになって、顔を静かに横に振った。

やっぱダメか……。
まぁ、でも、仕方ないか。

ダイニングの空気が一変し、僕がガッカリしたのに気がついたらしい田村さんは机の下に置いてあったもうひとつの紙袋を取り出した。

「もしかしたら、香月くんがお酒がダメかも……と思いまして、こちらもお持ちしました」

えっ?

晴がびっくりして見つめた先にはあの【Cheminée en chocolat】の箱が……。

「えっ? これ、あの……?」

「ああ、はい。先日うちの事務所にいただきました【Cheminée en chocolat】のチョコレートです。先日いただいたお菓子がとても美味しくて、今日寄ってみたらお店は開いてたんですが、残念ながら焼き菓子は売り切れていて……それで、ワインに合うチョコを選んでいただいたんですよ」

「わぁ、ありがとうございます! あそこのチョコ、また食べたいと思ってたんです!」

「いえいえ、喜んでいただけて嬉しいです」

田村さんはにっこり笑って、なぜか隆之さんの方を見つめていた。

僕の用意した料理はあっという間に無くなり、残すはデザートのプリンを残すのみとなった。

「晴、デザートを食べながらあのチョコをいただこうか?」

「ええっ、良いんですか? 嬉しい」

ダイニングからリビングルームへと場所を移動して、ソファー前に置いてあるテーブルにワインとチョコレート、そして晴の作ったプリンを並べていく。

「田村さん、よかったらプリンどうぞ」

「プリンなんて久しぶりだな。固くて美味しそうだ」

「えっ? 田村さんも固いの派ですか? 僕もなんですよ。この前社食の方にプリン頂いて食べたんですけど、その方も固いのが好きなんだそうで……それで作りたくなっちゃったんです」

田村さんと隆之さんは早速プリンを口に入れると2人して美味しい! と言ってくれた。

続けて僕もプリンを食べると思っていた以上に良くできていた。
良かった、上手くできてたと納得してから、部屋の照明があたっているのだろうか、目の前に宝石のようにキラキラと輝いているチョコレートを一粒手に取った。

ひと口サイズのチョコをころっと口の中に入れ、ゆっくりと溶かすと芳醇なカカオの香りがパァーッと喉から鼻から抜けていく。

「うわぁ……これ、すごく美味しい!」

「そうでしょう。試食させてもらったけれど、カカオの香りが深くて美味しいですよね」

「ほんとに! 田村さん、ありがとうございます!」

僕はにこにこと話しながら、本題のことを思い出した。

「あっ、そうだ! 僕、田村さんに御礼が言いたくて、今日お会いしたかったんです」

「御礼?」

「はい。笠原さんと谷口部長さん達のことです」

僕がその言葉を出すと途端に隆之さんの表情が曇った。

「あ、ごめんなさい、隆之さん。でも、どうしても田村さんに御礼が言いたくて」

「いや、良いんだ。それは今日、泣いてたことに関係があるのか?」

泣いてたという言葉に今度は田村さんの表情が曇った。

「違うんです! 嬉しくて泣いただけなんです。田村さんのお気持ちが嬉しくて……」

「私の?」

「彼女達の処分を軽くする様に頼んでくださったんですよね? 僕がそう求めるだろうからって……。僕、それ聞いて、すごく嬉しかったんです。僕が田村さんの目の前で倒れたりしたから、田村さんを傷つけてしまったのに、僕は……それに気付きもしなくて……それなのに、田村さんは僕のことすごく理解してくださって……あの、えっと……」

僕は自分の胸の内を全部田村さんに伝えたかったのに、言いたいことがたくさんありすぎてうまく話せなくなっていた。

「晴。大丈夫、落ち着いて」

隆之さんが優しく声をかけてくれて、僕は一度深呼吸した。

「僕、田村さんにお声がけいただいて嬉しかったです。最初は僕がモデルなんか無理って思ってましたけど、会議に参加したり自分の意見が採用になったりするたびに自分の気持ちが高揚していくのを感じたんです。こんな体験をできたのも田村さんにお誘いいただいたおかげです。そして、今日正式にリュウールさんのモデルに決めていただけて、すごく嬉しかったところに、桜木部長さんから、田村さんが彼女たちの処分軽減を求めてくださったってお話きいて、もっと嬉しくなって……。田村さん、ありがとうございます」

僕は田村さんの目を見て気持ちを伝えると、田村さんはふっと柔らかな表情を浮かべた。

「本当のことを言うと、香月くんをあんな目に合わせた彼女を今でも許せないんですよ」

「えっ?」

田村は晴の反応にふふっと笑った。

「あの子がこれからも香月くんの近くにいて、また何か起こすんじゃないかと思うと居ても立っても居られない気持ちでいます。だから、本当ならすぐにでも香月くんの見える場所から排除してやりたいくらいなんですが……君は居場所を奪われた彼女の心配をいつまでもしそうだから。香月くんの中に彼女がいつまでも居座るよりは、安心させて君の心から彼女の存在を忘れさせたいと思っただけなんです。ただの私のエゴですよ」

たしかに彼女がいなくなればどうしているかと気にしてしまうかもしれない。
田村さんはそこまでのことを考えていたのかと思うと、僕は驚いて声も出せなかった。

「田村さん……」

「それに香月くんが無事でいるなら、それ以上望むものはありませんし」

にっこりと笑顔を浮かべると、隆之さんに同意を求めるように見つめた。

隆之さんはしばらくの沈黙の後、ええ、そうですねとだけ答えた。

僕は田村さんと隆之さんが2人で納得しているような表情がよく分からなかったが、とりあえず良かった……そう思うことにした。

「さて、せっかくなので今日のリュウールさんのお話聞かせてもらいましょうか」

さっと空気を変えるように、田村さんは明るい声で話しかけてきた。

「次は撮影ですね。私もその日は伺いますので、日程が決まったら教えてくださいね」

「はい、もちろんです。調整して決めていきますね」

そこからはリュウールの撮影の話で3人はすっかり盛り上がっていた。
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