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5話 リアスのリ、エゾンのエ
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「すげえな赤ちゃん。めっちゃゴキュゴキュ飲んでる」
エゾンお手製の簡易哺乳瓶。
それは煮沸した空き瓶の口に、重ねたサラシの角を止めただけのものだった。
決して上等な出来のものとは言いがたいが、それでも乳の垂れる角を口にあてた途端、赤子はまるで怒ったように、無心でそれを吸い始めた。
ぎゅっと目をつむり、一心に乳を吸い続けるその姿を、リアスがうっとりと見つめている。
「さっき教えた通り、ちゃんと途中でゲップさせろよ」
それを尻目に、エゾンが大鍋を火にかけた。
次のミルクように余分にボトルを煮沸しておくつもりらしい。
「ミルク飲んだ途端、幸せそうな顔で寝ちまった……」
しばらくすると、エゾンの背後から赤子を抱えていたリアスの呆けた声が聞こえてきた。
呑気なものだ。
ミルクを飲んだ赤子が寝ちまうのはよくあるが、そんなのはほんの一時のこと。
「そいつが寝てる間に風呂入って買い出し済ませて来い」
「もうちょっと。リーエの寝顔見てるの、すげぇ幸せ」
こぼれたミルクでベトベトの腕の中で、眠る赤子の頬を突くリアスにため息が漏れた。
「頬を突くな。寝た子を起こす馬鹿がどこにいる」
小言を言いつつも、エゾンが仕方なそうに手元にあったサラシを切って、煮沸に使った湯に潜らせる。
固く絞ったそれを片手に歩み寄り、リアスに尋ねた。
「そのリーエってのはコイツの名前か」
聞いてしまったら逃げられない。
なんとなくそう思ってずっと聞くのを避けてきた話題だが、契約した以上仕方ない。
そう諦めて、リアスに尋ねることにしたのだ。
まだ温かいサラシで赤子の顔を拭うついでに、リアスの腕も軽く拭く。
契約契約と言うくせに、甲斐甲斐しいことこのうえない。
だが続くリアスのセリフに、その手がピタリと止まった。
「ああ。リアスのリと、エゾンのエ。俺とお前の名前から一文字づつとってつけた!」
「……なぜ?」
「あ、俺の名前が先なのが気に入らないか? じゃあ、エーリにするか?」
「そういう問題じゃない!」
思わずエゾンが手にしていたサラシを手荒くテーブルに叩きつけた。
だがすぐハッとして顔をあげ、その音で赤子が目を覚まさなかったことに安堵する。
コイツ、気楽に人のこと巻き込みやがって。
思わず怒鳴りたい衝動を押さえつけるエゾン。
どだい、怒鳴ったところでコイツになぜ俺が怒るのかなど理解できまい。
怒るというのは、本当に無駄な行為だ。
「縁起悪いから、俺の名なんて使うな」
いつものように無感情に戻って言うエゾンに、リアスがキョトンとして言い返す。
「普通、赤ちゃんはカーチャンとトーチャンから名前つけるもんだろ?」
「あ?」
「俺がカーチャンやるからエゾンがトーチャンな」
「だからなぜ俺を巻き込もうとする。俺は関係ない」
リアスの勝手な言い分に、エゾンがさも嫌そうに返した。だがリアスは全く気にしない。
「でも一緒に見つけたんだし、今も一緒に面倒見てくれてるし。やっぱエゾンは無関係じゃないじゃん」
「だ、か、ら。これは契約でやってるだけだ」
怒っても仕方ない。
怒っても仕方ない。
何度も口の中で繰り返すエゾン。
それでもリアスの単純で自分勝手な論理は、やはりエゾンをいらだたせた。
勝手にすればいい。
そうだ。何と言われようと、俺には関係ない。
気を静めよう。
そう自分にいい聞かせ、エゾンは鍋に戻って無心にボトルを茹で上げていく。
まだ未使用とはいえ、本来は調合用のボトルなので、念入りに湯煎しては洗浄ばさみで真新しいさらしに並べる。
後ろでは今の会話をすっかり忘れて、リアスがまたリーエに話かけているようだ。
「ホント、可愛いよなー。リーエ。マジめちゃくちゃ可愛い」
「そんなのは今だけだ」
あまりにも嬉しそうにのろけ続けるリアスに、つい、エゾンがいらぬことを言ってしまう。
だが、リアスがそれを気にした様子はない。
「え、でも可愛いよ」
今朝、あれだけ喚いてノイローゼーにでもなりそうな顔で駆け込んできたくせに、もう忘れたのか。
とはいえ、いくら単細胞なリアスでも、3日も面倒を見ればわかるだろう。
ため息混じりにエゾンが眼鏡を押し上げ、テーブルの紙にさらさらと追加で必要になる品を書き連ねる。
そしてまだ「可愛い」に同意を求める目でこちらを見つめるリアスに、最初の現実を突きつけることにした。
「コイツが寝てるうちに、さっさと風呂入って必要なものを買ってこい」
「お、おう、急いで行ってくる!」
眠るリーエを受け取りながら紙片を手渡すと、さも大切そうに握りしめ、リアスがそのまま走り出そうとする。
そこでふと、嫌な予感がよぎり、エゾンが尋ねた。
「待て。お前の家に風呂あるのか?」
「?」
「お前が身奇麗にしてるの見たことないぞ」
「あるよもちろん!」
エゾンの大変失礼な指摘にも、別に怒ることもなく当たり前のように返答するリアス。
「ただ、お前と違って魔法使えねぇから、薪割って沸かすのが億劫なだけで」
リアスは別に、だらしなくなりたくてだらしなくしているわけではない。
ほとんどの場合は、お金と時間の問題だった。
エゾンには言えないが、すでに近所の木は勝手に全て切り倒して薪にしてしまった。それ以来、風呂を沸かす薪に使う金をケチって水浴びで済ませていたのだ。
だが、エゾンが気にするのはそこではない。
「まさかお前、今から薪割って風呂沸かす気か?」
「そうだけど?」
「何時間かける気だ」
リーエがそんなに長く寝てくれるわけがない。
非情にイヤそうな顔をしながらも、ため息混じりにエゾンが部屋の奥へと歩き出す。
「こっちへ来い」
エゾンが向かった先は小綺麗な風呂場だった。
リアスにとっては見たこともない、上等な風呂場だ。
漆喰と木で装飾された部屋には、タイル張りの流し場があり、奥には小さいながらも鉄製の湯舟まである。
魔職の人間が使うとは聞いていたが、リアスが目にするのは初めてだ。
エゾンの家の風呂がまさかこんな立派なものとは思わなかったリアスは、柄にもなく気が引けてくる。
だが、エゾンはお構いなしに奥まで入り、湯舟に手をかざしてドボドボと湯を注ぎ始めた。
そのまま振り返って洗い場の角を指してリアスに告げる。
「いいか。こっちが石鹸だ。石鹸はわかるな?」
「あ、当たり前だろ、バカにするな」
赤くなって言い返すリアスだが、そんな真っ白な石鹸など見るのも初めてだ。
あんなの使ったら、俺、真っ白になっちまうんじゃないのか?
なんて考えているリアスの顔を見て、エゾンが不安げに忠告を続ける。
「このタオルも貸してやるからこれに石鹸つけて、先に全身くまなく洗ってから風呂に入れよ。耳の裏まで洗って、泡に垢汚れが出なくなってから風呂に入れ」
またも結構失礼なことを言われているが、その場にタップリと注がれる湯と真っ白な石鹸で頭がいっぱいのリアスには響かないようだ。
その様子を見ていたエゾンはだんだん本気で不安になってくる。
「お前、本当に石鹸の使い方知ってるのか? いっそ俺が洗ってやるか?」
注ぎ終わったところで石鹸をつかんでにじりよるエゾン。
途端リアスが飛び上がり、すぐさまブルンブルンと両手を振って拒絶する。
「いや、いい! いらない! 大丈夫! 自分でやる!」
「本当だな」
やけに勢いのいい否定に訝しむも、ゴリラ脳とはいえ相手は大の男だ。
俺がそんな面倒を見てやる義理もないか。
眼鏡を押し上げ、フンと鼻を鳴らし、石鹸をリアスに手渡して踵をかえすエゾン。部屋を出る前に、扉横に設置してある大きな樽を指差した。
「その服はそこの洗浄樽に入れておけ。自動で洗浄が始まる」
「なにその便利道具、え、それ俺にも一つ──」
「いいから早くしろ。それとも俺が脱がせるか?」
「わ、分かった、すぐ入るから!」
最後は慌ててエゾンを追い出して、リアスが一人、そそくさと服を脱ぐ。
相手がエゾンでも流石に裸は見せられない。
リアスにはリアスの事情があるのだ。
本来他人の家に泊まるのも問題なのだが、そこは相手は気のしれたエゾンだし、まあ、大丈夫だろう。
それ以上はあまり深くも考えず、言われた通り全身を磨き上げたリアスは久しぶりの温かい湯船に浸かった。
前日の疲れもあって、そのまま寝落ちしてエゾンに叱られたのはそれからしばらくあとのこと。
因みに石鹸は申し訳程度に残った欠片以外、ほぼなくなっていた。
エゾンお手製の簡易哺乳瓶。
それは煮沸した空き瓶の口に、重ねたサラシの角を止めただけのものだった。
決して上等な出来のものとは言いがたいが、それでも乳の垂れる角を口にあてた途端、赤子はまるで怒ったように、無心でそれを吸い始めた。
ぎゅっと目をつむり、一心に乳を吸い続けるその姿を、リアスがうっとりと見つめている。
「さっき教えた通り、ちゃんと途中でゲップさせろよ」
それを尻目に、エゾンが大鍋を火にかけた。
次のミルクように余分にボトルを煮沸しておくつもりらしい。
「ミルク飲んだ途端、幸せそうな顔で寝ちまった……」
しばらくすると、エゾンの背後から赤子を抱えていたリアスの呆けた声が聞こえてきた。
呑気なものだ。
ミルクを飲んだ赤子が寝ちまうのはよくあるが、そんなのはほんの一時のこと。
「そいつが寝てる間に風呂入って買い出し済ませて来い」
「もうちょっと。リーエの寝顔見てるの、すげぇ幸せ」
こぼれたミルクでベトベトの腕の中で、眠る赤子の頬を突くリアスにため息が漏れた。
「頬を突くな。寝た子を起こす馬鹿がどこにいる」
小言を言いつつも、エゾンが仕方なそうに手元にあったサラシを切って、煮沸に使った湯に潜らせる。
固く絞ったそれを片手に歩み寄り、リアスに尋ねた。
「そのリーエってのはコイツの名前か」
聞いてしまったら逃げられない。
なんとなくそう思ってずっと聞くのを避けてきた話題だが、契約した以上仕方ない。
そう諦めて、リアスに尋ねることにしたのだ。
まだ温かいサラシで赤子の顔を拭うついでに、リアスの腕も軽く拭く。
契約契約と言うくせに、甲斐甲斐しいことこのうえない。
だが続くリアスのセリフに、その手がピタリと止まった。
「ああ。リアスのリと、エゾンのエ。俺とお前の名前から一文字づつとってつけた!」
「……なぜ?」
「あ、俺の名前が先なのが気に入らないか? じゃあ、エーリにするか?」
「そういう問題じゃない!」
思わずエゾンが手にしていたサラシを手荒くテーブルに叩きつけた。
だがすぐハッとして顔をあげ、その音で赤子が目を覚まさなかったことに安堵する。
コイツ、気楽に人のこと巻き込みやがって。
思わず怒鳴りたい衝動を押さえつけるエゾン。
どだい、怒鳴ったところでコイツになぜ俺が怒るのかなど理解できまい。
怒るというのは、本当に無駄な行為だ。
「縁起悪いから、俺の名なんて使うな」
いつものように無感情に戻って言うエゾンに、リアスがキョトンとして言い返す。
「普通、赤ちゃんはカーチャンとトーチャンから名前つけるもんだろ?」
「あ?」
「俺がカーチャンやるからエゾンがトーチャンな」
「だからなぜ俺を巻き込もうとする。俺は関係ない」
リアスの勝手な言い分に、エゾンがさも嫌そうに返した。だがリアスは全く気にしない。
「でも一緒に見つけたんだし、今も一緒に面倒見てくれてるし。やっぱエゾンは無関係じゃないじゃん」
「だ、か、ら。これは契約でやってるだけだ」
怒っても仕方ない。
怒っても仕方ない。
何度も口の中で繰り返すエゾン。
それでもリアスの単純で自分勝手な論理は、やはりエゾンをいらだたせた。
勝手にすればいい。
そうだ。何と言われようと、俺には関係ない。
気を静めよう。
そう自分にいい聞かせ、エゾンは鍋に戻って無心にボトルを茹で上げていく。
まだ未使用とはいえ、本来は調合用のボトルなので、念入りに湯煎しては洗浄ばさみで真新しいさらしに並べる。
後ろでは今の会話をすっかり忘れて、リアスがまたリーエに話かけているようだ。
「ホント、可愛いよなー。リーエ。マジめちゃくちゃ可愛い」
「そんなのは今だけだ」
あまりにも嬉しそうにのろけ続けるリアスに、つい、エゾンがいらぬことを言ってしまう。
だが、リアスがそれを気にした様子はない。
「え、でも可愛いよ」
今朝、あれだけ喚いてノイローゼーにでもなりそうな顔で駆け込んできたくせに、もう忘れたのか。
とはいえ、いくら単細胞なリアスでも、3日も面倒を見ればわかるだろう。
ため息混じりにエゾンが眼鏡を押し上げ、テーブルの紙にさらさらと追加で必要になる品を書き連ねる。
そしてまだ「可愛い」に同意を求める目でこちらを見つめるリアスに、最初の現実を突きつけることにした。
「コイツが寝てるうちに、さっさと風呂入って必要なものを買ってこい」
「お、おう、急いで行ってくる!」
眠るリーエを受け取りながら紙片を手渡すと、さも大切そうに握りしめ、リアスがそのまま走り出そうとする。
そこでふと、嫌な予感がよぎり、エゾンが尋ねた。
「待て。お前の家に風呂あるのか?」
「?」
「お前が身奇麗にしてるの見たことないぞ」
「あるよもちろん!」
エゾンの大変失礼な指摘にも、別に怒ることもなく当たり前のように返答するリアス。
「ただ、お前と違って魔法使えねぇから、薪割って沸かすのが億劫なだけで」
リアスは別に、だらしなくなりたくてだらしなくしているわけではない。
ほとんどの場合は、お金と時間の問題だった。
エゾンには言えないが、すでに近所の木は勝手に全て切り倒して薪にしてしまった。それ以来、風呂を沸かす薪に使う金をケチって水浴びで済ませていたのだ。
だが、エゾンが気にするのはそこではない。
「まさかお前、今から薪割って風呂沸かす気か?」
「そうだけど?」
「何時間かける気だ」
リーエがそんなに長く寝てくれるわけがない。
非情にイヤそうな顔をしながらも、ため息混じりにエゾンが部屋の奥へと歩き出す。
「こっちへ来い」
エゾンが向かった先は小綺麗な風呂場だった。
リアスにとっては見たこともない、上等な風呂場だ。
漆喰と木で装飾された部屋には、タイル張りの流し場があり、奥には小さいながらも鉄製の湯舟まである。
魔職の人間が使うとは聞いていたが、リアスが目にするのは初めてだ。
エゾンの家の風呂がまさかこんな立派なものとは思わなかったリアスは、柄にもなく気が引けてくる。
だが、エゾンはお構いなしに奥まで入り、湯舟に手をかざしてドボドボと湯を注ぎ始めた。
そのまま振り返って洗い場の角を指してリアスに告げる。
「いいか。こっちが石鹸だ。石鹸はわかるな?」
「あ、当たり前だろ、バカにするな」
赤くなって言い返すリアスだが、そんな真っ白な石鹸など見るのも初めてだ。
あんなの使ったら、俺、真っ白になっちまうんじゃないのか?
なんて考えているリアスの顔を見て、エゾンが不安げに忠告を続ける。
「このタオルも貸してやるからこれに石鹸つけて、先に全身くまなく洗ってから風呂に入れよ。耳の裏まで洗って、泡に垢汚れが出なくなってから風呂に入れ」
またも結構失礼なことを言われているが、その場にタップリと注がれる湯と真っ白な石鹸で頭がいっぱいのリアスには響かないようだ。
その様子を見ていたエゾンはだんだん本気で不安になってくる。
「お前、本当に石鹸の使い方知ってるのか? いっそ俺が洗ってやるか?」
注ぎ終わったところで石鹸をつかんでにじりよるエゾン。
途端リアスが飛び上がり、すぐさまブルンブルンと両手を振って拒絶する。
「いや、いい! いらない! 大丈夫! 自分でやる!」
「本当だな」
やけに勢いのいい否定に訝しむも、ゴリラ脳とはいえ相手は大の男だ。
俺がそんな面倒を見てやる義理もないか。
眼鏡を押し上げ、フンと鼻を鳴らし、石鹸をリアスに手渡して踵をかえすエゾン。部屋を出る前に、扉横に設置してある大きな樽を指差した。
「その服はそこの洗浄樽に入れておけ。自動で洗浄が始まる」
「なにその便利道具、え、それ俺にも一つ──」
「いいから早くしろ。それとも俺が脱がせるか?」
「わ、分かった、すぐ入るから!」
最後は慌ててエゾンを追い出して、リアスが一人、そそくさと服を脱ぐ。
相手がエゾンでも流石に裸は見せられない。
リアスにはリアスの事情があるのだ。
本来他人の家に泊まるのも問題なのだが、そこは相手は気のしれたエゾンだし、まあ、大丈夫だろう。
それ以上はあまり深くも考えず、言われた通り全身を磨き上げたリアスは久しぶりの温かい湯船に浸かった。
前日の疲れもあって、そのまま寝落ちしてエゾンに叱られたのはそれからしばらくあとのこと。
因みに石鹸は申し訳程度に残った欠片以外、ほぼなくなっていた。
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