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「オーバスト、続きをしよう」
「はい、シュリ様」
再び机に戻ったオーバストが、次の書類を取り上げる。
ガルシア亡き後、シュリは側近達の前で、その私兵集団の解体を宣言した。
そして、その者達に、出て行くも残るも、身の処し方は自由……とだけ告げ、自分の体の傷の事は、口止めさえしなかった。
罪を暴けば、色々と黒い過去が出るだろう者も大勢いる。
オーバストは自らを筆頭に、厳しい処分をと望み、ジルは何の誓約も無しに、あの傷を知る者達を解き放つのは……と難色を示した。
私兵時代の罪は償わせるべき。という役人の声もあったが、シュリは全てに首を振り、あれはガルシアの命令によるもので、彼ら個人の意思ではない、それを白日の下に晒す気もないと説得し、咎める事さえもしなかった。
中には自らの罪の意識で城を離れた者もいた。
勿論、シュリの体を見た事で出て行った敬虔な信仰信者もいる。
だが、そのほとんどが、このままシュリに仕えたいと申し出た。
オーバストもその一人だ。
前王シヴァ……ラウとの約束を守り、このまま側に置いて欲しいと頭を下げたのだ。
ガルシア時代の国務をよく知るオーバストは、シュリにとっても有能な補佐役であり、今では文字通りの側近として国政を手伝っている。
そんな二人の姿に、ジルも諦めたように鉄格子を背にして向き直り、オーバストの隣の椅子へ腰掛けた。
「そういえばシュリ様、先程、馬番が参りまして……」
オーバストが書類から顔を上げ、シュリに話し掛けた。
「レヴォルトの様子が2、3日程前からおかしい……と申しておりました」
「レヴォルトが?」
「はい、いつにも増して落ち着きがなく、餌も全く食べずに困っているので、一度、シュリ様に様子を見て欲しいとの事で……」
そう話すオーバストの言葉に、再びジルが声をあげた。
「馬番ですと!? 馬の心配までシュリ様にさせるのですか!
側近というからには、そなたが行って……」
今度は、オーバストに説教を始めようかというジルを、シュリはクスリと笑いながら遮った。
「いいんだ、ジル。
レヴォルトは私の言う事しか聞かないんだ。
そういえばしばらく走らせていないし……。
そうだ……。
オーバスト、午後の私の予定はどうなっている?
今日は雨も降っていないし、あの湖の畔まで走らせてやりたいのだが」
オーバストがシュリの体調を心配しながらも、少々お待ちを……と返事をし、予定を調べ始める横で、ジルが「湖の畔とは、城裏の……森の奥の滝……ですか?」と尋ねてきた。
あの滝の事を、ジルに話した覚えはない。
「そうだが……。どうしてジルがそれを……?」
ジルは、やはり。と言わんばかりにひとつ大きく頷くと、
「先日より、神国の地理学者が、この国の調査の手伝いに各地を回っておるのですが、それが、森の湖で怪しい者を見た、と報告がありまして……」
「怪しい?」
そう聞き返すシュリの声に、オーバストも眉を顰め顔を上げた。
その表情は一瞬で引き締まり、元の側近長だった頃の顔付きに戻っている。
ガルシアが急逝した後、たった一日で王が二人も変るというこの事態は、国内外問わず、人々を大いに驚かせた。
しかも第10代王は、亡くなったとされていたガルシアの実子だという。
これら一連の出来事が他国に与えた影響は大きく、この機に乗じて……と考えた敵対国も少なくはなかった。
しかし、ここでラウの思惑は見事に的中する。
その後を継いだのは、あの神の子シュリなのだ。
相手が神の子の治める国となれば、簡単に手が出せるはずもなく、反対に、その恩恵にでも与ろうというのか、和平を結びたいとの申し出が相次いだ。
今まで一触即発の状態で対立していた国々から、まるで掌を返したように、ガルシアと、その子シヴァへ、丁寧極まりない弔意が届いた時には、さすがのオーバストも苦笑いを隠せなかった。
そして国内では、ガルシア王とシヴァ皇子の死を、悲しみと共に静かに受け止めながらも、混乱もなく、速やかに、粛々とシュリの戴冠の儀は行われたのだ。
今、この国はようやくゆっくりと、落ち着きを取り戻しつつあった。
だが、この大国で、世の万人が皆同じ……とならないのが常だ。
どこで、誰が良からぬことを考えるか……。
この安逸を、ただ貪っているわけにはいかない。
長年、ガルシアの元で、この城の役人の、国の民の……全ての動向に目を光らせてきた元側近長たるオーバストの表情に緊張が走る。
「シュリ様、あの森の向こうは、ひとつ山を越えれば、西国との国境。
まさか、また西国が……。
……で、ジル殿、その怪しい奴は捕らえたのか?」
「いや、それが……。
身なりは軍人でもなく、かといって農民でもないそうで……。
余りに怪しいので尋問しようと、声を掛けた途端に、森の奥へ逃げ込んで居なくなったとか……。
ですからシュリ様、お出かけになるのは、当分控えた方がよろしいかと。
今はまだ、この国も何が起こるかわかりません。
万が一にでもシュリ様の……」
ジルがまだ言い終わらぬうちにシュリは立ち上がり、あの奉剣を手に部屋を飛び出していた。
「シュリ様!」
オーバストも立ち上がる。
「えっ……! あっ……ああ??
シュ、シュリ様っ!」
いきなりの事に驚き、呆然と扉を見つめるジルの横をすり抜け、シュリの後を追うようにオーバストも続く。
そのまま城の厩舎に駆け込んだシュリの気配に、レヴォルトが大きく嘶いた。
次回最終回――
「はい、シュリ様」
再び机に戻ったオーバストが、次の書類を取り上げる。
ガルシア亡き後、シュリは側近達の前で、その私兵集団の解体を宣言した。
そして、その者達に、出て行くも残るも、身の処し方は自由……とだけ告げ、自分の体の傷の事は、口止めさえしなかった。
罪を暴けば、色々と黒い過去が出るだろう者も大勢いる。
オーバストは自らを筆頭に、厳しい処分をと望み、ジルは何の誓約も無しに、あの傷を知る者達を解き放つのは……と難色を示した。
私兵時代の罪は償わせるべき。という役人の声もあったが、シュリは全てに首を振り、あれはガルシアの命令によるもので、彼ら個人の意思ではない、それを白日の下に晒す気もないと説得し、咎める事さえもしなかった。
中には自らの罪の意識で城を離れた者もいた。
勿論、シュリの体を見た事で出て行った敬虔な信仰信者もいる。
だが、そのほとんどが、このままシュリに仕えたいと申し出た。
オーバストもその一人だ。
前王シヴァ……ラウとの約束を守り、このまま側に置いて欲しいと頭を下げたのだ。
ガルシア時代の国務をよく知るオーバストは、シュリにとっても有能な補佐役であり、今では文字通りの側近として国政を手伝っている。
そんな二人の姿に、ジルも諦めたように鉄格子を背にして向き直り、オーバストの隣の椅子へ腰掛けた。
「そういえばシュリ様、先程、馬番が参りまして……」
オーバストが書類から顔を上げ、シュリに話し掛けた。
「レヴォルトの様子が2、3日程前からおかしい……と申しておりました」
「レヴォルトが?」
「はい、いつにも増して落ち着きがなく、餌も全く食べずに困っているので、一度、シュリ様に様子を見て欲しいとの事で……」
そう話すオーバストの言葉に、再びジルが声をあげた。
「馬番ですと!? 馬の心配までシュリ様にさせるのですか!
側近というからには、そなたが行って……」
今度は、オーバストに説教を始めようかというジルを、シュリはクスリと笑いながら遮った。
「いいんだ、ジル。
レヴォルトは私の言う事しか聞かないんだ。
そういえばしばらく走らせていないし……。
そうだ……。
オーバスト、午後の私の予定はどうなっている?
今日は雨も降っていないし、あの湖の畔まで走らせてやりたいのだが」
オーバストがシュリの体調を心配しながらも、少々お待ちを……と返事をし、予定を調べ始める横で、ジルが「湖の畔とは、城裏の……森の奥の滝……ですか?」と尋ねてきた。
あの滝の事を、ジルに話した覚えはない。
「そうだが……。どうしてジルがそれを……?」
ジルは、やはり。と言わんばかりにひとつ大きく頷くと、
「先日より、神国の地理学者が、この国の調査の手伝いに各地を回っておるのですが、それが、森の湖で怪しい者を見た、と報告がありまして……」
「怪しい?」
そう聞き返すシュリの声に、オーバストも眉を顰め顔を上げた。
その表情は一瞬で引き締まり、元の側近長だった頃の顔付きに戻っている。
ガルシアが急逝した後、たった一日で王が二人も変るというこの事態は、国内外問わず、人々を大いに驚かせた。
しかも第10代王は、亡くなったとされていたガルシアの実子だという。
これら一連の出来事が他国に与えた影響は大きく、この機に乗じて……と考えた敵対国も少なくはなかった。
しかし、ここでラウの思惑は見事に的中する。
その後を継いだのは、あの神の子シュリなのだ。
相手が神の子の治める国となれば、簡単に手が出せるはずもなく、反対に、その恩恵にでも与ろうというのか、和平を結びたいとの申し出が相次いだ。
今まで一触即発の状態で対立していた国々から、まるで掌を返したように、ガルシアと、その子シヴァへ、丁寧極まりない弔意が届いた時には、さすがのオーバストも苦笑いを隠せなかった。
そして国内では、ガルシア王とシヴァ皇子の死を、悲しみと共に静かに受け止めながらも、混乱もなく、速やかに、粛々とシュリの戴冠の儀は行われたのだ。
今、この国はようやくゆっくりと、落ち着きを取り戻しつつあった。
だが、この大国で、世の万人が皆同じ……とならないのが常だ。
どこで、誰が良からぬことを考えるか……。
この安逸を、ただ貪っているわけにはいかない。
長年、ガルシアの元で、この城の役人の、国の民の……全ての動向に目を光らせてきた元側近長たるオーバストの表情に緊張が走る。
「シュリ様、あの森の向こうは、ひとつ山を越えれば、西国との国境。
まさか、また西国が……。
……で、ジル殿、その怪しい奴は捕らえたのか?」
「いや、それが……。
身なりは軍人でもなく、かといって農民でもないそうで……。
余りに怪しいので尋問しようと、声を掛けた途端に、森の奥へ逃げ込んで居なくなったとか……。
ですからシュリ様、お出かけになるのは、当分控えた方がよろしいかと。
今はまだ、この国も何が起こるかわかりません。
万が一にでもシュリ様の……」
ジルがまだ言い終わらぬうちにシュリは立ち上がり、あの奉剣を手に部屋を飛び出していた。
「シュリ様!」
オーバストも立ち上がる。
「えっ……! あっ……ああ??
シュ、シュリ様っ!」
いきなりの事に驚き、呆然と扉を見つめるジルの横をすり抜け、シュリの後を追うようにオーバストも続く。
そのまま城の厩舎に駆け込んだシュリの気配に、レヴォルトが大きく嘶いた。
次回最終回――
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