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第2章 新しい風

新しい波の行方 ― 1 ―

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 師匠どこに行っちゃったんだろう?

 今朝起きるとベッドには私一人だった。
 昨日のことを警戒して身構えていたのに、師匠は結局なにもしなかった。

 エリーさんの言ったとおりだったね。

 昨日夕食を部屋でいただくことになって、一人ご飯に落ち込んでい私にエリーさんが色々と教えてくれたのだ。

「アーロン様のことはピピン様より少し伺っています。アエリア様のことを本当に心配なさっていつも気にかけてらしたと」
「師匠がですか?」
「もちろんです。こちらのお部屋もお洋服も、全てアエリア様の為にあつらえられているじゃありませんか」
「でも師匠は優しいけどとっても意地悪でもあるんです……」
「まあ! アーロン様が意地悪をされるのですか?」
「はい。今朝も気がついたらネグリジェに着替えさせられて師匠のベッドで抱きつかれていて。私がちょっとだけ師匠が怒るようなことを言ったら首に噛みつかれました」
「まあ! まあまあ!」

 エリーさんはなぜか嬉しそうにまあを連発した。

「それはとっても可愛らしい意地悪ですね」
「可愛らしい、ですか? 私はパニクっちゃたんですが」
「ではきっとアエリア様には上級過ぎたってことですわ」
「上級、って言うか高度っていうか」
「まあ、分かってらっしゃるじゃありませんか」

 そう答えたエリーさんが嬉しそうにニッコリと笑う。

「ではアエリア様にいいことを教えて差しあげましょう」

 話しつつも、食事の終わった私の体をいい香りのするタオルで軽く拭きあげて、昨日と同じようなネグリジェに着替えさせてくれる。

「今夜はアエリア様からアーロン様にしっかりとお話してみてご覧なさい」

 髪も香油を付けて、夕食前より丁寧に整えてくれた。もう寝るだけなのにちょっともったいない。

「アエリア様が思ったことをはっきりと言っておしまいなさい。アエリア様にとって、なにが許容範囲でなにが無理なのか。アーロン様はお優しい方です。アエリア様がちゃんとお話されればきっとご理解くださるでしょう」

 髪も整え終えたエリーさんは最後に付け加えた。

「本日は私どもの居室の準備がまだ整いませんのでこれで失礼いたします。アーロン様とごゆっくりお過ごしください」

 そう言って退室していった。

 エリーさんの忠告に従って朝の出来事は『意地悪』で片づけて、お礼と一緒にちゃんとアーロンになにが大丈夫でなにが無理かを伝えられたと思う。
 途中思わず抱きついてしまったのは反省反省。
 そして折角自分の部屋を頂いたにも関わらず、私は師匠のベッドで一緒に寝ることを選んだ。
 アーロンのあの絶望した顔を思い出すと、そうしなければいけないと思った。アーロンのためだけではなく、私自身も一人のご飯と同じで、一人で寝るのが寂しいと思ってしまった。ちゃんと師匠との関係を前向きにしていくのには、それが絶対に必要になる気がしたのだ。
 話を終えて眠る直前、アーロンが頭を撫でてくれていたような気がするけどあれは夢だったんだろうか?
 そして朝起きればアーロンの広いベッドには私一人だったわけで。

 師匠また忙しいのかな。それとも私が邪魔でよく眠れなかったのかな。

 のそのそとベッドから起きだして自分の部屋に戻る。
 昨日もエリーさんと中を見たけれど、ワードローブの中にはドレス以外にも色々な服がそろえられていた。私はその中から一番シンプルでレースの少ないシャツと毛織のグレーのロング・スカート、淡いピンクのカーディガンを選んで着替える。どれも本当に高価そうな材質のものばかりで袖を通すのが申し訳ないくらいだ。
 私が皮の靴のほかにもブーツやヒールのある靴もあるのだが、やっぱりこの薄手の皮の靴が一番履き心地がいい。

 さて、着替え終わって部屋を出てキッチンに行くと、すぐにブリジットさんに捕まった。

「おはようございます、アエリア様。コチラにはアエリア様が必要なものはございませんよ。朝食の用意をいたしますからダイニングでお待ちください」

 折角きれいになったキッチンでお手伝いがしたい。とりあえずお願いしてみる。

「おはようございます、ブリジットさんなにかお手伝いできませんか?」
「ここは大丈夫ですからどうぞダイニングに行っててください」

 やはりやんわりと断られてしまった。仕方がないのですぐ隣のダイニング・ルームに行き昨日と同じ席に着くと、直ぐにエリーさんが入ってきた。

「おはようございます、アエリア様。お部屋にいらっしゃらなかったのでお探ししましたわ。よくお休みになれましたか?」
「おはようございますエリーさん、はい。エリーさんに勧めていただいた通り、師匠としっかりお話ししたお陰で私はゆっくり眠ることが出来たのですが。今朝起きたら師匠が見当たらないんです」
「ああ、アーロン様でしたら私どもをお城からこちらにお連れくださったあと、またお城に戻られましたよ?」
「じゃあまだしばらく帰って来ないんでしょうか」
「さあどうでしょう。今日はタイラーさんもこちらに参りませんからちょっと確認のしようがありませんわね」
「タイラーさんがいらっしゃるとどうして確認できるんですか?」
「まあ、アエリア様はご存知ありませんでしたね。タイラーさんは数少ない魔術師の資格を持った執事なんです。タイラーさんであればお城との連絡を魔術で行えるんですよ」

 エリーさんは説明しながら私の朝食を運んできてくれる。昨日は気づかなかったが、ダイニングの壁に作りつけられた棚の一部がスライドするドアになってて、そこから準備の出来た食事などを使用人が受け取れるようになっていた。

 あの小さなドアって配膳のためだったんだ。お貴族様のお屋敷はやっぱりすごいなぁ。

 私は朝食のポーリッジとお茶を頂きながらエリーさんに尋ねる。

「すごいですね、お城には魔術師の資格を持った執事さんなんていらっしゃるんですね。じゃあそのタイラーさんが様付で呼んでらしたピピンさんって実はもっとすごい執事さんなんですか?」

 するとエリーさんはとっても困った顔をした。

「……ピピン様のことはぜひアーロン様にお尋ねになってみてください。私どもからお話しするわけにはいきません」

 え。ピピンさんてお話しできないような人なの?
 一体どんな人んなんですか?

 余計謎めいてきたピピンさんの素性が気になって仕方ない。もうちょっと詳しく聞いてみたいな。

「ああ、ここに居たか」

 ちょうどその時、ダイニングの扉が開いて、アーロンが背の高い男性を引き連れてダイニングに入ってきた。
 整髪料できっちり撫で付け後ろにまとめたグレーの髪、秀でた額。とても優しそうな目には、緑の瞳が落ち着いた輝きを宿してる。髪の色と同調のグレーの上下の上に黒いローブを羽織った、まさに紳士、という風貌の男性だ。

「アエリア、彼はスチュワードと言う」
「スチュワードと申します。これからアエリア様の魔術全般の指導をお手伝いすることになりました」

 ドキンと心臓がなった。

 師匠は私を見限ったのだろうか。もう教えるのも嫌だということだろうか?

 私は怖くてそれを問いただすことが出来ない。代わりに乾いた声であいさつを返す。

「あ、アエリアです。宜しくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願いします。アエリア様には魔導騎士団員程度の知識と技術が付くところまで三年を目処にお教えするつもりでおります。しばらくは週に一度こちらに来ての授業となりますが、春頃にはこちらに常駐する予定です」

 え? 三年で魔導騎士団員程度って、もしかしてすごいことじゃないだろうか?
 私、それを終えたら魔導騎士団に入れてもらえる?

「まて、アエリア。これはお前の魔術を高めるための教育であって魔導騎士団に入隊するためではないからな」
「それは私では魔導騎士団には入隊できないということですか?」
「以前も説明しただろう。魔導騎士団に入るにはまずその過程の職務を数年務める必要がある。だが、基本全てが騎士職である以上、武術に覚えのないお前ではまず無理だろう」

 そっか。基本的な兵士としての基礎が出来ていないといくら魔術だけ上達しても魔導騎士団には入れないんだ……
 今までの説明の中で一番はっきりと自分には魔導騎士団になれないことが理解できた。

 やっぱりショックだな。どこかでいつかなれるんじゃないかって希望があったんだけど。
 そっか。無理なんだ。

 私が落ち込んだのが見てとれたのだろう。スチュワードさんが優しい眼差しでこちらを見て、励ますように続ける。

「アエリア様、魔導騎士団は確かに魔術師の最も頂点ともいえる職業ですが、それだけが魔術師の仕事ではありませんよ。例えば私のように教職に就く者もいれば、タイラーのように執事として尊敬する者に仕える者もいます。例えば魔術治癒師のように自分が得意な魔術を専門的に使う職業もたくさんあります」

 スチュワードさんは噛んで含むようにゆっくりと教えてくれる。

「いくら才能があられてもアエリア様はまだ初等の魔術を修められたばかりです。これから中級、高等魔術を学ばれる中でご自分に合った将来の道が見つかると思いますよ」

 スチュワードさんは根っからの『先生』なのだと思う。アチラの世界にもいた、本当に『先生』こそが天職で、それがそのままその人の人生になっているようなタイプの『先生』。
 こんな人に教わることが出来るのは幸せなのだろう。
 だけど、同時に大きな不安が押し寄せる。小さいけど確かな師匠とのつながりが一つ切れてしまったようで。
 自分の中の不安がこぼれだしそうなのを堪えてアーロンに訴えた。

「師匠。私、もう師匠からは魔術を教えて貰えないんですか?」

 アーロンは一瞬ポカンと口を開けていたが、すぐに気を取り直して答えてくれた。

「そんなつもりはないぞ。これからも俺から教えてやることもあるだろう。ただ、お前のように若いうちに基礎をきちんと学ぶのであればスチュワードは教師として最適だ」

 珍しく分かりやすいアーロンの説明に、彼なりの気遣いが感じられた。少しだけほっとして私はスチュワードさんに向き直った。

「分かりました。スチュワードさん、どうぞ宜しくお願い致します」
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