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第8章 ナンシー 

33 すり合わせ

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「さて、ネロ。昨日はやけに静かだったが今日はちゃんと話す気があるのか?」

 さっきネロ君と試合し損ねたキールさんは少し不貞腐れた顔で黒猫君を軽く睨んだ。キールさんは昨日の朝の話し合いに黒猫君があまり気乗りしていなかったのを感じ取っていたらしい。

「ああ。昨日は悪い。あんたが国王になるんだったらこっちも色々先に考えたいと思ったんだ」
「で今回はちゃんと『腹割って』話せるのか?」
「大丈夫だ。こっちもまあ覚悟が決まった。それに今回は俺たちの方がかなり迷惑かけちまったからな」

 黒猫君の最後の言葉をフンッと鼻で笑ってキールさんが続ける。

「そんなのは大した問題じゃない。こっちも大体情報が集まったし一度すり合わせよう」
「ああ」

 キールさんの執務室には私と黒猫君とアルディさん、それにエミールさんが今回も立ち会ってる。
 さっきっから目に見えそうな秋波を私に送りまくってるエミールさんに黒猫君がイライラしてる。
 黒猫君には悪いけど私はそれがちょっと嬉しかったりする。

「まずここの状況だがお前はどう見てる?」

 キールさんは自分の意見より黒猫君の意見が聞きたいみたいだ。それに黒猫君が猫の時の様にちょっと目を輝かせて答えはじめた。

「最悪だ。また詰みかけてる。なんでどこ行っても詰んでんだよここは」
「やっぱりそう思うか。具体的には?」
「まずまたも流通が止まってる」

 あ、今回は指を立てられた。おめでとう、黒猫君! って目で私がいってるのに気づいた黒猫君が嫌そうに私を見返した。

「どうやら北からの物資は届いてるのに中央との流通は一か月以上止まってるらしい」
「ああ、俺たちもそれは確認した。中央の全滅した王族の後釜を狙ってる三公がそれぞれ牽制しあって物資の輸出を止めたらしい。それを受けて中央ではかなりの物資不足が発生しているはずだ。冬に向けて燃料と食料の枯渇が見込まれるため下手をしたら暴動が起きてここに押し寄せてくる可能性も考えてる」

 キールさんの返事は多分黒猫君が懸念していたのとほぼ同じだったのだろう、小さく頷いて先を続けた。

「次に麦の刈り入れが全くできていない。これはここの領主が農民を北の鉱山に送っちまったのが原因らしい」
「それは僕も確認しました。領主の命令で働き手の農民を運んできた城の兵士を城門の所で押さえようとして最初に衝突したんです。我々の権限では領主の勅令を盾にされてしまっては止め切る事が出来ませんでした。その後彼らが西の港から船で北に送られたところまでは部下が確認しています。結果現在それぞれの農村に残っているのは働き手としては心もとない老人と子供ばかりです」

 エミールさんはやっぱり優秀なんだね。ちゃんと事実を最後まで確認してる。エミールさんの説明に頷いてから黒猫君が三本目の指を立てながら淡々と続けた。

「そんで、それに輪をかけて教会がヤバい事始めた。領主に乞われて貧民の子供たちを魔術でニコイチしてやがる」
「なんだそのニコイチってのは?」
「え? ニコイチって……」

 なんか嫌な予感がして黒猫君を見返した。そこで大きくため息をついた黒猫君が私の顔を覗き込んで言葉を続けた。

「これはあゆみに聞かせるべきかどうか昨日一晩迷ったんだがな。多分今俺が隠して後でそれを知ったら、お前すげー怒りそうだから。前もっていっとくけどかなりショックな話だ。落ち着いて聞けよ」

 黒猫君が私の顔をじっと見て私に覚悟が出来るのを待っている。
 私がなんとか小さく頷くと黒猫君が暗い顔で話し始めた。

「昨日夕食を取りに行く時にビーノから聞いたんだ。教会の奴ら、領主の要請で貧民街から獣人とエルフの子供を大量にさらってきて首をすげ変えてるらしい。エルフの性質でおとなしく、獣人の体力を持った奴隷にして領主に届けている」
「え、ちょっと待って。それって……首を切ってつなげ直してるって事?」

 私の問いに黒猫君が無言でうなずく。キールさん達もこれは知らなかったみたいで全員顔を強張らせてる。問い返しながらも全身から血の気が抜けて恐怖と驚愕が徐々に私の身体を凍りつかせていく。

「え、でもじゃあ、え? だって二人で一つって、その残った体と頭は?」

 黒猫君が何も言わずにゆるゆると首を振った。
 獣人とエルフ。
 ミッチちゃんとダニエラちゃん。
 同じような子達を二人でニコイチ。

「なんで? なんでそんな事をするの? なんのために?」

 私がショックで周りも見ずに黒猫君に向かって叫ぶと黒猫君が辛そうに言葉を紡ぎ始める。

「北の鉱山の人手が必要だかららしい。どうも鉱山でかなり人死にが出てるみたいだ。領主は農民だけじゃ飽き足らずそうして作り出した人手を北に送ってるらしい。ビーノがいうには獣人の子供は大人並みの体力があってエルフは従順なんだそうだ」

 そんな事の為に。
 死んじゃう人が多い仕事を何で子供にさせなきゃいけないの?
 それどころかその為だけに命を弄んで自分に都合のいい『生き物』にして。
 まるで使い捨ての材料見たいに子供たちを切り刻むなんて。
 そこではたと気づいた。

「それ、ビーノ君がいってたんだよね。どうしてビーノ君がそれを知ってるの?」

 私のさらなる質問に黒猫君が私を宥めるように肩に手をおいてから顔を歪ませながら答え始めた。

「ビーノもあの二人から聞き出したみたいだ。教会の奴らは何も考えないでその作業を子供たちの目の前で行ってるらしい。ビーノがあの司教長の命令を聞いていたのもあの二人を次の『順番』に入れるって脅されての事だったらしい」

 さっき恐怖で下がった血が一気に沸騰した。
 ビーノ君の言う通り、あそこにいたのは本当に『クソ野郎』だったんだ!
 ミッチちゃんとダニエラちゃんの恐怖に凍り付いた表情が脳裏に浮かぶ。
 当たり前だ。あの子たち、そんな光景を見せられてたなんて!

「あゆみ、あまり興奮するな」
「マズい、ネロ、あゆみを止めろ!」

 みんなが周りで騒ぎ始めた。でも私にはよく聞こえない。
 頭に血が上りすぎて。どうにもならない。燃えるような感情が身体まで支配しちゃった感じ。

「外を見てください! まずい、周りが凄い事になってきてる」
「あゆみバカ! こっち向け! 俺を見ろ! 俺を見ろっていってんだ!」

 黒猫君の叫びがどこか遠くで聞こえてる。でも今私にはそれを聞く耳がないみたいだ。代わりに何か凄く遠くの声が聞こえてくる。

 呻き声。鳴き声。言葉にならない声。
 すえた血の匂い。腐った肉の匂い。排泄物のむせっかえるような悪臭。
 暗い場所。詰め込まれ、折り重なるように丸くなった子供たちの歪な姿。

 ひどい、ひどすぎる。なんでこんな事ありえるの?
 誰がこんな事を!
 まって、こっちにも!
 ああああ。何てこと。彼らはまだ動いてる。

 突然頬が燃えるほど熱くなった。
 余りの熱にぽっかりと心が空虚になった。

「ごめんあゆみ、だけどお前いま完全にどっかいってただろう」

 突然黒猫君の声が聞こえ始めた。
 目の前にあるちょっと泣きそうな黒猫君の顔に吸い込まれるようにすーっと焦点が合う。
 あ、この顔。前に死んだふりした時に見た顔だ。黒猫君が凄く心配してる。
 でも何を?

「意識が戻ったか?」
「魔力は止まったようですよ、でもこれは後片付けが大変だ」

 すぐに周りからキールさんとアルディさんの声も聞こえて来た。

「ネロ、隣の俺の仮眠室で一回あゆみを休ませてやれ。話はそれからだ」

 黒猫君が頷いて私の身体を抱え上げた。
 フワッと浮き上がる感覚の後、黒猫君の私を抱える腕がいつもに増してきつく私を抱きとめてるのが分かる。まるで私がどこかに行ってしまうのを恐れてるみたい。
 そのまま無言で黒猫君はキールさんの執務室を出てすぐ隣の部屋に入る。
 そこはキールさんの仮眠室らしい。綺麗に片付けられた部屋には背もたれの無い長椅子とクッションだけがぽつんと置かれていた。
 そこに慎重に私の身体を下ろした黒猫君がそのまま覆いかぶさる様に私を抱きしめた。

「ごめん、お前があそこまでショックを受けるとは思ってなかった。しかもお前を呼び戻すのに手を上げちまった」

 私を抱きしめてる黒猫君の身体が震えてる。
 今朝あんなに刻まれても何の恐怖も目に浮かべないでアルディさんの懐に飛び込んで行っていた黒猫君がまるで怖くてしょうがないとでも言うように震えてる。
 それにびっくりしてさっきまでの怒りがどこか遠い物に思えて来た。
 大きく息を吸って深呼吸する。
 ショックは消えたわけじゃないけどさっきよりも少し遠ざかったみたいだ。

「驚かせてごめんね、もう大丈夫だと思う」

 私がなんとか絞り出した声はまるで自分の物じゃないみたいにかすれちゃった。
 あれ、私まだ怒ってるのかな。

「黒猫君こそ大丈夫?」

 少し心配になって首を動かして黒猫君の顔を覗き込む。するとバツの悪そうな顔を少し背けながら黒猫君が凄く近くで私に向き直った。

「すまねえ。ちょっと取り乱した。お前の顔、それ多分腫れてくるな。ちょっと待ってろ、誰か治癒魔法が出来る奴呼んでくる」
「そんなのいいからここにいて」

 私は立ち上がってどこかに行きそうになる黒猫君の袖を掴んで思わず引き留めてしまった。
 さっき燃えるような熱を感じた頬は今はジンジンと痛みだし、口内が切れてたせいで血の味がする。でもそんな肉体的な痛みはあまり気にならない。

「もう少しでちゃんと落ち着くからちょっとここに一緒にいて。私多分みんなに話さなきゃならない事があるの」

 そういって黒猫君の手を引きよせて抱え込む。それはまるで暗闇の中で光る細いロウソクのように今の私にとってはどうしても必要な支えに見えた。
 黒猫君が一瞬戸惑った顔でこちらを見下ろしたけど、すぐに諦めたように私の横たわっている長椅子の横に胡坐をかいて座り込む。
 あれ、多分現実だと思う。現実のどこかだ。変に確信がある。
 そしてあれが本当に現実なのならば。私は絶対に目を背けられない。そのためにも今は落ち着いて見た物を再度思い出そう。きちんと説明できるように。
 無言で空中を見つめてさっき起きた事を自分の中で整理している私を辛抱強く黒猫君が待ってくれてる。
 しばらくして、もう一度深呼吸した私はゆっくりと椅子の上に起き上がって黒猫君の顔を見た。

「黒猫君、もう大丈夫。戻ろう。私みんなに話があるの」
「待て、その前に。お前の唇切れてる。俺のせいだ。ちょっとだけ目を瞑ってくれ」

 いわれた事に反応しきれなかった私を少し目を細めて見つめ返した黒猫君は、すぐに私の両目を自分の大きな手で覆いもう一方の手で私の後ろ頭を支えた。
 一瞬掠める様に何かが私の唇の横を濡らしていった。

 そのまましばらく黒猫君の手が私の目を覆ったままで。
 もう一度今度はゆっくりと何か柔らかい物が私の唇の横を拭った。
 今のってもしかして。

「行くぞ」

 やっと外れた黒猫君の手はすぐにサッと私を持ちあげる。
 でも隠す事の出来ない黒猫君の顔がしっかり赤面してた。
 そして唇の横の痛みの引いた私の顔も多分真っ赤だった。
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