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王弟一家(3)

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 その後、アイラが公爵たちと雑談を続けている間に、ルルは一人で厩舎に向かい、馬の世話をしている使用人から飼料を分けてもらった。

「ありがとうございます」

 牧草の他にトウモロコシなどの穀物も貰い、塩分補給のために少し塩もやるといいと教えてもらう。
 人力で引く荷車も借りて、飼料はそこに乗せる。街中では自分が引くとして、山道に入ったらアイラに魔法で運んでもらおう、とルルが考えていると、屋敷の玄関の方からアイリーデ公爵が歩いてきた。
 公爵は一人だったので、ルルは思わずこう声をかける。

「アイラ様はどこです?」

 それはルルが公爵のことを信用していないから、つい出た言葉だった。
 公爵がアイラを拘束して王都の騎士に引き渡す、ということもなくはないから。

 公爵は自分がルルから信用されているかいないかなんて気にしていないようだったが、その態度には腹を立てた。 
 ルルが発言した途端、腰に下げていた靴べらのようなもの――平たい木の棒――を持ってルルの頬を思い切り殴ったのだ。

「奴隷風情が立ったまま私に話しかけるんじゃない」

 奴隷が公爵のような身分の高い人間に話しかけることは基本的には許されていないし、理由があって話しかけなければならない時は、まず頭を下げて相手を真っ直ぐ見ないようにし、膝を折る必要がある。
 けれど今、ルルは公爵を見下ろして――ルルの方が背が高いから自然とそうなってしまった――声をかけてしまった。

(気を抜いてた)

 ルルは心の中で舌打ちして地面に膝をつく。城にいた時はこんな失敗決してしなかったのだが、王女ではなくなったアイラと二人きりの生活をしているうちに、奴隷としての意識が薄れてきてしまっていた。
 
「アイラに気に入られているからと言って調子に乗るなよ」

 公爵は膝を折っているルルを蹴り、木の棒で何度も体や顔を殴る。頬が真っ赤になっても唇に血が滲んでも、ルルは抵抗しなかった。

「全く、アイラは甘過ぎる。奴隷のしつけもできないとは」

 ルルは目を据わらせたまま、公爵の代わりに地面を睨んだ。乱れた髪が邪魔で、公爵からはルルの表情が見えないだろう。

 公爵一家は『小物』だ。生まれた時から権力を持っていたので、自分たちには何の才能も無いのに価値がある存在だと勘違いしている、ただの普通の人間だ。
 だからアイラにとっては彼らは取るに足りない存在だけれど、ルルのような身分の低い人間では、やはり公爵と対等に接することはできない。
 
「立て。じきアイラたちが来る」

 殴るのをやめた公爵が促すと、ルルは立ち上がった。
 と、そこでちょうどアイラが公爵夫人やトロージと一緒にこちらへやって来た。

「これが馬の餌だな」

 アイラは荷車の上の飼料を見て満足げに頷く。

「じゃあ、私たちは帰る」

 用は済んだとばかりに言ったところで、アイラはルルの顔の怪我に気づいた。それに服も汚れている。

「ルル、それどうしたんだ? 転んだのか?」
「私が躾けたんだ。奴隷のくせに態度が悪かったからな」

 公爵がフンと鼻を鳴らして言う。
 奴隷のくせに、というのはアイラもたまにルルに言う台詞だ。特に城を出て山小屋で生活するようになってからは、ルルが狭いベッドの三分の二を占領して寝ていたり、自分の寝心地の良さを追求してアイラを本当の抱き枕のように扱ったり、一つしかない枕を一人で使っていたりするからだ。
 けれど自分以外の人間がルルのことをそんなふうに言うと、何となくムカッとする。

 それにこの怪我。
 何度もぶたれたのか赤くなった頬は少し腫れてきているし、唇からは血が垂れて痛々しい。
 小さい頃からずっと一緒の幼馴染の、その綺麗な顔が傷つけられたと思うと、心に怒りの火が灯る。

「――ルルは私の奴隷だぞ」

 アイラはルルを見たまま、公爵に言った。

「それを勝手に傷つけたのか?」
「ア、アイラ……」

 地面の芝生がざわざわと波立つ。アイラが無意識に発する魔力によって重い風が吹き、厩舎の中では馬たちがいなないた。
 アイラが青い瞳で強く睨むと、公爵は顔を引きつらせて息を止める。

「次にルルを殴ったら、これよりもっと酷い目に遭わせてやる」

 そう言い残すと、アイラはルルに「行くぞ」と言って門の方へと向かった。
 ルルが怪我をさせられたことには怒るものの、代わりに荷車を引いてやろうというところまでは考えが及ばないため、ルルに車を引かせてずんずん歩く。
 公爵はその後姿を見ながら、苦々しい顔をして呟いた。

「……全く、あんなにわがままな小娘が膨大な魔力を持っているなんて危なくてかなわん。行方不明なら行方不明のまま、もう二度とうちには来ないで欲しいものだ」

 
「大丈夫か? ルル」

 山小屋に戻ったところで、アイラはルルを椅子に座らせて言った。

「早く手当しろ」

 アイラは怪我の手当てはできないので、本人にやらせるしかない。ルルは少し笑ってから濡れタオルで血を拭き、頬を冷やした。

「それだけか? 薬はないのか?」
「殴られただけですから、これくらいしかできませんよ。どこかが深く切れたり、骨が折れたりはしていませんから、薬を使わなくてもそのうち治ります」

 ルルは怪我のせいで喋りにくそうだ。
 アイラは落ち着きなくルルの周りを行ったり来たりしながら呟く。

「やっぱりこのままでは腹の虫が収まらない。戻って叔父上を殴ってこようかな。殴る用に薪を一つ持っていこう」
「アイラ」

 家を出ていこうとするアイラを引き止めて、ルルは自分の右膝を軽く叩いた。

「行かなくていいですから。座ってください」

 そう言われて、アイラはとりあえずルルの膝に座る。

「痛むか?」
「ええ」
「私だってルルを殴ったことないのに、叔父上が先に殴るなんて」
「そこの最初を争われても」
「ルルの綺麗な顔が台無しだ」
「台無しって、もうちょっと言い方が……。そこまでひどいことにはなってないでしょう」

 喋ると痛いというのに、ルルはいちいち突っ込まずにいられなかった。怪我人にかける言葉として色々間違っている。

「私のルルなのに」

 けれどアイラが悲しげに、そっとルルの首に腕を回して抱きついてきたので、それで許すことにした。
 その後もルルが立ち上がって家事を始めると、アイラは手伝いはしないものの、後をついて回ったりくっついてきたりする。
 本人も気づいていないだろうが、それはアイラの心配の気持ちの表れだとルルは知っていたので、殴られても悪いことばかりじゃないなと思ったのだった。



「トロージー! 叔父上ー!」

 翌日、アイラは再び公爵家の屋敷を訪れていた。頬の腫れが引いたルルも一緒だが、別にルルの報復に来たわけではない。

「トロージー!」

 門番の騎士も、もう何も言わずにアイラを通す。そもそも壊された門はまだ直っていなかった。
 そして昨日と同じく、アイラが屋敷の玄関から中に入ったところで、アイリーデ公爵や夫人、息子のトロージは階段を駆け下りてきた。
 しかし彼らの表情も態度も、昨日とは違っている。公爵は本気でアイラを歓迎している様子でこう言った。

「ああ! よく来てくれた! 本当によく来てくれた!」

 トロージも安心したように呟く。

「よかった。これで騎士たちが役に立たなくても、アイラ様がいればどうにかなる」
「何かあったのか?」

 アイラが尋ねると、トロージは「実は……」と話し出した。

「『黎明の烏』から、こんな手紙が届いたんです」
「手紙?」
「そう、今晩この屋敷を襲撃すると……」

 トロージが持っていた手紙を読んでみると、確かにそんなことが書いてあった。
 この前、トロージが街で子どもや犬、その父親を蹴りつけたことを後から知ったのか、『子どもにまで暴力を振るうなんて許せない。もう我々領民の我慢も限界だ』とつづられている。

「『エストラーダ革命を起こした騎士や聖女に続いて、俺たちもこのアイリーデで反乱を起こす。今夜、公爵一家を処刑し、この街をお前たちから解放する。精々震えて待っていろ』……だって。大変だな」
 
 アイラは他人事のようにつらつらと手紙を読んだ。そして「そんなことより」と自分の要件を優先させようとしたところで、公爵が泣きついてきた。

「アイラ! 今夜はうちに泊まってくれるだろう? お前のことは小さい頃から可愛がってきたじゃないか。私たちを守ってくれるな?」
「叔父上は騎士をたくさん雇っているだろ? トロージだってこの前は『黎明の烏』を探して街を歩いていたのに、いざ奴らが来るとなったら怖がるのか?」
「いや、あの時は頭に血がのぼっていたので……」

 トロージはぼそぼそ言う。公爵も「騎士たちは当てにならない」とアイラにすがりついてくる。

「烏どもは魔法を使う。騎士の方が人数が多くても勝てないかもしれない。もちろん私たちも魔法は使えないし戦えない。アイラがいなければ私たちは殺されてしまうかもしれない。アイラだって、家族をすでに失っているのに親戚まで死ぬのは嫌だろう?」
「うーん、そう……うーん」

 別にそこまで嫌じゃなかったので、アイラは悩んだ。
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