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第4章 執務

7 適正価格

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 パット君に続いてすぐにアルディさんもキールさんの手伝いに戻っていった。二人がいなくなり、黒猫君と二人きりになったところでずっと気になってたことを聞いてみる。

「黒猫君、さっきパット君に適正価格とそれ程変わらない値段で買い取るって言ってたけど、そんな安い値段でみんな本当に売ってくれるの?」

 黒猫君の指示自体は分かるんだけど、昨日一日取引をずっと見てた私には疑問が残った。そんな私に黒猫君が問題ないと言うように頷いて、自信ありげに答えてくれる。

「多分売り出すだろう。昨日の騒動で物価自体が少し安定したはずだ。俺だっていずれはこうなるように仕向けようとは考えてた。とはいえ、自然に市場が落ち着くのにはまだしばらくかかると踏んでたんだけどな。キールの奴、自分の私財と税金を投げうって一気に詰めちまいやがった」
「……あの、黒猫君。私、黒猫君が言ってる一つひとつの言葉の意味は分かるんだけど、全部繋げると全然分かんなくなっちゃうんだよ。もうちょっと私にも分かるように説明して」

 一人で納得してる黒猫君に少しイライラを吐き出した。私の言葉を聞いて、黒猫君が机の上で真っすぐ私に向き直って座りなおす。大きくなった黒猫君が机の上に座ると、目線がちょうど私の目の前に来て、なんかちょうど見つめあうような形になる。金色の瞳がやけに真っすぐでちょっとドキリとさせられた。
 いつもの馬鹿にするような態度は今日は影を潜め、軽く首を傾げた黒猫君がゆっくり噛んで含めるように私に説明を始めた。

「あのな。前にも一度説明したけど、ここでは貨幣に意味がなくなって、物価も上がっちまって物が売れなくなってた訳だ。で、手っ取り早く物を手にいれるには物々交換しかなくなっちまってて、実際それでテリースを農村に売っぱらっちまった」

 売っぱらったって言い方はテリースさんがちょっとかわいそう。物じゃないんだし。まあ事実なのかもしれないけど。

「ただ、物々交換ってのは手広くやろうとすると非常に手間と時間がかかるんだ。なんせ、必ずしも買い手と売り手が同じものを同じ時に、同じだけ必要とするとは限らないからな。だからそれをもう少しスムーズにやる為に、俺はまずはここで物資を税金として一旦受け取ってから市場に流そうと思ったんだよ。そうすれば、たとえ時価が高くても大きな規模で取引できるから、ある程度物品が動き出すと思ったんだ。市場に出回る物が増えればその分、自然と値段が下がるのが市場原理だ」

 うん、これはなんとか分かった。

「そうしてゆっくりと時価から少しずつ安定した価格まで落としていくつもりだったんだ、俺は。なのにキールの奴、一日限りとは言え損を覚悟で買い取った物資を一気に3か月以上前の価格まで落とした値段で売り始めたわけだ。お陰で一気に市場が冷え込んだ」
「待って、そこが良く分かんなかったの。昨日キールさんがしたことが、どうして黒猫君のやり方とそんなに違ったの?」

 黒猫君はコテンと小さく頭を横に倒して私に尋ねる。

「じゃあ、あゆみはもしそこに高い値段と安い値段で全く同じものが売ってたらどっちを買う?」
「え、それは安いほうだよ」
「そうだよな。さて、今日市場では昨日お前が仲買した安い値段の物が大量に出回り始めたわけだ」
「ああ、そうだろうね。凄い量取り扱ったもん」

 昨日の一日を思い出して視線が遠くへいっちゃった。

「そうすると、昨日ここを通さなかった物品は今日の市場では突然、信じられない程高値になっちまった訳だ」
「うん、そういうことになるね」
「でそれだけ安い値段の物が市場に出回れば、無論客はみんなその安いほうを買いに行っただろうし、割高の商品をわざわざ買うやつはいなかっただろう。だけど、普通そんな安値がいつまでも続くとは信じられなくて、量を集めたい卸しや大量買いをする商家なんかは値を下げ始めた他の商品にも手を出し始める。普通はそうやって自然に市場自体がバランスをとっていってその中間くらいの値段に落ち着いていくわけだが」

 黒猫君はそこでちょっと言葉を切り、顔を歪ませた。

「キールの奴はそこにもう一押ししたわけだ。まず麦はあの村の村長が持ってこれた去年の税金分の3分の1の量だけ今受け取って、残りをこれからも時期をずらして同じ値段で買うって宣言しただろ。まずあれでキールが当分、麦の市場管理を続けるってことがあそこにいた人間全員に伝わったわけだ。お陰で銅貨の価格が安定しやすくなった」

 なんかちょっと難しくなってきたぞ。

「え、ちょっと待って。何で麦の値段と銅貨が今くっついたの?」
「それはこの国の貨幣の価値が主要穀物に依存してるからだ。まだこの世界の主要産業は第一次産業なんだよ」
「えっと第一次産業って確か農業とか水産業とか?」
「そう。ほら、日本でも昔、石高こくだか、つまり米の生産量で地方の国力を測ってた時代があっただろ。同じことだ。この世界では主食の麦の量がそのまま、その地域の経済力の目安になるわけだ。だから麦の価格には銅貨の価値が連動してくる」

 ああ、そっか。ここでは麦自体がお金の元になってるんだ。

「その上キールの奴、税金を物品で受け取り続けるって宣言した。まあ、これは俺の案でもあったわけだけど、麦の安定と税金による安価での物流の増加が見込まれて、一気に市場での物の価値が低く安定したってわけさ」

 黒猫君の説明は凄く分かりやすくて、お陰で私にもなんとか事の成り行きが見えてきた。でもだからこそ、今度は新たな疑問が浮かんでくる。

「ねえ黒猫君……。なんで黒猫君、そんなこと分かるの? どこで勉強したの?」

 言いたくないけど、黒猫君、高校中退だったと思うんだけど。私の質問に黒猫君が俯いてぼそりと返した。

「新聞を読んだ」
「……へ?」
「新聞を毎日読んだんだよ」

 そこではぁーっとため息をついた黒猫君は、ゆっくりとその場で伏せをして、前で交差させた腕の上に頭を乗せながらあらぬ方向を見つめる。

「俺、高校は一年も行ってないんだよ。わけあってサバイバル教室に入って結局そこに居ついたんだがな。……そこで一番世話になったおやっさんが俺の事『お前、中学出た癖に漢字も読めないのか!』ってすげえ馬鹿にしてな。押し付けられたのが新聞だった」

 黒猫君はそのおやっさんのことを顔を顰めて吐き捨てるように言うくせに、なぜか口元だけがちょっと緩んでる。

「新聞だけ?」
「新聞だけ。最初は一社、朝と晩。とにかく頭っから最後まで、意味が分かろうと分からなかろうと全部読まさせられた。分かんない漢字はインターネットで調べさせられて。最初スゲー時間かかったんだわ、読むだけで。俺マジで馬鹿だったから」

 そう言って自分の猫の手を見つめてる。

「始めの1か月、嫌で嫌でしょうがなかったんだがな。それを超えた辺りで段々インターネットで言葉を検索しなくてもなんとか一ページ読めるようになってきた。そしたら今度はもう一社足された。一社分だけでも辛いのに、なに考えてんだこのオヤジって最初頭にきたんだけど、読んでいるうちに、時々同じ事柄が新聞によって全く違って書かれてるのが面白くなった」
「…………」
「二社だけじゃどっちが正しいのか分からなくて、ネットでも検索するともっと色々な情報が出て来た。言葉の意味だけじゃなくて、キーワードの関連記事をインターネットで追っかけ始めた頃にはどうしても他の場所にも行ってみたくなってた」

 そう話す黒猫君は、私に顔を向けながらもどこか凄く遠くを見ているみたいだった。

 なんか突然、凄く理不尽に思えてきた。
 私だって一応受験勉強したし、高校だって偏差値取れるだけの勉強はしてた。
 第一次産業だって言葉としては聞いたこともあったし、物価とか市場管理とかキーワードとしては聞いたことだってあった。
 なのにどうして私の知識ではそれが今の状況と全くつながらないんだろう。

「ま、俺の話はいいよ。話を戻すとだな、キールのお陰で一気に市場が冷めたんだよ。これで基本の物価がある程度下がる上に、今日からの取引をここで仲介し、適正価格を開示してそれを元に税金の引き受けも行っていけば市場価格もある程度コントロール出来るから、当分ここの物価は安定していくはずなんだ。ただ、文句が出ないうちに早いとこ台帳を作り直して、きっちり税金を取り立てなきゃなんないんだけどな」

 私の沸々とした気持ちは黒猫君の最後の言葉で霧散した。

「それで今日から私達は台帳仕事に移るわけだね」
「そういうこと。残念ながらここにはコンピュータなんてないし、頑張って手で数字を追って行くしかないぞ。大体、昨日全部で何組対応したのかも分からないしな。これを全部また台帳に起こし直すなんて考えただけでも気が遠くな──」
「384件」

 今度は私がぼそりと黒猫君に呟いた。

「あん?」
「昨日扱った取引は全部で384件だったよ」
「……お前数えてたのか?」

 ゆっくりと目を見開いて私に視線を合わせて来た黒猫君に、勝手にほほが緩んだ。

「昨日の取引、実はパット君にも手伝ってもらって途中から全部通し番号振ってたの。パット君に言ってタッカーさんたちにもケタ違いで同じことしてもらってた。ほら、木板がどんどん増えちゃったでしょ。だから書き写しの間違いとか起きそうで怖くてね。でね、ちょっと私も考えてたことがあるんだけど聞いてくれる?」

 黒猫君が尋ねるように首を傾げて私の次の言葉を待つ。
 近くにあったわら半紙に手を伸ばしながら、私は黒猫君に自分の考えを説明しはじめた。
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