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夜のプール

夜のプール 後

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私は心配するみんなの声も無視して、まるで操られるみたいに真っ直ぐプールに向かう。

プール棟は1階が更衣室で、上がプール。

階段を上がり、沢山のシャワーヘッドの下を通りを抜けて、水のない腰洗層を通る。

プールサイドに出るとそこは真っ暗で、
使用禁止のテープが貼られた眼洗い用の蛇口から水が垂れる音だけがポタポタと響いていた。

そして、目の前にはプールが広がる。
プールに満たされた水は黒く揺蕩っていた。

「免色くん…?いるの…?」

よく見ると真っ暗な水の中に誰か浮かんでいる。けれどそれはピクリとも動かない。

まさか…

「…免色くん?!」

死んでいたらどうしよう!?
私は咄嗟にプールに飛び込んで彼に目掛けて走る様に泳いだ。また彼を置いて逃げることはしたくなかったから。空を反射する黒い水がバシャバシャと音を立てて、生き物の様にうねる。

制服が濡れて酷く重い。
まるでコンクリートの中を
掻き分けて歩いているみたいだ。

「免色くん!?」

私はその浮いている人の肩を取った。
やっぱり免色くんだ。彼はびしょ濡れのままプールの中に立ちポカンとしている。

「…あ、マコちゃん…!…何してるの…?」

「何してるのってこっちのセリフだよ!
今、飛び降り台から…」

焦る私の言葉に対して
免色くんは冷静に答えた。

「え、ああ…。今日あの後にね。
帰ろうとしたら同じクラスの人に絡まれて
カバンをプールに放り込まれちゃって…

上から探してたら落ちちゃった…」

「そう…カバンが…」

私はほっとした様な、悲しい様な
腹立たしい様な…けど…私にはそう思う権利すらない様な…微妙な気持ちになった。

誰がそんなことしたんだろう…?

確かに免色くんは変な子だし、
距離感もおかしいし、気味が悪い。
私だって彼が苦手…。気持ち悪いとも思ってる。正直に言えば今だって一緒にいるのが嫌。

だけど…だからって
そんなことしていい理由にはならない。
…私が彼に放課後にしたような仕打ちも。

「…あの…カバン探すの手伝うよ…
怪我してるし…一人じゃ大変でしょ?」

懺悔のつもりでそう提案してみる。

「え…いいの?濡れちゃうよ…?」

「いいの。もう濡れてるし。」

その言葉を聞くと免色くんは私を見る。
彼は笑っていたがなんだかいつもより
目線が冷ややかな気がした。

「…ありがと…マコちゃん」

その会話の後、私は
顔をあげる事が出来なかった。

真っ黒なプールの水を掻き分けて二人でバックを探す。目の前の水が月を映してゆらゆら揺れる。

その間も免色くんが自分から
放課後のことを言い出すことは無く、
いつも通りに私に接していた…。

それが余計に罪悪感を煽る。
…あぁ…謝らなきゃ…謝らないと。

そればかり考えている間に時間は過ぎて
暫く経ってようやく、
意を決して彼の肩を叩いた。

「あの」

「?どうしたの…?マコちゃん。」

彼が振り返る。
その表情は心なしか冷く、暗い。
当たり前だ、あんな大怪我させたんだから。
怖かったから…なんて言い訳にならない…。

「あの…免色くん、
放課後の事…ごめんなさい。
酷いこと言って、怪我までさせて…

…本当にごめんなさい…」

しどろもどろになりながら彼にそう告げた。
あたりは静まり返って水の揺れる音だけがする。
そして暫くの静寂。

「…あの…免色くん…?」

恐る恐る顔を上げると
彼は霧が晴れたようにパァと笑っていた。

「ぁっゎ…いいよ!!?全然平気だから!

わかってる…!わかってたよ!!
謝ってくれるって!!
僕のマコちゃんはあんな事言わないし乱暴もするわけない!!全っ部事故だし!僕が怖がらせちゃったんだよね?!

僕慣れてるし、気にしないで!」


いつもの免色くんだ…。
その様子にホッと肩を撫で下ろす。
けど…最後の一言が引っ掛った。

「…慣れてる…って?」

免色くんは水の底に目線を戻し
苦笑いを浮かべた。

「…そのままの意味だよ。

僕はいつもこうなんだぁ…。
みんなと仲良くしたくて頑張るんだけど…

いつも怖がられて気持ち悪がられて…
嫌われちゃって…。物を壊されたり隠されたり、殴られたりするんだ。

僕はただ仲良くしたいだけなのに…」

彼の横顔が小さな月に照らされる
濡れた真っ黒な髪が風に吹かれて
水滴を落とす。

その様子はとても悲しそうに見えた。

「…」

それから数分後、鞄は見つかった。

私達はプールに浸かったまま鞄を覗き込む。
白いエナメル質のスポーツバッグは水を含んでとても重い。

「…免色くんの鞄、
見つかってよかった。中身は大丈夫?」

「うん…たぶん…。
たいしたもの入ってないから…」

カバンの中身を確認し終え
プールの梯子に向かおうとした。

すると彼が私の手を捕まえ、
向かい合う様に私を引き寄せる。

「え…?」

そしてこちらをしっかりと見据えて
両手で私の手を包んだ。
まるでプロポーズでもするみたいに。

「あの…マコちゃん…

…ありがと…。

君ってやっぱり…優しいし…誠実で…
凄く…素敵な女の子だと思う…。」

彼は濡れた両手で私の手を揉む様に
もじもじと握りしめる。
顔は林檎みたいに真っ赤だ。

「えっと…そんな事ないよ…。
ねぇ、早く出よう?」

なんだか怖くて私は梯子に向かおうとするが
免色くんの手の力は強く、逃げられない。

「ぼ…僕ね!!
マコちゃんが僕のこと心配して…
ここに来てくれたの嬉しかった…!
来てくれるって信じてたんだ!!

ちゃんと謝ってくれたのも
バックを探してくれたのも嬉しかった…。

こんな風に僕を人として扱ってくれるのは
やっぱり君だけだよ…」

免色くんは私の手を折りそうなくらい
握り締めながら真っ赤な顔を綻ばせている。

「やっぱり…
マコちゃんと居ると…僕……幸せ…。

だから、学校だけじゃなくて
…もっと一緒がいいな。

一緒がいい…。」


免色くんは顔を赤らめて笑う。
それが月夜に照らされている。

「……」

彼は黙る私に不安になったのか
言葉を付け足し私から手を離した。

「ぁ…ごめんなさい…僕…また…
気持ち悪かった…?怖い…かな…」

「ぁ…」

その一言で私はほんの少し思った。
彼はただ本当に距離感の取り方が
信じられないくらい下手なだけで
ただ誰かと仲良くしたいだけかも…

「……」
 
私は彼を見て一年生の時に孤立していた自分と、そこに声をかけてくれた祈先輩のことを思い出していた。

少し怖いけど勇気を出してみるべきかも…
先輩みたいに。

「…確かに、そうだね。

免色くんはやりすぎ。
勝手に手繋いでくるのも、待ち伏せも、
お弁当作ってくるのも本当に気持ち悪いし
怖い。

私みたいに怒る人も居ると思う。」

免色くんはその言葉を聞いて
しょんぼりと項垂れる。けれど、
項垂れる免色くんを見てこう言った。

「でもね。その距離感をちゃんと直せば
みんな仲良くしてくれるかもしれないよ?」

免色くんは顔をパッとあげて首を傾げる。

「手を握らなければ、マコちゃんも
僕とずっと一緒にいてくれるってこと?」

うーん…ちょっと違うけど…
彼も少しは理解してくれたらしい。

「うーん…まぁ…
それなら、少しは一緒でもいいかな…」

そして私は、昔先輩が私に
言ってくれた言葉を続けた。

「友達ほしいなら今度うちの部に入りなよ。
きっとみんな仲良くしてくれる。」

完全に先輩の受け売り。でも天文学部のみんなはちょっと強引なとこもあるけど
本当に良い人達だ。きっと上手くいく。

…けれど彼は私の言葉を聞いて首を振った。

どうしてだろうと彼の顔を覗き込むと
免色くんは急に私に抱きついてきた。

「え?ひやぁ!!?」

あの小柄な体躯からは想像のつかないくらい
力で抱きつかれミシッと変な音がして肋骨が軋む。

「いっ痛っ!?いたぃっどうしたの!??」

私の抵抗など意にも返さず、耳元で
免色くんは話し続ける。

「それじゃ…ヤダ。二人がいい。

他の奴はいらない…。
あんな奴らいらない!!
何が七不思議だ…!?何が肝試しだ…!!
みんな僕をオモチャみたいに扱って!!

天文学部の連中は
僕を殺した奴らと一緒だ…!!」


?…"肝試し"…?"僕を…殺した"…?…

私は免色くんに抱かれながら、逃げる事もできずダラダラと冷や汗を流している。
彼はそんな私の首の後ろを掴んで抱き寄せ
囁いた。

「でも…君は違う…
アイツらに『不謹慎だ』って言って
怒ってくれた…
僕のこと…『可哀想』って言ってくれた…

僕が仲良くしたいのは君だけだよ…
もっと、もっと、一緒がいい…
永遠に二人っきりで居たいよ。

『ずっと一緒に居る』って
さっき言ってくれたよね!!」

「いや…そこまでは言ってな…」

否定する前に免色くんは言葉を被せる。


「ねぇ……それなら
僕のとこに…一緒にきてくれるよね?」


また彼の腕の力が強くなる。

「いっっ…?!!
『ずっと』なんて言ってないっ!!!!
いたいよ…!痛い!!」

あまりの痛みに身をよじる。
…この感じ…前にも…!!

「ねぇ、マコちゃん。
僕はマコちゃんだけが欲しいんだ。

手を繋がなければ一緒にいてくれるんだよね??親友になってくれるんだよね!?
親友以上にだってなってくれるよね!?」

そう言って免色くんは私の後ろ頭を掴むと
唇に自分の唇を押し付け、キスをした。

「っ!!!??」

熱くて柔らかな感触がして
口の中が彼の舌で犯されていく。
そして、そのまま彼は私を押し倒し、
プールの底へと沈めた。

離して!!

そう言いたかったが口は塞がれ
ボゴボコと水泡を撒き散らす事すらできない。

塩素臭い水が鼻や肺の中に入り込んでくる。

痛い、苦しい……

真っ暗なプールに沈みながら
意識を落としていく…

落ちていく意識の中でぼんやりと
免色くんの笑顔が見えた。
真っ黒の瞳を細め口は大きく弧を描いていて…

そして…
…とても愛おしげに私を見ていた。



 


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